MOROHAアフロ『逢いたい、相対。』ゲストは銀杏BOYZ・峯田和伸ーー憧れと上京、母と息子、歌とラップを通してみつめる人生【前編】
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MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』銀杏BOYZ 峯田和伸 撮影=suuu
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』第三十四回目のゲストは、銀杏BOYZの峯田和伸。3月26日(日)にMOROHA自主企画『怒濤』で対バンすることが決定し、それを記念しての対談となった。なによりアフロにとって、峯田は憧れの1人である。長野から上京した際、前身バンドGOING STEADYの楽曲「佳代」に登場する純情商店街に惹かれて、高円寺に住むことを決めたり、峯田の歌を聴いて自分は歌ではなくラップで勝負しようと決意したり、それだけ特別な存在。撮影は2人の住む浅草で行われ、1時間30分で終了予定だった対談は、気づけば2時間以上にも及んだ。そして1回分の記事にする予定だったが、急遽前編・後編に分けて紹介することに。一体、どんな会話が繰り広げられたのだろうか?
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』
「あんたはお父さんを見返すつもりで東京で頑張ってみな」
アフロ:撮影お疲れ様でした!
峯田和伸(以下、峯田):あ、もう録ってるんだ?
アフロ:(テープレコーダーを)回してもらってます。
峯田:なるほど! (ジンジャエールを飲んで)あー、美味い! 今日これしか(仕事が)ないんで、僕は。
アフロ:最高じゃないですか。でも、それは酒を飲む人が言うことですからね(笑)。
峯田:アフロさんはお酒?
アフロ:俺もジンジャエールです。
峯田:あ、一緒だ。今日はお願いします。アフロさんと初めて会ったのは高円寺でしたよね。
アフロ:そうですね。高円寺に住んでいらっしゃったんですよね?
峯田:当時付き合っていた彼女が住んでいて、それで入り浸ってましたね。高円寺だと「まら」によく行ってたんですよ。
アフロ:あ、俺も行ってました。山形料理を出してくれるところだ。
峯田:お店のスタッフが1個下の後輩なんです。
アフロ:同じ高校ですか?
峯田:高校は違いますけど、山形の友達の後輩みたいな。だから、その人は初期のゴイステ(GOING STEADY)のライブもすごい観てる。
アフロ:俺、山形の峯田さんが通っていた高校に行きましたよ。近くにレコード屋があって。
峯田:Raf Recだ。
アフロ:そうそう! やっぱり知ってるんですね。
峯田:お客さんとして行きました。MOROHAはそこでライブをしたことがあると言ってましたね。
アフロ:そうなんです。お店のすぐ近くに峯田さんの母校ありますよね。
峯田:本当に何もないところですよ。(アフロの地元)長野も雪が降ると思うけど、山形もそうで。俺の地元は1時間に1本しか電車が来ないんですよ。だから、高校生は毎朝みんな同じ電車に乗るわけ。それがどうしても嫌で、俺は地元の奴らに会いたくなくて。意地でもチャリで行こうと思って、雪の日も30分かけて行ってた。嫌だったなあ、中学の奴らと会うのは。
『MOROHAアフロの逢いたい、相対』
アフロ:何が嫌だったんですか?
峯田:中学は楽しくなかったんですよ。アフロさんは楽しかったですか? 中学時代は人生で最高の時間というじゃないですか?
アフロ:中学時代はダサい思い出ばかりですね。めちゃめちゃ田舎だったので、とにかく東京に憧れてて。俺の夢は東京に行くことでした。
峯田:こんな街に俺はいるべきじゃないってね。俺もそうだったな。「原宿いいな」とか「裏原カッコいいな」と思ってたしね。中学生の頃から音楽とかファッションとか、カルチャーには興味があったんですか?
アフロ:そうですね。ざっくり言えば、東京にあるものだから好きだったかもしれないです。俺はいまだにニューヨークよりロスよりも、東京が一番カッコいいと思っていて。だからとにかく東京に行きたかった。
峯田:大学でこっちに来たんですか?
アフロ:大学ではなくて、美容師の専門学校に行ったんですよ。
峯田:そうなんだ! その時は美容師になりたいと思ったの?
アフロ:というより、東京の人になりたかったんです。俺が東京の情報を得る術は、ファッション誌しかなかったから俺の思う東京の象徴的な職業が洋服屋さん。それで親父に「アパレル系の専門学校に行きたい」と言ったら「お前にそんな才能はない」と言われて。親父が的を得ていたのは「お前は服が好きなんじゃなくて、アパレル業界で働いてる人のライフスタイルに憧れてるだけだ」「資格を取れる学校だったら行ってもいい」って。親父は自分で店を持ってる美容師だったので、いま思えば誘導ですよね。じゃあ東京の美容学校に行くと言ったら「東京は授業料が高いからダメだ」と却下されて、仕方なく千葉の幕張本郷にある美容学校に行ったんです。だから「上京何年目ですか?」と聞かれたら、千葉をカウントしていいものか常々考えるんですよね。
峯田:あ、ちょっと似てる。俺も千葉に4年間いたんですよ。実家がじいちゃんの代から続いてる電器屋で、創業70年を超えているんです。今はウチの弟が継いでるんだけど、もともとは長男の俺が実家を継ぐ約束だったの。子供の頃から「お前は電器屋の三代目だぞ」と言われ続けてきて、もう俺の人生は決まってるなって。ずっと未来のレールが敷かれ続けてる感覚があったんですよ。まあ、電器屋を継ぐのは分かったとして「その前に社会勉強として大学に行きたい」と言ったら「商業とか経営を勉強する大学だったらいいよ」と言われて。とりあえず東京に行きたかったので、高校の先生に東京の商業科を調べてもらってね。「これでいいわ」と思って何も考えずに願書を書いて、そこを受けちゃった。そしたら東京という名前はついてるんだけど、その学校が千葉にあったの。
アフロ:アハハハ。千葉のどこですか?
峯田:都市モノレールの終点にあるへんぴな街。だから東京じゃないんだ。しかも電車に乗ったら、新宿まで片道1200円もかかるんだよ。当時はお金がないじゃないですか。近くには来てるのに、東京が手に入らない感覚がずっとあるんです。
アフロ:めっちゃ分かる! お預け期間ですよね。俺も、あの時期があったから今の人格になった気がする。山形にいた頃から東京に憧れがあったんですか。
峯田:うん、どうせ自分の人生は決まってるし「1回は東京に行こう」というね。地元にいる頃から音楽とか映画が好きだったんです。山形で上映していない映画とか、東京でやっと観れるなと思って。大学4年間で適当に勉強して、卒業したら山形に帰るから、その前に好きな音楽やってみようかなと。そこで初めて楽器を持って、楽器をやったことがない同級生(村井守)も山形から来ていたので、そいつをメンバーに入れたりして始めたのがGOING STEADY。それが楽しくて止められなくなっちゃってね。親に悪いなと思ったら、余計に帰れなくなった。
アフロ:実家を継ぐ気持ちもなくなって。
峯田:そう。で、大学3年の時に全国ツアーが2本入って、大学のゼミも行けなくなり。さすがに、ちゃんと言った方がいいなと思った。電器屋を継ぐと言って学費を出してもらったけど、他にやりたいことが見つかっちゃったから、それを謝ろうと。3年の冬休みかな? 山形に行って親に土下座したんだよね。「3年だけ待ってください。それで結果が出なかったら帰ってくるから」って。そしたら親父に「出てけ! お前なんか顔も見たくない」と言われて。勘当みたいになったんだ。で、俺の家から山形駅まで車で20分かかるんですけど、帰りにお母さんが運転しながら助手席の俺に「あんたはお父さんを見返すつもりで東京で頑張ってみな」とボソっと言われた。その一言で頑張った記憶がありますね。
一生涯、命を捧げられるような仕事を見つけろ
MOROHA アフロ
アフロ:親の一言は重いっすよね。俺も専門は卒業したけど、美容師になりたくなかったのでそれを親に伝えたんです。そしたら親父は「4年制の大学に行かせたと思うことにするから、あと2年はお前の好きなことをしていい。でもその間に一生涯、命を捧げられるような仕事を見つけろ」と言ってくれて。そんで色々やってみようと思って、俺はスーツを着てピンポン営業を始めたんです。一生懸命やっていたんだけど、やりたいことじゃないから気持ちが折れちゃうんですね。
峯田:営業みたいなことをやってたんですか?
アフロ:そうなんですよ。
峯田:でも向いてそう! やれそう。
アフロ:アハハハ、そう言われるの複雑だな!
峯田:(スタッフを見て)皆さんも分かると思うんですけど、このくしゃくしゃな笑顔ですよ。それは才能だと思うんだよな。歌い手であり、ラッパーでもあり、メッセンジャーというかさ。惹きつける何かがあるんじゃないですか? いろんなタイプがいると思うんですよね。カリスマのような何もしなくてもという人もいれば、人間力でバーっと根こそぎ持っていくタイプの人もいる。最初からアフロさんは後者な感じがしたな。
アフロ:それから営業を辞めて、蒙古タンメン中本と漫画喫茶とセブンイレブンでバイトをしました。俗に言うフリーターをしていたら、親父に言われた2年があっという間に迫っていて。いよいよ残り半年となった時に「俺が一番やりたいことはなんだ?」と本気で考えたら、やっぱりラップだったんです。それまで趣味と割り切っていたけど、これで食っていくつもりでやろうと決めて。そんで半年後に親父が東京に来て「約束の2年だぞ。お前はどうするんだ?」と言われた時には、どうにか曽我部恵一さんのレーベル(ROSE RECORDS)から1stアルバム(『MOROHA』)を出せることが決まったんです。それまでは「音楽なんてうまくいくわけない」という感じだったんだけど、CDが出るということで。
峯田:CDという分かりやすい形があれば、まだ説得できるというかね。
アフロ:そうなんですよ。お店に行けば、MOROHAだから森進一の横に並ぶということで「森進一の横にお前のCDが並ぶのか。じゃあ、もうちょっと頑張ってみろ」と。そんなこんなで、気づけば今年15年目を迎えました。
俺、2日前に人生で初めてお母さんと手を繋ぎました
銀杏BOYZ 峯田和伸
峯田:そうやって応援してくれてるのはいいね。でもさ、長いこと続けてると、たまにグサっとくる現実があるんだよね。こっちは東京でいろんな人が周りにいてさ、カメラマンの人もいれば、ライターの人もいれば、応援してくれる人もいれば、そんな中で音楽をやってる。別に生半可な気持ちじゃないけど、でも音楽業界にいるとさ、どこか思い上がりじゃないけど、あるじゃないですか。ふと、お母さんから「東京に行くからご飯でも行こう」と連絡が来て会うと、音楽をやってる自分がガラガラと崩れちゃってさ。山形にいた頃の息子と母親の関係は変わらないから、何歳になっても何を仕事にしたとしても。
アフロ:会うと思い上がりを引き剥がされる。
峯田:うん。コロナになって全然会えなかったんですけど、2日前にさ、久しぶりに山形から東京に来るから、「みんなで上野動物園に行くからあんたも来ない?」というわけ。俺の親父と母ちゃん、弟夫婦とその息子と娘の大所帯で来て。子供達が「うわー、かず兄ちゃん!」って来てくれて。俺が抱っこして「うわー、キリンすごいね」「ほら、こんなでかいんだよ! 首こんなんして」と言って。そんなことをしてる時にさ、思い上がっていられないなと思ったな。お母さんは足が悪くて、杖をついてるの。「ゆっくりしか歩けない」って。しかも上野動物園って広いじゃないですか。6時間も園内をぐるぐる回ってさ。俺、その時に人生で初めてお母さんと手を繋ぎました。「あ、手を繋いでるわ」と思ったら恥ずかしくなって。
アフロ:うわぁ……すごいことですね。
峯田:すごいよね。
アフロ:それは繋ごうと思ったわけではなくて、繋いでから気づいたんですか。
峯田:そうそう。先へ歩いていくみんなを見ながら、足の悪いお母さんと「いい感じだね」とか言いながら「大丈夫?」って手を取ったら、途中で気づいてうわーと思って。それがキツかったな。
アフロ:感覚が引き戻されるというか、思い上がりに冷や水をかけられるような体験は俺も少し前にあって。長野から親が来て喫茶店に行ったら、メニューを見てポツリと「コーヒー高いね」と言ったの。それが夢に見るくらい食らってしまって。地元ではコーヒーと言えば、マックか高くてミスタードーナツ。でも、東京で俺らが打ち合わせで使う喫茶店とかって田舎と値段が全然違うんですよね。贅沢な空間ということも込みの値段なのは、重々分かってるんです。でも、気づいたら1杯600円のコーヒーを疑問なく頼めるようになっていて。親が「コーヒー高いね」と言った瞬間に、母ちゃんの日々の慎ましい生活が生々しく想像できたのと、自分の変貌ぶりが恐ろしくて……。俺いまどんな気持ちでどんな金の使い方してるっけ、とすごく考えちゃった。
峯田:感覚が麻痺してるよね。姿勢としては昔の生活とくっついていたいけど、どっか離れて行っちゃってることは、自分も気づいてる。それはキツいな。
「あなたが雑誌に出た、テレビに出た、映画に出たってことが私をどんどん苦しめる」
銀杏BOYZ 峯田和伸
峯田:親が元気なうちに、なんとかしてあげたいと思わない?
アフロ:なんとかって何があります?
峯田:わかりやすく言えば子供じゃない? 結婚とかさ。
アフロ:考えますか?
峯田:たまに考えるよ。でも弟が子供を作ってくれたから、そこで安心しちゃった。
アフロ:わかる! 俺も姉ちゃんが子供を産んでくれたので、安心しちゃいましたね。
峯田:それまでは、長男の俺が頑張らなきゃと思っていたけど、どこかで諦めがついた部分もあって。……いやぁ、どうします?
アフロ:俺、彼女と一緒に住んでるんですよ。もう7年ぐらいか。
峯田:じゃあ、もう(プロポーズを)言っていいんじゃない?
アフロ:これはですね、男として生まれて2つの大きな謎があったはずなんですよ。1つは自分は何の職業に就くんだろう? もう1つは俺は誰と結婚するんだろう?って。最初の謎は言葉と音楽に向き合って生きていくと決まった。もう1つの謎は、これで解けてしまったら、それまで生きてきた謎の全てがですね……。
峯田:いや、難しく考え過ぎだと思う。いいんだって、それは! 俺のマネージャーなんて、8年も一緒に暮らした相手に振られてるからね。
アフロ:それは怖いなあ!
峯田:そうだよ! 向こうは何も言わないかもしれないけど、「7年もあんたと一緒にいるんだから、言わなくても分かってるでしょ」「このままでいいと思ってるなよ」という話だよ。うちのマネージャーは8年もずっと一緒にいて、いきなり「別れて」と言われて振られたんだよ。そんなこともあり得るんだよ。だったら今のうちにハンコを押した方がいい、これは本当に。
アフロ:振られたマネージャーさんに、峯田さんは何か言いました?
峯田:「バーカ! ダセェな!」つって。
アフロ:アハハハ、愛があるなぁ。
峯田:その時は銀杏BOYZの仕事から離れてたの。一度マネージャーを辞めて、上野のスポーツ用品店で働いてて。久しぶり会ったらそのことで泣かれて、俺が「また一緒にやるか?」と誘って今に至る。だけどね、新しい人を捕まえて結婚して子供も生まれて。すごいよ、あいつは。
アフロ:その間、峯田さんは何かなかったですか?
峯田:何もない。3年ぐらい付き合った人がいたけど、10年前に別れてからは全然ですね。
アフロ:自分の中でその要因は何だと思います?
峯田:申し訳ないと思っちゃうよね。こういう話になると本当に難しいんですけど、例えば向こうが25歳だったら、うまくいかない時期や会えない期間があってもアレだけど。向こうが30代後半になってくると、20代とは違う責任が向こうにも俺にもあって。このまま俺とズルズル行って、この人の人生はどうなんだろう?かと。向こうからしたら、余計なお世話かもしれないけどさ。そういうのを考えて「ごめんなさい」となっちゃうんだよね。
アフロ:それは「この人の人生まで背負っていこう」という、こっち側の覚悟1つの話じゃないですか。どのタイミングで覚悟ができるんですかね?
峯田:全然わかんない。彼女はどんな人なの?
アフロ:お互いに刺激し合えて、恋人でもあり親友に近い感覚もありますね。
峯田:それはいいね。前に付き合ってる方に言われてキツかったのは「あなたが雑誌に出た、テレビに出た、映画に出たってことが私をどんどん苦しめる」「あなたは頑張っていて、その姿がすごいから私はキツい」と。もちろんね、応援はしてくれてるんだと思うんだ。どこかで嬉しいと思ってくれているんだろうけど、同時に苦しい想いもしてるんだなと思って。だから付き合うのって難しいなと思う。(俺は)1度も同棲したことがないしね。どうなんだろうね、生活を共にするというのは。でも、今言われたアフロさんの関係性は羨ましいですね。
藁人形じゃないけど、そういう「銀杏BOYZの峯田像」を作った
銀杏BOYZ 峯田和伸
アフロ:ここで俺が初めて付き合った彼女との思い出に、峯田さんが登場する話をしてもいいですか? 「佳代」の歌詞に出てくる純情商店街は、峯田さんが考えた架空の商店街だと思ったんですよ。
峯田:ああ、なるほどね。
アフロ:さすが峯田和伸だと。きっと星屑キャンディとか、夕焼けレモネードとか、そういうファンタジーが峯田さんの想像の商店街には売っているんだな、と思い込んでました。時を経て20歳で東京で部屋を探していて、その時にたまたま来た高円寺で本物の純情商店街を目にしたんです。「佳代」の場所が実在したことに大感動して、俺はここに住もうと決めました。
峯田:何年くらい高円寺に住んだんですか?
アフロ:8年くらいです。で、当時付き合っていた彼女が、初めて俺の家に来た日に鍋を食べたんですね。しばらくして作戦を実行しようと思い「ちょっとアイスを買いに行こう」と俺が誘って、夜中の2時に彼女を自転車に乗せて。本当はもっと近くにコンビニがあるのに、わざわざ2人乗りして純情商店街の中にあるサンクスへ行きました。
峯田:くくく、そうですか。俺もそういう体験があったので、歌詞にしたんでしょうね。
アフロ:言われても困ると思うんですけど、こっちは峯田さんのことをめっちゃ知ってるんですよ。曲を聴いてるから知った気になってる。その距離感で話しかけられるのが怖いと思う時はないですか?
峯田:あぁ、お客さんとか「なんで俺のことをそんなに知ってんの?」みたいなね。でも、そういうもんなんだな、と思ってる。俺ね、ミュージシャンの友達があんまりいなくて。誰と遊んでるかな?と考えたら、お客さんと遊んでるんだよ。当時高校生だったお客さんが今は結婚する年になって、未だにメールが来るんですよ! たまにそいつらと遊んでますね。そいつらは、俺よりも俺のことに詳しいです。
アフロ:最近で言ったら、(鈴木)もぐらさんとのエピソードを聞きました。もとはお客さんからですもんね。
峯田:そうですね。MOROHAは芸人さんのファンも多いんじゃないですか?
アフロ:そうっすね。なんか、俺は芸人さんに対してすごい憧れがあるんです。コンプレックスに近い気もするんですけど、ぐちゃぐちゃした憎しみとか怒りとかも俺は音楽でそのまま出してる。だけど、芸人さんは全部自分の中で笑いにしてから出すじゃないですか。それって人として徳が高いんじゃないかな、と思うんですよ。そう思うと俺がこんなドロドロした感情のゲロとか小便の類をステージでビャーと出すのはどうなの?と思う時がある。
峯田:アフロさんの書く言葉には、ドキュメントのような感じもありつつ、ポジティブな雰囲気もあるから、演芸をちゃんと通った上でのドキュメントを見せている気がしますよ。「ブログで書けばいいじゃん」という人も多いじゃないですか。ただの悪口とか罵詈雑言みたいなのは、人前でやるもんじゃないし、日記帳に書いて自分だけで満足しとけばいい。そういうのを俺はあんまり見たくない。逆に、ドキュメントの中にも「なんか面白いし笑えるな」みたいなのは、人が見て喜べるものだと思う。そういう差だと思いますけどね。
MOROHA アフロ
アフロ:峯田さんも曲を作る時は意識されますか?
峯田:しますね。誰にも見せないで、机の引き出しにしまっておく日記帳みたいなのとは違いますよね。やっぱり人に見られる前提で書いてるし。
アフロ:歌の根本には人に見せたくない日記帳があるはすで、それを人に見せられるところまで昇華するってことですね。
峯田:だと思います。そこからしか生まれないような気がしますよね。自分の誰にも見せたくない部分と、人に見られていい部分の比率が6:4なのか7:3なのか、その割合は毎回悩んでますね。ここはもうちょっとエンタメにしてもいいとか、この曲はもっと行っていいとか、その辺は考えます。
アフロ:ゴイステから銀杏に変わった時、その割合って変わりました?
峯田:そういうのは分かんなくなっちゃったな。でも、GOING STEADYから銀杏BOYZになった瞬間にガラッと変えた感覚はあります。
アフロ:人に見せちゃいけないものの割合が、銀杏になってから多くなったような気がしたんですよ。
峯田:GOING STEADYの時は親ともうまくいってないし、友達もどんどんいなくなって、女も知らないみたいな状態で。その鬱憤を晴らすかのようなライブだったり曲だったりをやっていたけど、銀杏になる頃って恋愛経験もしたし、ちょっと印税も入ってきたような段階で、初期のGOING STEADYみたいな曲を書くと嘘になっちゃう。それは気分が違うんで。じゃあどうしたらいいんだろう?と考えた結果、嘘をつくしかないと。いや、嘘というとアレだけど、もう1人の自分を作ろうと。つまり、自分の芸風みたいなものを作ったんですね。峯田はこういう髪型で、こういう歩き方で、こういう歌い方をする藁人形じゃないけど、そういう「銀杏BOYZの峯田像」を作った。これがあれば、俺は普段どんなことしていても、もう矛盾がない。そうやって出来たのが銀杏だったんだろうな。
アフロさんも経験があると思うんですけど、こちらがウワーって放出すると、いい反応もあれば、槍も飛んでくるじゃないですか。それが刺さり過ぎて、どうしたらいいんだ! みたいな。逃げ場がないと思った時、身代わりになってくれる人型を作らないと、自分が持たないと思ったんですよ。それを逃げと取るかは、また別問題ですけどね。ブルーハーツを聴いてても「もしかしたら、このタイミングで(甲本)ヒロトさんはお客さんと自分の距離を変えたんじゃないかな」と感じた時があって。やっぱりグサグサ刺された人には、みんなあると思うんですよね。それまでは、俺がみんなの想いを全部背負う覚悟だったけど、あるタイミングで「これでは持たないし、音楽で生きるための方法はなんだろう」と考えた瞬間があったんですね。それまでも適当にやっていたわけじゃないけど、言いたいこと言ってやりたいことをやって、ライブハウスの人に嫌われながらも適当にやればいいと思ってやっていたのが「これじゃいかん」と。ちゃんと自分の未来を見据えて、あそこに行くにはこっちの道よりこういった方がいいな、と考えたのが2005年ぐらいかな。
アフロ:目指した先には何があったんですか?
峯田:いい歌を書くことだけですね。残念ながらいい車に乗りたいとか、そういう欲が全くないんで。ただ親にはね、これだけお世話になってるし、今も応援してくれてるから。それこそ2日前に、上野動物園でお母さんがすげえ笑ったのが4回くらいあって。それと同じく、俺が「こんなアルバムできた」とか「こういうライブができた」と話した時に、「よかったね」と言ってくれたお母さんのあの顔をもうちょっと見たいなと思うんですよね。
アフロ:藁人形と言いましたけど、それは「俺の中の銀杏BOYZを作った」ということなのかなと思いました。矢沢(永吉)さんの言葉に置き換えると「俺はいいけど峯田は何ていうかな」みたいな感覚に近いですか?
峯田:近いかもしれないですね。客観視というかね。
アフロ:それが肥大していたところ、お母さんと会った時に空気を抜かれて。
峯田:ガラガラと崩れていった。
アフロ:めちゃめちゃ繋がる話ですね。そうか、すごい腑に落ちたな。
峯田:アフロさんは、地のままで行けてますか?
アフロ:俺が書いてる言葉は、その時に思ってることではなくて「そう思える自分になりたい」という半歩先ぐらいの自分を書いていて。願いみたいなものなんですよね。ラッパーはリアルが大事と言うじゃないですか? 現状を歌うことを“リアル”と言うのであれば、自分はリアルじゃないと思います。半歩先へ背伸びしてる。
峯田:それをステージで歌ってる自分の景色というか、そこに行きたいんですね。
アフロ:はい、こういう人間になりたいを歌ってます。今は昔と比べて生活が豊かになって、1杯600円のコーヒーもためらわずに飲めるようになった。そんな自分がバイトがどうこうって歌詞を歌うのは、確かに今とはマッチングしない。でも貧しさと貧乏くささは、こびりついてるもので。仮にたくさん金を持ったとしても、拭えるものじゃないというか。大盛り無料の店に行ったら、やっぱり俺は「大盛りお願いします」と言っちゃう。そんなズルく得しようとするところは、この先も自分にしがみついちゃってるんですよね。昔よりも金を持ったけど、なるべく「バイト」という言葉を使わずに、拭っても拭いきれない貧乏くさい今の感じをどうにか歌えないものかと、いつも心がけて書いてますね。
峯田さんが俺から歌う選択肢を奪ってくれたからラップをしました
MOROHA アフロ
峯田:ちなみにラップじゃなくて、歌いたい気持ちはないですか?
アフロ:ないっすね。あいつ(UK)が歌うじゃないですか、ギターで。
峯田:面白いとは思うんですよね。別に新しいことやってくださいってわけじゃないですけど。ただ、俺がアフロさんに対して意識してるところがあるとすれば、ラッパーでよかったなって。もしアフロさんのあの声で歌をやられたら「うわ、どうしよう」みたいな。「俺はどうしたらいいかな」みたいなっちゃいそうだし、ラッパーのままやってくれたらいいなと思うけど、でも歌は聴いてみたい。
アフロ:逆に言うと、峯田さんがいたから俺は歌うのをやめたんですよ。
峯田:いやいや、そんなことないですよ。
アフロ:憧れは自分の選択肢を絞ってくれる存在だと思っているんです。こんなにすごい人が同じ時代に生きてる中で、俺がその人と同じことする理由があんのか?みたいな。峯田さんはそんな存在なんです。峯田さんが俺から歌う選択肢を奪ってくれたからラップをしました、その結果こうなりました、という報告をいつかしたい! と思ってました。それこそ俺が10年近く前にCDを峯田さん宛に送ったら、銀杏のCDと一緒に手紙を返してくれたじゃないですか?
峯田:覚えてない(笑)。
アフロ:覚えてないんかい!
峯田:ハハハ!
アフロ:でも嬉しかったなぁ。そこに「意地を感じました」と書いてあったんですよ。それを読んで、ちゃんと伝わったんだと思った。「俺は歌うことできないけど、俺のできることで俺なりの表現をしましたよ」と報告できたなって。
峯田:自分はただ年食っちゃってるだけでね。何も大それたことを成し遂げてない感覚が、ずっとあるんです。たまにね、もぐらくんとかアフロさんみたいに言ってもらえるんですけど、申し訳ないなというか。空気階段が『キングオブコント』で優勝したり、手紙をくれたアフロさんが武道館でワンマンをやったりとか、そういう情報が入ってくると嬉しいし、俺が自分に対して「峯田、お前もっと頑張れよ」と思える。だから、MOROHAにはどんどん行ってほしいですね。で、アフロさんの歌も聴きたい。ラッパーからしか生まれない歌も絶対あると思う。「歌を捨てて俺はラップやる」と覚悟決めた男が歌う歌もあるはずだから。
アフロ:逆に、ラップをやろうと思ったことありますか?
峯田:キミドリとかビースティ・ボーイズとか好きだったけど、自分がラップをやろうと思ったことはない。もちろんHIPHOPも好きだし、知り合いもいますけど、あんまり意識したことないかな。
アフロ:知り合いはどなたですか?
峯田:Eccyくん、クボタタケシさんですかね。クボタさんのDJはたまに観に行ったり、最近の人も聴いたりはするけど、あんまり詳しくはないですね。大学の時は周りにラッパーとかHIPHOPが好きな友達がいて。その人たちの影響でそっちの音楽を聴いたりクラブイベントに行ったりして。振り返ると、千葉ってロックが好きな人はそこまでいなかったけど、HIPHOPが好きな人は多かったな。
アフロ:千葉のラッパーはどんな方がいましたっけ?
峯田:四街道ネイチャーは知ってます?
アフロ:マイクアキラさんだ。当時のHIPHOPはダイレクトで通ってるんですね。
峯田:そうそう、周りが教えてくれて。
アフロ:クラブではどう過ごしてたんですか?
峯田:たまにしか行かないけど、お酒も飲まずに純粋に音楽がカッコいいと思って聴いてた。そういえばフレッドペリーを着てたな。
アフロ:フレッドペリーといえば、イースタン(eastern youth)の吉野(寿)さんが浮かびますね。
峯田:そういう影響もあるし、モッズも好きだったのもあって。で、大学の時から自分は全然HIPHOPじゃなかったけど、ラッパーの先輩が結構よくしてくれて。「峯田って面白いよな」と言われてたの。「あ、俺って面白いんだ」と思って、それが指標になった。そうかと思えば、革ジャンを着てなかったけどパンクの先輩にも「いいね、お前」と言われて自信になってたな。
アフロ:俺はその年頃はひねくれてて、先輩に「MOROHAいいね」とか言われても「耳障りのいいことばっかいいやがって」という感じで信用せずにいたんです。だけど、思い返せば褒めていたわけじゃなくて、シンプルに「頑張れ」とエールを送ってくれてたんだなと思うんですよ。
峯田:だと思いますよ。
アフロ:「頑張れよ」というよりも「お前いいよ。才能あるよ」と言った方がこいつは頑張る奴だと知ってて、きっと一生懸命褒めてくれたんだけど、その俺が「お前に何が分かるんだよ」という態度をしていた。そう思うと、俺は何も分かっていなかったなって。みんな優しくしてくれたなと、今になってめちゃめちゃ思うんです。俺も「頑張れ」という言葉じゃなくて「ここがいいぞ」とか「ここは人と違う」と言ってあげられるようになりたいなと思ってますね。
峯田:世の中がグラついて見えるのは、本当に世界がグラついてるのか、それとも俺の足がグラついてるからそう見えるのか……そういう話だよね? 自分がちゃんと立ってないと、どっちがグラついてるのか分かんないもんね。そこで自分が世界の悪口を言ってもしょうがない。結局、敵は世界なんで俺にとって。世界がコロナに負けそうになった時「いや、待てコロナ。お前がやる前に、まず俺がやらないと」というところでしょ? この世界がどんどん弱っていくところは見たくないよね。やっぱり敵には強くいてほしいじゃん。だから世界と対峙するには、まず自分がグラつかないように気をつけないとね。でも、今45歳になって筋肉は衰えていくし、記憶力もなくなっていくし、そういうところで折り合いをつけて。自分のなくなっていく部分と、じゃあ残ってる部分をどう生かすかを考えてるかな。
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』
——後半へ続く——
文=真貝聡 撮影=suuu