劇作家・演出家の刈馬カオスによる戯曲『モノ、ガタリ』を、「演劇」と「ダンス」2つのアプローチで上演

2021.2.8
インタビュー
舞台

左から・劇作家で演出家の刈馬カオス、ダンサーで「長久手市文化の家」創造スタッフの豊永洵子

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名古屋市に隣接する愛知県長久手市の文化拠点「長久手市文化の家」では、1998年の開館当初から職員とは別に、〈創造スタッフ〉というポストを設置している。これは、高い芸術性や卓越した専門性に基づく豊富な知識や優れた技能、技術を生かし、文化の家職員や関係者らと連携を図りながら創造的事業の企画・運営に携わる専属アーティストグループで、【音楽】【美術】【舞踊】【演劇】など、各ジャンルの担当者が数年単位の任期で活動を行なっているものだ。

そんな〈創造スタッフ〉がそれぞれの専門性を存分に発揮し、多彩なステージを展開する3年に1度の祭典《創造博》が同館で現在開催されており、今年で4年の任期を終えるダンサーの豊永洵子が企画・出演する演劇&ダンス公演『モノ、ガタリ』が、まもなく2月10日(水)と11日(木・祝)に上演される。

本作『モノ、ガタリ』はもともと、劇作家・演出家の刈馬カオスが、「愛知人形劇センター」主催の《劇作家とつくる短編人形劇2016》へ参加するにあたって、自身の母を亡くす数日間の出来事を劇化したもので、同企画の別作品に参加していた豊永がこの上演を観て感銘を受けたことに端を発している。豊永は〈創造スタッフ〉就任当初から、「いつかこの作品をダンス化したい」と思い続けて準備を進め、今回ようやく実現に至ったのだという。

身近な人の死をテーマに、20分の“短編人形劇”として創作されたひとつの戯曲を、「演劇」と「ダンス」というふたつのアプローチで観客に提示する今回の公演。豊永の今企画にかける想いや構想、刈馬が本作を創作するに至った経緯や、初演とはキャストと空間が大きく異なる再演出プランなどを、豊永洵子刈馬カオスの両名に聞いた。
 

創造博『モノ、ガタリ』チラシ表


── 今回の企画は、豊永さんが刈馬さんの演劇作品をご覧になって、それをダンス化したいと発案されたとか。

豊永 そうですね。同じ舞台に私も別の作品で出演していたんですが、刈馬さんの作品が好きで観に行って…というアプローチではなく、その時に初めて演劇というものを観て、しかも本番ではなくゲネプロで。別にこういう展開になるとも思ってなくてふわっと観たんですが、とても印象深い作品だったので、打ち上げで刈馬さんに「面白かったです!」と言って、「この作品をダンスにしてみたいです」と、熱意を伝えたんです。〈創造スタッフ〉になった当初にこの作品に出会って、刈馬さんも当時は長久手に住んでいらっしゃったので、「こういう企画が出来ないかなぁ」と言い続けていたんですけど、いろいろなことがなかなか噛み合わず、ようやく今回の《創造博》で実現できることになった、という感じです。

刈馬 「愛知人形劇センター」の公演が6月で、その年の秋、長久手の市民劇『長久手人物語~ナガクテビトモノガタリ~』(2016年11月上演)を創った時に豊永さんにステージングダンスで入ってもらって、その現場でも「あれをダンス化したいんです」と言われたんですよね。

── 豊永さんは、具体的に作品のどのあたりに感銘を受けて、舞踊化したい、と思われたのでしょうか?

豊永 この作品の刈馬さんのアプローチが、私の思っていた演劇とは全然違って、役の人物が割り当てられたセリフを喋るというよりは、すごく漠然としたものをみんなで「ああだったね、こうだったね」ってざっくばらんに話している。それは或る人の話で、或る人の想いで、でもその人が、「あなたは○○役ね」という役としてだけ存在しているわけでもない。それを観た時にいろいろ思った感情というのは、身近な人を亡くすという経験は誰にでも起こることなんだけれども、一人ひとりそこに立ち向かう感情って違うじゃないですか。プライベートなことを話しているはずなのに、なんかすごく客観的に見えて、それがすごくダンス的だな、と思ったんですよ。

ダンスの良さというのは、普遍性だったり、物事を抽象化できることだと思うんです。それによって個人的な内面みたいなものも、観ている人が共感出来るものとして表現できる、という側面があるところに、演劇がそのアプローチをしたのにとても驚いて。だから余計、話されている内容にもすごく共感したというか。別に自分は身近な誰かを亡くした大きな経験はないんですけども、そこに自分も遭遇するだろうという予感と、そうなった時にきっとこう思うだろうなっていう共感と、そこにあるプライベートな感情へのリンクみたいなのが作品を観た時にすごくあって、そういうものをダンス化できると面白いんじゃないか、っていうのが、「ダンスにさせてくれー、台本くれー」と言った経緯ですね。

── 刈馬さんにダンス化の熱意を伝えた時には、もう具体的な表現の仕方の構想などはあったんですか?

豊永 全然(笑)。それをやったら面白そうだ、ぐらいのアイデアだけ投げて。「このアイデアに共感してくれー」みたいなアプローチの仕方でしたよね。具体的にどうしたい、とかはないんだけど、「とにかくこれ、ダンスにしてみたら面白くないですか?」って。

── そう投げかけられた時、刈馬さんはどう思われました?

刈馬 何言ってるんだろう?って(笑)。

豊永 こいつ、何言ってるんだろう? ですよね(笑)。

刈馬 いやいやいや、全然いいですよ、って感じだったし、僕の作品がダンスになるとは思ってなかったから、単純に一表現者として面白そう!と思いました。

── まさかこんなことを言われるとは、と?

刈馬 まったく予想してなかったんで。演劇畑の人間が「この戯曲、演出したいです」って言ってくることは想像の範囲なんですけど、この作品がダンスになるの? と思いましたし、ダンスっぽいっていうような感想が「へぇ~」っていう感じはありましたね。

── 「客観的なアプローチの仕方が、ダンスの表現と通じるものがある」という豊永さんの感想を改めて聞かれて、どんな風に思われましたか?

刈馬 確かにな、と。体温がちょっと低い作品だと思うんです。当時、僕は本公演をこの初演の1週間前にやっていて、『猫がいない』という冤罪の話で、感情表現が激しいお芝居だったんです。でも、『モノ、ガタリ』はプライベートな話だからこそ、お客さんに届ける時に、個人的な体験との距離みたいなことはかなり気にしながら創っていたし、僕は個人的に何か起きた出来事を取り扱う時はちょっと時間を置かないと、なかなか題材との距離感が掴めないんですね。で、本公演が感情的な作品になっているのもあって、非常に感傷的になりやすい題材だからこそ、ちょっと冷静に「人はいつか死ぬ」みたいな視点で捉えようとしていたので、確かにそれはそうだな、と思いましたね。

── それは今回の再演にあたって、戯曲を見返してみてもそんな感じですか?

刈馬 戯曲を見返してももちろんそうですし、演出してても、役者がちょっと感傷的な感じになったりすると、「いや、死ぬことはそんなに暗いことじゃないから、もう少しあっけらかんとしていい」とか、「そんな辛い作業をしているっていう風にしないでほしい」みたいなことを言ってますので、やっぱりなんとか距離を取ろうとしてるんだな、と思いますね。

── 本当にごくプライベートな、お母様の死のことを戯曲化して舞台に乗せるというのは、とても勇気がいることですよね。

刈馬 そうですね。亡くなって9年目に初演したんですけども、それまでの8年間は、基本的に母の命日に仕事を入れなかったんですね。それでこの、「愛知人形劇センター」さんから企画のご依頼をいただいた時に、公演日程が命日と被っていたので、あ、と思ったんですけど、あぁでも、そろそろ向き合えってことだなと思って、じゃあもうそういう話を書こう、と。唯一僕が、プライベートなことを本当にそのままのせた作品です。

── 刈馬さんは、実際に起きた事件や事故など社会的な出来事をモチーフにされることが多いので、珍しいタイプの作品ですね。

刈馬 珍しいですね。あまり自分の分身を舞台に出さないタイプの人間で、だいたい主演も女性だったりするので。でもこの舞台に出てくる「ぼく」というのは僕自身のことだったりするので、そういう意味でも唯一の作品ですね。

── 初演は、“短編人形劇”として上演されていますが、今回はどのような演出を?

刈馬 演出プランとしては変わってなくて、初演の時にやりたかったことっていうのが、無加工のペットボトルをたくさん使って、演劇の“見立て”っていうので人形劇が出来ないだろうか、と思ったんです。まずペットボトルを並べていく作業をして、それを「僕の生まれた街です」って紹介するところから始まるんですね。その中のひとつを取り上げて「病院です」と言ったりとか、幾つか組み合わせて人の形にして「母」を造ったり、という感じで。ヒトの形に目鼻口を付けて人形、っていう風にするのはあまりに記号的ではないかと思って、人形劇としては異質かもしれないけども、「これは病院です」と言ったらお客さんは、「あぁこれ、病院なのね」と了解するっていうことの面白さをやりたいと。

なので、本当にただのペットボトルなんですけど組み合わせて、母がリウマチだったので、肘とか背中とかをそう見えるように動かした時に、初演を伯母(母の姉)が観てくれたんですけど、「似てた」と言っていて、面白いもんだなぁって。そういうのを今回も同じようなアプローチでやろうとしてます。ただ、初演の時は「ひまわりホール」(約100席)だったので、ペットボトルは200本ぐらいで済んだんですけど、今回、豊永さんが「風のホール」(約300席)を張り出しにするとか言い出したので、じゃあ1000本だ!っていう話になって(笑)。

豊永 後ろに並べただけで200本ぐらい要るかも、という感じだったので、刈馬さん200本って言ってたけど、足りるのかな?って。

刈馬 全然足りなかったですね(笑)。

豊永 公演までに、みんなでいっぱい飲まなきゃいけないんです(笑)。

── 会館中の空きボトルを集めないといけないですね(笑)。基本構造は変わらないけれど、物量が増えるということですね。

刈馬 物量が増えます(笑)。

左から・劇作家で演出家の刈馬カオス、ダンサーで「長久手市文化の家」創造スタッフの豊永洵子


── 初演から出演者が一変していますが、今回のキャスティングはどのように決められたんですか?

刈馬 初演が女性ばかりだったっていうのもあるんですけど、改めて今回キャスティングを考えた時に、やっぱり女性の方がいいかなっていう風に思ったんですね。僕が男性なので、男性が入ると「ぼく」がこの人だな、って感じが強くなるなと。

── あからさまになりすぎると。

刈馬 そうなんですよね。なので、せめて客観的になるように、距離を取るようにっていうことで、女性を揃えたと。大脇ぱんださんは、もちろん以前から素敵な役者さんだなと思っていたのと、〈創造スタッフ〉ということもあって今回出ていただくことに。まといと仲田瑠水に関しては、僕のお芝居に何度か出てもらっていて信用している役者なので。鶴田のみーことまーぼ春雨は、若い女優なんですけども大変魅力がある女優だと思っていて、2人とも初出演なんですけども、新しい人と出会いたいなということですね。

豊永 その辺は、何か一致してますね。私も今回、若手を起用していて、今回出演するダンサーは私を含めて5人ですけど、初めて一緒にやる人が3人もいるんです。

── 若手と一緒に組むことはあまりない感じですか?

豊永 そうですね。ダンスを群舞で創ることが今まであまりなくて、即興的な表現に慣れているのはどうしても場数を踏んできた人間になってくるので、集まるのはいつものメンバーになっちゃうんです。でも今回は自分がゼロから創るものなので、若い世代の子達が「文化の家」に足を運んでくれるきっかけになったり、自分が刈馬さんに出会った当初ぐらいの年齢の子達と一緒にやることで、彼女たちがまた「あ、こういうことしたいな」っていう風に思ってもらえるといいな、というので探しました。気になっていた子に声を掛けたら「ぜひ!」と言ってくれたのと、いつものメンバーだとだいたい30歳オーバーなので、活動を続けていくためにも、いつメンばかりじゃダメだなぁというのもあって。

── 豊永さんも今回、出演ダンサーを女性だけで編成したというのは?

豊永 男子がいなかった。ただの人材不足です(笑)。最初は男の子を入れようと思ってて若手を探してたんですけど、まぁなんか女の子だけでいい気がする、と。それこそ刈馬さんも言われたように、逆に男の人の中に女の人が一人いる、みたいな編成でも、どうしてもそこに意味を見出されてしまうので。

── そうですね。男女が混在していると、つい関係性を気にしながら観てしまいますね。

豊永 そうなんです。男女で踊ると、そんなことやってなくても恋愛に見えたりとかしちゃうので、そういう情報を排除しようと思うと、男子5人か女子5人のどっちかだろうと思って。なので、男子を集めることが出来ず、っていう消極的な理由ではないんですけども、この戯曲は「ぼく」の話なのに女の子が話してるっていうのが面白さだと思って、そこは演劇に合わせてみようかなと。

── 作品全体の構成としては、どういった感じになりそうですか?

豊永 演劇とのリンクもあって、ペットボトルがキーワードにはなってきてるかな。最初はどうしようかな、と思ってたんですけど、ある程度並べて演劇と同じような見立てじゃないですけど、街だったり、シーンが変わるごとにペットボトルとダンサーの関係が変化していったり。

あと、この戯曲で私がとてもいいな、と思ったところは、主役が不在なんですよ。みんなが変化していくっていう様が面白くて、ストーリーテラー的な人を1人置くんですけど、じゃあその人がずっと主役でセンターにいるかというと全然違って、他のみんなも街の人になったり、あるお姉さんになったり、「ぼく」になったり、いろんな人に変化していく、という構成です。ダンサーたちには、「ここのシーンはこういう人だから、そういう風にやって欲しいし、ここからはもうちょっと淡々と話す人みたいに踊ってほしい」という感じでオーダーをしていて、なかなかそういうのをやったことない子もいるので、苦戦しながらみんな頑張って練習してくれています。

厳密に戯曲に沿って表現するというよりは、かいつまんでシーンを組み合わせている、という感じに近いんですが、それでも演劇より尺が長くなってきてしまっていて、マズイ…って(笑)。

── 刈馬さんはダンスの練習をご覧になって、どんな印象を持たれましたか?

刈馬 こうなるんだー、って。僕自身、そんなにダンスに詳しくなくて、ダンスの見方がわからない人間なんですけども、最初観た時は元の要素を探すような感じで観始めて、無ぇな、と(笑)。これはあんまりそういうのを探して観るようなものじゃないぞ、っていう風に途中でなって、そこからはボーッと観てた感じですね。なので、僕が何も知らずに観た後で豊永さんから、「実はあれ、刈馬さんの『モノ、ガタリ』がベースだったんですよ」って言われたとしたら、言われる瞬間まで気づかないんじゃないかな。ただ、前半しか観てないので、後半観たらもうちょっとわかるかも、と言われましたけど。

豊永 不安になってきた。わかるかな。

── でもそこが、こういった試みをする面白いところですよね。表現する人によって、その作品の捉え方やクローズアップするところがそれぞれ違う、というのが。

刈馬 「行間を作品化する」みたいなことを豊永さんが言っていて、やっぱり言葉で表現出来ないことをダンスにするんだと思うので、単純に楽しみですけどね。

── ペットボトルの使い方なども、意外な感じでしたか?

刈馬 僕が観た時は稽古場所の関係か、ペットボトルは使ってなかったので、どういう風に絡んでくるんだろう?っていう。この作品は、母という有機物を大事にしながら、ペットボトルという無機物がものすごく舞台に大きく存在して占拠する、という取り合わせが要になっていますし、やっぱりダンサーさんの身体的な存在感は、役者よりももっとエネルギーが客席に届くものだと思うので、ダンスは非常に有機物の存在感が強いと思うんですよね、演劇に比べて。それが無機物とどういう風に組み合わさるんだろう?っていうのは、自分のプライベートなことを題材にしてるとかそういったこととは関係なく、取り合わせとして楽しみですね。

── 公演は、演劇の上演の後、休憩を挟んでダンス、という流れですね。

豊永 そうですね。自分にとってはこの戯曲をダンス化することももちろんチャレンジではあるんですけど、同じ題材で演劇と並べてダンスを上演する、というのも新しい挑戦だな、と思います。お客さんは両方観られると思うので、答えがわかっているものをダンスでまた観ることを嫌がる人もいると思いますし、ダンスは見方がわからないから答えを解説してくれ、という人もいると思います。どちらかというと後者の方が多いと思うので、そういった観客層にも、演劇で内容がある程度わかった上で、フランクにダンスを観てもらえたらいいな、と思います。

── あまり見慣れてない方も、ダンスを観るきっかけの公演になるといいですね。

豊永 そういう人たちがたくさん来てくれて、「演劇もダンスも面白い!」と思ってもらって、「文化の家」が行う企画にまた足を運んでくださることが一番の目的です。その中で各々のチャレンジもする。刈馬さんには、初演と全然違う役者さんで演出してもらったり、本当はこじんまりとした規模感のところで近くで見るべき演劇を、広い劇場で上演してもらうことも挑戦だろうなと思います。私もいつもは筋の決まったものをダンス化することがあまりないので、戯曲から離れないようにするのが結構大変なんです(笑)。

取材・文=望月勝美

公演情報

創造博『モノ、ガタリ』

【演劇】
■脚本・演出:刈馬カオス
■出演:大脇ぱんだ(文化の家創造スタッフ)、仲田瑠水(廃墟文藝部)、鶴田のみーこ(劇団アルデンテ)、まとい(フリー)、まーぼ春雨(劇団芝居屋かいとうらんま/劇団バッカスの水族館)

【ダンス】
■脚本:刈馬カオス
■振付・構成:豊永洵子
■出演:杉山絵理、豊永洵子、林友里菜、井戸田莉菜、松林由華

■日時:2021年2月10日(水)18:30、11日(木・祝)14:00・17:30  ※11日(木・祝)14時の回終演後に、刈馬カオス、豊永洵子出演によるアフタートークを開催予定。また、2月14日(日)まで美術作品展『創造スタッフの楽しい仕事』も展示室にて無料開催中
■会場:長久手市文化の家 風のホール(愛知県長久手市野田農201)
■料金:前売のみ 一般2,000円 学生1,000円  ※窓口・電話・インターネットによる予約制で、当日支払い
■アクセス:名古屋駅から地下鉄東山線で「藤が丘」駅下車、リニモに乗り換え「はなみずき通」駅下車、北へ徒歩7分
■問い合わせ:長久手市文化の家 0561-61-3411
■公式サイト:長久手市文化の家  http://www.city.nagakute.lg.jp/bunka/ct_bunka_ie.html
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