現代日本演劇の巨星堕つ~劇作家・別役実氏の足跡を振り返る

2020.3.11
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日本現代演劇シーンを代表する劇作家のひとり、別役実(べつやく・みのる)氏が2020年3月3日に肺炎のため死去していたことが、3月10日に明らかとなった。享年82。2014年頃からパーキンソン病で体調が衰え、近年は老人ホームで暮らしていた。葬儀は近親者のみで営まれ、後日しのぶ会がおこなわれるとのこと。喪主は長女で林怜(はやし・れい)さん。

別役実氏は1937年満州生まれ。1958年、早稲田大学政治経済学部入学(後に中退)後、学生劇団「自由舞台」に入部。1961年デビュー作『AとBと一人の女』を上演。1962年には鈴木忠志らと共に新劇団「自由舞台」(後の早稲田小劇場)を結成、『象』を発表し一躍注目を浴びた。1967年、『マッチ売りの少女』『赤い鳥のいる風景』で岸田國士戯曲賞。1971年、『街と飛行船』『不思議の国のアリス』で紀伊国屋演劇賞個人賞。1972年、『そよそよ風の叛乱』等で芸術選奨文部大臣賞新人賞。1988年、『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』で読売文学賞。また、同作品等で芸術選奨文部大臣賞。2008年、『やってきたゴドー』等で紀伊国屋演劇賞。『やってきたゴドー』は2008年鶴屋南北戯曲賞も受賞。2009年、朝日賞。2012年には読売演劇大賞で芸術栄誉賞。2013年、日本藝術院会員に選ばれた。

ベケットなどの影響を受けつつ、一本の電信柱だけが拠り所の日常的風景が次第に不条理な空間へと歪んでいく作劇法を確立させ、日本版不条理劇の第一人者として同時代の演劇シーンに多大な影響を及ぼした。また、独特の淡々とした台詞運びは、1990年代以降に台頭した平田オリザら“静かな演劇”派の先駆となったとも言われる。

一方で、ユーモアのセンスにも長け、数多くのナンセンス劇を発表、ケラリーノ・サンドロヴィッチら後進のナンセンス劇作家たちのリスペクトを受ける存在でもあった。初期ナンセンス作品のひとつ『スパイものがたり』(1970年、演劇企画集団66初演)では初めてミュージカルに挑戦、小室等が作曲した一連のミュージカルナンバー「雨が空からふれば」「私はスパイ」等は、その後、小室の率いたグループ「六文銭」のレパートリーにもなり、作詞者・別役実の名が日本フォーク史に刻印されるに至った。

別役的笑いは戯曲だけでなく、エッセイ作品でも花開いた。とりわけ『虫づくし』に代表される「づくし」シリーズ(他に『鳥づくし』『魚づくし』『けものづくし』『道具づくし』『さんずいづくし』等)は、堅い学術的文体を装いながらバカげた嘘八百を綴った、奇想のフェイク文学として、人気を博した。さらに、1998年~2002年に会長職を務めた日本劇作家協会で喜劇やコントを指導、ふじきみつ彦などを育てた。他に、犯罪評論や童話の分野でも多大な実績を残した。映画やテレビドラマの脚本も書いた。

しかし、やはり本業は劇作家であり、生涯に書いた公式戯曲は144作品にも及んだ(他に非公式の作品も少なからず存在する)。最後の戯曲は2018年に名取事務所によって上演された『ああ、それなのに、それなのに』であった。私生活では、1970年に結婚した女優の楠侑子との間に長女(イラストレーター、絵本作家のべつやくれい=本名・怜)を1971年にもうけている。