阿蘇ロックを泉谷しげる視点にてレポート 風評被害を吹き飛ばし「悪天候の伝説」の舞台から新しい野外フェスの「始まりの伝説」に

2021.10.30
レポート
音楽

©阿蘇ロックフェスティバル

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10月20日に「阿蘇山噴火」のニュースが飛び込んできた時は、誰もがこのフェスの開催を危ぶんだのではないだろうか。もちろん僕も含めてである。

なにしろテレビで流される映像はもうもうと立ち上る灰黒色の煙ばかりで、そんな中で平和でのどかなロックフェスが行えると思えるわけがなかった。

その直後にアップされた「阿蘇ロックフェステイバル」公式ツイッターではこんな風に書かれていた。

“会場であるアスペクタは外輪山にあり、現状影響はなく開催に向けて準備を進めております。お客様の安全を一番に考えながらも、スケジュール通りに実施できると判断しております。

阿蘇でお待ちしてますので、宜しくお願い致します“

不気味な噴煙と「影響はない」という発表。この違いは何なのかというのは現地入りしてすぐに答えが出た。そして、泉谷しげるが93年から続けている災害支援活動がどういうものなのかを再認識させてくれた。

結論から言おう。

10月23日、阿蘇ロックフェステイバル2021一日目は、これ以上ない素晴らしい野外イベントとなった。「阿蘇山噴火」の前までの最大の課題は「感染対策」だった。

愛知県常滑市の心無いイベントが「阿蘇ロックフェス」はじめ全国で行われようとしていた同系のイベントにどのくらいの悪影響を与えたかは今更説明の必要もないくらいだろう。

取材で入る僕らも二週間前からの検温と前日の抗原検査を求められた。本番前日の10月22日、熊本空港から会場に着いた時もまず検査テントに誘導された。万一問題があればそのまま空港に引き返さなければいけない。結果が出るまでの10数分は今までに経験したことのない落ち着かない時間だった。

僕らが着いた時にはすでに泉谷しげるバンドのリハーサルが始まっていた。はやる気持ちを抑えられなかったのだろう、予定よりも早く始まっていた。

快晴だった。

阿蘇アスペクタは、阿蘇山の外輪山の麓に作られている。正式名称は「熊本県野外劇場・アスペクタ」である。左右132メートルのコンクリート製のステージは全国の野外ステージの中でも最大ではないだろうか。ステージから見ると目の前には芝生のなだらかな斜面が広がっている。客席から見るとステージの後方に阿蘇山が連なっていて。その中央あたりから縦長に白い雲が立ち上っていた。あれですよと言われないと「噴煙」とは分からないだろう。

爽やかな秋空と白い噴煙。テレビ報道のようなおどろおどろしさは全くなかった。

泉谷しげるは、3年前から阿蘇ロックに密着して彼を追い続けているフジテレビの「ワイドナショー」のデイレクターにインタビューを受けていた。その中で彼は「打倒風評被害。俺の原点」と話していた。東京のメデイアが報じる被災報道と現地の落差。それこそが「風評被害」の元凶だろう。

泉谷しげるが、被災支援の活動を始めたのは、93年の北海道南西沖地震からだ。「一人フォークゲリラ」と称した募金ライブは、全国にまたがり北海道厚生年金会館でのファイナルには小田和正や桑田佳祐、忌野清志郎らが応援に駆け付け、その流れで94年の長崎雲仙噴火災害では、吉田拓郎や小田和正、浜田省吾らと“スーパーバンド”を結成、武道館公演も行っている。

ただ、2015年から始まった「阿蘇ロックフェステイバル」は、そうした過去のチャリテイイベントとは一線を画している。

それは「地域活性化」と「ジャンルを超える」だろう。

そもそも泉谷しげるが、「女性たちの力で出来ることを」という映画プロデユーサー、小泉朋と意気投合したことから始まっている。泉谷しげる以外一回目の出演者6組の半数が、Every Little Thing、きゃりーぱみゅーみゅ、チャットモンチーなど女性だったのはそんな現れだろう。地元に密着し、地元の人たちに喜んでもらえる女性主体のロックフェス。ケータリングの食事も生産農家の女性の手で作られたものだ。

泉谷しげるは、インタビューで「地元の人たちは元気だよ、なんで悲惨なところばかり報道するんだ」と繰り返していた。絵葉書のような白い噴煙を背にした阿蘇を背にしたロックフェスはそれ自体が「打倒風評被害」の場になっていた。

サイプレス上野 ©阿蘇ロックフェスティバル

9時に始まったサイプレス上野のDJタイムに続いた開会宣言は、泉谷しげると熊本県知事、そして、地元の歌劇団のメンバー、司会は、2011年から熊本に戻って活動しているDJのスマイリー・原島。「何で知事が出てくるんだ」という声はない。

©阿蘇ロックフェスティバル

やはり、彼が何度も繰り返していたのが「反体制ロックフェスじゃない。地域活性化フェスなんだ」。対地元の先頭に立っていたのが泉谷しげるだった。

©阿蘇ロックフェスティバル

 

前置きが長いかもしれない。

そんな特色は当然のことながら出演者の顔ぶれに現れる。

ファーストサマーウイカ ©阿蘇ロックフェスティバル

一日目の出演者は、泉谷しげるバンドをバックにしたファーストサマーウイカ。ロックバンドと歌うのは初めてという彼女の晴れがましさは満ち溢れていた。二組目のSIX LOUNGEは、大分在住の3人組だ。5年前から彼らを見ているスマイリー原島は、「九州にも本物のオーセンテイックなロックバンドがいることを知ってほしい」と言った。

SIX LOUNGE ©阿蘇ロックフェスティバル

2015年に始まった「阿蘇ロックフェス」は、熊本地震のために2016年は中止、2017年、18年とアスペクタで行われた。2019年は、九州全体の盛り上げをと北九州市のミクニワールドスタジムで行われた。去年はコロナ禍で中心を余儀なくされた。

二年続けてのフェスの受難はもう言わずもがなだ。広大な客席には随所に消毒液が置かれている。ステージ前方のスタンデイングエリアは、密にならないようにネットで区切られており、はボランテイアのスタッフが人数を数えて誘導していた。

今年は3年ぶりのアスペクタ開催。過去にも出演しているスチャダラパーは出るべくして出たという人たちだろう。事前抽選制だった最前列のスタンデイングエリアは出演者ごとに入れ替わって着く。でも、声は出せない。手拍子と身体の揺れと頭上で振られる両手が気持ちよさそうだ。

スチャダラパー ©阿蘇ロックフェスティバル

デビュー30周年。年季の入ったトラックとライム。スタンデイングエリアはもちろんのこと、緑の斜面で思い思いにレスポンスを表現している誰もが周囲に気を使うことなく手を動かしている。

ネバやんとスチャやんfeat.スチャダラパー ©阿蘇ロックフェスティバル

こんなに平和なロックフェスがあっただろうか。そんな空気は今年、スチャダラパーをフィーチャリングして「ネバやんとスチャやんfeat.スチャダラパー」を発売したnever young beachで一段と強くなった。はっぴいえんどがカントリーとやっているような風通しの良さとヴォーカルの安部勇磨ののどかで温度感のある歌声。彼は「5か月ぶりのライブ」だと言った。スチャダラパーを呼び込んでの「ネバやんとスチャやん」は、当然ながらネバやんバージョン。日差しのあたった芝生のような心地よさ。客席の後方と横側の「キャンプエリア」に張られたテントが良く似合った。

never young beach ©阿蘇ロックフェスティバル

それぞれのバンドやアーテイストが世代をつないでゆく。never young beachが「はっぴいえんど」的な日本語ロックの継承者だとしたら、60年代、70年代以降の「日本のロック」を受け継いでいるのが9月に9枚目のオリジナルアルバム「KNO WHERE」を出したばかりのOKAMOTO'Sだろう。洋楽ファンクとは違う無国籍なグルーブは日本のロック以外の何者でもない。新作アルバムには「Young Japanese」という曲もある。

OKAMOTO'S ©阿蘇ロックフェスティバル

思いがけなかったのは、彼らがアスペクタに遊びに来たことがある、というMCだった。自分の好きなCDを持って来ればこの広大な会場のPAを使って大音量で流してくれるということを初めて知った。22日に鹿児島でライブを終え明日は福岡というツアーの日程はこの日のためにあったのかもしれないと思った。

そして、彼らが触れたのが「BEAT CHILD」についてだった。

日本のロックの歴史で「伝説」と呼ぶにふさわしいイベントがいくつかある中で、もっともふさわしいのが「BEAT CHILD」だろう。

87年8月8月22日から23日にかけてオールナイトイベントの会場が出来たばかりのアスペクタだった。

出演者、THE BLUE HEARTS、RED WORRIORS、岡村靖幸、白井貴子、HOUND DOG、BOφWY、THE STREET SLIDERS、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春。観客数約7万2千人の中に数少ない取材者の一人だった僕がいた。

「伝説」になっているのは、そうした出演者の顔ぶれや観客数によるだけではない。ライブが始まってすぐに振り出した雨が夜が更けるにつれて激しくなり、一時間降水量70ミリに達した。ステージは水浸しになり照明や音響の機材も使えなくなる。深夜に入って下がった気温のために低体温症で意識を失った少年少女が続出して救急車で運ばれてゆく。

泥流と化した斜面を観客の持ち物やグッズのテントが流されてゆく。取材者の僕らも担架で病人の救出を運んでいた。僕の中のアスペクタの記憶は「史上最悪で最も劇的な一夜」の場所だった。この日、会場入りして真っ先に確かめたのは、カメラマンとともにそこに身を潜めていた撮影用の塹壕だった。

そんな一夜をOKAMOTO'Sが口にしたことは、彼らがここにいることの必然性を感じさせた。

OKAMOTO'S ©阿蘇ロックフェスティバル

あれから34年。アスペクタは理想的な野外イベントの会場だった。

Creepy Nuts ©阿蘇ロックフェスティバル

ジャンルを超えた出演者それぞれの継承。オープニングのサイプレス上野、スチャダラパーへのリスペクトを九日したのが今、最も勢いのあるヒップホップユニット、Creepy Nutsだ。スピード感豊かな言葉の切れとベースを強調したリズムトラックのグルーブ。関西弁が人懐っこさを感じさせる。客席で踊っていた初老の男性は、「こういう音楽は初めてだけど」と言い64歳だと笑っていた。

KEY TALK ©阿蘇ロックフェスティバル

ロック系夏フェスの人気者、KEY TALKの後に登場したのがももいろクローバーZだった。

すでに日が落ちて冷気が増してきた客席に4色のペンライトが揺れる。そして、最後に歌われた曲は、この日最大のサプライズだった。

ももいろクローバーZ ©阿蘇ロックフェスティバル

泉谷しげるに「自分たちで演奏したら」と勧められたというバンド演奏。何と曲が中島みゆきの「ファイト!」だったのだ。中島みゆきには「泣いてもいいんだよ」の提供を受けているだけに納得のアーテイスト選びではあったものの、まさか「ファイト!」とは思わなかったという人がほとんどだろう。「手が震えて、終わって涙が出た」という言葉がいじらしかった。

ももいろクローバーZ ©阿蘇ロックフェスティバル

 

それだけの個性豊かな出演者の締めくくりが泉谷しげるだった。

泉谷しげる ©阿蘇ロックフェスティバル

泉谷しげる ©阿蘇ロックフェスティバル

いつものように声を出し合ってコール&レスポンスが出来ない中でどんなライブをするのか。渡邊裕美(B)、藤沼伸一G)、板谷達也(D)にサックスの小林香織を加えた泉谷しげるバンドのダンスビートを強調した厚めのアレンジは冷気を吹き飛ばす踊れるフィナーレを出現させた。

泉谷しげるバンド / 渡邊裕美(B) ©阿蘇ロックフェスティバル

泉谷しげるバンド / 板谷達也 ©阿蘇ロックフェスティバル

小林香織(サックス)

「この2年、色々あってお前らも大変だっただろう。これからもう色々あるかもしれない。だからせめて今夜、せめて今日を自分のものにしようぜ」

泉谷しげるバンド ©阿蘇ロックフェスティバル

発売から50年。この状況だからこその「春夏秋冬」と「時よ止まれ君は美しい」を歌い終えて帰ろうとした泉谷を司会のスマイリー・原島が「帰らせませんよ。勇退なんてダメでしょう」とステージに押し戻す。「あの歌をやってないじゃないですか」という挑発に「BGMにやってやるから、そっと帰んな」と始まったのが、“騒ぎの好きな俺”の歌「野性のバラッド」だった。

スマイリー原島 / 泉谷しげる ©阿蘇ロックフェスティバル

ただ、一人ではなかった。

©阿蘇ロックフェスティバル

ステージに15人のボランティアが登場する。声を出せない代わりに彼が呼びかけたのがジャンプだった。それも一度や二度ではない連続ジャンプ。立っているのも辛そうに見える中で、最後の力を振り絞って歌い終えても動けなくなるまで腕立て伏せをするのだった。

 

今、こうやって一日目のことを書いているのは、二日目の運営本部で借りた机でだ。ステージでは朝10時からライブが続いている。今、4組目のTHE BAWDIESが終わった。この後はGLIM SPANKY、くるり、ゴールデンボンバー、サンボマスターと続いてゆく。

THE BAWDIES ©阿蘇ロックフェスティバル

GLIM SPANKY

泉谷しげるはステージ袖で若いバンドの演奏を見ている。

一日目のコンサートは、泉谷しげるのバンドで終わったわけではなかった。

それから1時間半後、彼はキャンプサイトで行われるキャンプファイアーの点火式に姿を見せた。斜面をスタッフに肩を借りながらトーチを持った彼がかざす炎がキャンプする350人余りの拍手で迎えられた。

©阿蘇ロックフェスティバル

「阿蘇ロックフェス2021」は阿蘇山の噴煙で始まり、キャンプファイアーの明かりで終わった。

73歳の彼にとって、12時間に及ぶ野外イベントがどのくらいの負担になるか。今朝、起きてから動けなかったという言葉は控えめな述懐だろう。

この日が勇退になるのかどうか。

声を出せない野外イベントがこんなに平和的なものだとは思わなかった。

阿蘇ロックフェスがどうなってゆくのか。2021年がどんな年として語られてゆくのか。

阿蘇アスペクタは「悪天候の伝説」の舞台から新しい野外フェスの「始まりの伝説」になるのではないだろうか。

 

取材・文=田家秀樹

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