野村萬斎がアーティストとしての野心を抱いた20年を振り返り、白井晃にバトンタッチ~世田谷パブリックシアター芸術監督交代会見レポート

2022.3.16
レポート
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世田谷パブリックシアター芸術監督交代会見 (左から)白井晃、野村萬斎

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世田谷パブリックシアターの芸術監督交代にあたり、2022年3月14日(月)に記者会見が行われ、現芸術監督の野村萬斎と、次期芸術監督の白井晃が登壇した。野村萬斎現芸術監督は2002年8月に36歳で就任、今月末の退任まで約20年を務めたことになる。次期芸術監督の白井は今年4月より就任することが決定している。

まずは野村萬斎が登壇し、20年務めた芸術監督についての思いを述べた。萬斎が一番最初にこの劇場に登場したのは、世田谷パブリックシアター開場こけら落としとして1997年4月に行われた『三番叟』だった。「奇しくも私の31歳の誕生日に『三番叟』を舞わせていただいた。その後、全国方々の公共劇場のこけら落としで『三番叟』をさせていただいているが、実は世田谷が初だった」。その後、初めて世田谷パブリックシアターで自身が演出した『まちがいの狂言』(2001年)が初演された翌年の春に芸術監督の打診があったことを「ついこの間のような気もしながら、早いものだなと思う」と振り返った。

世田谷パブリックシアター芸術監督交代会見 野村萬斎

萬斎は1994年から1年間、文化庁の芸術家在外研修制度でイギリスに滞在しており、そのことに触れながら「芸術的影響力のある作品を作り、それを世界に輸出し、社会に貢献・還元していくというイギリスの芸術監督の姿に非常に憧れを持っていた。生活や社会に密着した演劇活動というものがあることを目の当たりにしたことが非常に印象深かった。90年代にはピーター・ブルックや、太陽劇団のアリアーヌ・ムヌーシュキン、それから世田谷パブリックシアターでもおなじみのサイモン・マクバーニーやロベール・ルパージュといった世界的演出家たちが日本の伝統芸術や古典芸能に影響を受けているのを見て、狂言出身の私からすると、日本人が日本の伝統や古典を使って世界的に演劇発信をしなければいけない、という思いを抱いた。ちょうどそう思っていたところに芸術監督の依頼が来たので、待ってました、という思いだった」と、芸術監督の依頼が自身にとって非常にタイミングがよかったことを明かした。

芸術監督として根幹にあったのは、狂言の第一声に使われる<このあたりのものでござる>という言葉だった。「地域性、同時代性、普遍性を同心円状に広げるということ。私の出自である伝統芸術と、世田谷にこれまでもあった現代芸術が融合したトータルシアターを目指すことを目標としていた。能狂言という出自の中で自分がこういう新たな場を得たときに、ユネスコ無形文化遺産である能楽に対抗したい、という狂言師・能楽師という括りではない、アーティストとしての野心を抱いた。当時は鈴木忠志さん、蜷川幸雄さんが世界に向けて日本から発信していらした時期でもあり、そのポストを狙いたいというような意気込みを就任の会見で語ったことを覚えている」と語った。

ここで萬斎は、2020年東京オリンピック開閉会式演出の総合統括に就任するも大会が1年延期になったことでチームが解散したことに言及。「(そういった意気込みを)東京オリンピックにもぶつけたいと思っていた。<このあたりのものでござる>という言葉の持つ、人間の多様性を認めて包括するという精神は現代のグローバリズムにも通じるもので、狂言はそれを650年前から先取りしていた。様々なマイノリティーのことも話題になる今、そういったものを俯瞰して平等な目線で見るということが狂言の一つの真骨頂であり、復興五輪には能の“鎮魂から再生”という精神が必要であったが、諸事情あって志が断ち切られるような形になったのは返す返すも残念であった」としながらも、「そうやって(演出プラン等に)発展できたのは、世田谷での20年間があったから。ここで本当にいろいろなことを学ばせていただき、大変濃密な時間を過ごさせていただいた」と世田谷パブリックシアターへの感謝の思いを述べた。

世田谷パブリックシアター芸術監督交代会見 (左から)白井晃、野村萬斎

演出だけではなく出演者としての経験についても「ジョナサン・ケントの演出でハムレットを演じロンドンでも上演できたこと、また栗山民也さんの演出で井上ひさし作品に出演させてもらったことは、自分にとって世田谷においての大きな事件だった。世田谷以外でも、蜷川幸雄さんや三谷幸喜さん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの作品に出演するなど、とにかく学ばせていただいた。特に蜷川さんとは『オイディプス王』でアテネに行ったことも私の大きな財産」と述べた。

様々なアーティストとのコラボレーション、多種多様なゲストを招いた「MANSAI◉解体新書」、「現代能楽集」シリーズなど、この20年で手掛けた様々な企画についても、「今までにとにかく見たことのないもの、という舞台表象のあり方を模索できたし、日本の文化の根幹を学ぶことができた。狂言師としては、91歳にならんとする父(野村万作)をはじめ、まだまだ厚い壁が立ちはだかっているが、世田谷の芸術監督になったことで、私自身が演出家になったこと、また人から文化人と呼ばれるようになった、それは世田谷パブリックシアターのおかげであり、観客の皆様に育てていただいたという思いを持っている。その感謝の思いはなかなか言葉に尽くせないが、これからの私の生き方とか作品とか、そういうことでお返しするしかない。これからも能狂言に限らず、日本の文化のアイデンティティをもし背負えるならば、そうした活動を何かしたいと思っている」。芸術監督を退任した後は「時間ができる分、違うジャンルにも新たに挑戦したい」と笑顔を見せた。

続いて、次期芸術監督の白井晃が登壇。「芸術監督の依頼が来たとき、驚きもしたし逡巡もした。2021年3月まで務めていたKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督を退任したばかりで、若い世代に芸術監督を担っていってもらいたいという思いで長塚圭史さんにバトンタッチしたにもかかわらず、萬斎さんよりも年上の私が引き受けていいものか悩んだが、この劇場では本当にたくさんの創作をしてお世話になったので、自分のできることがあるのならば精一杯やらせてもらうべきではないかと、引き受ける決心をした。私の役目は未来の世代への橋渡しだと思っている。5年後、10年後の世田谷パブリックシアターがどういうふうになっているのかを想像しながら考えていきたい。この劇場の開館時の理念に「劇場は広場だ」という言葉がある。改めてこのコロナ禍を通じて、この言葉の意味合いを考えて再認識しながら活動していきたいと思うし、その広場を萬斎さんが言われた同心円のような形でより大きく広げていけるようにしたい」と決意を述べた。

世田谷パブリックシアター芸術監督交代会見 白井晃

なお、2022年度と23年度のラインアップについては萬斎が監修したプログラムとなり、開館25周年となる22年度には野村萬斎演出・出演による『ハムレット』が予定されており、ハムレット役を萬斎の長男・野村裕基が務めることが明かされた。

質疑応答において、20年務めて芸術監督の役割や権限についてどのように考えるかを問われた萬斎は「私がやろうとしていることは、自分の力だけではできないこと。皆さんの力を頼ってきたからこそ多様性というものが生かされたかなという気もする。イギリスやヨーロッパの芸術監督像というのは、私の考えとは違って演出家主導のスタイル。私はどちらかというと、演出もし主演もするという“座長”のような、日本の今までの演劇形態に即した形の芸術監督になったかなという気がしている。白井さんがどういったスタイルを志向されるかはわからないが、芸術監督の個性に合わせた形で劇場が新たな息吹を獲得するというのはとても重要なのではないかと思っている」と答えた。

幅広い作品を手掛けてきた中で、特に印象に残っている作品を問われると、萬斎は少し困ったような表情で「自分の子どもたちに優劣はつけたくないというのが正直なところ」と笑いながらも、「シェイクスピア作品はいろいろな発見があって勉強させていただいた。一方で『敦―山月記・名人伝―』と『子午線の祀り』は自分がアドバンテージを感じながら作ることができ評価もされた。実は昨年の『子午線の祀り』の再演時には『敦』と同じ舞台セットを使用した。私がこの劇場でやりたかったことはレパートリーシステムで、世田谷に来るといろんな芝居が見られるようにしたかったがなかなかハードルが高かった。セットを共通して上演できることで、この先ダブルビルのようなことができれば」と、新たな野望ものぞかせた。

自身が目指す芸術監督の形について問われた白井は「劇場の芸術的な方向を示すことが一番大きなことだと思う。日本の公共劇場においては人事権や予算というものを芸術監督が持っているところは非常に少ない。そういった中で芸術監督ができることは限られているのかもしれないが、この劇場がどういう表現の場であろうとするのか、どういったものを文化として発信していけるのかという方向を示す旗頭にならなければならないと思っている。この劇場で開館当初から力を入れている学芸事業の監修ということも自分の役目の一つとして大切なこと。区の劇場であるということの役割をもう一度見つめなおして、区民との会話や、区から発信できることを考えていきたい」と話した。

就任当時36歳だった狂言師の萬斎が20年芸術監督を務めたことは、舞台芸術界においても一つ大きな財産だ。舞台芸術界では若手と言われる年齢の者を劇場と地域と観客がじっくりと育てていったこと、そして別ジャンルとして引き離されがちな古典芸能と現代演劇との融合を図った作品を発表し続けたことは未来への希望でもある。萬斎が描いた同心円を、他劇場で芸術監督経験のある白井がどのように引き継ぎ、さらにどのような円を描いていくのか、新たな芸術監督像にも期待したい。

世田谷パブリックシアター芸術監督交代会見 (左から)白井晃、野村萬斎

取材・文・撮影=久田絢子

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