坂本龍一氏と高谷史郎のコラボレーションによる舞台作品『TIME』がまもなく開幕 高谷史郎、田中 泯、宮田まゆみ、石原 淋による取材会レポート
(右から)宮田まゆみ、高谷史郎、田中 泯、石原 淋
舞台作品『TIME』が2024年3月28日(木)から新国立劇場 中劇場にて日本初上演する。
1999年に日本武道館、大阪城ホールで上演され、約4万枚が即完売した公演『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』に続き、坂本龍一氏が全曲を書き下ろし、高谷史郎(ダムタイプ)とコンセプトを考案、創作した本作。
2017年から約4年の製作期間を経て、21年に坂本氏がこの年のアソシエイト・アーティストを務めた世界最大級の舞台芸術の祭典「ホランド・フェスティバル」(オランダ・アムステルダム)で世界初演され、高い評価を得た。
観客は暗闇の中、雨音だけが響く客席空間に足を踏み入れ、本作の鑑賞体験は始まる。水鏡のように舞台上に揺らぐ水面と、精緻な映像を写し出すスクリーン。「こんな夢を見た」の語りで始まる夏目漱石の「夢十夜」、「邯鄲」、「胡蝶の夢」——。一連の物語と溶け合うテキストともに紡がれる本作を包括するテーマは「時間」。田中 泯、宮田まゆみ(笙)、石原 淋のパフォーマンスと、サウンド/インスタレーション/ビジュアルアート。そのすべてが、光と水が交錯し幻出する、幾つもの「夢」とともに、劇場空間で融合する。
開幕を前に、ビジュアルデザイン+コンセプトの高谷史郎、出演する田中 泯、宮田まゆみ(笙)、石原 淋の4名の取材会が開催された。その様子を写真とともにお伝えする。
高谷史郎
ーー高谷さんにうかがいます。1999年に坂本龍一さんと創作された『LIFE』。その創作の経緯を教えてください。
高谷史郎(以下、高谷):坂本さんと最初にお会いしたのは、1990年の坂本さんの大阪でのコンサートで、僕が楽屋に遊びに行ったときでした。そのとき、坂本さんはアートのことにすごく興味があられて、関西にダムタイプという変わったアーティストグループがあることをご存じで。なので、楽屋でお会いしたときも、僕個人のことは知らないですけど、ダムタイプのことは知っていて、アートや美術の話などを話したような気がします。
それから最初にお仕事をしたのが『LIFE』で。1997年に(オーストリアの)リンツのアルス・エレクトロニカに坂本さんが岩井俊雄さんと出られて、我々ダムタイプも一緒のフェスティバルに出てたんです。その坂本さんのコンサートの後、楽屋に行ったときに「99年にオペラをやろうと思ってるんだけど、その映像をやってもらえないか」というオファーをされました。その後、『LIFE』のインスタレーションを山口情報芸術センター(YCAM)でやったり、スタジオに遊びに行ったり、京都のスタジオに遊びに来てもらったり。そういう交流が続いていました。
ーー今回の『TIME』は2017年から制作がスタートしたそうですね。2021年にアムステルダムで世界初演され、高い評価を得た作品ですが、その創作過程についても教えてください。
高谷:2017年にニューヨークのある巨大なフリースペースのようなところで、坂本さんとオペラを作らないかと——オペラと言われたかどうか定かではないですけども——坂本さんと一緒に作品を作らないかというオファーがあり、坂本さんと相談しながら話が始まったのが最初のきっかけ。そのときから、最後まで坂本さんが言っておられたのは、始まりもなく終わりもなく、時間に縛られない作品を作りたい、と。
オペラと言うとね、いわゆるオペラを想像するかと思うんですけども、そういうものではなくて、作品なんです。オペラというのは、もともと作品という意味。作品だから別にオペラと言うけども、作品を作るんだからもちろんオペラですよというね。坂本さんが作るから音楽がもとになっていて、そういう舞台作品を作りたいという話で。いろいろ紆余曲折がありましたけども、その話をしている中から、時間という問題であるとか、フィシスとロゴス、人間と自然との関係ですよね、そういうテーマが出てきたりしながら、どんどん話が詰まっていって。
アムステルダムのフェスティバルのゲストアーティストに坂本さんが選ばれて、その時に坂本さんがこの『TIME』という作品を上演したいということで、初演にこぎつけた感じですね。そのときの場所はアムステルダムの郊外にある、古いガスタンク。1900年代に建った、レンガでできた、本当に巨大なガスタンクで、フリースペースみたいなスペースでした。なので、オペラ劇場でやるオペラではなくて、フリースペースで何もないところから、モノがはじまる/コトが始まるような舞台になったように思っています。
田中 泯
ーー田中さんにもうかがいます。坂本さんからどのようにオファーをもらったのですか? そして、この舞台に参加した理由もあわせて教えてください。
田中 泯(以下、田中):高谷さんと坂本さんが意見を交わしながら、おおよその準備というか、舞台の設定がもうほとんど出来上がっているところで、「舞台に立ってくれないか」というお話があったんですね。それは通常の自分が舞台作品を作るときの段取りとは全く違っていて、もう踊る環境がおおよそ出来上がってるところに、ぽんと入ってほしいという話だったんです。
正直なところ、戸惑いはあったんですけど、坂本さんからいつかこういう話が来るんだろうなと。確かお食事の会をしよう、ちょっとお話があると呼ばれていったら、この話だったんですよ。すぐやりますと答えました。そのときはそれほど突っ込んだ話はなかったんですけど、その後に「この作品に出てくる人は人類だと思ってください」と。言ってみれば、“人間の歴史を意識した人”であるということだと思います。そのうちのひとりになったつもりで、舞台にいてほしいというようなことを言われました。
ーー全員で一緒に稽古することはほとんどなかったそうですが、どのように作られていったのですか?
田中:もう舞台の設定ができていて、そこに水が張ってある場所があり、水の下には砂があって、砂を固めたレンガを向こう岸に向かって置いていく。向こう岸というのは、ひょっとしたら見えない向こうなのかもしれないんだけども。劇場というのは寸法がありますから、それをどうやっていくのか。おそらくこれからの公演でも、まだ現場に行っていませんので分かりませんけど……そういうこととかレンガを作る手の動きとかいろいろあります。最初から話すと全部いっぱい出てきちゃうんですけども(笑)。
実際その場に行って想像してやったところで、線がないというか。僕はダンサーではありますけども、「こう動いてくれ」という指示は一切ないんですよね。水を前にして、そこでしゃがもうが、手を入れようが、言ってみれば僕の自由なわけです。ただ、坂本さんが言った「初めて水を見た人」というのは、人間って多分森から出てきて、初めて手が自由になって、そして遠くに歩いていく。すると、そのグループの中でもみんなが水を見たことがない状況が生まれたわけですよね。最初は。
その人がどんな感覚で水にアプローチしていくのか。そのあたりの問題は僕が考えなきゃならないことだったんだと思います。とはいえ、始まりも終わりもないということは、実際は何の規制もないわけですね。それは作品としては不可能なわけで、時間の寸法というのは決まっているわけですよね。その中で、出ていって、水に触れ、いろんなことをやるわけですけども……演出という意味ではあれは坂本さんの指示ですよね?
高谷:そうですね。
田中:その中で、人として何をするかというのは、僕が選び、そして僕の感覚、僕が思う遥か遥か昔の人から現代までの人のどの瞬間を選ぶのかはわかりませんけど、こうだったんじゃないか、ああだったんじゃないかみたいなことを、自分の中では右往左往しながら、いろいろ探って。で、決めないでいるんですね。そこに行った瞬間に自分が感じたことをこれって決める。あるいは気がついたらやっていることもありました。そんな感じで参加をする。ですから、準備は、積み重ねていく準備ではなくて、本当に横にバーっと移動しながら、いつの間にか少し塵が積もったぐらいの高さにまで積み上がっていくような、そんな感じでした。
宮田まゆみ(笙)
ーー宮田さんはどのようにオファーが来て、舞台に参加されたのですか?
宮田まゆみ(以下、宮田):坂本さんと高谷さんと初めてちゃんとお話したのは、2014年に山口県のYCAMで催しがあって、そのときに「何か一緒にしませんか」とお誘いいただいて。高谷さんのインスタレーションの中で演奏しまして、坂本さんとも、ジョン・ケージの曲を一緒に演奏したりして、とても楽しかったんです。
それからしばらく経って、多分2017年頃に空 里香さんから「こういう企画があるんですけど、やりませんか」とお声がけいただいて、嬉しくて。また何か一緒にできるんだって。YCAMでの経験が本当に楽しいことを一緒にできたなと思っていたので、また何かできるのかなと思って、お受けしたんですけれども、ただ何をするのか全然見当がつかなかったです。
ーー『TIME』では実際に笙を使ってご出演されました。どのような表現を心がけたのでしょうか?
宮田:坂本さんから曲が五線譜で上がってきたのが多分4月頃だったかなと思うんですけれども、どういう風に吹けばいいのかな、こういう風に吹けばいいのかなと思いながら練習して。それを録音してお送りしたり、それから京都でのリハーサルのときにオンラインでミーティングをしたりして、とにかく坂本さんは「静かに演奏してください」とおっしゃるので、静かに演奏したいんですけど、水の中を歩きながらで、どうやって静かに演奏できるかな……息遣いも大変だし……と思いながら、でも静かに演奏するように心がけました。
自分としては、笙の演奏を普段するときに、人間の情緒や喜怒哀楽とは関係なく、何か自然にあるもの、それから宇宙にあるものと交信ができるといいなと思いながらいつも演奏するんですけれども、そういうところが坂本さんの期待してくださったところと何か合うような気がして。今も改めて練習しているんですけれども、何か宇宙空間で遊泳してるみたいな、そんな感じがしています。
石原 淋
ーーアムステルダムでは宮田さんが担っていた「女」という自然を象徴していたパートを今回は石原さんが演じられます。石原さんは田中さんのマネージメントとしてもアムステルダム公演に随行されて、創作過程からご覧になってるかと思いますが、どのような印象でしたか。また、今回ご自身が出演されるということをどう受け止めていますか?
石原 淋(以下、石原):私は泯さんと活動して30年ほどになるので、2007年かな、ニューヨークに初めて泯さんと坂本さんを訪ねて行って、そこからの日常的な会話量というのがすごくたくさんあったんですね。私にとってはですけど、その話の延長の中でこの話が入ってきていて、突起はしてないんです。坂本さんと泯さんが世間話することもないですし、2人で延々話していても、なんて言うんですかね、常にこういう会話をしてるんですね。なので「『TIME』だから」ということはなく、本当にその日々の思考がここに結集してるという感覚ですかね。
マネージメントとおっしゃられましたけど、この関係は単なるマネージメントではないので、ちょっとどう説明していいかわかんないというのが正直なところなんですけど……舞台に携わること自体が、出てる/出てないに関係なくてですね。宮田さんが実際やられていることを、 私はそこに飛び込んで見るんですね。自分はマネージメントから入った人間ではなくて、パフォームする側から入った人間。なので、やっぱりそういうものを見るときに、制作者の立場というよりはやっぱりやっている人の体になっちゃう部分がある。
もちろん笙は吹けないんですけど、たったひとりの女性がそこに舞台の上に存在していらっしゃったので——ものすごく美しいんですけど——、それが自分だったらという視線にやっぱりどうしてもなって見ている。なので、今回私がそれをやるということ自体はそんなに違和感は正直なところないんですけど、実際やるとなるとまたそれはまた別なんですけど。光栄です。非常に光栄だし、緊張していますね。
(右から)田中 泯、石原 淋
ーー創作の過程をうかがってきましたが、アムステルダムではガスタンクでパフォーマンスがありましたが、今回の日本公演ではいわゆる劇場で公演が予定されています。演出を何か変える予定はありますか?
高谷:基本的には何かを変えるというよりは、変わってしまうでしょうね。空間が違うと、どうしても変わってくる。例えば、見えないところから泯さんが歩いてくるけど、その歩数が全然違うとか。そういうことが変わってくると思いますけど、アムステルダムのときに坂本さんに確認してもらい、自分たちも納得してやっていたものに近づけるかというのはおかしな話なんですけども、「再演」とは思っていなくて。
今度の劇場用に、新しく、そこで発生すること、泯さんにしろ、宮田さんにしろ、淋さんにしろ、そこでそういう人を演じてもらうという感覚は全然なくて、その人がそこにいることが重要なわけなので、それが空間が変わると全部変わってくる。もともと音の広がりにしても全然違いますし、そういうことをどのように調整していくか。それが今回やることなのかなと思ってます。
ーー水を張って……という大枠は変わらない。
高谷:はい。その辺は全然変わらないです。泯さんが言ってましたけど、坂本さんが決められたのは、結局、空間のルールみたいなことで。そのルールの中で、坂本さんと僕が作ったインスタレーションがあって、そこに初めて泯さんが入ってきたら、宮田さんが入ってきたらどういう反応をするのか。譜面が渡されていて、時間軸も決まっているんですけども、でも、最初に入ってきたときにどういう反応するのか。それはその人たちが自分たちで決める。ルールは決まっていますけども、空間のその中でどうするかは、全部その出ている人たちのそのとき起こることだと思う。
ーー今回は日本公演ということで、日本のお客様がほとんどだと思いますが、アムステルダムの公演と何か違いはあると思いますか?
田中:多分、特にこの作品は、お客さんが間違いなく一人ひとりになると思うんですね。で、お客さんを抱え込むような言葉。演劇なんか言葉がありますので、要するにストーリーもあるし、お客さんは一体になりますよね。多分この場、この作品は一人ひとりが自分の感覚と知性を生かして見ていると思うんです。
そういった意味では、ヨーロッパでもそうだったんですね。アムステルダムのときに出ていって、自分が静寂の中で動いているときのオランダのお客さんたちは、僕が以前体験したことのない静けさでした。 オランダには何度も行っているんですけど、オランダの観客って、結構賑やかで、そう簡単に静かにはならない人たちなんだけど(笑)、それでも公演中ずっと本当に静かな観客だったんですね。多分日本もそういう風になると思います。
一人ひとりのお客さんの中に生まれる感想というか、感覚と言いますか、そっちの方に楽しみはありますね。好奇心はあります。いわゆるお客さんに向かってやる表現では一切ないので。
宮田:私も、今泯さんがおっしゃったように、お客様が一人ひとりそれぞれの受け止め方をなさって、「こうあらなきゃいけない」ということはなくて。全体を巻き込んで大きな渦ということもなくて、一人ひとりが自分の内側に持ってらしたものと対峙したり、空間と対峙したりということかなと思いまして。特にアムステルダムと日本とが大きな違いは思いつかないです。
石原:解釈する言語が日本語なので、そこが最大に違うと思っています。海外公演もあるのであまりいい言い方ではないかもしれませんけど、坂本さんが厳選された言葉は日本語なので、やっぱり日本人が1番分かりやすいし、染み込んでくるんじゃないですか。もし、解放して見ていただければですけど。頑張って見ていただかないでほしいですね、ぜひ。
ーー改めて創作の過程の中で大変だったことはありますか。
高谷:泯さんが最初にほぼほぼ空間ができたところに呼ばれてとお話ししていましたが、多分泯さんとお話した時点では、コンセプチュアルな話はしていたんですけども、まだ具体的なルールというかな、空間や水がどういう風にあるかとか、映像がどういう風にあるかとか、照明がどうあるかとかはまだぼやっとしている段階でした。どういう人が出るかで全体が変わってくるよね、その人に任せるしかないわけだから、その人を選んでからじゃないと全体が決まらないねという話をしていました。
ギリギリまで決定するのが後ろになっていったというか、各要素が決まって、これをどういうことができるか、どういう話をするかというのを並べていきながら、その空間を作っていった。その辺が大変といえば大変でしたけども、それぞれの要素が結構しっかりしているので、 僕としても、坂本さんも、きっと楽しかったと思います。
全員で練習があまりなかったというのも、坂本さん的には基本的にはみんなで集まって練習して練習して何かを作るんじゃなくて、それぞれ自分たちで計算していかないといけないけども、それがいっときに集まって最初に見たものがやっぱり1番美しいんだと。もちろんそれには照明の人もいるし、音響の人もいるし、映像の僕もいるので、前もって決めておかないと無理なんですけど、それを最小限に抑えたいというのが坂本さんの考え方だったと思います。やっていないわけではないんですよ? 「この6分ぐらいの曲の間はここにいて」みたいな口合わせはしています。でも、「そこで右手から水に入るんだ」とかそういうことを決めたことじゃなくて、空間と時間のルールだけを打ち合わせるための練習はあった感じですね。
田中:朗読の録音で、すごく動きましたよね。坂本さんは現場にはいなかったけども、聞いていただいて、それで読むたびに感想を言ってくださる。そうすると、読んでる僕にとっても、もう間違いなくリハーサルなんですよね。空間が見えてくるような気がするし、より作品の中に入り込んでいく気ももちろんしていましたし。ですから、全体を理解するということよりは、こうやって全体が少しずつ少しずつ浮き上がってくるんだなっていう感じはしてました。すごい楽しいリハーサルでしたね。
高谷:そうですね、楽しかったです。
(右から)宮田まゆみ、高谷史郎、田中 泯、石原 淋
ーー坂本さんお亡くなりになられて、もう坂本さんとはお話しできないわけですが、田中さんの中で坂本さんが何を考えていたかを考えることはあられますか。その上で、この舞台でどういったことを表現したいとお考えなのか教えてください。
田中:坂本さんとという風になるとですね、僕は喋れることはあるとは思うんですが、 彼の存在を止めたくないので。もしあなたが、僕が喋ることを四六時中聞いていてくれるのであればいいかもしれないけど、この限定された時間の中で「こんなことを話しました」と言ったら、これはすごく小さなことになっちゃいそうな気がするんです。僕はそれを大きく語りたいと思う。そうすると「すごかったんです」というぐらいのことしか僕は言えないかもしれないです。
本当に教わり、多分、坂本さんもきっと僕から何かを盗んだり取ったりしているんだろうと思うんですよね。僕もそうでした。でも、これは今でも僕の中に残っている坂本龍一という人から学ぶことはずっと続くだろうと思ってるんです。そういう人として、僕は友と思いたいというのが心境です。
ーーこの舞台では「人類を踊ってくれ」と坂本さんから言われた田中さん。なぜ坂本さんはそこを注目したのでしょうか。
田中:多分共通してお互いを認め合うことができたのは、やっぱり僕は人がふと踊り始めた、それは一体いつ頃のことなんだろうか。何をきっかけにして踊りというものが存在するようになっていったんだろうか。それからずっと人類は踊りを捨てずに現在に至ってます。それは、音楽もきっとそうだと思う。坂本さんもまさに音を楽しいと思い始めたのは一体何をきっかけにしていたんだろうか。この手の話は延々とします。
で、その後の歴史、そして何も音と踊りだけじゃなくて、いろんなものがそこには入ってくるわけですね。それは政治の問題だってそうだし、それから人類と地球との関係ということにまで話は行きます。間違いなく。ずっと延々と続いてるんですね。おそらく悲惨なくらい続くと思います。そういう風に分かっていただければ。
ーー高谷さんにもお聞きします。コラボレーターとしての坂本さんはどんな人だったのでしょうか。
高谷:そうですね。すごく一緒に仕事をしていて楽しい人でした。「これは高谷くんにやってもらおう」というのは、ある程度坂本さんが考えた後に出てくる言葉ばかりなんですよ。なので、例えば、ぱっと受け取ったときに「いや、それよりもこうがいいんじゃないですか」と意見を言ったとしても、「いや、それはね、こうだよ」というのがちゃんともう考えられているんですね。
なので、こちらとしては、もう途中からはそういうやり取りはほぼなくなって。あー、これはこういうことなんだと思いながら、自分の中で納得しながら作れる。すごい信頼できるコラボレーターだと思います。でも、それはここにおられる皆さんも一緒。どの方も坂本さんからそんな細かい指示がないというのは、すごく信頼されて、どの方にも投げられている話だと思うんですね。
だからそういうチームを紹介してくださった坂本さんにもものすごく感謝ですし、こういう人たちと仕事が今できているのは、本当に僕にとってはありがたいことで。感謝しかないです。
■田中泯
スタイリスト:九(Yolken)
ヘアメイク:山本菜々子
衣装クレジット
A-POC ABLE ISSEY MIYAKE/ジャケット ¥165,000(税込)
取材・文・撮影=五月女菜穂