人間椅子 来るOzzfestに向け、あふれる「サバス愛」を語りまくる
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人間椅子
日本のアーティストとして唯一、2回連続で『Ozzfest JAPAN』に挑むハードロックバンド・人間椅子。江戸川乱歩の小説からとったバンド名や、和のホラー要素を感じさせるの佇まいに代表される特異性と、70’sハードロック直系のサウンドでカリスマ的人気を誇る3人組だ。SPICEでは、彼らにとって2度目の『Ozzfest』を控えるこのタイミングで、前回の思い出やオジー / ブラック・サバスへの想いをたっぷり訊いた。ベテランの域に達した3人が、まるでバンド少年に戻ったかのように、生き生きとブラック・サバス愛を語り、本番へ向け「たくさん練習しなきゃ」と意気込む様子は必見で、そこからはなぜ人間椅子が時代と世代を超えてハードロックの魅力を体現し続けられるのかが垣間見える。さらには海外進出についてまで(!?)飛び出したインタビュー。動画コメントにも注目だ。
ベストを尽くそうと思って……すごく練習した。 和嶋
――まず、前回の『OzzFest』への出演オファーが寄せられたときは、どのように受け止めたんですか?
ナカジマノブ(Ds,Vo・以下、ナカジマ):最初、主催側から僕のところに電話がかかってきたんですよ。もう、その場で大声をあげて、「やったー!」って言いましたからね。それからすぐに和嶋くんと研ちゃんにも連絡して……和嶋くんも「へっ!?」みたいな感じだったよね。
和嶋慎治(G,Vo・以下、和嶋):もう、信じられないと思ったからね。そろそろ(ブラック・サバスを観るために)
ナカジマ:しかも、すでに何弾目かのアーティストが発表になった後だったんで、まさかそこに名前が出ている人たちと肩を並べることができるなんて、まさに夢のようだなって。予期していなかったことが起こったときって、人間ってすぐに受け入れられないんですね。だからドキドキしっぱなしでした(笑)。
和嶋:それにデカいイベントなんで、告知タイミングって決まってるじゃないですか。その日が来るまで誰にも喋れないんですよ。その辛さがありましたね(笑)。
ナカジマ:でもね、誰にも言わないでいると「俺らはホントに決まってるのかな!?」って気持ちにもなってきて(笑)。だから、みんなには言わなかったけど、俺、鬱陶しく思われない程度の頻度で、主催者に電話してたんですよ、「僕ら、ホントに決まってるんですよね?」「告知はいつ頃になりますか?」って(笑)。でもホント、出れてよかったです。
――記念すべき日本での初開催でしたからね。そこに人間椅子をラインナップしたこと自体、いいところに目をつけているなと思いましたよ。
和嶋:でも、いわば他の人たちは、ホール規模の公演をやってる人たちばかりじゃないですか。動員的なことで言えば、僕らは出られないんですよ。それなのに出られたっていうのは、主催者に感謝するしかない。
――逆に言えば、あそこに人間椅子が出なかったら「なぜだ」ということにもなりかねない。
和嶋:いや、そういう意見もあったかもしれないけど、それを言うのはコアな人だと思いますからね。一般的な認知で言ったら、僕らはそれまで「まだやってたんだ?」って言われるような感じでしたから。
ナカジマ:だから出番がトップのほうだとしても、出れただけ嬉しいし「とにかく俺らは頑張ろうぜ」ぐらいの気持ちでいましたからね。そしたら驚いたことに、出番も結構いいところに持ってきていただいて。
――どういう経緯で人間椅子の出演が決まったのか、その舞台裏も聞きました?
ナカジマ:それは聞いてないです。ただ、ちょっと聞いたのが、制作会議みたいなもので、日本側がアーティストをピック・アップしているときに、最初から人間椅子は挙がっていたんですって。その候補の中から少しずつ決まっていって、あるとき「じゃあ人間椅子に声をかけよう」っていう感じになったみたいで。
――聞くところによれば、出演者の選別にはシャロン・オズボーン(フェスティヴァルの主催者。オジー・オズボーンの妻)の許可が必要だったということですよね。
ナカジマ:候補に挙がった日本のアーティストの音源を全部聴いて、その中から「これはOK、これはNG」と決めたかどうかまでは、わからないですけど(笑)。もしそうであるなら、すごく嬉しいですよね。今回に関しては、僕らにはかなり最初にオファーの連絡をくれたそうです。シャロン本人から言われたわけじゃないですけど(笑)。
――前回、実際に『OzzFest』のステージに立って、どのような手応えでした?
和嶋:その前の話になるんだけど、僕らは最初は『イカ天(いかすバンド天国)』という番組に出てデビューのキッカケを掴みましたよね。あのとき、一つ扉が開いたと思ったんですよ。だから『OzzFest』に出るとなって、またさらに別の扉が開くと思ってね。ここでベストを尽くそうと思って……すごく練習したよね、『OzzFest』に向けて。持ち時間も決まってるんで、その中で最高のパフォーマンスをやろうってことで、僕らの自信曲をギッチリ入れて(笑)。そしたらね、ちょっと(時間的に)ギリギリだったんですよ。
ナカジマ:ダラダラ喋ってたらもうオーバーしちゃうみたいな(笑)。
和嶋:そう。ブラック・サバスの出番の前に押すわけにはいかないっていうんで、リハーサルのときには、ストップウォッチを持って時間を計って(笑)。もうアスリートみたいな練習でしたね。
ナカジマ:しかも同じ曲を何度もね(笑)。でも、練習した甲斐があったよね。
和嶋:うん。最後にはピタリと収まるようになって、準備万端であとは出るだけとなったんだけど。一番驚いたのは、ああいうフェスって演奏が始まる前にグループの名前を紹介するでしょ。そこで「人間椅子!」って言われたときに「おぉ~!」ってものすごい大歓声が起こったんですね。初めてですよ、あんな1万人ぐらいの大歓声は。その時点でもうウルッときてましたね。
ナカジマ:うん。僕らは袖にいて、3人で「今日もいつもどおりのことをやろう」みたいに話してたら、いきなり「おぉ~!」ですからね。当日はサウンドチェックもほぼないに等しかったですけど、僕らは自分らで楽器を全部セッティングしたりしてたんですよね。その時点でも結構、みんなが盛り上がってくれてて。
和嶋:そうそう。その時点でヒートアップした良い感じだったね。その盛り上がった中に出て行って、演奏して……だから最高に楽しかったんだよね。ビビるとかは、もうその瞬間にはないんですよ、楽しいから。だからこそ、実際にベスト・パフォーマンスがやれたと思います。全部出し尽くした感じでしたね。いろいろ苦しかったこととか……。
ナカジマ:走馬灯のように思い出して?(笑)
和嶋:そうそう(笑)。「あの売れなかった時代を経て、今ここにいるよ」とか、味わいながらやりましたね。しかもこの後、まさに同じ場所でブラック・サバスが演奏すると思ったらね。そして最高のステージができた、一つの夢を果たしたみたいな感じで袖に引っ込んだんですけど、そしたら人間椅子コールが起こって。それも感動した。だからずっと感動がその日1日、続いてましたね。
――まさにその直前に目の前で観た人間椅子への称賛の声ですもんね。いわゆるアンコールを求める声と同じであって。
和嶋:ありがたく受け止めます。
ナカジマ:僕らだけだったみたいですもんね、終わった後にバンドコールが起こったのは。
Ozzfest JAPAN 2013出演時の動画映像
――前回の『OzzFest』の思い出話をしていただいていたんですが、人間椅子コールが起こって感動したって話までを伺ったところなんですよ。
和嶋:どうですか、鈴木くんは。あの日の感想は?(笑)
鈴木:無事に終わって、「やっとこれで気持ちよくブラック・サバスが観れる!」と思ったのは覚えてますね(笑)。自分らのライヴがあるせいで、心からリラックスしてはブラック・サバスを楽しむ態勢には入れなかったんで。でもね、練習した成果があって上手くいったんだけど、サバスを観て、もっと(人間椅子も)できると思ったんだ。
――鈴木さんはもともと『OzzFest』の
鈴木:そう。だから、みんな(人間椅子の)『OzzFest』参加ですごく盛り上がってるから口にはしなかったけど、俺の中では、ブラック・サバスを(自分たちの)ライヴ無しで観たかったなぁって気持ちもあって(笑)。俺のブラックサバスはこれで見納めだと思ってたからね。でも、どっちも良かったから良かったですよ、自分たちのライヴも、サバスも。
――最初に『OzzFest』出演が決まったときはどう感じました?
鈴木:うん……嬉しかったですよ、もちろん。他の二人よりも俺はブラック・サバスに魂が入ってるから(笑)。でも、これはすごくいいタイミングで参加できたなぁと。
和嶋:いや、ホントいいタイミングでしたよ。その数年前から、ちょっとずつ僕たちの動員が増えてきてて、なぜかライヴに若い人が来るようになってきてたんですよ。バンドの未来がちょっと明るいなという状況になってきたところでこのお話でしたから、完全に弾みが付くなと思ったんですよ。だからホントに第2のデビューだなってね。
――期せずして、翌年が最初の音源(EP『人間椅子』/1989年)から25周年というアニヴァーサリー・イヤーでしたもんね。
和嶋:そう。だから、この日のMCでは「バンド生活25年」っていうことは、絶対に言おうと思ってたんですよ、面白いから(笑)。何だかおっさんっぽい台詞だし、実際に25年だし、重みがあっていいかなって。そして、ありがたいことに、まさに『OzzFest』に出演してから(メディアでの)露出が増えましたね。
鈴木:和嶋くんが第2のデビューだとか言ってて、そういえばそういう考え方もできるなと思ったんだけど(笑)。俺はいよいよ、これから出すアルバムに向けた宣言なんだなと思ったんですよ。これは良いものを作らなきゃいけない状況になってるなと。スポーツ選手が、「俺、金メダルを獲る!」みたいに言ってからオリンピックに出るみたいな感じでね(笑)。
和嶋:あぁ、いいところを突いてますね。言葉に出して言わないと、現実化しないと思ってるんだよ、俺は。
鈴木:ははぁ。今までも曲作りは波ありで、調子がいいときもあれば悪いときもあるので、俺はこんなに大きいことを言っていいのかな?と思ってたけど(笑)、そういうことだったんだよね、言葉にして実現をたぐり寄せるという。
文通しててね、サバスの曲をカセットテープに入れて送って。 鈴木
――みなさんにとって、オジー・オズボーンやブラック・サバスはどんな存在なんでしょう? もちろん、人間椅子の音楽的なバックグラウンドにブラック・サバスがあることはよく知られている話ですが。
和嶋:ブラック・サバスに関しては、「鈴木くんの次に好き」っていう台詞にしようかな(笑)。
鈴木:俺はとにかく好きだったんですよ。それを和嶋くんにも「こんなに凄いバンドがいるから、絶対に聴いたほうがいい」って、無理やりサバスの色に染めてしまったんですよね。
――それが10代の頃ですよね。
鈴木:浪人していた頃だから19歳か……。文通しててね(笑)。俺は東京で、和嶋くんは仙台にいたんだけど、カセットテープにブラック・サバスの曲を入れて送って。
和嶋:ブリティッシュ・ロックは好きだったんですけど、何となく先入観があったね。レッド・ツェッペリンとか、ああいうバンドが一流とすれば、ブラック・サバスは2軍っていうイメージだったんだよ、当時(笑)。
鈴木:そこがまた良いところなんだけどね。
和嶋:それまであまり聴いてなかったんだけど、鈴木くんからテープをもらって聴いたら、ちょうど浪人していたときの……何か鬱々たる、悶々たる気持ちとすごくマッチしたんですよ。ホントにいいと思いました。
鈴木:そのA級じゃないところが自分らに合ってると思うんだよね。イアン・ギランとか、ロバート・プラントみたいに、歌が上手いのが売りのバンドには俺らは絶対になれないから、そうじゃないところで、A級よりちょっと下の、B+みたいな(笑)。
和嶋:曲も把握しやすかった……実際には難しいこともやってるんですよ、急に拍子や展開が変わったりね。でも、弾きやすい感じがしたんだよね、ブラック・サバスの曲は。レッド・ツェッペリンみたいに色々ダビングしてないし、リフだけでやっているところにストイックさみたいなのを感じたし、バンドだけで演奏している感じがカッコいいと思ったんだね。それに暗さがある。大学に入ってから、バンドでカヴァー曲をいろいろとやったりしたんですけど、そのときにだいぶサバスをコピーしたんですね。それが多分、現在の曲作りのバックボーンになっています。
――鈴木さんが最初に聴いたアルバムはどれでした?
鈴木:ベスト盤でしたね。昔、友&愛っていうレンタルレコード屋があったんですけど、中学校はKISS、高校でディープ・パープルを知って、もっとその時代のバンドをいろいろ知りたいっていう時期だったんですよ。だから何でもベスト盤を借りてきて、その中でサバスがヒットしたという。そこの友&愛には、他には『VOL.4』(1972年)しかなかったんですけど、どっちも借りて。すごく感激しましたね。
鈴木研一
――何がよかったんでしょうね。
鈴木:やっぱり「Paranoid」がカッコいいと思ったんですよね、キャッチーで。何がいいとかわからないですよね、高校生の頃って。メロディがよかったのか、リフがよかったのか、とにかく頭に残って……。
和嶋:明らかにブラック・サバスは他のバンドと違いますからね。
鈴木:今思えば、ドラムの音、ベースの音、ギターの音が、すごくいいんですよ。ダントツでカッコいい感じがして聞こえるんだけど、当時はそこまで思わなくて、ひたすら頭に残ったんですよね、「Paranoid」が。
和嶋:当時のブリティッシュ・ロックって、ホントに凌ぎを削ってたっていうふうに聞こえるのよ。どのバンドも真似しようとしていないんですよね、お互いに。今もそういう人たちはいっぱいいますけど、「こういうことをやれば売れるだろう」っていうのと、「とにかくオリジナリティを追究しよう」って姿勢でやってる音楽は全然違う。あの頃のロックのグループは……売れたかったんでしょうけど、何よりも自分たちのオリジナリティのあるサウンドを出そうというエネルギーがすごくあるのよ。だからどのバンドを聴いても違うからね。ツェッペリンもそうだし、ディープ・パープルもそうだし。ブラック・サバスはそれがより生々しいというか、ソフィストケイトされずに、ドロっとしたまま、剥き出しのままである感じがするのね。
鈴木:中間部でいきなり唐突に変わるっていうのがね、サバスの個性の最も重要なところだと思いますね。ディープ・パープルもレッド・ツェッペリンも、カッコよく中間部に入るんだけど、サバスはカッコいいのと変なのとの間のスレスレの感じで入っていく。それが心にくるんですよね(笑)。これを考えたのは凄いなと思いますね。
和嶋:ディープ・パープルは、そういうときに橋をちゃんと渡るような、無難なところにいくんだよね。ブラック・サバスは一回橋を壊してやる感じがある。だからそのスリリングさでしょうね。
自転車で行って、木に登ってオジーを待ってた。 ナカジマ
――ノブさんもブラック・サバスは聴いていたほうでした?
ナカジマ:もちろん、ブラック・サバスは知ってたし、「Iron Man」も「Paranoid」も知ってたんですけど、その頃はそんなに聴き込んでないんですね。僕はどちらかというと、オジー・オズボーンがソロになってからなんですよ。和嶋くんと研ちゃんとは年齢が一つだけ下なんだけど、高校のとき、ジェイク・E・リーが弾いて、トミー・アルドリッヂが叩いている頃に、すごくオジーを聴くようになって。だから、来日したときに観に行ったんですよ。ブラック・サバス! オジー!ってすごく意識したのはそのときですね。会場は中野サンプラザだったんですけど、あの頃はまだコンサートもそんなに行かないし、出待ちとかそんな意識もないんですけど、友達と二人でビニジャン着て(笑)、自転車で行って。楽屋口の木の上に登って、オジーを待ってたんですよ。そしたらタクシーが着いて、一人1台ずつ乗って出て行って。結局、オジーはいつ出て行ったかわからなかったんですけど、ジェイク・E・リーとトミー・アルドリッヂは手を振ってくれたんですよね。それから僕、サンプラの一階の真ん中にある通路の一つ前の席だったんですよ。そこで高校生二人がジャンプしてたら、オジーが指をさしてくれたような気がして(笑)。
和嶋:すみません、それはファンの勝手な思い込みですよ(一同笑)。
ナカジマ:そう、完全にそれで(笑)。ジェイク・E・リーもゴロゴロと転がってギター・ソロを弾いてたじゃないですか。そこで立ち上がったときも、「俺のことを見た!」って思っちゃって(笑)。それですごい好きになりましたね。
和嶋:こういう話を聞くとね、東京にいる人ってうらやましいなって思うんですよ。だって高校のときに観てるんだもんね?
鈴木:新聞の下の(来日公演の)広告欄を見て、ホントに羨ましいなと思ったよね(笑)。
ナカジマノブ
ナカジマ:あぁ。その後はツェッペリンとかディープ・パープルとかも聴いてはいたんですけど、僕はどっちかというとその一つ次の世代で、アイアン・メイデンとかレインボーなんですよ。もちろん、AC/DCとかKISSはずっと好きで聴いてたんですけど、人間椅子に入ることになって、改めてブラック・サバスを聴き直した感じですかね。
和嶋:多分、僕らの世代でも、ブラック・サバスはすでにオールド・ロックの扱いでしたからね。だって俺らが中学生のとき、アイアン・メイデンがデビューしてるから。でも、パンク以前、以後で、微妙に音楽性は違ってくるんじゃないかなぁ。作曲したり演奏する上では、パンク以前のテイストを大事にしたいと思ってるんですね、人間椅子は。やっぱり、パンク以前のグループに影響を受けましたから。だから、自分たちがやっている音楽を「ヘヴィ・メタル」と言われても、今ひとつピンとこないところもあるんですよ。似たようなことをやってはいますけどね。
――わかります。むしろ、源流をそのまま継承している。
和嶋:うん、そのままのつもりですね。いま自分で喋ってて、ジャンル分けするのは良くないなとも思ったんですけど(笑)、とにかく70年代の“凌ぎ感”みたいなものを大事にしたいかなぁって。
鈴木:70年代ハード・ロックっていう、一つのジャンルとしてもっと広めたくて、俺は活動してるんですよ(笑)。
――たとえば「ハード・ロック喫茶ナザレス」(鈴木が主催するDJイベント)の店主としての活動ですよね。ところで、インターネットの普及も関係しているとは思いますが、海外のリスナーからの反応も増えているんじゃないですか?
和嶋:ネットがなかったら、数年前から若いお客さんが来だすということもなかっただろうし、その流れがあって『OzzFest』にも出られてっていう、今の状態にはいなかったでしょうね。海外の方からも質問とかが来たりするわけですけど、いろんな国で聴いてくれてる人がいるんだなって。
ナカジマ:ホームページの問い合わせアドレスに届くメールは、すぐ近くの韓国や中国の人が多いんですけど、中にはエジプトの辺りの小さな国からのものもあったりするんですよね。CDをどうやったら手に入れることができますかとかだけではなくて、ファンクラブに入りたいっていうのもあるんですよ。ホームページが日本語で書かれているから意味がわからないみたいなんだけど、「ライヴはいつあるんですか? この日程なら日本にいるんです、その間にやってください」っていうのもあったね(笑)。
和嶋:アメリカの人からも早く来てくれって言われたりもするしね。
鈴木:俺らは腰が重いからね。まずパスポートを取るところから始めないと(笑)。
ナカジマ:3人ともパスポートを持ってないですからね。
鈴木:そう。俺の戦略としてはね、まず行くんですよ、向こうに。それでだんだん火が着いて、それが日本のネットに載って、より日本も盛り上がるっていう、ちょっとBABYMETAL的なやり方を提唱します(一同笑)。
――BABYMETALも今回の『OzzFest』に出演しますよね。さて、人間椅子は連続出演になりますが、来る『OzzFest』に向けてはどんな気持ちでしょう?
和嶋:逆にそれこそ失敗できないっていうかさ。前回はある意味、第1回目だからサプライズじゃないですか。出ることに意味があるみたいな感じだったと思うんですけど、今回は2回目で、ホントに光栄なんですけど、外せないですよね。だから別の意味でのプレッシャーもありますよ。それとね、先ほども話に出ましたけど、海外でもやってみたい希望があるんですけど、それを上手く流れるように行かせるためには、ここでちゃんとやっておかないとという気持ちが非常にある。その一つのキッカケとなるように持っていければというのがありますね。
――アメリカ版の『OzzFest』もありますからね。
和嶋:そこに呼んでもらえるぐらいまでのパフォーマンスがやれればいいですね。
鈴木:俺は今の話を聞いてて、随分先のことまで考えてたんだけど……たとえばアメリカに行くんだったら、スピードラーニングを買わなきゃなって(笑)。でも、いきなりアメリカの『OzzFest』というよりも、来年は(ライヴをやりに)行けばいいんじゃないの? (観客が)入るかどうかは、わからないけど。
和嶋:うん、やろうと思えばやれますよ。自腹を切って行けばいいだけだからね。
――ここでものすごい宣言が出ちゃいましたね。
和嶋:慎重になってても、そのうちにおじいちゃんになってしまいますからね。でも、何か上手くいく予感はしますよ、今年また『OzzFest』に出るってことは。
ナカジマ:前回は初めて観る人も多かっただろうし、随分久しぶりって人もいたと思うんですよ。でも、今回は以前よりは人間椅子を知って観に来てくれる人も多いと思うので、そこで頷いてもらえるようなパフォーマンスがやれるように、しっかり練習しようかなと思ってます。……またストップウォッチ持って(笑)。
鈴木:『OzzFest』が終わるとすぐにアルバムのレコーディングなんですよ。つまり、新曲を作りながら、『OzzFest』の練習をすることになるんですね。だから、「俺ら、こんなに良い曲を抱えてるぜ」って思いながら、いい気分で『OzzFest』に臨みたいですね。……「まだできてねぇよ」って思いながら、どんよりした気持ちでやることにならないように(笑)。
撮影=風間大洋 インタビュー=土屋京輔
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