末満健一(作・演出)&和田俊輔(音楽)が語るミュージカル『ヴェラキッカ』制作の裏側~“虚構”の音楽〈Blu-ray&DVD 9/21(水)発売〉

2022.9.18
インタビュー
舞台

末満健一、和田俊輔

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最新作 ミュージカル『ヴェラキッカ』Blu-ray&DVDの発売を記念して、TRUMP series Blu-ray Revivalよりシリーズ3作品のBlu-rayプレゼント企画あり! 詳細はページ下部 概要欄にてご確認ください。


劇作家・末満健一がライフワークに掲げ、2009 年より展開する演劇作品<TRUMPシリーズ>。人間でいう思春期=繭期(まゆき)の吸血種の少年たちが生を渇望する姿を描いた一作目『TRUMP』をはじめ、これまでに『LILIUM-リリウム少女純潔歌劇-』、『SPECTER』、『グランギニョル』、『マリーゴールド』、『COCOON 月の翳り星ひとつ』、『黑世界雨下の章・日和の章』と上演され、多くのファンに愛されてきた。

その最新作として今年2022年1月・2月に上演され、好評を博したミュージカル『ヴェラキッカ』のBlu-ray ・DVDが9月21日(水)に発売される。ヴェラキッカ家を舞台にしたTRUMP流「人間愛奇劇」は、シリーズの中でもスピンオフと言える作品で、これまでのシリーズを観ていない人も楽しめる内容となっている。出演者は美弥るりか、松下優也、古屋敬多、平野綾、愛加あゆ、大久保祥太郎、斎藤瑠希、西野誠、宮川浩ほか。

本作について、作・演出の末満健一と、本作をはじめ末満作品の音楽を数多く手掛ける和田俊輔に、作品を振り返ってもらった。

※以下、作品のネタバレがあります。

「0カロリーで味がする音楽」を作らなければいけなかった

――2022年1月から2月にかけて上演されたミュージカル『ヴェラキッカ』が映像化されます。いま振り返るとどんな作品だと思われますか?

和田:しんどい作品でしたね(笑)。あまりにも「道筋がわからないアドベンチャー」をしていたから。疲れるんですよね、やっぱり。

末満:うん。作劇的にもそうでしたけど、音楽的にも多分、あまり得意じゃないところに踏み込んだので。

和田:そうでした。

――それは「得意じゃないところで作品を立ち上げたい」というような前提があったのでしょうか。

末満:はい、ふんわりとしたトライアルだけど、そういう意識はありました。だから音楽もそうですし、脚本にしろ、演出にしろ、消費カロリーがとても高い作品だったなと思います。

――和田さんがしんどかったのは、どういうところでしたか?

和田:一曲でも、作ったあとに手応えがあれば、それで解消される部分があるんですけど、ないままやっていたんですよ。

――「手応えがないまま」ってどういうことですか?

末満:そこはこの作品の構造だと思います。シーンごとにわかりやすい「場面的な消化」や「感情的な消化」がない作品だったから。「今回はここに投げます」という的(まと)があれば、そこに向かって球を投げればいいんですけど、それがない作品だから難しかった。

和田:そうですね。

――末満さんはどうしてそういう作品をつくったのでしょうか?

末満:こういう作品をいつかやってみたかったんです。45年以上生きる中で、知り合いが亡くなったり、家族が亡くなったり、いろんな別れを経験してきました。そういうものを……これは作家の浅ましさかもしれないけど、そういう「近しいものを亡くした喪失感」を種にしてみたらなにができるんだろう、という思いがあった。でもそういう「失われていったものに対する感情のあてどころ」って結局ないので。

――「近しいものを亡くした喪失感」が種になって生まれた作品だったのですね。

末満:あともうひとつあって、そういう「この世に存在しない者に対する感情や愛情」の持つ「虚構性」です。その虚構性に対してどうしていくんだ、我々はっていう。そしてそこに、エンターテインメントと重なる部分があるなと思ったんですよね。

和田:ああ~。

――虚構性とエンターテインメント。

末満:最近よく「推し」って言うじゃないですか。でも自分が見ている「推し」って結局「自分が見たい推し」であって、じゃあそこに「推し」本人の実質的なものがどれくらいあるのかはわからないですよね。そういう、虚像であり虚構であり幻影でありっていうところが重なると思いました。その重なるところに、(主人公ノラ・ヴェラキッカを演じた)美弥るりかさんという……。

ノラ役の美弥るりか(撮影=遠山高広)

――素晴らしかったですね。

末満:美弥さんは元タカラジェンヌ(宝塚歌劇団の団員)で、虚構の花の最たるところだと思うんですよ。そういう方が中心になってくれたことで生まれた威力というものがありました。ただ、根幹には「この世からいなくなった者に対する感情の向けどころ」という題材があったので。それってやっぱりスッキリはしないですよね、どうしても。そこに「上辺だけ、エンターテインメントという皮をかぶせよう」という作品だったので。

――ああ、なるほど。

末満:その難しさは、美弥さんにノラを演じてもらう中で如実に表れました。(ノラは登場人物たちの“共同幻想”で存在しているので)発言や行動に(本人の)動機がないわけです。前半は特にそうなんですけど、「この感情があるからこの発言、この行動がある」というのが一切ないから、これどうやって演じてもらったらいいんだろうと思いました。演出として、一瞬路頭に迷いましたから。「あれ、起点がない」って。

和田:うんうん。

末満:つまり「なにも考えずに上っ面で演じてください」ということになる。ただそれを役者に要求するってとても苦しいことで。だけどそうしないと成立しない物語だったんですね。音楽に求めるのもそこだったんですよ。「中身のない、上っ面だけの虚構性」だった。それは非常に難しく苦しいものでしたね。

――中身がないものって求め方も難しいですよね。

末満:はい。自分で設計しておいてなんですけど、「演じてもらいようがない」と思いました。「でも中身がないのが正解なんだ」と思うんだけど、そのロードマップを描けないというか。「このお芝居はこういうふうに組み立てていきましょう」というロードマップの組めなさによる難しさは、和田さんが音楽をつくるうえでも苦しめた部分じゃないかなと思います。

和田:話を聞いていて腑に落ちました。思ってたもん、「中身がないな」って(笑)。

末満:うん。プロデューサーからも「中身がない」って言われてた。それで「そう、中身がないんです」って言うんだけど、説明してもなかなかわかってもらえなかったですね。作品の中では、一幕のラストナンバーで「実は中身がなかったんですよ」という種明かしをして、「あ、ハリボテだったんだ、この世界は」とわかるようになっているんだけど。

――和田さんが今「腑に落ちた」とおっしゃるということは、そういう話し合いはせずに音楽を作られたのですか?

末満:それっぽい話はしたけど、あの段階で共有するのが非常に難しかったんですよ。「中身がないことやりたいんですよ」ってなかなか。

和田:たしかに(笑)。

末満:だから「いまは腑に落ちないかもしれないけど、腑に落ちないままやってください。幕が開いたらわかります」という話はしました。自分たちがなにをつくっていたのかは、お客さんが教えてくれると思ったので。

和田:いま末満さんが言語化してくれて、そこが辛かったんだなっていうことがわかりました。僕は「中身がないことをやろうとしている」ということはキャッチできていなくて、でも「中身がない」ということはキャッチできていたんですね。ただ、それって言えないんですよ。「末満さん、これ中身ないっすよね?」って僕は言えない……。

末満:現場でめちゃめちゃ言われたよ(笑)。プロデューサーにもキャストにも。

和田:僕には言えないな(笑)。だから、なんというか、「0カロリーで味がするもの」を作らないといけない、みたいな感じでした。

末満:それがまさに、僕がエンターテインメントに感じているものなんだと思う。エンターテインメントを楽しんでいる人たちから生まれるのは「本気の感情」なんだけど、その感情を生み出してるものは「虚構」という。この気持ち悪さと面白さを基にして組み立てられないかと思った。

和田:とはいえ作り手としては、あまりにもハリボテを作り慣れてなかったんですよね。

――観る側もそうかもしれないですね。「末満さんの作・演出で中身がないってことはないだろう」と思って観るじゃないですか。だから混乱する、みたいな。

末満:ただ、お客さんには、「最終的にこういうふうに受け止めてもらいたいな」という受け止め方をしてくれたなと思います。お客さんの洞察力や汲み取る力がすごくて、こっちが思っていた以上に受け止めてくれました。あとは美弥るりかさんも大きかったと思います。普段から精霊というか、この世ならざる空気を纏った人なんですよ。それは舞台の外でも。しかもタカラジェンヌという虚構の最たる世界で生きてきた人がそういうものを演じてることで、意図がものすごく伝わりやすかったんだと思う。

和田:そうだよね。

>(NEXT)腹七分目で終わるように、余韻を残したい

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