ファンタジーと言うには生々しい、ある夏の一幕。ピンク・リバティ『点滅する女』稽古場レポート
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山西竜矢が脚本・演出をつとめる演劇ユニット「ピンク・リバティ」の新作公演『点滅する女』が6月14日(水)に東京芸術劇場 シアターイーストにて開幕する。
本作はピンク・リバティにとって1年半ぶりの新作公演で、5年前に長女を亡くした家族に訪れたある夏の一幕を、ブラック・ユーモアを交えて軽妙に描く。森田想と岡本夏美がW主演を務め、水石亜飛夢、日比美思、斎藤友香莉、稲川悟史、若林元太、富川一人、大石将弘、金子清文、千葉雅子が出演する。
今回、シーンごとに稽古する「抜き稽古」と、最初から最後まで止めずに稽古する「通し稽古」を取材した。
取材1日目、抜き稽古
抜き稽古の稽古の日は、アイスブレイク(コミュニケーションを取りやすい雰囲気をつくるための取り組み)のゲームからスタートした。稽古期間も中盤だったので、すでに打ち解けて和やかに進行している。別の取材の際に脚本・演出の山西が脚本は当て書きだと話していたが、だからなのか、見ていると、森田の居ずまいや、岡本が場の空気をつくるところ、場を和ませる若林の存在、日比が突然ぶっこむところ、ペラペラと喋る稲川など、ゲーム中の俳優の言動や立ち位置が、どこか役の印象と重なっていておもしろい。ゲームの中で一番笑っているのは山西。稽古でも山西は、俳優たちの芝居に誰よりも反応し、よく笑っていた。
稽古は、前半のなにげない田村家のシーンから始まった。食卓を次女・鈴子(森田)、母(千葉)、父(金子)、洋介(水石)が囲み日常会話が交わされるのだが、見ていると、この家族が抱えるなにかがぼやっと浮かび上がってくる。一度通したあと、山西は自分で動いてみせたりもしながら演出をつけていく。水石は「食事は口に運んだほうがいいのか、スプーンで触っているだけのほうがいいのか」を相談していた。なにかが起きるシーンではないからこそ一つひとつの行動が、さっき感じた「浮かび上がってくる」に直結しているのだと感じた。これが初舞台となる森田は、例えば視線のやり方など細かいところも丁寧に確認している姿が印象的だった。
もう一度そのシーンを通すと、この家族が抱えている問題やそれに対してお互いがどう思っているかの輪郭がよりはっきりと見えた。山西はさらに、台詞の語尾に「ね」をつけることを提案したり、「伏し目」でもどのくらい下を向くのかなどを修正していく。
場面は変わって、鈴子の父が社長を務める「田村工務店」の裏で、そこで働く太(若林)、夢(斎藤)と鈴子がおしゃべりをしているシーンに。3人は幼馴染という設定なのだが、そのやりとりを見ているとなんとなく、3人で重ねてきた時間が想像できてしまうのがおもしろい。若林が演じる太の親しみやすい姿は稽古中もよく笑いを誘っていたが、夢のキャラクターにもほっとさせられる。
また、定夫を演じる大石のシーンの稽古も印象的であった。大石はモノローグを担うが、それをどういう見せ方にするか考えているタイミングだったようで、山西と共にあれこれ試していた。そこでの大石の演技を見ていると、モノローグを語るときと、定夫として存在するときで、“現実感”のようなものが大石の身体からスッと抜けたり入ったりしているのがわかる。そういうところに生で芝居を観る楽しさのようなものも感じる。
稽古中、山西はいろんな場所に移動して芝居を見、俳優の立ち位置を調整したり、役者の声のボリュームを整えたりしていた。これは観客の立場では、安心する姿でもある。
この日の稽古場取材はいったん終了し、その約一週間後に再び通し稽古の取材に訪れた。
取材2日目、通し稽古
この日は、劇場に近いサイズの稽古場で行う初めての通し稽古だという。
まずはあらすじを紹介する。
「千鶴さんの霊に、取り憑かれてまして」
女の奇妙な言葉をきっかけに、ぎりぎりで保たれていた彼らの関係は、大きく揺り動かされ――。(公式サイトより抜粋)
物語の舞台になるのは、長女・千鶴(岡本)が事故死して5年後の田村家。ぱっと見は普通の家族だが、姉の不在がもたらしたひずみからそれぞれが目を逸らしている状態だ。その誰も触れないが確かに存在するなにかを、田村家の4人(森田、水石、金子、千葉)が、じんわりと浮かび上がらせる。
ある日、田村工務店の社長で鈴子の父・清春(金子)の快気祝いが田村家で開かれる。家族と田村工務店の従業員たちとが和やかな時間を過ごしたところに突然、「千鶴に取り憑かれた」という女性がやってきて、大騒ぎになる。この大胆な展開の中で大切に描かれていたのが、登場人物たちの繊細な感情だった。鈴子と千鶴だけでなく、父、母、兄、そして太や夢、桜(日比)、茂己(富川)、それぞれの気持ちや心の揺れが、蛍が点滅するかのように舞台上にあらわれては消えていく。どれも生々しい感情ばかりであるが、それが時にコミカルに映り思わず笑ってしまうこともあった。特に父・清春を演じる金子や母・繭子を演じる千葉の芝居は、ドン引きするような言動にも「人間のかわいさ」のようなものを感じ、笑えないシーンで何度も笑わされた。
そんな中で鈴子はいつもなにかもの言いたげな表情で、静かに受け流していた。その黙っている鈴子を森田は丁寧に演じていて、だからこそある瞬間が訪れると、彼女が黙々と表現し続けたすべてがパッと合わさる感覚を味わう。一方千鶴は強烈なインパクトでものごとをなぎ倒していくような役どころだが、定夫によって多くの言葉でその思いが語られている存在でもある。岡本は、その両方を不思議なバランスで表情や声や仕草にあらわしており、そんな彼女を見ていると、一人の人間の「その場(ここでは家族)での役割」、延いては「自己」というものを意識させられる。そしてそこから、この物語が描くものを改めて考えることができた。
やさしいけど切ないし悲しいけど笑えるし、人間のさまざまな感情を見ることができる作品。舞台上と客席の季節が同じなのもちょっと不思議な感覚が楽しめると思う。このファンタジーと言うには生々しい出来事を、ぜひ劇場で味わってほしい。
取材・文=中川實穗 写真=中島花子
公演情報
会場:東京芸術劇場 シアターイースト
音楽:渡辺雄司(大田原愚豚舎)
水石亜飛夢 日比美思 斎藤友香莉 稲川悟史(青年団) 若林元太 富川一人(はえぎわ)
大石将弘(ままごと/ナイロン100℃) 金子清文 千葉雅子(猫のホテル)
Twitter:@kodomopink