牧阿佐美バレヱ団・菊地研インタビュー~故・牧阿佐美最後の全幕作品『飛鳥 ASUKA』から未来へ
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青山季可、菊地研 撮影・瀬戸秀美
2022年9月3日(土)・4日(日)、牧阿佐美バレヱ団は2021年10月に世を去った故・牧阿佐美の最後の振付作品『飛鳥 ASUKA』(以下飛鳥)を、故人の追悼公演として上演する。バレヱ団のダンサー、振付家として、さらには橘バレヱ学校校長、新国立劇場バレエ団元舞踊芸術監督、新国立劇場バレエ研修所所長を務めるなど、バレエ界に多大な業績を残した牧。このたび上演される「飛鳥」はバレヱ団の創設者であり母親でもある橘秋子が1957年に発表した「飛鳥物語」を、バレヱ団創立60周年となる2016年に牧が最新映像技術などを用いて改訂を行い、初演したものだ。数度の再演を経て、この「飛鳥」は2019年にはバレヱ団初の海外公演となるロシア・ウラジオストクのマリインスキー劇場プリモルスキー・ステージでも上演され、大絶賛を浴びた。故人の追悼公演としてはこれ以上ない演目であり、さらに今回は日本での上演としては初めて、オールバレヱ団メンバーによるキャストが組まれている。バレヱ団が一丸となって恩師への想いを紡ぎあげるこの公演、バレエファンにとっても必見となろう。
今回はこの「飛鳥」の初演時から竜神役を踊ってきた菊地研にインタビュー。16歳で牧阿佐美バレヱ団に入団し、数々の主要な役どころを踊りながらキャリアを重ね、現在はアシスタントバレエ・マスターとして後進の指導にも当たる菊地ならではの思いを聞いた。(文章中敬称略)
いにしえの大和の都・飛鳥。竜神は美(芸術)と権威の象徴として人々の信仰を集める存在。春日野すがる乙女はその竜神に仕える、舞殿一の美しき舞の手である。
すがる乙女は竜神に舞を奉納する舞女の栄誉を与えられるが、それは竜神の妃として捧げられ、二度と地上に戻れないことを意味していた。すがる乙女は芸術の神に仕えることを決心する。
しかしすがる乙女の幼なじみである岩足は、彼女の舞を見て恋心を抱き、思いを伝えようとするが、すがる乙女は竜神とともに天に昇っていく。
竜の棲む深山で過ごすすがる乙女は、不意に岩足への激しい慕情にかきたてられる……。
■「竜のように歩けばいいだけ」。人の心から産まれたものだから表現できないはずがない
――まずこの「飛鳥」ですが、菊地さんは牧先生の改訂版初演の2016年からこの作品に出演されています。創作時の思い出など、印象に残っていることは。
僕は大元になった橘先生の作品を見ておらず、阿佐美先生の改訂版で初めてこの作品にふれたので、改訂版というよりは、完全に阿佐美先生の新作と考え、この作品に取り組みました。だから特に先入観もなく、阿佐美先生が思い描いたイメージをそのまま伝えてもらったと思いますし、そこから竜神の役を膨らませていきました。
僕が踊るのは人間でない、竜神という役どころなので、それを自分の中でどう捉えて表現するのかということが肝になる。その人間ではない役をどう表現しようかと迷っているとき、いろいろな歩き方の所作を試したりしていたら、阿佐美先生が「何やってるの。竜のように歩けばいいだけじゃないの」って、さらっとおっしゃったんですよね。
――竜のように歩けばいい「だけ」と……
僕も最初にそれを聞いたときは「え?」って思ったんです。でも確かに竜とはいうけれど、では自分の身体のどこのパーツが竜を現すのだろうと考えてみると、結局精神的な佇まい、心の持ちようになる。つまり自分の想像で膨らませるしかないんです。
そうやって考えると、竜神は崇められている存在ですから、竜神自身の気持ちや感情は地上の人間たちのように即座に、瞬時に動くものではない。だから時間軸をゆっくり使ってみたり、「周りにいるものたちは自分を取り巻いているものである」という感覚で心を置いてみたりする。指先で鍵爪を表現するといったポーズをとることもできるかもしれませんが、大事なのはただ立っているときに、そうしたポーズを取らなくても竜神としての役柄が継続され、お客様にもそう見られているかどうかなんです。そうした踊りじゃない部分の時間も意識して役を捉えていくうちに、いつしか物事が自分の中で繋がってかみ合ってくる。そうなると自然と身体が動きたくなってくるんです。
また僕は竜って空想のものだと思っているのですが、それはつまり人間が頭の中で思い描いたものですよね。人間の体の中にある想像力から生まれたものだから、人間が表現できないはずはないと先生は思ったのではないかなと、何日か経って思いました。
――だから「竜のように歩けばいい」と、自然に仰れるわけですね。人の心から生まれたイメージを表現する以上、ダンサーは何にでもなれると。
はい。そこが(ダンサーの)醍醐味なんじゃないかな。
菊地研 撮影・瀬戸秀美
■無駄に増幅させず、観客と世界を共有する表現を目指す
――「飛鳥」の竜神は、1幕では人間の世界から見た超越した存在、2幕は竜神の世界での主という存在になります。その辺りの演じ分けなどは、何か考えているのでしょうか。
今回はその点に差をつけない方がいいのかなと思っています。人間とは違う時間軸に生き、人間を仕えさせる威厳、2幕では感情的な表現もありますが、でもやはり、そうした情の部分は、あまり表に出すものではないような気がするんです。例えば、2幕で登場する黒竜との感情的なやり取りを、これまでははっきり出していました。でも人間世界でも竜の世界でも、竜神が最高位にあることに変わりはないのだから、1人の者に対してそんなに感情があらわに出てくるものでもない。
ですから、前回までは強さやスピード感、怒りの表現などで竜神という存在の壮大さを出そうと思っていましたが、今回は切り口を変えて、もっと人間たちが思う威厳あるイメージで行こうと。抽象的な言い方になりますが、前までは踊っていると何か別のものが自分の中から出てきたような感覚があったんですが、今回はこれまでとは少し違う何かが混ざっている気がするんです。だから今回はその「違う何か」を探り、表現できればと。人間が考える竜神のさらに1段階上の、格のようなものが加わってくるのではないかなと思っています。そもそもいただいた振付のなかに、感情や思いなどはすでに入っている。だから今回は無駄に増幅しすぎないように、見せすぎないようにしようと。
田切眞純美 撮影:鹿摩隆司
――「無駄に増幅させない」、と。
はい。これは、よく言われていることなのですが、なかなかできないことなんです。でも役に生きるためには、そこが重要なんです。
例えばこの前の「ノートルダム・ド・パリ」の公演ですが、前々回くらいの公演の時、最後の最後の表現で、「自分で悲しみを表現しすぎた」といわれたんです。だからこの前の公演(2022年6月)では、それだけは絶対にやめようと思いました。
つまり、自分の気持ちが走りすぎて「悲しい」「辛い」という表現を強く訴えかけてしまったら、却ってお客様一人ひとりの想像力が消えてしまい、結果的にお客様と世界を共有できなくなる場合が多いんです。ですからこの前の「ノートルダム・ド・パリ」の公演では、カジモドが背中を向けて鐘の向こうに去っていくとき、自分が表現を与えすぎなければ、お客様は鐘の音にカジモドの慟哭を感じ取れるようになると思い、そこを非常に気をつけて演じました。
今回の「飛鳥」もそれと同様です。当たり前の話なのですが、舞台を上演する以上、お客様と世界を共有できないと、意味がないですから。
撮影・瀬戸秀美
■「バレヱ団の仲間と踊る喜び」。初めてカンパニーメンバーで組んだウラジオストク公演
――「飛鳥」は2019年にバレヱ団初の海外公演となるウラジオストクでも上演されました。その時の思い出を。
まずウラジオストク公演で初めて、日本人のパートナーと組めました。初演は(スヴェトラーナ・)ルンキナさん、そのあと(ニーナ・)アナニアシヴィリさん、またルンキナさん、そして(青山)季可ちゃん、(中川)郁ちゃんと続いた。
僕の勝手なこだわりになるのですが、バレヱ団で作られた作品を同じカンパニーの仲間と残していけるということが、僕は一番、嬉しいんです。
僕は16歳のときに牧阿佐美バレヱ団に入団し、ここで育ってきた。ローラン・プティさんとの出会いがあり、またその頃、阿佐美先生は新国立劇場バレエ団の舞踊芸術監督でもあったので、三谷監督にいろいろ育てていただきましたが、阿佐美先生が新国立で「椿姫」を上演するときに主演として声をかけてくださり、そこでも一から作品を作ることにふれられました。
そうしたなか、もちろんルンキナさんやニーナさんと踊れるということは、個人的な経験としてはとても貴重なことなのですが、バレヱ団の仲間と踊れるという喜びに勝るものはないんです。ウラジオストク公演ではそれができるということが、何よりもまず、うれしかったですね。しかも海外公演で。そうした喜びを、強く覚えています。ウラジオストクのお客様にも受け入れていただき、絶賛していただきました。
でも一方で、季可ちゃん、郁ちゃんは、「飛鳥」の初主演の舞台が海外公演だったため、非常にプレッシャーがあったと思います。だから多分、今回の公演の方が、もう少しクリアに踊れるところもあるのではないかな。舞台ってなぜか1回終えないと気づけないことがあるんです。毎回始まる前まではいろいろな準備をしてきているはずなのに、本当に毎回毎回ベストを尽くしてリハーサルをして準備をしているはずなのに、どうしても、なぜかたどり着かない、届かないものがある。ウラジオストクで経験したそれを多分、今回練り上げられるのではと思います。
青山季可、清瀧千晴 撮影・瀬戸秀美
■「師の教えをしっかりと舞台に乗せていく」追悼公演。指導者として、新風とともに作品を次代へ
――そうすると今回の公演は日本では初めての、オールバレヱ団のキャストによる公演になるわけですね。菊地さんは2日間シングルキャストで竜神を、そこに青山さんと清瀧千晴さん、中川さんと水井駿介さんのペアがそれぞれ加わる形になりますね。
はい。今回は牧先生の追悼公演なので、先生から教わってきたものを大事にしつつ、それをしっかり舞台に乗せていきたい。
季可ちゃんは円熟期に入っているダンサーで、結構口下手というのか、思考時間が長い。でもじっくりと考えて絶対形にしてくるので、きっと深いものになり、厚みも増した舞台になると思います。
郁ちゃんはこれからもっと、さらにステップアップしていく時期。性格は明るく、根がすごく真面目なので、作品をより練り込めるようにしていければと思います。
中川郁 撮影・瀬戸秀美
千晴はウラジオストクでも踊りましたが、駿介が今回初めてこの「飛鳥」を踊る――つまりこの作品で阿佐美先生の指導を受けていないダンサーが、初めて主要な役どころを踊ることになるわけです。そういう新しい、いい意味での感性が混ざったら、それが作品の新しい風になると思いますし、それはそれで一つの見どころになると思うんです。そういう新しい感性が入ることは、作品を成長させてくれるきっかけにもなり、すごく期待しています。
水井駿介「アルルの女」 2021年NHKバレエの饗宴 撮影:瀬戸秀美
――新しい風が加わることで、作品自体も進化していくわけですね。
これから育っていく若いダンサーもたくさんいるので、僕としては、彼等に対してしっかり踊りを見せつつ、それがさらに永い未来に続くような舞台にしていきたい。先生から教わったことをただ継承するだけではなく、自分でちゃんと読み解いて、自分自身がちゃんと成長してそれを伝え、その次の人たちがまたレベルアップしてさらに次の世代へ受け継ぎ残していけるようなものにしていければと。
僕は今、アシスタントバレエ・マスターとして指導もさせていただいています。これから新しいダンサーたちを育て、次の時代を作っていく、それがとても楽しみなんです。
もちろん僕自身も舞台に立つ限りは、ダンサーとして舞台を全うしていきます。でも個人的には僕は一生をかけて、情熱を持って、生涯をかけて続けられる仕事としてバレエに関わっていきたいと思っています。もっとバレエが発展していけるように。
――未来がとても楽しみになります。ありがとうございました。
佐藤かんな、青山季可 撮影・瀬戸秀美
取材・文=西原朋未
公演情報
『飛鳥 ASUKA』(全幕)
■会場:東京文化会館大ホール
■指揮:デヴィッド・ガルフォース
■演奏:東京オーケストラMIRAI
■改訂演出・振付:牧阿佐美(「飛鳥物語」 1957年初演 台本・原振付:橘秋子)
■作曲:片岡良和
■美術監督:絹谷幸二
■映像演出:Zero-Ten
■照明プラン:沢田祐二
■衣装デザイン:石井みつる(オリジナルデザイン)、牧阿佐美
■芸術監督:三谷恭三
■出演:
春日野すがる乙女(かすがのすがるおとめ):青山季可(3日)、中川 郁(4日)
岩足(いわたり):清瀧千晴(3日)、水井駿介(4日)
竜神:菊地 研(3日、4日)
黒竜:佐藤かんな(3日)、田切眞純美(4日)
竜神の使い:ラグワスレン・オトゴンニャム(3日、4日)
竜剣の舞:阿部裕恵(3日、4日)
牧阿佐美バレヱ団