ロロの新作『ロマンティックコメディ』を三浦直之(作・演出)が語る~読書をモチーフに描く、暮らしの中のロマンティック
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ロロ 主宰 三浦直之
ポップカルチャーをサンプリングしながら、既存の関係性を捉え直した作品を立ち上げる劇団 ロロの新作本公演『ロマンティックコメディ』が、2022年4月15日(金)から4月24日(日)まで、東京芸術劇場シアターイーストで上演される。
2020年に上演予定だった本作は新型コロナで延期となり、2年の期間を経て、「愛や恋とは違った形の”ロマンティックコメディ”を描く」というテーマを軸に残しつつ、当初予定していた物語とは変容していったという。作・演出を手がけ、劇団を主宰する三浦直之に話を聞いた。
■暮らしの中にあるロマンティックを見つける
――まず初めに、「愛や恋とは違う形の”ロマンティックコメディ”を描く」ことをテーマに据えようと思った経緯を伺えますか?
『ロマンティックコメディ』とタイトルをつけた2年前の話をすると、恋愛至上主義的な“ロマンティックラブ”の物語を書くことについて考えたいとおもっていました。恋愛に限らず、多様な関係性があるなかで、恋愛をヒエラルキーの上に置くような物語を更新したいというおもいです。
ただ一方で、僕は“ロマンティックコメディ”と言われるジャンルの物語をこれまでたくさん楽しんできました。男女が出会い、初めは仲違いをしているけれど、何かのきっかけを通じて交流を深めていくうちにだんだんと2人の距離が近づき、最後は結ばれるというものが、ロマンチックコメディの王道のパターンだと思います。では今、自分はどういった“ロマンティックコメディ”を書くことができるだろうか。もしかすると、それは恋愛とは違った形のロマンティックなのかもしれない、といったことを当初は考えていました。
――そして今、そのテーマは残しつつ、当初の構想から変容していったと伺っています。あらためて作品のあらすじを教えてください。
丘の上にある本屋で定期的に読書会が開かれていて、その読書会には詩歌(しいか)という女性がのこした、たった1冊の小説を何度も読んで話し合うために集まってくる人たちがいる。その読書会には詩歌を知らない人も、偶然混ざるようになり、その中でさまざまな関係が生まれていく、といった物語です。
――読書会や小説が、物語を構成する大きな要素になっていますね。
ロマンティックコメディって、恋愛の成就イコールハッピーエンドという形のものが多いですよね。ですが普通に考えれば、恋愛の成就は2人の関係の始まりであって、その後も関係は続いていく。だから恋愛が成就するかしないかということを、物語の中心に据えるのではなく、何らかの関係が生まれ、その後にも続いていく暮らしの中にロマンティックを見つけられないか、といったことが本作の狙いとしてありました。
読書って、暮らしに根ざしたものだと思うんです。たとえば、1冊の本を手に取って、そのまま一気呵成(いっきかせい)に最後まで読むことは、そこまで多くない。少し読んで、しばらくしたらまた開くといった風に。映画館に映画を観に行ったり、劇場に演劇を観に行くことは、非日常を体験する行為です。対して読書は暮らしの中に非日常が、少しずつ少しずつ入り込んでくる体験をする行為でもある。暮らしの中にあるロマンティックを考えていく過程で、読書がモチーフのひとつになったという感じですね。
あと最近、改めて死について考えるようになって、そのことが作品に大きな影響を与えています。もちろん楽しい話にしたいと思っていますが、いわゆる”ロマンティックコメディ“を期待して観に来ると、「ロマコメじゃない」と思われる方もいるかもしれません。
■捉え直し続ける行為が、弔いになるのかもしれない
――死生観の変化は、既存のロマンティックを捉え直す試みと、どのようにリンクしていったのでしょうか。
例えば、ずっと一緒に過ごしていた人が亡くなっても、すぐに気持ちを整理できる人もいれば、一瞬しか会っていないのに、考え続けてしまう人もいるかもしれない。そういった人たちがつながっていく姿を劇中で描きたいと思いました。
死に対してあまり悲しみを持たない人であっても、別のものがなくなることについては、強い悲しみを感じる人もいます。劇中でそれは、とあるアイテムのエピソードで示しています。
――とあるアイテムのお話が出てきたので伺いたいのですが、脚本を拝読すると、詩歌が“開く(ひらく)”という言葉を文脈には合わない形で使っています。そのアイテムも“皮を開く”と表現していて、非常に面白いと思ったのですが、どういった意図で“開ける”ではなく、“開く”という言葉にしたのでしょうか。
そうですね。とくに深い意味はなくて。開くという言葉が、なんかいいなと思って。そもそも本は開くものだから、本を開くように、他のものも開くように開けていた人の物語なのだろう、と思ったというか。
――なるほど。
あと詩歌の小説には、扉を“開ける”ではなく、“開く”と書かれています。残された人たちには、それが誤字なのか、意図的に書かれたものなのかは、もう分からないですよね。亡くなった人と話すことはもうできない代わりに、残された言葉を何度も読み返して、捉え直していく作業をずっと続けていくことが、弔うということなのかなぁ、と思います。
昨年、NHKで震災をテーマにドラマのシナリオを書いたのですが(2021年3月6日放送 『東日本大震災10年 特集ドラマ「あなたのそばで明日が笑う」』NHK総合)、被災者の方たちにお話を聞く機会があって、そのときにも同じようなことを感じました。
10年の時間の中でも、何回も語られながら、その都度捉え直されていく。亡くなった人が残したものがあって、亡くなった人と残された人との関係は人それぞれで、いろいろな距離感があります。
私が知っていることをあなたは知らないかもしれないし、あなたが知っていることを私は知らないかもしれない。そしてそこには解釈の幅がある。その中で、ゆっくりと時間をかけて残されたものについて考えて話す、ということを続けていく人たちを描きたいと思いました。
■遅さを描く
――その中で、読書をモチーフにして描きたかったこととはなんでしょうか?
速さではなく、遅さを描きたいなと思って。
――遅さ……ですか?
コンテンツの消費速度って、どんどん速くなっているじゃないですか。YouTubeを1.5倍速で見たり。少し前に問題になったファスト映画は、あらすじやプロットだけを切り出したものを見て、作品を知った気分になるものですよね。
ですが味わうという行為はそういうことではないと思うんですね。何回もゆっくりと吟味して解釈したものでも、少し時間が経ってから手に取ると、また違った風に受け取れるかもしれません。たとえば1冊の本を5年や10年の長い時間をかけて、ゆっくりゆっくり読んでいく。そういった遅さを描きたいと思ったんです。
――今まで書いてきた物語とは何か違うものが生まれた、といった感覚はありましたか?
これまでも死や死者のようなものはテーマとして扱ってきましたし、脚本の書き方自体に大きな変化はありません。ただ、去年被災した方たちにお話を伺ったとき、自分は本当にしっかりと話を聞けただろうか、といったことをずっと考えています。
――時間が経って被災された方の言葉の捉え方や距離感が変わったのでしょうか。
そうですね……。ひとつ思うのは、亡くなった人の声を安易に存在させようとする行為は、亡くなった人にとって暴力にもなりかねません。一方で、もう聞くことのできない死者の声を伝えられるのは芸術だけだと思うんですね。フィクションで、という意味ですが。だから自分はずっと、死者や死について物語にしているのだと思いますし、常にその暴力性と向き合いながら、きっとこの先も続けていくと思います。
――では最後に、この作品を観たいと思っているファンにコメントをいただけますでしょうか。
2021年に完結した、高校演劇のフォーマットを用いた「いつ高シリーズ」で培ってきたものを、60分という時間の固定をフルスケールに拡大し、高校演劇のルールをとっぱらって作ります。
「いつ高シリーズ」の常連である大石将弘さん(ままごと/ナイロン 100℃)、大場みなみさん、新名基浩さんを客演に招き、オーディションで出会った堀春奈さんには、新しい発想をもたらすような役割を担ってもらおうと考えています。
ロロの作品は時空間が頻繁に変わり、ひとりの役者が演じる役もコロコロと変化して、寓意性が強く、世界観も抽象的だったりします。そういった面についていけず、振り落とされてしまう方もいると思いますが、今作は、ロロの中では比較的間口が広い作品になると思います。初めてロロに出会う人にも、たくさん観に来てほしいですね。
取材・文=石水典子
公演情報
■会場:東京芸術劇場シアターイースト
■出演:
亀島一徳 篠崎大悟 望月綾乃 森本華(以上、ロロ)
大石将弘(ままごと/ナイロン100℃)
大場みなみ
新名基浩
堀春菜
美術:杉山至
照明:富山貴之
照明操作:久津美太地
音響:池田野歩
衣裳:伊賀大介
舞台監督:鳥養友美
演出助手:中村未希
演出部:岩澤哲野 桝永啓介
文芸協力:稲泉広平
イラスト:西山寛紀
デザイン:佐々木俊
制作助手:大蔵麻月
制作:奥山三代都 坂本もも