既存の「パスクワーレ」にモヤっとしているなら見てみてほしい、英国ロイヤル・オペラ・ハウス『ドン・パスクワーレ』
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(c) ROH 2019 photograph by Clive Barda
英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2019/20の第2作目はドニゼッティのオペラ・ブッファ(喜歌劇)『ドン・パスクワーレ』だ。本作は2019年春にパリ・オペラ座で初演され大好評を博したダミアーノ・ミキエレット演出によるプロダクションで、タイトルロールを演じたブリン・ターフェルや英国ロイヤル・オペラ・ハウス初登場のオルガ・ペレチャッコら、出演者が一癖も二癖もある登場人物をそれぞれに好演した現代版『ドン・パスクワーレ』となっている。
1843年の初演以来、170年以上を経てなお名アリアともども繰り返し上演される「喜劇」とされるこの作品、その一方で果たして今の時代、ほんとうに喜劇なのか、権利のための戦いなのか、はたまた老人イジメなのか……といった様々な評価も耳にする。これまで「パスクワーレ」を観て「モヤっとする」「どうも疑問符が拭えない……」という感想を抱いた方々にはぜひ、一度見ていただきたい。
(c) ROH 2019 photograph by Clive Barda
■舞台を現代に置き換え、登場人物にはリアリティを
まずはオペラのあらすじをざっとご紹介しよう。
このオペラの主人公は、齢70歳の独身資産家ドン・パスクワーレ。彼は甥のエルネストに遺産を譲るつもりでいたが、エルネストは叔父の定めた結婚相手には見向きもせず、若い未亡人ノリーナに熱を上げている。ノリーナと甥の結婚に反対するドン・パスクワーレは「ならば自分が若い娘と結婚しよう。甥に遺産はやらぬ」と思い立ち、主治医マラテスタに結婚相手を紹介してくれと持ち掛ける。実はエルネストとノリーナの友人でもあるマラテスタは、彼らとともに「わからずやの老人を懲らしめてやろう」と一計を案じ、ノリーナを自身の妹ソフロニアと偽り、花嫁としてドン・パスクワーレに紹介する。まんまとマラテスタらの計略にかかってしまったドン・パスクワーレは、結婚した途端に悪妻と化したソフロニアにひどい目にあわされ、結局エルネストとノリーナの結婚を認め、幕となる。
……という物語、はたして初演時の1840年代は確かに今ほど結婚に自由はなく、それこそ無理矢理年齢の離れた老人のもとに嫁がされる若い娘もいただろう。また当時はヨーロッパ各地で市民運動や革命が起こるなど、いわば時代の価値観も揺れ動いていた。そうしたなかで登場した成金の金満家や権力者を笑い飛ばすことは、確かに喜劇のネタとしては痛快であっただろう。
(c) ROH 2019 photograph by Clive Barda
しかしさらに時を経た21世紀、結婚の価値観も変わり、年の差婚だってシニア婚だってある。この物語を「喜劇」として笑い飛ばすには、当時の時代背景への理解をもってしてもなかなかにして微妙だし、ドン・パスクワーレに近しい年齢であればあるほどに、その複雑さは一層増すに違いない。実際にこの演目は2019年11月に新国立劇場でも上演されたばかりだが、絶賛の一方で、どうもすっきりしない、モヤモヤした思いを拭い去れず、未だに頭に微妙な疑問符を付けたままの方々も少なからずいるのではなかろうか。
今回の英国ロイヤル・オペラ・ハウスの『ドン・パスクワーレ』は、そんな疑問符やモヤモヤを拭い去ってくれるような、そんな味わいもあるプロダクションだ。演出のミキエレットは舞台を現代に移し、登場人物たちの闇の部分にも焦点を当てた。子供のまま年老いたパスクワーレやニートの甥、小賢しいノリーナや山師のようなマラテスタなど、癖の強いキャラクターらと「結婚」「遺産相続」というモチーフが絡むことで、この物語が現代的な輪郭を持って、どことなくミステリアスな雰囲気も漂わせながら、なまなましく浮かび上がってくる。そして最後に無理なく笑顔で終わる構成も、ほっと安心させてくれるのだ。
(c) ROH 2019 photograph by Clive Barda
■聴かせどころもしっかり押さえた、歌手たちの熱演にも注目
舞台設定もなかなかユニークだ。幕が上がってまず目に入るパスクワーレ邸は宙に屋根が浮かんだ構造。その下には60~70年代のフランス映画に出てくるようなアンティークな車や冷蔵庫、家具が置かれている。一瞬この舞台の時代はいつだ?と思うのだが、ノリーナらはちゃんとスマホを使っているから、間違いなく現代だ。つまり主人公の老パスクワーレは時の止まった屋敷の主で、そこで母親と暮らしていた頃の思い出を振り返りながら、若い娘との結婚を夢見るのだ。なんともヤバい(笑)
(c) ROH 2019 photograph by Clive Barda
さらに幕間インタビューで散々「間抜け」と称される甥っ子エルネストは、生活力の欠片も感じられないニート風。屋敷を追い出され、クマちゃんのぬいぐるみを抱えてとぼとぼ歩く姿はかなり情けない。撮影スタジオで働くノリーナは、要領よく世渡りに長けた感じがある。演じるペレチャッコの厚かましさすれすれの存在感も絶妙だ。マラテスタに至っては胡散臭さが服を着て歩いているような雰囲気で、しかもこの男、実はノリーナとただならぬ関係であることさえ漂わせる。とにかく誰もが怪しく、誰もがダメで、またその役どころを捉えた出演者の演技がそれぞれにお見事なのだ。もちろんノリーナの「騎士はその眼差しに射抜かれて」、エルネストの「甘く、清らかな夢よ」や「遥かなる土地を求めて」、ドン・パスクワーレとマラテスタの早口二重唱「そっと、そっと」などの名曲は、しっかりと聴かせてくれるのである。
何より歌う役ではないが、パスクワーレ邸の使用人である老婆にはぜひ、注目していただきたい。彼女がいるからこそ、ラストシーンのドン・パスクワーレの笑顔がぐっと心に迫ってくるのである。
(c) ROH 2019 photograph by Clive Barda
文=西原朋未
上映情報
■公式サイト:http://tohotowa.co.jp/roh/