新妻聖子が赤裸々に語る、山あり谷ありの20年 『Seiko Niizuma 20th Anniversary Concert Tour ~HARMONY~』インタビュー
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新妻聖子
「すべて通るべき道だった」
実感を持ってそう語るのは、女優であり歌手の新妻聖子だ。
2003年のミュージカル『レ・ミゼラブル』エポニーヌ役で鮮烈なデビューを飾り、以来ミュージカルを中心に第一線をひたすら駆け抜けてきた。そんな彼女が、アーティスト活動20周年を記念したコンサートツアー『Seiko Niizuma 20th Anniversary Concert Tour ~HARMONY~』を2023年夏に大阪・東京で開催する。
コンサートの副題「HARMONY」は、決して美しいイメージだけで構成されたものではないと新妻は言う。デビュー当時から今に至るまで、何度も転びながら歩んできた20年の軌跡を赤裸々に語ってくれた。
■居場所がなかった20代、フィールドを変えた30代
ーー20周年おめでとうございます!
ありがとうございます!
ーー20年間ずっと第一線で活躍し続けていらっしゃるのは、本当にすごいことだと思います。
本当に幸運だったなと思います。 まず2003年の『レ・ミゼラブル』のオーディションに呼んでいただけたことが最大のラッキーですし、翌年には『ミス・サイゴン』が12年ぶりに日本で上演されるタイミングにたまたま居合わせることができた。ここが本当に幸運なワンツーだったと思うんです。以降は『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ、『ミス・サイゴン』のキムという役の力のおかげで、いろいろなミュージカルに呼んでいただけるようになりました。
ーーデビュー当時に大抜擢された分、ご苦労もあったのではないでしょうか?
やっぱり自分の中では常に葛藤がありました。全くの未経験でミュージカルの世界に入ってしまったので、本当に何もわからなかったんです。そこが苦しい部分だったかもしれません。デビューするまで舞台を観たことすらなかったので、批評されても良し悪しがわからず、自分の価値観が確立されていない頃は土台がフラフラの状態でした。それでも初心者なりに一生懸命やってはいたんですけどね。
新妻聖子
ーー元々はミュージカル女優ではなく、歌手を目指されていたんですよね。
とにかく歌が大好きで、それ以外の道がわからなかったんですよね。歌える場所は、歌手しかないと思っていたから……。『レ・ミゼラブル』でのデビューが決まったときに、初めてミュージカルという道もあると知ったくらいなので。あまりに無知で、未経験のまま飛び込んでしまったので、足りない部分を猛スピードで補わなくてはとデビュー当時は必死でしたね。大きい役をいただくこともありましたが、ジレンマみたいなものも抱えていました。
ーージレンマというのはどのようなものですか?
やはり自分の実力不足は自分が一番わかっていましたから。舞台上での佇まいというか、身体の使い方とかが全くの素人だったんですよね。芝居も、気持ちや情熱はあるんだけど、それを届けるテクニックを持ち合わせていなくて。それと同時に、自分の強みである歌というものが、日本のミュージカル界ではそこまで重要視されていないのかなと感じることもあって。私が素敵だなと思う歌い方はやはり洋楽にルーツがあるし、そういった歌唱スタイルについて話せたり、分かち合える人が当時は現場にあまりいなくて、少し孤独だなと感じていました。『ミス・サイゴン』のブロードウェイ版のCDを聴きこんだりして歌の表現を突き詰めようとすればするほど、「そんなの別に求めてないよ」という空気を感じてしまって(笑)、自分が目指したいものはなんだろうと悶々としていましたね。舞台経験の少なさは、先輩方の立ち居振る舞いを見て勉強したり、ストレートプレイに出る機会をいただいて勉強したりと一生懸命キャッチアップしようとしていましたが、そっちはそっちで、やってもやっても上手くならないしもう才能無いんじゃないかと、色んな意味で負のループにハマってました(笑)。今思えば、その全てが緩やかに実を結んで、本当はきちんと前進できていたんですが、当時はとにかく働きすぎだったから……心も身体もすり減るほどヘトヘトに頑張ってるのに、結局どこにも向かえていないんじゃないかと悶々としてしまっていたんです。そこで何か突破口を見つけようと、33歳で事務所を移籍しフィールドを変えるという賭けに出ました。
ーーミュージカルからテレビの世界へ?
はい。一度、ミュージカルという枠から出て勝負してみようと思ったんです。演劇界ではたくさんの幸運なチャンスもいただいたし、それなりに厳しい洗礼もたくさん受けたけど、テレビの前の一般の方々は今の私の表現をどんな風に受け止めてくださるんだろうと興味があって。そうしたらありがたいことにカラオケ番組でフィーチャーしていただき、新妻聖子という存在が広く認知されて活動の幅がぐんと広がりました。
デビューから十数年間は本当に戦って戦って、挫折と怒りのエネルギーで駆け抜けてきた気がします。実力だけでは役がつかないということも嫌と言うほど思い知りましたし、だからこそ色んな意味で“足りないもの”を必死に補おうとしていた日々でした。今振り返ってみると、20代〜30代前半の私って本当に頑張っていたなと思うんですよ。すっごく頑張ってたの! 頑張れば頑張るほど体調を崩してばかりいたし、いつも肩に力が入っていて、気持ちも張り詰めていましたね。でもそれだけ本気で打ち込めるものに出会えたことはすごくラッキーだったと思うし、ミュージカルというフィールドに運命的に導かれて、こうして自分の肩書きとなるキャリアを積ませてもらえたことに、今は心から感謝しています。その看板があったからこそ、新しいフィールドにも安心してチャレンジできたわけですし。
40歳を過ぎてからこんな風に「ミュージカル女優の新妻聖子」として世間の方に認知して頂けるようになるなんて、当時は夢にも思ってもいませんでした。あの時少しだけミュージカルから離れたからこそ、「あぁ、私にはミュージカルという場所に少しだけ居場所があったんだ」と、遡ってようやく確信できたんです。
■「人生は思い通りにいかないことの方が圧倒的に多い」
ーー我々観る側の人間と新妻さん自身の感覚は全く違うものなのかもしれませんね。でも同時に、新妻さんのミュージカル界への功績は大きいと思うんです。
いやいや、やはり先輩方が築いてこられた道のりの延長にいるんだなと色んな場面で思います。ただ、テレビとミュージカルの親和性はここ数年でグッと上がった気はしますね。私が最初にFNS歌謡祭(フジテレビ系列)に出演させてもらった時は、華やかなアーティストの中にミュージカル俳優は私ひとりだけで、完全に「お前誰やねん」というアウェイ感のなかで震えながら歌ってましたもん(笑)。2年くらいかけて何度か出演させてもらって、少しずつ歌わせてもらえるパートや曲も増えていって、そのくらいからミュージカル俳優の方々も出演するようになってきて……現場に同じ世界の仲間が居てくれる安心感たるや半端なかったですね(笑)。
新妻聖子
ーー今や番組にミュージカルコーナーまでありますもんね。こうしてみると、新妻さんとしてもミュージカル業界としても激動の20年だったのでは?
個人的には激動でした(笑)。でもどれだけがむしゃらに頑張っても、思い描いた場所までたどり着ける人はほんの一握りで、繰り返しになりますが私は運が良かったんだなぁと思います。そもそも人生は思い通りにいかないことの方が圧倒的に多いでしょう。私が一旦ミュージカルを減らしてテレビの仕事をしようと決めたとき、そのままチャンスを掴めず戻る場所もなくなってフェードアウト……という道もあったかもしれません。プライベートでもあのタイミングで夫に出会っていなければ、子宝にも恵まれていなかったかもしれません。仕事もプライベートも、どれも自分ひとりの力じゃどうにもできないことばかりなんです。だからこそ、私は本当に良いご縁に恵まれたなと思います。
もちろん、20年の道のりはいいことばかりじゃなかったですよ。今思い出しても腹が立つわ~ってこともあったし(笑)、悔しいこと、嫌なこともいっぱいあった。そしてそれと同じくらい、自分が未熟だったがために間違えたこともたくさんある。結局、自分の身に起こることは、すべて自分の責任なんです。そういった経験を通して学んで、今は少しだけ前よりは良い人間に成長できたような気がします。産後に大きく体調を崩した時は、生まれて初めて、歌いたくても歌えない人の気持ちがわかりました。大変なこともたくさんあったけれど、すべて通るべき道だったと今は思えます。
私のオリジナル曲「アンダンテ」に、『思うようには生きていけない 何度も何度も転ぶけれど』という歌詞があります。誰でも転ぶんです。一度も転ばずにゴールまでたどり着ける人なんていません。だから、転んだ時や走り続けられない時に何を学んで、どんな風にまた歩き出せるのかが大事ですよね。そこで諦めて止まる事もできるわけですから。ちょっとだけ自分を褒めてあげたいなと思うのは、20年続けたということですね! 私は本当に気が短くてすぐに飽きちゃうし、いろんなことが3日坊主な人間なんです。例えば筋トレを始めようと思ってジムに入ったのに全然行かないとか、至って一般的なちょっと怠け癖のあるアラフォー女性なんですよ(笑)。なのに20年も歌い続けられた! “清濁併せ呑む”じゃないですが、色んなものを糧に、とにかく邁進してきた山あり谷ありの20年でした。
■「祝祭感溢れる楽しいコンサートに!」
ーー20周年コンサートのことを聞かせてください。今回のセットリストはどんなイメージをされていますか?
押さえるべきところは押さえつつ、メリハリも考慮しつつ、今の私がお届けしたい、今だからこそ届けられる曲を選ぶつもりです。私のコンサートに来てくださるのは大人のお客様が多いのですが、中学生くらいの若いファンの方もいらして、年齢層は様々。例えばあまり有名な曲ではなかったとしても、どの世代の方にも「こんなにいい曲があったんだ」というイントロダクションになればいいなと思っています。
ーー長年歌い続けていらっしゃる「ラ・マンチャの男」は、もはやライフワークみたいなものですか?
あはは。ラマンチャはもはや出囃子ですね! プロレスの入場曲のようなものだと思ってもらえれば(笑)。前奏が流れると、もれなく新妻が出てきます(笑)。今回のコンサートではこの「ラ・マンチャの男」のような、あえてのベタな選曲もいっぱいあります。お客様って期待したものが聴けると喜んでくださるじゃないですか。私自身も、プライベートでコンサートに行くとき、知らない曲でももちろん楽しめますが、知っている曲が流れると2倍楽しいですもん。だから「待ってました」の曲は必ず入れるようにしています。
ーー新妻さんも一観客としてコンサートへ行くことがあるんですね。
行きます行きます! この前、イープラスでCoccoさんのライブの
ーーイープラスを使っていただきありがとうございます! 新妻さんはコンサートのMCで結構お話しされるタイプですよね。MCを楽しみにされているお客様も多いのでは?
そうだと嬉しいのですが、私は放っておくとずっと喋っちゃうので、ツアー公演ではいつも「帰りの新幹線が……」とスタッフさんに心配されます(笑)。今回は格式の高いフルオーケストラですし、NHK大阪ホールもサントリーホールも歴史あるホールなので、少しはお行儀よく頑張ってみようと思いますが、多分すぐに普段の私が出てくると思います(笑)。
新妻聖子
ーーここで改めて20年前のご自身を振り返ってみて、今でも変わらないなと思うことってありますか?
変わらないのは“舞台が好き”という気持ちかな。初舞台を踏んだときからずっと舞台が好きでした。むしろまっさらな状態での初舞台だったからこそ、気負いがない状態で楽しめたのかもしれませんね。私、舞台に立つことに対して「怖い」とかネガティブな感情を抱いたことがあまりないんです。もちろん緊張したり、体調が万全でない時は不安があったり、そういう揺れはあるんですが、ひとたび舞台に出てしまえば別世界で。初めて帝国劇場のあの広い舞台の上で照明を浴び、生オケの演奏に包まれ、大勢のお客様を前にしたときに文字通り胸が高鳴って「これ好き! まるっと好き!」って思ったんです。その気持ちはずっと変わっていないですね。
ーーでは逆に、この20年間で変わったものは?
んー代謝が落ちた……。 というのは冗談ですが(笑)。見た目より、やはりメンタルの変化が大きいですね。昔は舞台に上がる喜びもそれに伴う辛さも、全てが内側を向いていた気がするんです。でも今は、「お客様に楽しんでもらえたらいいな」とか「このプロジェクトに貢献できていたらいいな」と、周りを軸に考えるようになりました。人も自分も色々とお互い様なんだと思えば、不慮の体調不良にもそこまで怯えなくなったし、そうすると不思議と風邪もひきにくくなって、緊張もあまりしなくなった。年齢を重ねるのも悪くないなと思いますね。
ーー新妻さんはとにかくお客様に楽しんでもらいたいという想いが溢れた、生粋のエンターテイナーだと感じます。
そうですか? 嬉しいなぁ。でも実は私、すごく不安症なんですよ。「本当に楽しんでもらえているのかな?」って不安になっちゃう。だからこそものすごく考えて、入念に準備を進めるというのはありますね。私にとってはこのコンサートをやらせてもらえること自体がプレゼントのようなものなので、当日来てくれた人たちには「楽しい時間をお返ししたい」という気持ちなんです。そもそも、それが20周年コンサートをやりたいと思ったきっかけでもあります。応援してくださっているファンの方々のために何かやりたいと思ったんです。
今回のコンサートの副題は「HARMONY」としました。これは決して美しいお花畑のようなイメージではなく、良いことも悪いことも入り混じってできているハーモニーなんです。月並みですけれど、良いことばかりだと人間としても薄っぺらくなっちゃいますし、これまでの20年、抗うことも飲み込むこともいろんな場面があった中で生まれたハーモニー。コンサートは最終的には演奏する方々と私とお客様のハーモニーだとも思っていますので、あまりアニバーサリーを意識し過ぎず、いつも通りその場限りのハーモニーを大事にできたら。お祭りや披露宴のような、祝祭感溢れる楽しいコンサートにしたいです!
新妻聖子
取材・文・撮影=松村 蘭(らんねえ)
公演情報
【日程・会場】
<大阪公演>
日時:2023年6月25日(日)開場15:15 / 開演16:00
会場:NHK大阪ホール
演奏:日本センチュリー交響楽団
<東京公演>
日時:2023年7月20日(木)開場17:30 / 開演18:30
会場:サントリーホール
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
【セットリスト】歌唱楽曲を一部公開
「On My Own」(ミュージカル『レ・ミゼラブル』より)
「ラ・マンチャの男」
「My Heart Will Go On(映画『タイタニック』より)
「愛をとめないで~Always Loving You~」ほか
※曲目は予定、都合により変更の場合あり。決定次第、順次公開します。
S席:11,000円、A席:9,000円、U-22座席引換券(22歳以下当日引換券):4,000円
※未就学児童入場不可(ご入場されるお客様1名あたり1枚
※お客様都合による払い戻し不可
※車椅子をご利用のお客様は、大阪:キョードーインフォメーション、東京:サンライズプロモーション東京までお電話にてお問い合わせください
大阪公演:キョードーインフォメーション0570-200-888(11:00~18:00、日祝除く)
東京公演:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(平日12:00~15:00)