劇作家・井上ひさしの長女・都さんに、いまいこういちが聞く~「父の思い出を家族や編集者の方と話す機会がほとんどなかったのはやっぱり寂しい」

2019.2.20
インタビュー
舞台

井上都

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劇作家の井上ひさしさんが2010年4月9日に亡くなって、もう10年になる。ファンとしては、ひさしさんを座付き作家とする劇団があるおかげで、その死をなんとくなく受け入れずに済んでいる気がしないでもない。それは時を経ても揺らがない井上作品の普遍性ゆえだろうか。ひさしさんが亡くなる1年前、当時劇団代表をつとめていた井上都さんがひっそりと演劇界から身を引いた。ほとんどの演劇関係者、編集者に何も告げずに。あるお芝居のロビーで『ごはんの時間―井上ひさしがいた風景―』(新潮社)という都さんの著書が並べられていた。それがきっかけで、久しぶりに井上都さんと再会することができた。(取材・文=いまいこういち)

演劇界から何もいわずに静かに去った彼女と再会した

 実は某新聞の日曜版で『ごはんの時間』の取材を受けた都さんの記事を見つけ、元気でいることを知り、いてもたってもいられなくなった。しかし、かつての携帯メールに連絡しても返事はないし、演劇界にほとほと疲れてしまったのではないかという懸念もなくはなかった。そんなときに都さんの著書を発見し、その公演のプロデューサーに連絡をとっていただいたわけだが、あっさり会う約束を取り付けることができた。まぁそういうのんびりしたところのある人ではあった。そして、そのときの話を書くことは許していただいたが、僕が塩漬けにしてしまっていたため、ちょうど井上ひさしさんの没後10年がめぐってきてしまった。

 『ごはんの時間』は、都さんが、食べ物と心の中の記憶——ひさしさんをはじめとする家族、一人息子とのことなどなど——をつづったエッセイ集だ。苦手ゆえに不器用に料理と格闘したり、時にさぼったりする都さんの姿と、その味から語られる記憶は、逆に、じっくり煮込まれた料理の深いコクのように、おかしみと哀しみ、滋味や苦味などがじんわり伝えてくるよう。

 「(劇団を離れても)息子と二人の生活くらいパートタイムでなんとかなるだろうと思っていたんですけど甘かったですね(苦笑)。私一人だったらどうにでもなれ!でいいんですけど、息子には惨めな思いをさせたくなかったし、弱気を見せられない。だから連載のお話をいただいたときはうれしかったです。もともとは毎日新聞のOさんが、小説すばるでの『父の万年筆』というコラムを読んでお声がけくださったんです。きっとデスクの方にお願いして無理やりねじ込んでくださった企画じゃないかな。Oさんはもちろんそうは言いませんけど、そんな気がするんです。私は仕事をいただけただけでうれしかったので、なんでもやらせていただこうという思いでした。食がテーマでしたが、私は食の専門家ではないし、父も家族も美食家ではないから、食とつながる自分の思い出を書かせていただこうと」

約100本、毎日のようにネタについて考えていました

 僕は今は休刊になってしまったシアターガイドの編集スタッフだった時代、都さんに連載のエッセイをお願いしていた。それは『やさしい気持ち』(ベネッセコーポレーション)に収録されている。彼女は謙遜するだろうが、難しい言葉やテクニックを使うわけではないのに、彼女の情や優しさがにじみ出てくる文章だといつも思っていた。父親ゆずりとも言える深い観察眼もさすがだった。

 『ごはんの時間』では、ひさしさんが劇団事務所に現れるときにお土産に買ってくるアジの押し寿司のこと、お母様がひさしさんの夜食につくるスパゲッティのこと、ひさしさんが小さく切り分けて焼いてくれた味噌餅のことなどなどが語られる。

 「井上都では世の中の方には誰なのかわかりませんし、井上ひさしの長女ということで書かせてもらっているので、時々は父のことや昔のことも出さないわけにもいかなくて(笑)。Oさんは父のことは書いても書かなくてもいいですよとおっしゃってくださったんですけど。でも、悩むことはどうしても息子や今の生活のことになってしまうので、現在の日常の方が比重が大きくなってしまいますよね。
 今も覚えている味? 祖母が作ったすいとん、父と食べたカップヌードル、オーストラリアで食べたホットドッグかなあ。びっくりするほど美味しかったという記憶ではないんですけど、この3つの味は鮮明に覚えています。エッセイを書いていたのは2年間だから100本ですよね。アイデアが浮かばず1週間ずっと連載のことを考えていましたね。担当がOさんから他の方に交代してからも打ち切りにならずに続けさせていただけたのは感謝しかありません」

 井上家という特別な家庭でありながら、登場する“味”は、ずいぶんと庶民的というか、いい感じで手が抜かれていて親しみが湧く。そのころの時代背景なども決して詳しく説明しているわけでもないのに脳裏に浮かぶようで、そして彼女と家族の息吹や絆が感じられる。

またお芝居にかかわれることがあったらうれしい

 「実は劇団をやめたのは、父との揉め事があったから。劇団を運営している私に少しずつ不満が募っていたんでしょうね。もっとしっかりしてくれれば、書くことに専念できるのにと。でも何もわからないままこの世界に引き込まれ、それでも私なりに24年間がんばってやってきた自負もありましたから父に謝ろうとか、弁解しにいこうとはしなかったんです。父の性格もわかっているから、こうなってしまったら何を言ってもダメだとあきらめてしまった。もちろん私にはまだ消化できないこともないわけではありません。もっと良いやり方があっただろうとも思います。でも、この連載があったおかげで精神的にも支えてもらったし、書くことで熱くなっていた頭が冷静になれたというか。思い返せば楽しい子供時代を過ごさせてもらったんですよね。最後はうまくいかなくなってしまったけれど、とても感謝しています。そして何より書くことは大変だったけれど楽しかった。読者の方には、料理もへたくそで、息子と二人で、暮らしも人生もうまく運んでいないようだけれども、毎日一生懸命生きている人間がいるんだなと思っていただけたらと思います」

 本を読めばわかるのだが、連絡が取れなかったのは、パートで必死に働いていたのと、料理をつくるのにものすごく時間がかかることなどによるものなのだ。そして、今となっては自分だけがしゃべるのはフェアじゃないという都さんの気遣いもある。そして続けてこうも言った。

 「揉め事が起きた後での父の死だったので、父の思い出を家族と話すとか、編集者の方と話すとか、そういう機会がほとんどなかったんです。それがやっぱり寂しいかな。家族とも普段は仲が良いのに、劇団のこと、父のことが話題になると、いろいろがかみ合わなくて、そういうこともあったわねというふうにならずにケンカになっちゃうんです(苦笑)」

 僕の中でも、いつか何かの席で、中華料理をごちそうしてくれた井上ひさしさんの笑顔が、目の前の都さんの笑顔と重なる。そして、この原稿を書きながら、つい妹さん二人の著書もポチッ、ポチッと買ってしまった。

 「お芝居との関係もこのままで終わるのは寂しいかな。でも制作のスキルが身についているわけではないから。スタッフの皆さんにずっとお任せしていて、ギャラ交渉一つやったことがないので(笑)。どんな形でもいいからまた携わることができればいいなあとは思っています」

 今ではフェイスブックも始めた都さん。いつも受付でペコペコしていた姿が、もう一度見てみたい気がしてきた。

取材・文:いまいこういち

書籍情報

「ごはんの時間: 井上ひさしがいた風景」
著者:井上都
単行本: 173ページ
出版社: 新潮社 (2016/9/30)
言語: 日本語
ISBN-10: 4103502819
ISBN-13: 978-4103502814
発売日: 2016/9/30

 

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