月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』開幕~根本宗子は「演劇」への大いなる愛で、人間の不確かさを肯定する/ゲネプロレポート
-
ポスト -
シェア - 送る
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』(配信公演:2020年11月4日~8日、それぞれ期間限定アーカイブ配信あり)は、根本宗子が「演劇」の本質に向き合い、現実と戦った数ヶ月の痕跡を強く感じる作品だ。
完全リモートでの稽古。俳優同士は本番初日前夜に初めて顔を合わせる。無観客の本多劇場で、毎公演リアルタイム配信。上映後には、演出家から俳優・スタッフへのフィードバックまでそのまま配信するという大胆なおまけもつく。
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
特殊なスタイルの公演だが、単に奇をてらっているのでない。観客が徐々に劇場へと戻りつつあるなか、今回このような形態を取ったのは、5月の時点で「有観客/無観客」を決めなければならなかったためだと、公演のステートメントで明かしている。観客を入れないことを選んだのは、この公演をこのメンバーで「実行」するためだという。
演劇界では今年3月以降、いくつもの公演が中止になった。この状況下でできる「演劇」を最大限考え抜いた結果、このスタイルに辿り着いたのであろう。何を「演劇」と考え、実現しようとしてきたか。その思考の跡には、「演劇」への大いなる愛が感じられる。
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
例えば、カメラワーク。二宮ユーキ氏によるワンカメラの撮影からは、複数のカメラでスイッチングされる配信にはない、生っぽさや体温、揺らぎが伝わってくる。
例えば、開演前。約5分間放映される、根本宗子と大森靖子のおしゃべり(大森生出演の7日を除き事前に収録されたものだが、ここも毎回違う内容!)には、開演前ならではの高揚感が生まれる。
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
また、上映後。約30分間のフィードバック配信には、演劇の裏側が見られるおもしろさだけではなく、観劇後の余韻までがもたらされる。配信がエンターテインメントの新しいスタンダードになりつつあるなか、その唐突さや終わったあとの余韻のなさに虚しさを感じてしまうことも少なくない。その独特な虚無感を軽減させる緩衝材としても、大きな意味を感じる。
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
そして何より、肝心の中身である。4人の役者(伊藤万理華、藤松祥子、小日向星一、安川まり)は、言葉を尽くしながら、時に不器用なさまを晒しながら、他者を理解したい、そして自分を理解してほしいともがく。
出てくるのは二組。一組は同い年の男女で、一組は姉妹。どちらも、なんらかの理由によって自己不全感を抱えている側と、その人を大切に思う側の会話が繰り広げられる。大切な人に向かって、言葉を尽くす。自分がその人を大切に思っていることを、なんとかして伝えたいからだ。相手がなんと言おうと、相手を肯定する言葉を投げかけつづける。肯定は、愛である。
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
しかし後半には、励ます側の不安が吐露される。相手を思うことは迷惑かもしれない。ただのエゴかもしれない。心配が、プレッシャーになるかもしれない。支える側も、一人の人間であり、不完全な存在だ。たとえ、社会にうまく適応しているように見えても、それはうわべだけのことかもしれない。人の心のなかのことはわからない。だけど、わかろうとすること、わからないことが出てきたらまた会話を重ね、少しずつわかったり、またわからなくなったりする、その過程や積み重ねが愛なのかもしれない。
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
上映後のフィードバックは、まさにその過程であり、ちがう心と体を持って生きてきた、わからない他者同士が一つの演劇作品を作り上げることもまた、愛の作業なのかもしれないと思わされる。このフィードバックを経て、芝居がどんな風に進化していくかも見ものだ。早い段階に一度観た後、もう一度観てその進化を追うことをおすすめしたい。
不確かな人間たちの葛藤をやさしくまなざし、軽やかに包み込む riko の存在が、物語の奥行きを深めている。終盤、大森靖子の曲が流れるなか踊る彼女の姿に、何かを許される気持ちになる。
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
配信は毎日変化するが、7日には楽曲を提供した大森靖子が生出演する。彼女の存在が、この演劇をどう変化させるのかとても楽しみである。きっと「大いなる愛」の濃度を最高に高めることになるだろう。
人間の不確かさや揺らぎを肯定するような、生きた演劇作品だ。それは、そのまま演劇への愛であり、人間の不完全さへの愛だ。演劇への愛を持って、変わっていく現実に対峙しつづける、根本宗子の覚悟を感じた。
月刊「根本宗子」第18号『もっとも大いなる愛へ』より (写真撮影:Masayo)
取材・文=碇雪恵 写真撮影=Masayo