劇作家・北村想&作家・諏訪哲史 スペシャル対談【後編】
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左から・作家の諏訪哲史、劇作家の北村想
作家論〜持病〜演劇〜落語etc.…まだまだ続くトークの終着点は?
諏訪哲史、北村想をひも解く
諏訪◆想さんには何回かお会いしてるんですけど、経歴をよく知らないことに気がついて、ネットで検索したらブログ(『北村想のネオ・ポピュリズム』)を書いてらっしゃる。そこにアップされてた詩がすごいんです(2015年12月掲載)。よくこんなにいい詩が出てくるなぁと。想さんは男の子だけで出来てるわけじゃなくて女の子もあるな、と思ったんですよ。「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」と(G・K・)チェスタトンが言うようなところは確かに見えるし、劇を見ても本を読んでもそうだなぁと思いつつ、こういう詩を書かれる。だから、どこにも自分のやり場のない“死”という一点まで歩き続けるしかない。想さんの歩いているところは荒野とかスカスカの空虚に見えるけど、実は粒子が全部みっちみちにあるっていうのが僕のイメージなんですね。草間彌生さんのドット・デザインも同じような理屈です。
北村◆それはですね、物理学でいうと「ディラックの海」ってやつなんですけどね。
諏訪◆また難しい話が…(笑)。
北村◆ディラックという人が「陽電子を探してもわからないのは、完璧に詰まりきってるからだ」って言ったんです。そこで欠けたものだけが電子になって出てくると。今フッと思い出しちゃったけど。
諏訪◆だから(『寿歌』の)“雪”というのもそれじゃないかと。空間恐怖じゃないけど、雪でその背景をある種、背景は背景なんだ、空虚ではないっていう…自分で言っててもわかりませんけど。
北村◆さぁ頑張るんだ! 芥川賞作家(一同笑)。
諏訪◆ちょっと待ってください(笑)。想さんのいろんなもの、好きなものとか全部ね、正直わからないんですよ、難しくて。
北村◆よくわからんものを書いてるんですけどね(笑)。
諏訪◆わからなさが面白いと思うんですね。例えば、『ザ・シェルター』という想さんの脚本を、僕らの高校の演劇部か何かが上演したのを観たことがあるんです。それがあまりにも凄まじくてビックリしました。異常な人が書いたようにも思えるし、全部わかった人が書いてるようにも見える。だから、(雪が)降ってるようにも降ってないようにも見える、っていうことが言いたかったんですけど。
北村◆まぁそうですかねぇ。それはいい感触ですよね。
諏訪◆あの時感動したのは、密室を延々何分も見せられた後に、最後パーンと外が開けて夕日がパァーッていうところに赤トンボが…。さっきの雪もそうですけど、枯山水とか「花も紅葉もなかりけり」の世界が最後にどうしても出てくるんじゃないかと。あれがカタルシスになる…。
北村◆そうですね。
諏訪◆あれは開放感なんですか? 結局、人生の一本道にいて、どこかに行くんだけどやっぱり戻ってきて最後まで開放されない人、っていう風に僕には見えるんですけどね。
北村◆うん、まぁそうかもわからないですね。人生の一本道って仰いましたけど、人生はね、並木道なんですよ…(一同笑)。
諏訪◆また女の子っぽい感じで!
北村◆「人生が並木道とは知らなんだ」っていう一句があるんですけど、その歌が好きでね(笑)。あそこの木まで行こう、と思って行くとまたその先に木がある。ずーっと続いてるから、いつまでも並木道なんですよね。
今は短編小説を書く時期だとやっていまして、「文學界」(2015年9月号に『無声抄』掲載)と「群像」(2015年12月号に『ある平衡』掲載)にこの前載って、「新潮」にも載ります。短編集を作るのが当面の目標で、日影丈吉の本の編纂(国書刊行会から出版予定)もやってます。あと、9月に朗読会の予定(あいちトリエンナーレ2016 七ツ寺共同スタジオ参加企画、短編集『領土』より)がありますが、書いたものを読むだけじゃなくてプラス何かをやりたいですね。
異色の作家、日影丈吉を語る
諏訪◆僕が聞きたいことばっかりですけど、想さんもお好きな日影丈吉について。僕が「ことばらんど(町田市民文学館)」で講演(2015年10月~12月に開催された『没後25年 日影丈吉と雑誌『宝石』の作家たち展』のイベント)した時にですね、想さんも何かに寄稿されてましたね。
北村◆頼まれてパンフレットに文章を。
諏訪◆日影丈吉もミステリーを書いてますけど、『荘子の思想』という本も書いていたり、どういう人かよくわからない。僕にとってすごく面白い人なんですよね。
北村◆フランス文学もですね。その辺が日影先生の面白いところですね。一度しかお会いはしてないんですけど。
諏訪◆想さんがお会いした時のことを、誰かが書いた文章を見たことがあります。
北村◆あれは泉鏡花賞(1990年に日影丈吉の短編小説集『泥汽車』が第18回泉鏡花文学賞を受賞)の祝賀会ですね。
諏訪◆僕の先生の種村季弘もその時いたんです。
北村◆あぁそうですか。中井英夫さんも駆けつけてね、かなり酩酊なさって(笑)。僕は若輩者でしたけど、2階で祝賀会が始まる前に1階でちょうど『怪人二十面相・伝』の校正をやってたんです。奇遇ですよね。僕は二十面相を二人に分けて、“丈吉”を二十面相の平吉の師匠の名前にしたんですけど、それは日影丈吉さんから勝手に頂戴したんですよね。
諏訪◆え~っ! 知らなかった!
北村◆それを言いたかったんですけど、次の年に亡くなられたもんですから、出版が間に合ったかどうか。
諏訪◆そんな風に仰るんですね。すごく尊敬なさってる。
北村◆ええ、こっちが勝手に読んだだけですけど。ご挨拶だけでもと思って、「あの~」って言ったら日影さんから「北村君だろ?」と。「はい、そうです」と言ったら「だと思ったよ、隅に立ってるからさ」って。「これからも良い本をいろいろと書いてください」と言ったらハハハハッって笑ってね、「何を言ってるんだよ。これからは君が書くんだよ」と言ってくださったもんですから、書けるんじゃないかと思ったんですけどね。
諏訪◆うわぁ~羨しい! 日影さんの作品は何が好きですか?
北村◆短編が好きですね。レベルが落ちてないんですよね、短編は。
諏訪◆本当に晩年になるほどすごく良い短編が出てくるんですよね。
北村◆『夢の播種』にしても、『鳩』に収められてるものもすごいですよね。『夢の播種』はもったいなくて、次も読みたいけど我慢して一日に一作だけ、という風に読みました。
諏訪◆江戸川乱歩も短編がお好きですか?
北村◆乱歩さんは“奇妙な味”っていうのを仰いましたよね。
諏訪◆本格(ミステリー)に対して“変格”って名付けたんですよね。
北村◆当時は<幻想小説>という言葉がなかったから、出版社とか編集者も(日影丈吉の)『かむなぎうた』と『狐の鶏』を「これをミステリーと言っていいんでしょうか?」って江戸川先生に聞きに行くわけですよね。そうすると「いいんだよ。これは新しいミステリーなんだよ」と。『吉備津の釜』もすごいですよね。
諏訪◆種村先生はあれが一番好きだと。
北村◆真似ができないですね。
諏訪◆本格モノもお好きですよね? チェスタトンとか。
北村◆もちろん好きです。これはまだ企画だけで原稿は出したんですけど、ブラウン神父を少年少女向けに書き直してくれって言われたんですよ。
諏訪◆ほぉ~。
北村◆『ブラウン神父の童心』のうちの3~4作を書いて送ったら、編集者から「そうだったんだ、こういう話だったんだね」と言われました(笑)。チェスタトンって、くどくどしいところがあるじゃないですか。裏っ返していくようなところを少年少女にも読めるように書いたんです。
諏訪◆(コナン・)ドイルならわかるけど、風刺みたいなのを子どもにわからせるのは難しいですね。
北村◆それを上手く訳したもんだから、褒められましたね。
諏訪◆それは読みたいなぁ。僕も大好きなんで、ブラウン神父は。何かキャラクターで書かれたことはあります? 自分の好きな世界の有名な人とか。日影丈吉だと「ハイカラ右京」じゃないですか、国際スパイっていうね。
北村◆有名な人はないですね。「ハイカラ右京」はね、新潮社の『日本の探偵』とかいう分厚い本の解説が回ってきましたね。
諏訪◆知ってます、いかにも好きそうだもん。僕も大好きなんですよ。(ハイカラ右京シリーズの)最初の『舶来幻術師』は講演のタイトルにもしました。二十面相で書いてらっしゃるから、ああいうものはもういいっていう感じですか?
北村◆そうですね。鶴屋南北戯曲賞を受賞した時に賞金が200万だったんですけど、ミステリー新人賞は500万だったんですよね。だからちょっと頭にきて、「この300万という差はなんなんですか」って。それで「次は私、応募しますから」と言って書きました。応募条件が350枚からだったんですけど…。
諏訪◆そんな長いやつ書いたんですか!
北村◆380枚書いて、その年は間に合わなかったので次の年に応募して最終選考までは残ったんですけど、さすがに落っこちて。その本で探偵にしたのが街の探偵事務所の還暦の男で、一休禅師が説いた般若心経の無漏の法(むろのほう)というのを彼の探偵法として書きましたけどね。
諏訪◆面白そうですね。舟盛りじゃないけど、ミステリーという舟の中に、宗教や哲学やそういったものを盛っていくのがお好きだということですかね。
北村◆好きですね。といっても都筑道夫さんが好きで、<なめくじ長屋>シリーズは全部読んでます。都築さんの作品で一番いいなぁと思うのは、『雪崩連太郎幻視行』二部作ね。あれが一番日影さんと近い。日影さんの話はね、よそうと思ったんですよ。皆さんご存知ないと思ったから(笑)。
諏訪◆またでも本が出始めてますよ。いま河出文庫から一冊出てますし、僕が1冊編むものが出ます。
北村◆そうですか、それはいいですね。
東京乾電池の40周年で、1月に若手公演として「ザ・スズナリ」で『十一人の少年』(作/北村想、演出/柄本明)を(1月11日に終演)。6月は東京乾電池の本公演で、柄本さんとベンガルさんと綾田俊樹さん達が出る『ただの自転車屋』があります。これはちょっとミステリーっぽく書きましたけど「本多劇場」でやります。その後が、これも新作書き下ろしで毎年やってるシス・カンパニーので、今度は8月末から「日本文学シアター」で長谷川伸をやります。
物書きはみな、オカシイ!?
諏訪◆中井英夫とかも?
北村◆『虚無への供物』は肌身離さず持ってました。きぐるみを着てバイトしながら、合間の時間に読んでました(笑)。
諏訪◆(夢野久作の)『ドグラ・マグラ』もお好きですよね? やっぱり日本三大奇書は全部…。
北村◆一応読みました。『ドグラ・マグラ』はみんな前半で投げちゃうんですよね。
諏訪◆チャカポコでギブアップしちゃう。
北村◆そうなんです。そこを通ればすごく面白くなる。後半に入ったら手を離せなくなるよって教えるんですけど。小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』は、2ページに渡って蔵書がバーッと出てくるでしょ。あの中でね、1個だけニセモノがあるんですよ。
諏訪◆ほぉ。
北村◆小松左京さんと桂米朝さんの談話の中で聞いて。「ひとつだけ小栗虫太郎が勝手に作ったやつがあるらしいけど、誰もそれを見つけられへんねん」って。そりゃそうですよ、あれだけあったら全部当たれるわけがないから。面白いですね。『黒死館…』の中で説明するのに運行図が出てきますよね? 天文学の。ワケがわかんない(笑)
諏訪◆僕もあれ、説明できないんです。でも、想さんと似てる人だなぁって気がするんですよ、小栗虫太郎。ペダンチックは大嫌いそうに見えるけど、自分をテキ屋だと偽悪的に仰ったりしてるじゃないですか。だから本当に怖い人なんだと、ずっと思ってました。
北村◆ハハハハ。いや、本当に怖いんですよ(一同笑)。
諏訪◆つまりペダントリーっていうのは、さっき言った空間恐怖じゃないけど、何もないところが怖いから何かで埋めないとしょうがないという。理性の働きが強すぎる人の、一種の狂気みたいな病気ですよね。そういうところが結構あるんじゃないかなと思うんです。
北村◆そうですね。時間性にはあまりこだわらないんですけど、空間性にはものすごいこだわりますね。
諏訪◆だから『ザ・シェルター』もそういうところで論じられるんじゃないかなと。
北村◆なるほどね。うん、そうですね。確かに。
諏訪◆でも、分裂症じゃないですよね? (一同笑)。僕も躁鬱なのに分裂症だと言われる。自分の中では結晶体のようにきちんと完結してる人間だと思ってるんですけど、みんなはバラバラだって言うんです。
北村◆諏訪さんだってね、狂ってるといえば狂ってる。それでいいと思うんですよ。さっきの談志家元じゃないけど、「困ってることがあるんだけど、普通の人は宗教に走って神様に相談するだろ? 俺は自分が神様だから相談する相手がいねぇんだよ」って(笑)。この人狂ってるわと。
諏訪◆いや、すげぇなぁ…。
北村◆だから晩年に「落語はイリュージョンだ」って言い出したのは賛成だなと。たぶん諏訪さんもね、すごくイリュージョン派だと思うんですよ。イリュージョンやる人はね、だいたいオカシイですよ。
諏訪◆オカシイですかね(苦笑)。
北村◆だけど、オカシイっていうことがわかってる間は大丈夫ですよ。わかんなくなると違う所へ送られますからね。だって、物書きってものはコッチの世界とアッチの世界を行ったり来たりしてるもんでしょ。僕も戯曲を書いてる時はアッチの世界、完全に普通の脳じゃないですよね。そのまんま日常に出掛けていくとオカシくなっちゃいますから、降りてきた自分はちょっとお帰り願って買い物に行ったりします。そういうことが出来ないとダメですよね。
諏訪◆僕はね、想さんぐらいから上の世代は無条件で尊敬しちゃうんですけど、この時代にああいう人は作ることができない、って気がするんですよね。戦中派から想さんぐらいまでの人達の中に多いんですよ。ちょっと天才的な、どういう風に理解すればいいのかわからない育ち方をしてきたような人が。
北村◆それはね、2つあるんです。今の劇作家でも多く見られるのは、リアリズムでなくて“マス・リアリズム”で書いてるんです。つまり、マス・コミュニケーションが操作してるのを現実だと思い込んで書いてる。それと最近気になってしょうがないのは、シェア(共有)ということです。シェアハウスとかもそうですよね。共有という言葉は、「分け前をもらう」という意味もあるんですよね。ということは、共有しながらそこから分け前をもらうという集団幻想があるんですけど、私は全然共有できないんですよね。
諏訪◆いやぁ、わかる。共有し始めてから僕らの時代になっちゃった。だから(想さん達は)共有しない時代なんですね。
北村◆そうです。共有しなかった人がいっぱい居たんだけど、今はそういう人が少なくなったということなんじゃないかと思ってるんですよね。
諏訪◆ネットとかがその最たるものですよね。
北村◆ええ、そうです。
諏訪◆なるほどなぁ。種村季弘とか僕の好きな三島由紀夫とか想さんまでの世代というのは、ある意味不自由な時代を生きてきて、不自由だから致し方なく共有することなく、ひとり孤立し、煩悶していろんなことを書くようになってしまったという。
北村◆そうですね。だからライバル意識も、ものすごく強かったですよね。
諏訪◆そうなんですよね。僕らの世代の作家同士は本当に仲が良くて、喧嘩したところを見たことがない。だいたい僕らより17ぐらい上のオジサン達が、あぁなんか怖い怖いって喧嘩してますよね(一同笑)。
北村◆喧嘩もするけど書く物でも。例えば小栗虫太郎が『人外魔境』みたいなのを書いたら、また香山滋も負けずに書いてるんですよね。
諏訪◆橘外男とか。
北村◆そうそう、同じジャンルで勝負してる。ああいうのって面白いですよね。