江戸糸あやつり人形劇団・結城座、十二代目結城孫三郎が「第一回古典小劇場」を語る 「勝負事だと思っていますから」

インタビュー
舞台
2020.2.4

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2020年2月6日(木)〜2月11日(火)に東京・ザムザ阿佐谷で、寛永12年旗揚げの江戸糸あやつり人形劇団・結城座の公演「孫三郎 第一回古典小劇場」が行われる。

演目は、新内節の『東海道中膝栗毛 ~赤坂並木から卵塔場まで~』と、義太夫節の『本朝廿四孝 奥庭狐火の段』。孫三郎が操る八重垣姫を間近で堪能できる『本朝廿四孝』に加えて、結城座の結城数馬が弥次郎兵衛を、新内界の新星・多賀大夫が弾き語りを務める『東海道中膝栗毛』の若手中心の座組みも見逃せない。

十二代目結城孫三郎は「人形芝居を“小”の場で上演したい」と約30年来思い続けていたという。今回実現した「古典小劇場」について、孫三郎に話を聞くことができた。

十二代目 結城孫三郎

十二代目 結城孫三郎

手を伸ばせば届きそうな距離で古典を楽しむ

――結城座といえば古典だけでなく新作公演や前衛劇、海外公演、外部のアーティストとの舞台も積極的に行い、新たな地を開拓しながら時代の荒波を乗り越えてきた先鋭的で風通しの良い一座というイメージがあります。また「孫三郎 第一回古典小劇場」の「古典小劇場」について、昭和44年に演出家の遠藤啄郎氏(自由劇場)と創作を行った「結城座小劇場」が一瞬頭をよぎるのですが、今回の「古典小劇場」と別物と考えていいでしょうか?

全く別のものです。このとき僕らは20代でした。アンダーグラウンドの世界があって、「古典や分かりやすい芝居ばかりやっていても仕方がない」という意識で新しい芝居を求めてやりました。当時は「古典の人間なのに、なんでこっちにくるんだ」と、新しい芝居の人間から批判を相当受けましたけどね。

今回は新しい空間を求めて、「古典小劇場」と銘打ちました。私はずっと、お客様が手を伸ばせば人形に触れられるような“小”な場で人形芝居をしたかった。「何百人という観客を前にした人形芝居は正しいのか」という思いを抱き続けていたんです。お客様との新しい関係性を求めたということです。

『東海道中膝栗毛 ~赤坂並木から卵塔場まで~』稽古場の様子

『東海道中膝栗毛 ~赤坂並木から卵塔場まで~』稽古場の様子

――60㎝前後の人形の演技を楽しむには、密な空間の方が良さそうです。ただ劇場で演じれば観客から反応があると思います。“小”な場では、どんな反応が見られるとお考えでしょうか。

すごく小さいところで古典をやるのは初めてのことなので、全く見当がつきません。むしろそれがちょっと楽しみですね。

ただ今回は安全牌を切っていないですから。狭い空間でこの芝居はイヤだな」と思った観客がパッと立ち上がり、出て行ったらすごく目立ちますよね。あるいは何十人の中で10人ぐらいが面白くなくて寝てしまったら、すぐに分かるじゃないですか。そういう危険性もはらんでいるんです。いい意味でも悪い意味でも、反応が直に僕ら人形遣いへ跳ね返ってきますから。

――観客との距離が近いというのは、リスキーなことなんですね。

勝負事だと思っていますから。芝居をする上で、そういう反応を直視できないようではいけないと思います。逆に観客に受け入れられたら、もっと鮮やかな反応が見られると思うんですよ。

――空間的な挑戦ですね。

そうです。舞台と客席との間にはプロセミアムがあって、相手のテリトリーを犯さないという不文律があるわけでしょう。観る側と人形を操る側が、劇場でもっと一体となれないかと考えたんです。

――古典を間近で見てもらうことも狙いの一つだったんでしょうか?

はい。ことに古典は観られる環境やお客様との関係を変えていかなければ、いつも通りやっているだけになってしまいます。そんなことは絶対に嫌ですし、少なくとも私には耐えられません。

先日、海外から公演依頼があったんです。「新しい作品だったら行きますよ」と言ったら、「古典で」と言うから断りました。外国で日本の古典をやればうけるのが分かっていてつまらない。そういうことが嫌で小さい場を選んだんです。

――小さな空間での公演を、人形遣いとして挑戦されたかったということですね。

そうです。人形を使った純粋な表現ができるんじゃないかと思ったんです。何百人と入った劇場だと一人一人の反応が薄くなります。「この芝居は受け入れられない」という人も中にはいるはずなんです。ただ、100人の中で5人くらいが拒否反応を起こしても、後の95人が認めれば、5人の批判的な反応は消えてしまう。たしかに人形遣いとして大きなリスクを背負いますが、この歳になって安全牌は引きたくないですね。

️劇場の匂いの中で演じる

――ザムザ阿佐ヶ谷での空間演出はどのようにお考えですか?

壁や床に木の古材を使った板目のある空間をそのまま利用して、劇場の中をあんまり物で隠さない方法を取りたいと思っています。

 私はツルツルで傷もない新しい劇場が苦手で、床はガタガタで釘が打ってあって人形を操るには向いていないような劇場の感触が好きなんです。スズナリなんかもよく使いますが、あの古びた空間は良いですね。何組もの劇団が芝居をしてきた匂いがついていて。ザムザを見に行ったときにも、「ザムザの匂いが結構あるな」と感じました。

️古典を継承するということ

――今回、若手の方を積極的に出す形を取られていますね。

弥次郎兵衛は本来、私が使うべきなんですけれど、兄(十一代目結城孫三郎)が、「お前が弥次郎兵衛をやったら普通だろう? だったら若手に回したら」と。「孫三郎 第一回古典小劇場」と銘打っていて一本はやらざる得ないですから、『本朝廿四孝』は私がやりますが、『東海道中膝栗毛』では脇に回って若いもの(結城数馬)にやらせます。稽古で苦戦していて大変だろうと思うけれど、次の世代に移していくためにはそういう荒療治をしないと。私がいつまでもやっていたってしょうがない。

――古典の継承について伺っていきたいのですが、今回、弥次郎兵衛を結城数馬さんが操ります。稽古場でどんなやり取りをされていますか?

古典は所作や台詞回しが重要です。私は教えることがあんまり得意じゃないので、先代にも来てもらって、若手に色々とアドバイスしているんです。

左から結城数馬、十二代目 結城孫三郎

左から結城数馬、十二代目 結城孫三郎

――所作や台詞回しもそうですが、そもそも人形の演技と生身の人間の演技とは、全く違うものという解釈なんでしょうか?

お客様が観る分には、あたかも人間の芝居のように感情移入していらっしゃるものですが、表現としては別ものです。人形の動きは人間の動きをベースにしていますが、糸操りだから人のようには動けません。例えば、歩くという動き一つ取っても違います。

実際の人間なら左足が出た時には右手が出ますが、人形はそれができません。左足が出る場合は左肩が出るんです。また人間が前進するときに(足の裏で)地面を蹴りますが、人形は蹴ることができないので、体重移動になります。それをあたかもちゃんと歩いていると見せられるように修行を積まされる。初めて人形を持った人が操ると、大抵はバランスが悪くグニャグニャです。歩く動きだけでも人間の赤ちゃんと同じようにハイハイして3歳くらいにやっと歩けるようになるんです。

――人形芝居には感情を表現するための型のようなものはあるんでしょうか?

型というか、芝居にとって感情表現は非常に大切なものですよね。ただ人間ならすぐに喜怒哀楽を表現できるでしょうが、人形の場合はテクニカルな面での習得が必要です。どの糸をどの程度引っ張り、どのタイミングで動かせば、あたかも感情が入った状態に見えるかというのは技術的な仕事です。人形遣いは技術だけが突出していてもいけませんし、芝居づくりの本質のようなものを同時進行して身につかないといけない。だから人形遣いの修行は役者の修行よりも時間がかかってしまうものなんです。

――古典の所作や台詞回しはどのようにして若い方へ教えるものなのでしょうか?

古典には決まった所作や台詞回しがあるので、私や兄が引っ張っていかなければいけない部分はもちろんありますが、芝居には自分のものに変化させていく作業もあるので。「これまで、所作や台詞回しはこんな風にやってきた」ということを伝えても、取り入れるかどうかは本人が判断することです。でもね。代々続いてきたものって作品として結構力強いんですよ。それを変化させることは並大抵の努力じゃできない。ちょっとした思い付きでできるものではないので、これまでの人形遣いがどのように表現してきたかを学ぶという意味で、若手にはいい経験になると思います。

――いわゆる伝統芸能の保守的な継承のイメージとは随分違う印象ですが。

古典特有の所作や台詞回しは伝達していかないといけないものですが、いくら伝達しても100%受け取れる人間って少ないんです。それに、教えた私のコピーのような人形遣いがいっぱい出てきたら嫌じゃないですか。自分と全く違う人形遣いが欲しいですね。私は、自分の意思を持った人形遣いを育てたいと思っていますから。

構成・文=石水典子

公演情報

2020 江戸糸あやつり人形 結城座「孫三郎 第一回古典小劇場」

『東海道中膝栗毛 ~赤坂並木から卵塔場まで~』
『本朝廿四孝 奥庭狐火の段』
 
■開催日程:2020年2月6日〜2月11日
■会場:ザムザ阿佐谷
■出演:結城孫三郎 結城数馬 小貫泰明 田中純(特別出演) 新内多賀太夫(弾き語り)
■スタッフ:
構成/結城孫三郎 監修/田中純 照明/大屋惠一 音響/島猛 映像/濵島将裕 舞台監督/吉木均
 
《あらすじ》
 
『東海道中膝栗毛 ~赤坂並木から卵塔場まで~』(原作:十返舎一九)
江戸をヒョンなことから食いつめた弥次郎兵衛と喜多八は、上方に向かって呑気な旅を続けている。赤坂並木(東海道五十三次の36番目の宿場「赤坂宿」/現在の愛知県豊川市赤坂町)を通りかかった時、酒徳利を下げた子供が通るのを一つ目小僧と間違え、こらしめようと打ち叩いていると、その親爺が現れ「わが子に何をしやがる」と弥次郎兵衛の首をしめ、弥次郎兵衛は気絶をしてしまう。親爺は身ぐるみをはぎ、そばにあった経帷子(きょうかたびら)を着せて立去る。息を吹き返した弥次郎兵衛は自分が死んだと思い、嘆き悲しむのであった。
 
『本朝廿四孝 奥庭狐火の段』(原作:近松半二ほか)
上杉の息女八重垣姫は、許嫁でありながら敵同士となった武田勝頼が死んだと思い、十種香を焚いて回向をしている。そこへ庭師蓑作に変装した勝頼があらわれ、八重垣姫はひと目見るなり恋に落ちてしまう。一方、謙信は蓑作の正体を見抜き、追手に討たせようと謀り、娘の八重垣姫はそれと察して勝頼の危難を救おうと、今は上杉家の所有となっている武田家の秘宝諏訪法性の兜に祈る。その奇特で霊狐に守られた八重垣姫は、氷の張り詰めた諏訪湖を渡り、恋しい勝頼を必死に追いかけ、危機を救うのであった。
 
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