映画『あの日々の話』/玉田真也監督インタビュー
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玉田真也
青年団リンクの劇団・玉田企画を主宰し、現代口語演劇の最先端をひた走る劇作家/演出家、玉田真也。その玉田の代表作で昨年再演も行われた『あの日々の話』が映画化され、2019年4月27日(土)より全国順次公開される。監督・脚本は玉田で、初演の際のキャストがそのまま出演。カラオケボックスでオールナイトの飲み会が行われる模様を描いた本作で、玉田は映像作家としても頭角を現すことになりそうだ。自身の大学時代の話などパーソナルな面も含め、玉田に話を聞いた。
【動画】『あの日々の話』予告編
成り行きで入った演劇サークル
――今日は玉田さんのバイオグラフィー的なことも伺いたいと思います。出身は金沢で大学は慶応ですよね? 演劇専攻の学部がある大学に行こうとは思わなかったんですか?
玉田 最初は大学に行くつもりがなかったんですよ。高校生の時にバンドでギターを弾いていて、音楽の専門学校が金沢にもできたんで、そこに行くつもりだったんです。よく行っていたギター屋さんとも連携している学校で、講師の人たちのも仲良くなっていて。けど、結局色々あって行けなくなって、そこから1年ぐらいフリーターをやっていたんです。デパートで新しい店舗が入る時に古いほうの内装変えるじゃないですか? その内装を壊す仕事をしてました。結構大変で、ほこりまみれになるんです。床や天井をはがしたりして、休憩中に鼻かんだら真っ黒でどろどろのが出てくるんですよ。この仕事ずっとしてたら死ぬなって思って、冬頃に辞めて。で、大学行った友達が夏休みとか冬休みに帰ってくるんですけど、大学がいかに楽しいかっていうのを話すわけですよ。バイトしてても朝8時とかに仕事終わって帰るんですけど、家に帰る途中にこれから大学に行くであろう同年代がすごく楽しそうに歩いていて、いいなあと思って。そこから1年間ちょっと勉強して大学に行きました。
――演劇サークルには入っていましたか?
玉田 大学の2年生の時に入りました。1年生の時はテニスサークルに入っていて、そこで知り合った友達が演劇サークルをとかけもちしていて。2年生の新歓期にひとり何人までは新入部員誘わなきゃいけないっていうノルマがあったらしくて、そのノルマ要員として演劇サークルに誘われたんですよ。
――それまで演劇は観たことがなかった?
玉田 ほぼ観たことがなかったですね。高校の時に課外授業的なミュージカルを観たくらいで。演劇サークル入ってからナイロン100℃観て、好きになってDVDも買って。友達にもナイロン好きなやつがいて、DVD貸し合ったり。
――最初から脚本を書いていたんですか?
玉田 最初は新人公演っていうのがあって、新入生は役者をやるんです。で、それが終わったらそれぞれが自主企画を立てられる。総会っていうのがひと月に一回あって、その場で企画書出して、役者とスタッフを募るんですよ。それで条件があって人が集まれば企画通る、みたいな。今思うと、それって青年団のシステムとほとんど一緒なんですけど、それで10月に1本作って。慶応は演劇サークル自体が3つしかなくて、僕が入っていた創造工房っていうのが百人以上いていちばん大きくて、チェルフィッチュの岡田さんもそこの出身でしたね。
――成り行きで入った割には続いたんですね、演劇サークル。
玉田 最初、お笑いが好きだったから、コントとかやりたいなって思ってたんですよ。バナナマンとか好きだったので。そしたら、「いや、演劇サークル入ればコントもやれるよ。コントやってる人もいるし」って言われて。その時はまだお笑いサークルなかったので、それならいいかもと思ったんです。
メタ視点は強いかもしれない
――『あの日々の話』もそうですけど、玉田企画は少し前の作品だと学生の群像劇が多かったですよね。あれは実体験を踏まえてたんですか?
玉田 実体験なのかフィクションなのかってどの芝居でも質問されるんですけど、そこは結構難しくて。混ざっているというか、こういう経験したことないけど、こういう時のこういう気持ちは経験してるよなっていう感じですね。断片的には実体験的な瞬間もあるけど、大枠としてはそんなに実体験ではないかなと。でも、サークルで飲みメインの合宿というのは実際やってましたね。
――テニスサークルに入ったのは大学デビューみたいなところもあったんですか?
玉田 そうかもしれないです。ただ、2年遅れで大学行ってるじゃないですか。しかも演劇サークルは2年から入ってるから同期が3つ下なんですよ。仲良くなって楽しくやるけど、なんかちょっとひいちゃうところがあって。みんなと同じテンションで騒げなかったです。ちょっと温度が違うというか。
――小川さんというおじさんの役がありますけど、サークルにああいう人がいたんですか?
玉田 サークルにはいなかったけど、授業に行くと教授より年上の人がいて。真面目で最前列でノートとってるんですよ。それは光景として残ってますね。教授なのか生徒なのか見分けつかないんですよ、キャンパス歩いていると。
――『あの日々の話』に出てくるような代表選挙とか決起会は?
玉田 それはまさにテニスサークルでありました。代表選っていうのがあって、学校休みの日に教室を借りて選挙するんですけど、みんなスーツとか着てくるんですよ。女子もびしっとちゃんとした服着てきて。で、選挙のあとは飲みに行く。選挙になると対立候補同士がちょっと仲悪くなったりするんですよ。同じ代で仲良かったはずの人同士が最近つるんでない、みたいな。あの辺の人間関係の変化とかは見ていて面白かったですね。
© 2018『あの日々の話』製作委員会
――『あの日々の話』のようにカラオケでオールしました?
玉田 しました。演劇サークルの新人公演のあと、打ち上げの二次会は毎回同じカラオケボックス行くんですよ。ちっちゃいカラオケボックスの3部屋ワンフロア貸し切りにして。みんなで騒ぐ大きな部屋と、荷物置くちっちゃい部屋と、まったりしたい人がいる中ぐらいの部屋と。で、必ず毎年2組くらいカップルができるんですよ。一カ月半くらいの稽古時間を一緒にする若者がいるわけで、変なマジックがかかって、誰かが誰かを好きになるんですよ。途中で消える男女とかいるし。恒例のことだから先輩たちは分かってて、「今年は誰なの?」みたいにいじる。そういう流れでした。
――そういう人間関係の機微を一歩引いてみてそうですよね、玉田さん。
玉田 そうですね。メタ視点は強いかもしれないですね。
――玉田企画の舞台には、イタい人とか滑稽な人がよくでてきますが、普段からそういう人に目がいきますか?
玉田 そういう人じゃなくて、普通の人でもイタい瞬間ってあるじゃないですか。そういうところが目についちゃうんですよ。「今、めっちゃおもしろいことになってたな」とか。
――それ、自分にも跳ね返ってきませんか?
玉田 跳ね返ってきますよ。「おれ今めっちゃイタいことになっているじゃん、はず!」とかって。
――例えばどんな時ですか?
玉田 全然正解じゃないことを飲み会で言っちゃうこととかあるじゃないですか。笑い取ろうとした感じで失敗するっていう。今の間(ま)、完全に笑いとろうとしたよねっていう。全然面白くないこと言って蒼ざめたり。
最初は流れで始まった映像化
――『あの日々の話』の映画化はどういう経緯で?
玉田 元々映画が好きで撮りたいっていう気持ちはあったんですけど、『あの日々の話』の初演が終わった頃に小川さん役の俳優の近藤強さんが「映画撮らない?」って言ってきたんです。「短編で30分くらいのやつ撮ろうよ、なんかネタないの?」って。特にネタないって言ったら、「じゃあこの前のカラオケのやつ縮めて30分くらいにしてやったらおもしろいんじゃない?」って。その時はやれたらいいですね、くらいで流れちゃったんですけど、半年後ぐらいに山科君っていう関西弁の俳優の彼が「あの話どうなったん?」って言ってきて。本当にやるんだったらスタッフさんとか紹介するで、って。元々彼は映画美学校のフィクションコース出身で、自主映画畑の人なんですよ。僕は映像関係の知り合い全然いなかったんで、彼に色々紹介してもらって話が進みましたね。
――舞台版とここは変えまいと思ったところは?
玉田 『あの日々の話』はほぼワンシチュエーションの密室劇じゃないですか。そこは守ろうと思いました。映像をやるにあたって、もっと外を映せばいいんじゃないかとか、舞台版にないエピソードを入れようっていう案もあったんですけど、それをしちゃうと中途半端でよくある映画になっちゃうと思って。このぎゅっとした空間でやっている面白さは死守しようと思いました。
――逆に映画にしかできないことってなんでしょう?
玉田 この舞台に関しては映画と演劇の差をあまり意識しなかったんですよ。僕がやっている仕事は脚本と芝居の演出っていう、演劇と同じものなので。撮影はカメラマンの人に全部任せてるし。ただ、クローズアップの面白さっていうのは編集中に気づきました。あと、演劇だったら全体を俯瞰してお客さんに見せるけど、映画では編集が入るので観る人の視線をこっちで誘導するわけじゃないですか。これ見てこれ見てそのあとこれ見てっていう。そこで起きる面白さっていうのはいっぱいあって。だから、映画は最後は編集で決まるっていうのは思いましたね。撮影で半分、編集で半分。
© 2018『あの日々の話』製作委員会
――キャストは舞台版の初演のメンバーですね。これはなぜ?
玉田 初演の時は出演メンバーに完全にあてがきしているからですね。再演の時は半分キャストが変わっていて、初演から引き継いだ人たちは苦労なかったんですけど、再演から入ったメンバーは結構苦労していて。自分にあてがかれたものじゃないから、自分のキャラクターから離れたものを自分にあてはめていく稽古で。だから映画も、初演のメンバーのほうがすんなりいくっていう確信はあって、そうなりました。舞台は毎回あてがきで、この作品に関しては結構あてがきがうまくいったかなって思ってます。
――カバンの中からコンドームが出てくる俳優さんは絶対そういうもの持ってなさそうなキャラだから、インパクトが大きいと思いました。
玉田 意外っていうことですね。あの役は初演の時に菊池(真琴)さんに初めてやってもらって。彼女は演技経験も少なくて、初めて一緒にやるし歳もいちばん下で、かなり緊張してたんですよ。右も左も分からない感じでぎこちなくて、それが逆におもしろいなと思ったんです。一番最初のシーンで男たちに囲まれてふざけてるのを見せられて「おもしろーいって」言わされるところとか。あのたどたどしく周囲に合わせてるっていうのが面白いと思って、でも再演だとみんなとも仲良くなって慣れてきちゃうじゃないですか。だから、映画の時には良くも悪くもそのたどたどしさが消えてるなと思いました。
――よく若手劇作家に対して「世界が狭い」っていう批判があるじゃないですか? 『あの日々の話』も一見すると半径5メートル以内の世界を描いたように見えますが、そういう批判に対してはどう思います?
玉田 広く社会を感じさせる作り方として、ふた通りあると思っていて。ひとつは(平田)オリザさんみたいな描き方。社会的な背景をセッティングとして入れて、その中でのドラマにするっていうのがひとつ。『焼肉ドラゴン』とかもそうですね。家族の話だけど、背後には時代が流れている。もうひとつは、書かれていることは狭いコミュニティの中の話なんだけど、台詞などのディティールを掘り下げることによって社会が透けて見えるっていうもの。僕は後者で、このやり方で世界を広くしていくことはできるんじゃないかって思ってます。
青年団にいたから演劇を続けられた
――オリザさんの名前が挙がりましたが、玉田企画は青年団リンクだったんですよね。
玉田 今でもそうですね。青年団は09年に『眠れない夜なんてない』っていう志賀廣太郎さんが主演の作品を観て。東南アジアに高齢者が移住する話なんですけど、こういうのあるんだって。
――青年団に入るのにはどんな審査があるんですか?
玉田 僕の時は、レポートみたいなのを提出しましたね。それで通ったらオリザさんと面接。そこで決められる。すごい簡単な面接ですけど、2、3質問されて、「じゃあ頑張ってみる?」と。でもほとんどがレポートで落とされるので、面接で落とされる人は少ないらしいです。レポートは、平田オリザ作品を読んで思ったことをまとめるんです。戯曲でも演劇論でもよく、僕は『現代口語演劇のために』を読んで、共感するポイントをいっぱい書きました。
――青年団に入ってよかったと思うことは?
玉田 演劇を続けられていることですね。入ってなかったらもうやってないと思います。稽古場使えるとか劇場使えるとか、経済的にも助けてもらってますし、青年団の俳優との出会いがあったからこの作風になっていったと思う。あとは、『革命日記』っていう舞台に演出助手で入らせてもらって。毎日稽古行って、間近で演出見るんですよ。だから、オリザさんの演出の仕方はお手本になってる感じがしますね。五反田団も好きで、青年団入った頃に演出助手やったんですよ。それも大きかったですね。
――『今が、オールタイムベスト』はそもそもマリファナコミュニティの話にするつもりだったと聞きましたが。
玉田 ちょうどその舞台の前に長野県でマリファナコミュニティが摘発されて、大麻村ってセンセーショナルな報道をされたんですよ。男女が10人くらいで共同生活をしていて、コミューンみたいなの作ってるんですよね。で、大麻栽培して仲間内で吸って、音楽イヴェントとかやって、村の人たちとも仲良くやってる。何か悪いことしてるわけじゃないし誰かが傷ついているわけじゃないけど、法には触れてるっていう。「それおもしろ!」と思ってやりたかったんですけど、行ったことないから分からないやって。実態を知らなさすぎるから、全部を想像でやるのはきついなって思って断念したんです。
――やっぱり一度体験したことがあったり、取材したことじゃないと書きづらいんですね。
玉田 そうですね。
――ファミレスの隣の男女の会話とか気になります?
玉田 あー。渋谷によく執筆で使う喫茶店があるんですけど、あそこマルチ商法の人たちがいっぱいいて。必ず3人でしゃべってるんですよ。ビジネスのこととか夢のこととか、自己啓発本みたいな話ししていて。それをそこら中でやっていて、30分くらいで人が入れ替わるんです。顔見知りになるんじゃないかっていうレベルで同じ人がいて、出社してくるかの如く勤勉に来るんです。あの喫茶店は間違いなくマルチ商法で持ってますよ(笑)。その会話とか聴いちゃいますね。なんかあったらいつかネタに使おうと思います。
『かえるバード』はいつもと違うことをやりたかった
――そういえば、昨年東葛スポーツが根本宗子さんのひとり芝居をやりましたけど、あれ、元々は玉田さんやロロの三浦(直之)さんも出る予定だったそうですね。
玉田 最初、僕と根本さんで『ロミオとジュリエット』をやろうとしていたらしいんですよ。別の劇団で敵対しているみたいな設定にして、パロディしようとしていたらしくて。僕は予定が空いてなくて、三浦君にも話がいって、でも彼もできなくて、結局根本さんのひとり芝居になったんです。ロロの三浦君や根本さん、ナカゴーの鎌田(順也)さんとかは気になる存在ですね。公演やるたびにどんなことやってるんだろう? どういう評判なのかな?って思います。
――先日終わった公演『かえるバード』の評判はどうでしたか?
玉田 今までにないくらい賛否両論でしたけど、失敗してもいいからいつもと違うことをやろうという感じで作っていたんで、よかったかなと。いつも通り面白いって言われるのがいちばん嫌だったので。今までの作品でいちばん好きっていう人が多かった一方で、いつも楽しんでる人が微妙な顔して帰ったりしていて。新鮮でしたね。
――今後の公演の予定は?
玉田 芸術劇場のシアターイーストで『今が、オールタイムベスト』の再演をやります。あと、10月24日から10日間ぐらい、映画監督の今泉力哉さんとこまばアゴラ劇場で公演をやりますね。今泉さんと一緒に何かやりたいですねって言っていて、最初は「テアトロコント出ましょうか?」って気軽な感じで言ってたんですけど、アゴラが募集していたので出してみたら通って。共同脚本、共同演出の予定です。パート分けして、50分、50分でやるかもしれないし、長い脚本をふたりで書くかもしれないし、これから考えようと思っています。
取材・文=土佐有明
【原作・監督・脚本: 玉田真也(SHINYA TAMADA)プロフィール】
1986 年生まれ、石川県出身。大学在学中に演劇を始める。大学卒業後、2011 年に青年団演出部入団。2012 年、劇団「玉田企画」を旗揚げし、以降すべての作品で脚本・演出を担当。日常の中にある「変な空気」を精緻でリアルな口語体で再現する。観る者の、痛々しい思い出として封印している感覚をほじくり出し、その「痛さ」を俯瞰して笑いに変える作風が特徴。これまで担当した作品は、映画『シェアハウス』(脚本/監督:内田英治、2016 年)、NHK「ちょいドラ/ロボカトー中島と花沢さん」(脚本/2017 年)、現在放送中の T フジテレビ「JOKER x FACE」(脚本/2019年)など。本作で長編映画監督デビュー。自身の劇団「玉田企画」で好評を博した同名の舞台を原作に、自らの手で完全映画化した。
上映情報
■日時:2019年4月27日(土)の回・本編上映後
<20:45 開始/21:00 終了(予定)>
■会場:渋谷ユーロスペース スクリーン2 (渋谷区円山町 1-5 KINOHAUS 3F)
■登壇者:山科圭太 近藤強 木下崇祥 野田慈伸 前原瑞樹 高田郁恵 菊池真琴 長井短 太賀 玉田真也監督(予定)
■原作・監督・脚本:玉田真也
■出演:
山科圭太 近藤強 木下崇祥 野田慈伸 前原瑞樹
森岡望 高田郁恵 菊池真琴 長井短 太賀 村上虹郎
■エグゼクティブプロデューサー:大高健志、足立誠、市橋浩治
■プロデューサー:鈴木徳至
■撮影:中瀬慧
■照明:玉川直人
■音響:黄永昌
■美術:濱崎賢二/福島奈央花
■助監督:川田真理
■衣裳:根岸麻子
■編集:冨永圭祐
■スチール:小野寺亮
■制作:MOTION GALLERY STUDIO
■配給・宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS 宣伝協力:アニモプロデュース
2018 年 / 日本 / 100 分 / カラー / ステレオ / シネマスコープ © 2018『あの日々の話』製作委員会
※この作品は三浦大輔・作「男の夢」に着想を得たものです。