『分島花音の倫敦philosophy』 第九章 友情というものと、有意義なコミニュケーションについて

2020.10.31
コラム
アニメ/ゲーム

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シンガーソングライター、チェリスト、作詞家、イラストレーターと多彩な才能を持つアーティスト、分島花音。彼女は今ロンドンに居る。ワーキングホリデーを取得して一年半の海外滞在中の分島が英国から今思うこと、感じること、伝えたいことを綴るコラム『分島花音の倫敦philosophy(哲学)』第九回目となる今回は分島がロンドンで育んでいる友人関係と、それにまつわる友情のあり方について


ロンドンという場所に限らず、どこにいても落ち込むことや辛いことは人間誰しも起きるものです。そんなとき、皆さんはどうしますか?美味しいものを食べたり、音楽を聞いたり、思い切り泣いたり、誰かに話を聞いてもらったり。色々な方法があると思います。

私は辛いとき、友達に幾度も救われてきました。「辛い時に手を差し伸べてくれるのが真の友達」などと言いますが、自分が弱っているときは友達の存在がより一層ありがたく感じます。今回は私の友情の捉え方についてお話しします。

アメリカの企業家ジム・ローンの言葉に「あなたは最も多くの時間を共に過ごしている5人の平均である」というものがあります。実際一緒に過ごす人によって、自分の考え方や立場が周囲と似てくるのは自然なことだそうです。類は友を呼ぶ、無意識に身近な人たちと影響しあって自分を作っているんですね。なので今の自分を変えたい場合は付き合う相手を変えることが重要だとのこと。

私はロンドンに来て、時間を共に過ごす人たちが変わりました。いつも仲の良かった友達やお世話になっている人たちと、こんなに長い時間合わなくなるのは初めてでした。

新しく関わるようになった人たちは仕事場の仲間、音楽の仲間、同じようにここでチャレンジしたい気持ちを持ってワーホリで来ている仲間などです。今までとは全く違うコミュニティーですが、人間関係が変わったことで新たな発見はあるものの、自分自身の思考が変わってしまったという感覚はありません。

それは多分、日本にいた時と同じように音楽をやっていたり、目標に向かって向上心のある、リスペクトできる人たちと多くの時間を過ごせているからだと思います。何か明確な目的を持ってそれをしっかりと実行していっている人が身近にいると、心が折れてくじけそうになった時も「ついてないこともある、でもチャレンジすれば道は見えてくる」と前向きな気持ちにさせてくれるし、友達が好きなことに没頭している姿を見ていると「私もやってみよう!」とエネルギーをもらえます。

環境が変わっても、私の周りにはいつも真摯に頑張って、そして楽しんで目的に取り組んでいる人たちがいます。彼らに励まされ、私はいつもプラスなエネルギーをもらっていました。「自分もこんな人間になりたいな」と思える人たちと、心地よい関係を築けることはありがたい事だと思います。出会いは運命なので、とても恵まれていることのように感じています。

ロンドンでは紅葉が始まりだしました。  撮影:分島花音

結局、どこにいても環境を構築していくのは自分自身なのだと感じました。自分が一緒に過ごして心地いい人たちと時間を過ごすことはとても重要です。

逆にいうと、今あなたの周りにネガティブな影響力を持っている人がいたら、その人と長い時間を一緒に過ごすことはあまりお勧めできません。常日頃からモチベーションや士気が下がるような言葉を投げかける人と時間を過ごすと、その言葉の影響はあなたが思っているより重く影響を与えます。自分自身に投げかけてこなくとも、何かにつけて理由もなく否定する人と一緒に時間を過ごすと、自分のいない場所では同じように自分も否定されているのではないかと、疑いたくもないのに不審に感じてしまう場合もあるかもしれません。

私はどちらかといえば個人主義なので、自分の意見や考え方を否定されても、それは相手の主張なので悪いことだとは思いません。雑に言うと「あなたは正しい、でも私も正しい」的な考え方です。受け入れることはできなくても、こう言う考えもあるのだなと理解しようとします。

逆に何かを否定する場合は、直接相手に伝えられるような理由をしっかりと説明できる状態でなければいけないと思っています。倫理に反しているとか、極端なことでない限りは「あなたはそうなんだね、でも私はこうだと思ってるよ」と、私はやはりここでも個人主義な姿勢をとってしまいます。

子供の頃は世の中に不満だらけでしたが、大人になってだんだん今のような考え方に変わっていきました。自分や大切なものを守るために時には意見を主張して戦っていくことも大事だとは思います。しかし声を荒げるほど否定や反対をしないといけない出来事に直面する機会もあまり無く、考え方や価値観に肯定できる人たちを選んで接していくと、衝突も減っていったように感じます。

こうして関わるようになった友達はどこの国にいようと関係なく、私が大切に思える人たちです。私が苦しい時でも、大切に接してくれます。同時に、友達が苦しい時に私も力になりたいと思えるようになりました。

私は高校時代の友達との思い出を『チョコレート』と言う曲に込めました。そして『poolside』ではロンドンでできた友達とのことを歌っています。お互いに進む方向は違ってもいい影響を与え合えた瞬間があったこと、それが今の私を作っている要素の1つになっていること。皆さんも、そう言った経験で友達の大切さを痛感したことがあるのではないでしょうか。

撮影:分島花音

不本意に傷つけてしまったり、逆に傷ついたり、自分の未熟さや不器用さから喧嘩になったこともありましたが、私の人生において友達は絶対に必要な存在です。音楽と同じくらい、人は有意義なコミュニケーションがあることで心が豊かになると感じます。私も孤独が好きだとは言え、完璧な一人ぼっちにはなれません。

今日も自分に友達がいてくれることへ感謝して、何十億と言う人たちの中で巡り会えた友情を大切にしたいです。偶然か必然か、私と友達になってくれたみんな、ありがとう。

文・撮影:分島花音

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