市川團十郎、亡き父から最後に教わった役「珍しく悪くないんじゃないかと」~『團菊祭五月大歌舞伎』取材会レポート

2024.4.5
レポート
舞台

市川團十郎

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『團菊祭五月大歌舞伎』が2024年5月2日(木)~26日(日)まで歌舞伎座で上演される。

明治の劇聖と謳われた九世市川團十郎と五世尾上菊五郎の偉業を顕彰するべく始められた『團菊祭』は五月興行恒例の祭典として、長年観客に愛されてきた。この度の『團菊祭五月大歌舞伎』の昼の部では、江戸時代初期、浅草花川戸に実在し、日本の俠客の元祖と言われた幡随院長兵衛を主人公にした物語『極付幡随長兵衛』(きわめつきばんずいちょうべえ)を上演。本作は九世團十郎にあてて河竹黙阿弥が書いた傑作だ。この度の上演では、襲名以降初めて團十郎が長兵衛を勤める。さらに團十郎は、四世市川左團次一年祭追善狂言として上演する『毛抜』(けぬき)では後見を、夜の部『伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)では悪の魅力溢れる仁木弾正を勤める。

都内で会見があり、市川團十郎が思いを語った。その様子を写真とともにお伝えする。

市川團十郎

ーーまずはご挨拶をお願いします。

市川團十郎(以下、團十郎):恒例の『團菊祭』ということを5月に興行するということで、私も團十郎として参加させていただきます。今回は、何遍も勤めているようなお役幡随院長兵衛、または先代萩の弾正という床下の部分を勤めさせていただきます。

また、大変お世話になった四代目市川左團次さんの追善興行ということで、男女蔵さんが『毛抜』をなさりたいということで、市川家としての承諾のもと、私は今回後見という形で参加させていただこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

『極付幡随長兵衛』幡随院長兵衛=市川團十郎(当時 十一代目市川海老蔵)平成26年5月歌舞伎座 /(C)松竹

ーー幡随院長兵衛は亡くなられたお父様に最後に教わったお役だと思うんですけども、そのときに覚えていることを教えてください。

團十郎:2013年の正月に僕が浅草公会堂で舞台を行ったときに、父は人工呼吸器をつけていて、テレビ電話で話したのが最後でした。2012年12月に、稽古の様子を撮影して、父のいる病室に送って見ていただいて。父は、私の本名である「堀越寶世へ」と手紙を綴ってくれています。その手紙の中では、私がやっている幡随院長兵衛への思いとか、「こうだと思うよ」とか「もっと周りをこういう風にしてもらいたいな」とかいうようなことを結構丁寧に書いてあって。私も、思い出に残っているときでしたね。

あんまり褒めることをしない父でしたけど、しかも映像でしか見てないんですけど、そのときは珍しく「悪くないんじゃないのか」という話で。あのときに父が見て「悪くない」と思ってくれたようにできるように、頑張りたいなと思います。

市川團十郎

ーー長兵衛を演じる中で、ご自身としてグッとくるところやお感じになるところは。

團十郎:僕が今感じていることは、もちろん子別れとか自分を犠牲にしていくところってあるんでしょうけど、死を持って、覚悟を持って、家を出るようなところって、おそらくあのときの設定の幡随院長兵衛という人の孤高の精神を表現していて。それを理解する人は、子分にも奥さんにも子どもにもなかなか本当のところは理解できないんですね。表面上「俺は行くぞ、だからお別れだ、だからこういう気持ちでいるんだぞ」という遺言的なことを日常会話に込めて喋るわけですけど。周りの人間には分からない、孤高の思考というか、覚悟というものを意識して届けたい。

ーー周りにはっきりと見せないけれど、でもお客さんには届けたい。

團十郎:そうですね、この演目はそこが重要なんだと思います。さまざまな口伝や言い伝えがあったとしても、 僕がやってる肌感覚ではそこが大事かな。

ーーそれは長兵衛の美学なのか、男としての意地なのか、プライドなのか。

團十郎:今の日本人の男が全部忘れたものが集結しているんじゃないですか。 そういう男であるというのって、みんな忘れがちじゃないですか。今おっしゃった、美学とか考え方とか覚悟とか、犠牲とも思わないというか。そういうようなものって、今だんだん薄れてきているでしょ? そういうものの結晶の雄が長兵衛なのかなと感じているので、そういう風にできるようになりたいなとは思いますけど。だから今回、やっぱり男子も見てきてほしいですよね。

市川團十郎

ーー今回、『毛抜』で後見を勤める意味や、ご自身としてどんな気持ちで後見を臨まれようとしていますか。

團十郎単純に愛ですよね。四代目市川左團次という男は、やっぱり数少ない男だったってことを、 我々歌舞伎俳優の人間たちは背中で見せられてきた。隣でいて感じていた。特に子どもの時から接してるから、ずっと見てますから。その人の人間性はどんな方よりも我々は分かっている。表も裏もなく、あのままのこと。

ちょっと話がずれるんですけど、例えば市川家は市川團十郎家、成田屋、海老蔵、團十郎といる場合、普通みんな「成田屋」なんですよね。例えば團蔵も、それこそ猿之助も左團次も右團次も全部一門だから「成田屋」になるはずですよね。でも一人前になった時点で、じゃああなたは高嶋屋で、あなたは澤瀉屋で、あなたは三河屋で……という風に、どんどん送り出すようなシステムを、市川團十郎系だけは先祖を取っていたんですよね。結構稀な形なんですけど。

そういう意味でやはり左團次さんという人は、先祖のご恩を未だにちゃんと理解して、節目節目では宗家のためにどうあるべきかということをよく考えてくださるような方でした。それは父十二世と四代目左團次との間で見ていて、父が旅立ったあとも、何変わらず私に対しても十二世の時と同様に接してくれていた男でございますから。

亡くなったときは私も本当にとても苦しい思いをしましたけど、その御曹司である男女蔵さん。年齢は上ですけれど、 私が左團次さんの御恩をしっかり返さないといけない。彼の側で左團次さんへの感謝をこれ限りでなく、ずっと、私がやれる範囲のことをやっていきたいなという気持ちです。

『伽羅先代萩』仁木弾正=市川團十郎(当時 十一代目市川海老蔵)平成29年5月歌舞伎座 /(C)松竹

ーー仁木弾正は悪役ですが……。

團十郎:仁木弾正は悪役というよりも、国盗というかね、悪役の中でも最上級に品格のある部類に属する役柄なので。「対決」「刃傷」というものがあるんですけども、今回は「御殿」「床下」というところで、本当にわずかな時間の中でその存在というものを示すということはかなり大変だと思ってまして。仁木弾正というのは代々の團十郎がやっている演目ですし、逆に言うと男之助も、今回は右團次さんだけども、九世團十郎が主にやっていたお役です。

ーー品と怪しさと力強さと。その辺りの配分は。

團十郎:いや、正直ね、「床下」では配分はないです。鼠に化ける妖術を使えるというとても不思議な設定で、仁木弾正という人間が存在しているわけじゃないですか。もともとポテンシャルの高い人間がお家の中にいて、そのお家を乗っ取ろうとするのは必然であるわけですね。だけれども、世の中的には必然じゃないわけですよね。今から見たら彼は普通なんですよね。でも、あの時代から見たら悪い奴なんですよね。要は悪い奴はどこの方向から見るかによって悪にもなるし、善にもなる。どこかの大統領だって、こっちから見たら善だし、こっちから見たら悪じゃないですか。 そのようなことが混在しているのが「悪」ということで、そういう意味では、全てのものを持っているというのは逆に悪意があるんですね。

江戸時代にやっていた仁木弾正と、この令和に見る仁木弾正の悪というのは価値観が異なるわけ。それでも江戸の文化としてあるわけですから、前者の方向での演じ方をする。でも、見る人間もやる人間も、今は2024年ですから、その感覚はなんとなく持ってないといけないんじゃないかと思います。

市川團十郎

ーー『團菊際』は小さい頃から出ていますが、7月には『星合世十三團』に出られますね。それぞれの公演の意味合いや公演に思いを聞かせてください。

團十郎:最近の思いと昔の思いはちょっと違うんですけど……昔は『團菊祭』に出ることは当たり前。楽しかったですね。やっぱり羽左衛門のおじさんとか、梅幸のおじさんとか、みんないたんですね。そして、うちの親父も若かった。40代ですね。そういう中で、私とか菊之助とか松緑も10歳に行くか行かないかでガチャガチャしているわけですね。やっぱり親父たちの演目やおじさんたちの演目で楽しく過ごさせていただいていた。で、必ずその脇役に出させていただいていた。主役なんてものは、本当に20の声聞くか聞かないかぐらいから、若いときに少しやっただけで。それまで年間行事で、父たちと一緒に歌舞伎を勉強するという、なんとも言えない空気が流れていた。それが『團菊祭』の子どもの時の思い出で、どうしてもあり続けるものだと思っていた。

ところがね、歌舞伎座の建て替えというものがあって、 一時、演舞場ですとか在外でやるようになったときぐらいから、我々も年齢が上がってきてるし、先輩たちも旅立っていくわけで、責任を段々と感じ、楽しいとかじゃなくなってくる。まして今回は2回目の團十郎としての『團菊祭』。となると、やっぱりもう背負わないといけないというか。本来は菊之助、松緑とともに一緒に何かやりたい思いが強かったんですけど、いろんなことで、ちょっとそれが叶わず。今こういう感じで3人がやっていく成長過程をね、 皆様に見ていただく今興行になりつつあるのかな。

7月に関して言うと、三代目猿之助が7月奮闘公演をずっとなさっていたわけですね。でもおじさんが離脱なさった後は、坂東玉三郎のお兄さんが中心となって、私が右手左手みたいなところで始まったんですね。で、いつの間にかお兄さんがいなくなるということになるので、僕の奮闘になっちゃった。それでずっと続いてるだけ。でもコロナ禍の時は奮闘というか、風邪ひいちゃいけないルールみたいなあるじゃないですか。だから、分散されていったんですけど……今年は『星合世十三團』に挑戦するので、奮闘公演になりつつあります。

市川團十郎


 

取材・文・撮影=五月女菜穂

公演情報

『團菊祭五月大歌舞伎』
 
日程:2024年5月2日(木)初日〜26日(日)千穐楽(休演:8日(水)、16日(木))
会場:歌舞伎座
 
【昼の部】午前11時開演
 
一、鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)
おしどり
 
河津三郎/雄鴛鴦の精:尾上松也
遊女喜瀬川/雌鴛鴦の精:尾上右近
股野五郎:中村萬太郎
 
 
四世市川左團次一年祭追善狂言
二、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)
 
粂寺弾正:市川男女蔵
腰元巻絹:中村時蔵
小野春風:中村鴈治郎
小原万兵衛:尾上松緑
八剣数馬:尾上松也
秦秀太郎:中村梅枝
錦の前:市川男寅
若菜:市村萬次郎
秦民部:河原崎権十郎
八剣玄蕃:中村又五郎
小野春道:尾上菊五郎
 
後見:市川團十郎
 
 
河竹黙阿弥 作
三、極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」
 
幡随院長兵衛:市川團十郎
水野十郎左衛門:尾上菊之助
女房お時:中村児太郎
出尻清兵衛:市川男女蔵
唐犬権兵衛:市川右團次
近藤登之助:中村錦之助
 
 
【夜の部】午後4時30分開演
 
一、伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
御殿
床下
 
〈御殿〉
乳人政岡:尾上菊之助
栄御前:中村雀右衛門
沖の井:中村米吉
八汐:中村歌六
 
〈床下〉
仁木弾正:市川團十郎
荒獅子男之助:市川右團次
 
 
河竹黙阿弥 作
二、四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)
四谷見附より牢内言渡しまで
 
野州無宿富蔵:尾上松緑
数見役:坂東彦三郎
頭:坂東亀蔵
女房おさよ:中村梅枝
浅草無宿才次郎:中村萬太郎
伊丹屋徳太郎:坂東巳之助
浜田左内:河原崎権十郎
うどん屋六兵衛:坂東彌十郎
隅の隠居:市川團蔵
牢名主松島奥五郎:中村歌六
藤岡藤十郎:中村梅玉
 
 

公演情報

歌舞伎座『七月大歌舞伎』

■日程:2024年7月1日(月)~24日(水)
【休演】10日(水)、16日(火)
■会場:歌舞伎座
 
■上演演目:『星合世十三團』ほか
■一般前売:6月14日(金)発売予定
※公演名、公演日等は変更になる可能性がございます
 
通し狂言『星合世十三團』
市川團十郎十三役早替り宙乗り相勤め申し候
 
市川團十郎 : 左大臣藤原朝方/卿の君/川越太郎/武蔵坊弁慶/渡
海屋銀平実は新中納言知盛/入江丹蔵/主馬小金吾/いがみの権太
/鮨屋弥左衛門/弥助実は三位中将維盛/佐藤忠信/佐藤忠信実は
源九郎狐/横川覚範実は能登守教経
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