『ムーミン展』が大阪・あべのハルカス美術館で開催、約500点を新たな演出も加えた過去最大規模で展示

2020.7.17
レポート
アート

ムーミン展 THE ART AND THE STORY

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7月4日(土)より大阪・あべのハルカス美術館にて『ムーミン展 THE ART AND THE STORY』がスタートした。本展は日本とフィンランド外交関係樹立100周年、ムーミン75周年を記念に開催される、過去最大規模の展覧会。フィンランド・タンペレ市にある世界で唯一の「ムーミン美術館」所蔵の作品や、ムーミンキャラクターズ社の協力のもと、作者のトーべ・ヤンソン(1914-2001)が最後まで手元に残した貴重なコレクションなど約500点が展示される。2019年4月にスタートした東京・森アーツセンターギャラリーを皮切りに、約2年かけて日本各地を巡回する。

ムーミンは1945年に小説『小さなトロールと大きな洪水』が出版されてから世界中で人気を博し、絵本、新聞連載コミック、アニメ、商品など、さまざまなかたちで愛され、親しまれてきた。本展は7つの章で構成されており、ムーミン物語の原画や挿絵、ムーミン誕生のルーツ、トーべ・ヤンソンのアトリエや愛用品、そして幅広いジャンルのコラボ商品や企業広告、さらに日本との関わりを示す写真や作品を展示している。そんな『ムーミン展』の見どころをたっぷりと紹介しよう。

4ヶ月ぶりの展覧会

浅野秀剛 あべのハルカス美術館長

まず、あべのハルカス美術館館長の浅野秀剛氏が挨拶。2月に『薬師寺展』を開催したが、新型コロナウイルスの影響で3日間のみの開催となり、その後休館した同館。4ヶ月ぶりの展覧会開催に、ほっと胸をなでおろしたという。ムーミンの魅力について、「ムーミンの物語には人間が出てこない。動物もほとんど架空の生き物で、良いところも悪いところも備えており、ワーワー言い合いながらも愛情を持っていて、最後は平和に共存する。そういうところが世界中に受け入れられる最大の要因かなと思っています。こういう状況ではありますけども、感染防止に努めながら、できるだけ多くの方にお越しいただければと思います」と語った。

あべのハルカス美術館学芸員の横山志野さんと浅野館長

続いて、あべのハルカス美術館学芸員の横山志野氏による本展の説明が行われた。順に章を追いながら紹介したい。

第1章 ムーミン谷の物語

展示風景

ムーミンシリーズは1945年、第1作目『小さなトロールと大きな洪水』が出版されたのち、約四半世紀をかけて全9作の物語が紡ぎ出された。第1章ではムーミン物語の挿絵や原画、スケッチ約240点が展示されている。

トーべ・ヤンソンは1914年、彫刻家の父・ヴィクトルと、挿絵画家の母・シグネとの間に生まれた。小さい頃から母の影響で絵を覚えたトーべは早々に才能を発揮する。彼女が描いた挿絵が初めて掲載されたのは14歳の時。15歳で学校を中退し、スウェーデンの叔父の家から母の母校のストックホルム工芸専門学校に通い、商業デザインと絵の基礎を学ぶ。3年後フィンランドに戻り、父の母校のフィンランド芸術協会画学校に入学して油彩を勉強した。非常に優秀な生徒で、奨学金で1938年頃からフランスやイタリア各地を回って、絵の見聞を広げたという。

展示風景

しかし、当時は世界全体が第二次世界大戦の渦に巻き込まれていた。トーべの周りでも弟が戦争の前線に送られたり、画学校の先生や友人が亡命、父親とも戦争に対する考え方の違いで幾度となく衝突、彼女にとっては非常につらい時期だったという。その一種の逃避として『小さなトロールと大きな洪水』が執筆された。全てのムーミンの物語には、トーべが生きた時代や人間関係が色濃く反映されている。

展示風景

特に第1作目と1946年に出版された第2作目の『ムーミン谷の彗星』は、戦争の影響を感じさせる内容で、挿絵はインクをぼかして、闇や薄明かりが表現しやすい技法が用いられた。

トーべは一度出版した本でも修正したいところがあれば書き直し、改訂版として出版したという。『ムーミン谷の彗星』は2度にわたり大幅なテキストの改変が行われた。それに伴い挿絵も描き直され、1946年の初版と1968年の改訂版の同じ場面の挿絵を見比べてみると、改訂版ではスナフキンが加わっている。1946年当時の印刷技術だと、にじみやぼかしがうまく反映されなかった為、改訂版以降に描かれる作品は、非常に細かな線での描写が中心となっていく。

挿絵 1946年頃、1968年頃

3作目の『楽しいムーミン一家』で、スウェーデン語で出版されていたムーミン物語が初めてイギリスで翻訳される。それにより絶大な人気を博したことで、1954年からイギリスの夕刊紙「イヴニング・ニューズ」新聞でコミックスの連載がスタート。その人気はイギリスだけでなく世界中に広がっていく。戦後に執筆された『楽しいムーミン一家』は戦時中に書かれたものとは違い、雰囲気も明るく、平和的な内容になっている。

新聞の連載が始まったことで、執筆以外の仕事で日々を追われるようになったトーべは、画家として自由な創作ができないことに心を痛める。しかし、生涯のパートナーになるグラフィックデザイナーのトゥーリッキに出会ったことで、もう一度物語を紡ぎ出す情熱を蘇らせた。『ムーミン谷の冬』は、冬眠から早く目覚めてしまったムーミンが冬を越えるためにいろんな経験をし、ひとまわり成長する物語。ガイド役・おしゃまさんとして、トゥーリッキも登場している。トゥーリッキはトーべにとって、物語でも私生活の中でもかけがえのない存在となった。

展示風景

『ムーミン谷の冬』ではスクラッチという新たな技法に挑戦。黒く塗られたスクラッチボードを引っ掻くことで、下に隠れた白い部分が現れ、冬の厳しさを乗り越えるムーミンの不安や想いや成長していく姿を、力強いタッチで効果的に表現している。

そして、父親への想いを詰め込んだ第8作目の『ムーミンパパ海へいく』、最愛の母シグネへの愛情を、トフトという少年に投影した第9作目『ムーミン谷の11月』でムーミンシリーズは完結する。第1章では9作品の完成原画やスケッチ、表紙デザインが展示されている。非常に細やかな線の美しさや、キャラクターの表情や躍動感はもちろん、作品を重ねるごとに変化するムーミンのプロポーションにも注目してほしい。

挿絵 1957年頃

第2章 ムーミンの誕生

ムーミンというキャラクターの誕生には2つの背景がある。1つは、弟と哲学の話で口論になり、言い負かされたトーべが悔しさのあまりサマーハウスのトイレの壁に落書きした、鼻の大きな生き物・スノーク。もう1つは、スウェーデン留学中に下宿していた叔父の家でつまみ食いしていたところを叔父に見つかり、「つまみ食いをするやつはおばけのムーミントロールがやってきて、後ろから冷たい息を吹きかけるぞ」とからかわれた話。

展示風景

叔父からその話を聞いて以来、ムーミントロールというおばけの想像が膨らみ、1930〜1940年代のいくつかの作品には、体が黒くて目の赤いムーミントロールが少し不気味に描かれている。やがて1943〜44年頃には政治風刺雑誌『GARM』の挿絵の片隅に白色で描かれるようになり、1945年、『小さなトロールと大きな洪水』の主人公として登場することになる。

「ガルム」表紙

「ガルム」挿絵 1945年以降のものには必ずムーミントロールがいる

雑誌『GARM』はフィンランドで1923〜1953年までの30年間発行されていた政治風刺雑誌。1923〜30年代前半にかけて母シグネが、1930年代後半からトーべが主席画家として雑誌を牽引した。マスコットキャラクターの黒い犬・ガルムはシグネがデザインしたもの。北欧神話に出てくる、どう猛かつ勇敢な番犬がモデルになっている。今回展示されている作品で、1945年以降に描かれた『GARM』の挿絵には必ずムーミンが登場しているので、ぜひ会場で見つけてほしい。

第3章 トーべ・ヤンソンの創作の場所

第3章ではトーべの2つのアトリエを紹介している。1つは1944年にヘルシンキに構えた自分だけのアトリエ。この場所で2001年までの約60年間多くの作品を生み出した。2つのアトリエは、ムーミンの人気とともにトーべの周囲が騒がしくなってきたことから、心穏やかに制作できるよう、1964年にたどり着いたクルーヴ島(ハル)。トーべにとって島というものは、幼い頃に家族で過ごした思い出の場所であり、創作の情熱やアイデアをくれるかけがえのない場所だった。

この章ではアトリエで描かれたスケッチや、島で過ごしていた時の写真、トーベが実際に使っていた愛用品や、トーべがトゥーリッキと夢中で作ったというムーミンの立体作品も展示されている。

展示風景

トーべ・ヤンソンの愛用品

ムーミン人形

さらに大阪展では新たな演出として、島のアトリエの雰囲気が立体で再現されている。岩壁の島の岸に停泊する木のボートと、床に映し出される海の映像。この映像は朝・昼・夜で映る景色が変化するとのこと。トーべの過ごした島での時間を想像し、味わってほしい。

自伝的小説『彫刻家の娘』表紙スケッチ 1968年頃

また、児童文学だけではなく大人向けの小説も執筆したトーべ。中でも『彫刻家の娘』はトーべの自伝的小説となっており、彼女の両親との思い出がたっぷりと刻み込まれている。大人が楽しめる、非常に読み応えのある作品となっている。

第4章 絵本になったムーミン

『ムーミン谷へのふしぎな旅』スケッチ 1976年頃

トーべは小説とコミックスのほかに、それぞれ異なる技法で描かれた4冊のムーミンの絵本を出版した。第4章では『ムーミン谷へのふしぎな旅』の原画とスケッチを交えて本書を紹介。『ムーミン谷の11月』以降、7年ぶりに再び読者をムーミン谷に誘ったトーべが楽しみながら描いたというこの作品は、それまでの制作手法とは逆に絵が先行したもの。陰影に富んだ水彩のタッチや表現、勢いのあるデッサンが印象的だ。水彩ならではの筆致や色使いを楽しんでほしい。

第5章 本の世界を飛び出したムーミン

展示風景

1954年にコミックスの連載がスタートして、本国フィンランドでもムーミンの知名度が高まったことで、ようやく1955年にムーミン物語がフィンランドで翻訳される。そこからの人気はすさまじく、翌年春にはヘルシンキのストックマン・デパートが大々的にムーミンのキャンペーンを展開。陶器、ファブリック、文房具など、様々な商品が販売された。本章ではムーミンキャラクターズ社の協力で、これらの貴重なコレクションを展示。ほかにも銀行の広告や環境保全ポスターなど、この章だけで100点あまりが一堂に会している。

塗り絵表紙 原画 制作年不詳/ヴィクトリアン・スクラップ 原画 1970年頃

フィンレイソン社とコラボしたファブリック 制作年不詳

アトリエ・ファウニのフィギュア 1950年代

現在もムーミングッズを制作するフィンレイソンとコラボした壁一面のファブリックはトーべ自身がデザインしたもので、色味や配色などからデザイナーとしての能力の高さも知ることができる。

さらに、アトリエ・ファウニが制作したフィギュアは、元々ムーミンのファンだったテキスタイルデザイナーがハンドメイドで制作したものだが、それをトーべがいたく気に入り正式にライセンス契約を結んだ。非常に細やかに作られており、緑色の帽子をかぶったヘムレンおばさんと、その上に展示されているミーサの衣装は、マリメッコの生地が使用されている。トーべは1950年代から世界的にヒットするが、同じ頃にフィンランドデザインも黄金時代を迎えることになる。こうした時代背景もふまえて展示を見ると新たな発見があるかもしれない。

第6章 舞台になったムーミン

ムーミンは何度か演劇にもなっている。1949年にヘルシンキのスウェーデン劇場で上演された『ムーミントロールと彗星』が最初の舞台で、舞台監督ヴィヴィカ・バンドレルが手がけた表現や舞台の熱気にトーべは惹きつけられ、脚本以外の舞台美術や衣装デザインなどにも夢中で取り組んだ。

展示風景

「ムーミン・オペラ」パンフレット 1974年

本章では舞台衣装や背景のスケッチ、ポスターなどが展示されている。なかでも、1974年に上演された『ムーミン・オペラ』のパンフレットは、ムーミンママのハンドバッグをモチーフにしたもの。とても魅力的でワクワクするデザインになっている。

第7章 日本とトーべとムーミン

本展最後の章は、フィンランドと日本の外交関係樹立100周年を記念して設けられた。日本でムーミン物語が翻訳されたのは1964年。『ムーミン谷の冬』が最初に翻訳され、その4年後にはトーべ・ヤンソン全集が出されるなど、児童文学の世界で瞬く間に人気を得た。1969年と1990年にはアニメの放送がスタート。日本でのヒットを受けて、トーべは2度日本を訪れている。本章では日本滞在時の写真やスケッチ、日本語版ムーミンの翻訳者との交流を示す書簡などが展示されている。

展示風景

展示風景

また、トーべの原画と、江戸時代に描かれた葛飾北斎や歌川広重らの浮世絵を並べて展示することで、線画やモチーフ、構図に双方の類似性を見出している。たとえば雨を細かい線で描いている部分や、少し上から俯瞰している構図、手前の造形を際立たせるために対岸をぼかす手法などが挙げられる。

浮世絵とトーべの原画を並べて展示

横山学芸員は「トーべ自身は浮世絵からインスピレーションを受けたことを明言してはいませんが、作品を並べて見た時に感じる躍動感や、風景の中の人々の姿、刻々と変わる自然の脅威を受け入れて一生懸命生きていく姿を大切に描き出している部分は、幼い頃から島での暮らしを経験し、自然の驚異を身近に感じていたからこそ描き出せる表現であり、国や時代を超えて共通する芸術性なのかなと感じます」と語った。

展示風景

15歳で芸術の道を志したトーべは86歳で亡くなるまで芸術家であり続ける。美しい線描とそこから広がる多彩なアートをたっぷり感じられる展示となっている。

展覧会限定グッズも盛りだくさん

展示室を抜けたミュージアムショップには、約250点以上の展覧会限定グッズが並んでいる。図録やTシャツ、ふせん、ぬいぐるみ、紅茶、コップ、傘など、あらゆるジャンルのグッズが大展開。キュートなグッズに目移りすること間違いなし。

ミュージアムショップ

ミュージアムショップ

ミュージアムショップ

展覧会限定グッズがたくさん

なお、音声ガイドは混雑緩和のため大阪会場では貸出が中止されている。

『ムーミン展 THE ART AND THE STORY』は8月30日(日)まで、あべのハルカス美術館にて開催される。国内最大規模のムーミン展、ぜひこの機会を逃さずにお楽しみいただきたい。

フォトスポット

取材・文・撮影=ERI KUBOTA

イベント情報

『ムーミン展 THE ART AND THE STORY』
【会 期】
2020年7月4日(土)~8月30日(日)
【休館日】
7月6日、13日、20日の各月曜日
【開館時間】
火~金……10:00~20:00
月土日祝 …10:00~18:00
※入館は閉館の30分前まで
【会 場】
あべのハルカス美術館
〒545-6016
大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階
近鉄「大阪阿部野橋駅」、JR・地下鉄「天王寺駅」、
 阪堺上町線「天王寺駅前駅」下車すぐ。
※駐車場はございません。公共交通機関をご利用ください。
 観覧料(税込)
一 般   当日 1,500円 団体 1,300円
大高生 当日 1,100円 団体  900円
中小生 当日    500円 団体  300円
※団体は15名様以上。
※障がい者手帳をお持ちの方は、美術館カウンターで購入されたご本人と付き添いの方1名まで当日料金の半額。

◎ 8月9日(日)はムーミンの日
ムーミンの日(トーベ・ヤンソンの誕生日)を記念して、8月8日(土)~10日(月・祝)の3日間、あべのハルカス美術館ミュージアムショップにて税込3,000円以上お買い上げの方(各日先着100名様)に、ムーミン75周年のロゴがデザインされたトートバッグをプレゼント♪

[ お問合わせ ] 06-4399-9050 (あべのハルカス美術館)
[ 美術館公式HP ] https://www.aham.jp/
[ 展覧会HP ] https://moomin-art.jp/
[ 主 催 ] あべのハルカス美術館、朝日新聞社
[ 後 援 ] フィンランド大使館
[ 協 賛 ] NISSHA
[ 協 力 ] ライツ・アンド・ブランズ、S2、フィンエアー、フィンエアーカーゴ、朝日放送テレビ
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