ヴェルヴェットの音色が音楽堂に響く~「ロシア」をテーマに世界的チェリスト・イッサーリスの公演迫る
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©Satoshi Aoyagi
世界で五指に入るといわれるチェリストの一人、スティーヴン・イッサーリスが2022年9月17日(土)、神奈川県立音楽堂でリサイタルを行う。音楽堂が60年余にわたり取り組んできた「人類の至宝」といわれる音楽家によるコンサートシリーズ「音楽堂ヘリテージ・コンサート」の、2022年秋シーズンの第1弾を飾る公演だ。イッサーリス自身の来日としても2020年以来2年半振り、音楽堂には2004年の来日以来18年振りの登場となる。イッサーリスのチェロといえば、ガット弦を張った銘器ストラディヴァリウス。その響きは「ヴェルヴェットの音色」と評され、日本にもその音をじかに耳にしたいと待ち望むファンは多い。また今回の公演テーマ「ロシア」は音楽家自身のルーツをたどるもの。ロシアとヨーロッパの歴史のなかにイッサーリス一家の歩みが、音楽とともに刻まれている。
サン=サーンス「動物の謝肉祭」より 白鳥
■ロシアにルーツを持つイッサーリスの家系。一族のあゆみは近現代のロシア・ヨーロッパの歴史
今回の公演で演奏されるのはショスタコーヴィチ、ラフマニノフ、プロコフィエフそれぞれのチェロ・ソナタ3曲と、イッサーリスの祖父である音楽家、ユリウス・イッセルリス(イッサーリス/1888-1968)がパブロ・カザルスに捧げた作品『チェロとピアノのためのバラード イ短調』である。このプログラムは2021年に予定されていながら、コロナ禍により延期となった来日公演の中に含まれたもので、今回ようやく陽の目を見ることとなったものだ。折しもロシアによるウクライナ侵攻により、「ロシア」というテーマに特別な意味を感じさせるご時世となってしまってはいるが、イッサーリスにとって「ロシア」、そしてこの地で育まれた音楽文化は彼自身のDNAの根源ともいえるものなのだ。
そもそもイッサーリスの祖父ユリウスは19世紀末にロシア帝国下にあったモルドバ共和国のキシナウの生まれで、キーウ音楽院やモスクワ音楽院で学んだ音楽家である。モスクワではチャイコフスキーと親交のあったワシリー・サフォーノフに師事し、セルゲイ・タネーエフには作曲を学んだ。タネーエフの門下には今回の公演でも取り上げるラフマニノフとプロコフィエフもおり、つまりユリウスとは同門ということになる。
ロシア革命の起こった1917年、ウクライナのオデーサで生まれたユリウスの息子がイッサーリスの父。共産主義政権下でユリウスは、一時期労働者のためにピアノを弾く仕事に就かされたこともあったが、1922年、レーニンによって選ばれた12人の音楽家の1人となり、「ソ連の素晴らしさを世界に広める文化大使として」海外へと送り出される。ユリウスはそのまま帰国することなくウィーンで芸術活動を続け、またユダヤ人であったため、第二次世界大戦のナチス台頭を機に英国に拠点を移すのである。スティーヴン・イッサーリスは「私が生まれたのはレーニンのおかげ」と語るが、その背景に連なる歴史がイッサーリスの音楽に厚みを与えていないはずはないだろう。
©Satoshi Aoyagi
なかでも今回演奏されるラフマニノフの『チェロ・ソナタ ト短調』は、イッサーリスにとっては非常に縁の深い、注目の1曲である。実はイッサーリスの祖父・ユリウスはこの曲をラフマニノフから献呈されたアナトリー・ブランドゥコフとしばしば共演する仲で、イッサーリスの祖母は「ユリウスが演奏したニュアンスをすべて覚えている」という。イッサーリスにとってもこのチェロ・ソナタは10歳のときに初めて学んだチェロの主要な曲だとか。時を経て伝えられた音色を、ぜひ楽しみにしたい。
スティーヴン・イッサーリスからのメッセージ
■木のホールとガット弦。"自然"が醸す音色にも期待
イッサーリスの魅力として、しばしば「ヴェルヴェットの音色」と称される、その響きも忘れてはならない。これを生み出すのが、ガット弦を張った銘器ストラディヴァリウスだ。
©Satoshi Aoyagi
ガット弦は羊の腸をより合わせてつくった弦で、20世紀――ことに第二次世界大戦後以降に金属製のスチール弦が主流となる前までは、ほとんどの弦楽器に使われていたものだ。いわば古来よりの伝統的なスタイルの弦といえ、取り扱いが容易で大きな音が出やすいスチール弦に比べ、繊細で大音量には向かず、自然素材由来の弦ゆえに湿度などの影響を受けやすいため、弾き手に技術が必要とされる。そういう意味ではガット弦の音色は、ピリオド楽器に近いものが感じられるかもしれないし、何より今回取り上げる曲目はいずれもスチール弦の時代より前に書かれたものばかりだ。東洋一の音響と評された音楽堂の木のホールでどのような音色が響き渡るのか、実に楽しみだ。
リサイタルのピアニストを務めるのは、イッサーリスが「音楽の発電機(ダイナモ)」と語り、全幅の信頼をおくコニー・シー。息の合った演奏となることは間違いないだろう。ロシアからヨーロッパへ渡ったイッサーリス一族の古いアルバムの頁を繰るような、どこか鼻の奥がスンとするような香りも伴う味わいも期待したい。
文=西原朋未
公演情報
スティーヴン・イッサーリス チェロ・リサイタル
■会場:神奈川県立音楽堂
■出演:スティーヴン・イッサーリス(チェロ)、コニ―・シー(ピアノ)
■プログラム
ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ 二短調 op.40
プロコフィエフ:チェロ・ソナタ ハ長調 op.119
ユリウス・イッセルリス(イッサーリス):チェロとピアノのためのバラード イ短調
ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 op.19