劇作家・北村想&作家・諏訪哲史 スペシャル対談【前編】
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左から・作家の諏訪哲史、劇作家の北村想
名古屋が誇る、二大作家の尽きせぬトークを再録!
『寿歌』をはじめとする200本以上の戯曲を手がけ、劇作家として岸田國士戯曲賞、紀伊國屋演劇賞、鶴屋南北戯曲賞を受賞、さらに小説やエッセイも多数執筆している北村想。片や、小説『アサッテの人』で群像新人文学賞と芥川賞をW受賞、これまで一万冊以上を読破し“小説狂”の異名も持つ作家、諏訪哲史。諏訪氏の小説『りすん』は2010年に天野天街演出で舞台化されるなど、互いに演劇と文学に深く関わり名古屋を拠点として活動する両氏の対談が、<語りえぬものの会>の主催で昨年12月5日、「愛知芸術文化センター」のアートスペースにて開催された。
博識な両名とあって、『近くでトーク ~わたしの愛する作家たち~』と題された枠を大幅に飛び越え、話題は時に暴走(!?)しつつ多方面へ。初顔合わせとは思えない盛り上がりを見せ、2時間の長丁場にも関わらず最後まで観客を惹きつけたまま大盛況のうちに終幕した。両氏の話術とエンターテイナーぶりにも改めて驚かされた白熱の対談内容を、【前編】と【後編】、2回に渡ってたっぷりとお届けします。
会場風景
北村◆おはようございます。芝居屋なもんですから、夜でもおはようございますになっちゃうんだけど、肩書きは劇作家、エッセイスト、作家の北村想です。よろしくどうも。
諏訪◆作家をしてます諏訪哲史と申します。くらだないエッセイばかり書いているように見えますが、ちゃんと小説も書いてます。今日は想さんにいじってもらって、場が温まったらいいなと。よろしくお願いします。
北村◆今日はどういう風にやっていくか全然決めてないです。最近はレクチャーやトークにしても、公的機関が主催すると「レジュメを出してくれ」って言われるんですよね。どういう話をするんだって。
諏訪◆レールを敷かせて、逸脱しないようにっていうことですよね。
北村◆(演劇評論家の)扇田昭彦さんと(テレビで)対談をしたことがあるんです。ディレクターが「じゃあ、ちょっと軽くいきましょう」ってことで、まだ若造だったんで「核戦争あった方がいいじゃない、老後考えなくていいしさ」とか喋ってたら、扇田さんが一生懸命ハンカチで汗を拭いてるんです。なんでこんなに汗かいてるんだろう、リハーサルなのにと思ってね。終わってディレクターに「本番は何分後位からですか」って聞いたら、「今のが本番ですよ」って(笑)。
諏訪◆お幾つの時ですか?
北村◆25歳位かな。新進作家と言われた時代です。今はもう63です。周りを見渡すと、上の人ってほとんどいないんですよ。平田オリザさんとか坂手洋二さんとかは、だいたい10若いんです。渡辺えりが還暦ですよ。
諏訪◆早くに筆を折られてしまう方がいるということですか?
北村◆劇作家の清水邦夫さんは私よりひと世代上で、「歳いってからは戯曲は書けなくなるから、小説書いた方がいいよ」って言われたことがあるんです。その時に集英社の『青春と読書』という冊子に一年間、短編ミステリーを連載していて、ただ書くのは面白くないからエッセイとミステリーの中間を狙って書いたんですよね。
諏訪◆面白いですねぇ。
北村◆何かのレセプションでご一緒した時に清水さんが、「俺読んでるよ。想くん、ひょっとしてエッセイとミステリーの中間を狙って書いてるんじゃないかい?」って初めて言われたんです。やっぱりすごいなと思いましたよ。
諏訪◆思いもかけない人が読んでることがありますよね。
北村◆ありますあります。
諏訪◆想さんは、中島らもさんと同い年ですよね?
北村◆同い年です。岩松了さんと中島らもさんと3人。
諏訪◆らもさんの処女作と言われてる『全ての聖夜の鎖』(2014年、編集者の小堀純監修により復刊ドットコムから発行)の解説を頼まれて書いたんですけど、その時にあらかたらもさんの本を読んだんですよ。よく考えると想さんの年代と一緒だなと思って。
北村◆らもさんとは一度対談したことがあるんですけど、何で盛り上がったかっていうと、山田風太郎さんなんですよね。
諏訪◆ようやく今、レールに乗った感じが(笑)。
山田風太郎の影響力
北村◆(中島らもの)『ガダラの豚』なんかもう、山田風太郎なわけですよ。皆さんがご存知なのは『魔界転生』ですね。風太郎さん自身も<忍法帖シリーズ>の中ではベスト3に入ると仰ってたんですけど、僕が読んだ限りではベスト10にも入らないと思います。
諏訪◆僕も『甲賀忍法帖』の方が好きですね。
北村◆それはあれが一番ですよ。とにかく『甲賀忍法帖』は『バジリスク~甲賀忍法帖~』ですよね、コミック化された。十兵衛モノでは、『柳生忍法帖』の「江戸花地獄篇」と「会津雪地獄篇」という上下巻が傑作だと思ってます。『魔界転生』は発想はすごくいいと思うんですけど、<忍法帖シリーズ>では何回も出てきてるんで。
諏訪◆キャラクターが欲しかったから、過去から天草四郎や宮本武蔵を持ってきて魔界側のベストメンバーにして。最近はゲームとか二次創作で盛んに取り入れられてるそうですよ。ああいう方法とかノウハウみたいなものを、風太郎さんはいろんなところに影響を与えてますよね。
北村◆今のコミックスの対決モノとか、全部風太郎さんがやっちゃってますよ。
諏訪◆風太郎を読む前に、横山光輝の『伊賀の影丸』を読んでたんですけど、ほとんど同じです。無茶苦茶でも面白いんですよね。
北村◆あれはそうですよ。みんな読んでました。
諏訪◆想さんと僕は17歳違うんですけど。
北村◆風太郎さんを読まれたのは幾つ位ですか?
諏訪◆高校ぐらいです。古本屋で本を買いだした頃ですから。
北村◆僕は<忍法帖シリーズ>の最初の全集が出た時ですから、ちょうど高校生だと思うんですよ。忍法が面白いかどうかじゃなくて、あれはエロなんですよね(笑)。
諏訪◆くの一なんかそうですよね。どうやって籠絡させるかっていう。
北村◆そういうシーンがいっぱい出てきて描写がすごいんです、風太郎さん上手いですから。あれだとエロを読んでるって親にわからない。
諏訪◆僕もそうですね。菊池秀行とか夢枕漠とか、僕らの頃のリアルタイムです。
北村◆夢枕漠さんは、途中で格闘技モノの方に行って…。『餓狼伝』(原作:夢枕漠 漫画:板垣恵介)は中断されてるんですよね。だから(板垣恵介の)<刃牙シリーズ>はダーッと読んでて。
諏訪◆えーっ! 想さんがですか。漫画がお好きなのは有名ですけど、どういうきっかけで?
北村◆対談かなんか、人が喋ってる中に出てくるんですよね。それをメモしておいて。
諏訪◆それは確かにありますね。ブログを書いて、芝居を書いて、漫画を読んで、こういうトークショーをやり。どうやってやってるんですか? ご病気もあるわけですよね。
劇作家、小説家、エッセイスト。1952年大津市生まれ。代表作は『寿歌』『想稿 銀河鉄道の夜』など。’84年『十一人の少年』で第28回岸田國士戯曲賞、’90年『雪をわたって…第二稿・月のあかるさ』で第24回紀伊國屋演劇賞個人賞、’97年ラジオ・ドラマ『ケンジ・地球ステーションの旅』でギャラクシー賞、2014年『グッドバイ』で第17回鶴屋南北戯曲賞を受賞。また、小説『怪人二十面相・伝』が映画化、2008年に『K-20 怪人二十面相・伝』として公開された。ほかにも童話、エッセイ、シナリオ、ラジオドラマ、コラムなど幅広く活動
“不治の病”との長き付き合いと、その産物
北村◆病気はね、40年やってます。
諏訪◆私は12~3年やってます。
北村◆まだ序の口ですね、私はベテランですから(一同笑)。病気のことだけは自分を褒めてやりたいと思いますよ、よく死ななかったなと。だってね、鬱病っていうのはやっぱり死にます。
諏訪◆中島らもさんも躁鬱病でしたよね。
北村◆あの人はまぁ、階段から落ちたんですけどね。何段目だ…とかなんとか、落語みたいなことを言って(笑)。俺の時は一年わかんなかったんですよ。社会に鬱病っていう概念がなかったから。で、遺書書きました。不治の病だから死ぬだろうと。24の時です。ひどい医者なんか診察室に入ったら、「お前、クスリやってるだろう」って(笑)。
諏訪◆顔色だけで?
北村◆それぐらい酷かったんですよ。「とにかく具合が悪くてしょうがない」って言ったら「ブドウ糖でも打っといてやるわ」って。それでは効かねぇんですよ。
諏訪◆そりゃそうですよね。戦後の栄養失調じゃないんだから(笑)。
北村◆最後に知り合いの親父がやってる病院へ行って。そこで検査してもわかんなかったけど、会計の人に「あなた、精神科に一度行かれた方がいいですよ」って言われたんです。いろんな患者さん見てるから(笑)。
諏訪◆もう医者より上になっちゃってる。
北村◆ちょうど精神科の医者に知り合いがいたんです。岐阜医大の先生だったんですけど、出向してらっしゃる精神病院に芝居で慰問に行ったことがあって。楽しみだったですよ、精神病の方々に芝居を見せてどうなるんだろうと思ってね。
諏訪◆(夢野久作の)『ドグラ・マグラ』みたいなことですよね。
北村◆ですから先生に聞きました。「やっちゃいけない事はあらかじめ言っておいてください」って。そしたら「あんまり刺激の強いものはマズイ」と言われました。でもウチが演ってるのは、みんな強い興奮を与える芝居ばっかり(笑)。まぁいいや、どういう反応になるかなと思ったら、ガッカリしたというと不遜な言い方になりますけど、皆さん薬で抑えられてるから感情が動かないんですよ。
諏訪◆なんで芝居をやってくれと言ったんですかね。
北村◆そういう物好きな先生だったんですね。その先生のところへ行ってレントゲンから血液まで全部検査して、異常ナシ。見事な健康体だったんです。でも具合が悪い。「うん、わかった」と。今は双極性障害と言いますけど、付いた疾病名は“鬱性心気症”。いわゆるノイローゼですね。で、「あなたの病気は良くなったり悪くなったりするだけで、治ることはありません。これはあなたの25年間が作り上げてきた病気ですから、治しようがないです」とハッキリ言われたんで、その時に覚悟しました。
諏訪◆それが作品を書かせているっていうことはないですか?
北村◆そこから入りますか。いいですねぇ(笑)。病気が無ければ『寿歌』は出来なかったっていうね。まだその病院へ行く前の、一番苦しい時に書いたんです。なんで『寿歌』を書いたのかといろいろインタビューされましたけど、「雪が見たかった」って言ったんです。自分の身体に雪を降らせたい、っていう欲求がすごくあった。だからラストシーン、ものすごい雪降りますよね。
諏訪◆ト書きにあるんですよね。
北村◆<この日から氷河期が始まる>って。自分が荒野をトボトボと歩いてるような、そんな感じだったわけですよ。本当に核戦争後の荒野を歩いてるような病態ですよね。
諏訪◆やっぱり並行してるんですね、体調とテーマは。核戦争は言ってみたら口実で、あの何も無さっていうのは…僕も死ぬことはないけど、一生飼い続ける病気を持ってるということで終わりがないんですよね。「ちょっとそこまで…」っていうセリフも。
北村◆「ちょっとそこまで行くだけや」ってね。「どこへ行ってもどこでもないし、あっちはどっちや」って、あれはもう自分の身体的な症状ですよ。
諏訪◆あぁ、やっぱりそうか…。
北村◆『寿歌』は言ってみれば病気の産物で、あんまりね、イエス・キリストとかクリスチャンは関係ないんです(笑)。
宮沢賢治考~「演劇論」を求めて…
諏訪◆私も医者に「一生治りません」って言われたんで、治らないなら詳しくなってやろうと思って勉強したら、宮沢賢治とかゲーテも似たものを持っていたとか。
北村◆宮沢さんは、皆さんがご存知の明るい童話以外の小説がいっぱいありますよね。あれを読むとね、やっぱり同じだと思います。
諏訪◆『毒もみのすきな署長さん』とか、面白いんです。毒もみ(川に毒を流して魚をとる)で捕まったら死刑になる。でも警察署長がこっそりやってたら捕まって、死刑になる直前に「あぁ面白かった」って言うんですね。宮沢賢治が書いたとは到底思えない、あの聖人のような人が。
北村◆あと、『税務署長の冒険』もありますね。
諏訪◆悪い宮沢賢治っていうのが、すごく面白い。
北村◆だから宮沢賢治をピカレスクにして、『けんじのじけん』と『けんじの大じけん』の戯曲を書いたんです。賢治ってのは悪人だと、ひっくり返したんですよ。
諏訪◆それをあの当時やったことは大きかったと思います。宮沢賢治研究って、“修羅”というものをどう定義するのかわからない、という時代だったと思うんですよね。
北村◆そうですね。あの『春と修羅』というタイトルはすごくいいですよね。あの中に宮沢さんの知識と資質が全部詰まってます。4巻ぐらいあって最初から追っていくと、彼が農村に入って農民になろうとしていくたびに出していて、どんどん暗くなっていくんですよね。
諏訪◆ひとりよがりでやってると、周りから揶揄されるんですよね。
北村◆あの辺で随分病んできてますよね。他の短編もなんか暗い。それと『ビジテリアン大祭』の論理の凄まじいやりとり。あの論理性はちょっと病的ですよ。
諏訪◆あれは僕、想さんそっくりだなと思いますよ。
北村◆アハハハハ。そうですか。
諏訪◆全部揃ってますよ。宗教、量子力学、哲学というか倫理学というか。僕は想さんという人をどういう材料が作っているのかを、今日できればちょこっと知りたいなと思って来てるんですよね。
北村◆そうですか。なんでそんな勉強を始めたかというとね、演劇論が欲しかったんですよ。
諏訪◆演劇論がいるんですか、ホンを書くときに。
北村◆私は全共闘世代で、いわゆる理屈の世代なんですね。理屈が欲しくていろいろ読んでも納得のいく答えがない。もちろん、スタニフラフスキーとかも読みました。でも合点がいかないから、当時僕の本を出版してくれて演劇の本をたくさん出していた而立書房の村井さんという人に、「とにかく溜飲が下がるような科学的な演劇論を読みたいんですけど、どれを読めばいいですか?」って聞いたらアハハハと笑ってね、「それは君が書くんだよ」って言われたんですよ。
諏訪◆カッコイイ人だなぁ。そんな殺し文句言われたら、惚れちゃいますね。
北村◆じゃあ(自分の)演劇論を、っていうので、まず方法がいるだろうと思って。三浦つとむさんの『弁証法はどういう科学か』という本で勉強したんです。
諏訪◆また難しいこところから入りましたね。
北村◆「対立物の相互浸透」とか「質量転化」とか面白い。それで『日本語とはどういう言語か』も読んでおもしれぇなぁと。それから吉本隆明さんの『言語にとって美とはなにか』に行ったんですけど、難しくて読めない(笑)。『心的現象論序説』もなんにもわかんないんですよ。
諏訪◆あれが一番わからないですね。
北村◆読むのに10年かかりました。理解しようと思うと別の本を読まなきゃいけなくて、それを読み始めるとわからないところが出てきてまた別の本を…。そうすると、どうしても天文学いったり物理学いったり、哲学いったり数学いったりね、そうせざるを得なくなってくるんですよね。
諏訪◆数学へいかなきゃいけなくなりますか。
作家、随筆家。1969年名古屋市生まれ。國學院大学文学部哲学科卒業。在学中から卒業後まで独文学者の故種村季弘に師事。2007年に小説『アサッテの人』(講談社)で第50回群像新人文学賞を受賞しデビュー。同作で第137 回芥川賞を受賞。著書に『りすん』『ロンバルディア遠景』(以上、講談社)、『領土』(新潮社)、エッセイ集に『スワ氏文集』(講談社)、『偏愛蔵書室』(国書刊行社)、編著に『種村季弘傑作撰Ⅰ・Ⅱ』(国書刊行社)がある
両作家を虜にした落語の魅力
北村◆なっちゃうんです。サブカルチャーにもいって漫画とか。伝統芸なら、落語ですね。僕は立川談志さんが大好きで、『現代落語論』は見事だなと思ったんです。落語をここまで了解してる人はいないだろうと思いました。高座もすごいですし。
諏訪◆僕も教え子に『鼠穴』なんかをですね…。
北村◆『鼠穴』はすごいですよ。あれはね、何回聞いても泣くんですよ。
諏訪◆本当にそうです。あんなに真に迫った話し方は聞いたことがない!
北村◆三遊亭圓生さんと古今亭志ん生さんも好きなんです。
諏訪◆六代目圓生と五代目志ん生ですね。
北村◆志ん生師匠は『火焔太皷』の「それじゃぁ、おじゃんになるよ」ってやつですね。圓生師匠はもうずーっと聞いてます。落語っていうのは、聞き比べが面白いんですね。
諏訪◆そうですね。古典落語の同じ噺を別の人がやるという。
北村◆三遊亭円朝さんの自作落語『鰍沢』を、圓生師匠と談志家元もやってるんです。これを聞き比べると、圓生師匠はモノクロなんですよね。雪景色がスーッと見える。シトシトと語りますから高揚がなくて、どんどん引き込まれていく感じなんです。ところが談志家元のはね、カラーのサスペンスになっちゃうんですよ。
諏訪◆ほぉ~、そうですか。それは聞き比べなきゃな。
北村◆僕は落語も演劇のうちで、話芸だと思ってるんです。落語がやったすごいことは、足を切ったところ。役者をやるとわかるんですけど、舞台に上がって一番邪魔なものは「足」なんですよ。
諏訪◆なるほどねぇ。
北村◆その人がどの程度の能力があるかオーディションする時は、歩いてもらったらわかる。
諏訪◆落語はじゃあ、逆に足がいらない?
北村◆足がいらないっていうのは、余計なことを考えなくてもいいんです。その代わり、(腰を示して)ここから上はすごい。
諏訪◆そうですね。上半身の所作だけでやっちゃうんですからね。
司会◆え~、ちょうど足切りじゃないですけど、ここで10分間休憩を入れます。
北村◆じゃあ次は文学の話でも…(一同笑)。
この続きは【後編】へ。