内博貴が主演する『まさに世界の終わり』日本初演が開幕!
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不治の病で余命約1年の主人公が、18年ぶりに再会する家族との一日を綴った舞台『まさに世界の終わり』が、西宮市の兵庫県立芸術文化センターで幕を開けた。映画版の同作(邦題は『たかが世界の終わり』)は、時代の寵児であるグザヴィエ・ドラン監督が手掛け、2016年カンヌ国際映画祭グランプリに輝いた。この作品が舞台化されるのは日本では初めてだ。
本作は1957年に生まれ、1995年にエイズのため38歳で亡くなったフランスの劇作家・ジャン=リュック・ラガルスの作品。1980年代はエイズは不治の病で、ラガルスをはじめ多くの才能あるアーティストが命を落とした。エイズに対する偏見も根深く、病名を公にしない人も多かった。その時代背景と、死を宣告されたラガルスが、本作の主人公ルイに自身を投影していたことを知れば、より物語の世界に入っていきやすい。最初のシーンは、ベッドの上で病に苦しむルイ(内博貴)が、家族にもうすぐ死ぬことを知らせに行こうと決意するモノローグ。ルイは、もがきながらも手を伸ばし、何かを空中でつかもうとする。
ルイの帰還を喜ぶが、18年の不在を責めるルイの妹シュザンヌ(島ゆいか)、愛情があるものの、ルイに嫉妬があり、日本の頑固親父のように頑なな兄のアントワーヌ(鍛治直人)、家族を懸命につなげようとするアントワーヌの妻カトリーヌ(大空ゆうひ)、肝っ玉母さんで、ルイに皆を励ましてほしいと頼む母親(那須佐代子)。登場人物のセリフによって、ルイの心臓の鼓動が効果音で客席に響き、彼の動揺が伝わってくる。ルイは、家族の前では物静かに微笑んでいるが、時々、織り込まれるモノローグでは、死への苦悩と、何故、家を出たのか、家族に対する葛藤を毒々しく吐露する。内の、静と動の対極の演技が印象的だ。
家族との関係はやっかいだ。遠慮がない分、血や涙が流れ、後悔もする。それと同時に、かけがえがない。ルイと家族の状況は、誰もが通過するであろう鋭い痛さや深い苦さを抱えている。そう思わせてくれたキャスト全員の演技と、演出の石丸さち子の手腕が光る。映画版ではドランが脚本も手掛け、登場人物の表情や心象風景で、それぞれの心情を読み解く必要があったが、ラガルスの川の流れのような言葉を生かした舞台版(上演台本:石丸さち子)のほうが、私には分かりやすく物語に近づけた。
ルイは家族に自分の死を伝えることができたのか。何かをつかみ取れたのか。ラストシーンのルイはあまりにも美しく、胸を突かれる。ここも映画とは違う。ラガルスは、約20年の間に25作品を書き残したが、日本ではあまり上演されることがなかった。彼が観客と再び出会う、そんなラガルスとの「世界の始まり」を感じた舞台だった。
取材・文=米満ゆうこ