現実のなかに非現実を目撃せよ―― 異才の巨匠が描き出す不思議な世界『デ・キリコ展』レポート
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《形而上的なミューズたち》1918年 カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与)(C) Castello di Rivoli Museo d'Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
表情のないマヌカンが演じる奇妙なシチュエーション、三角定規などの特徴的なモティーフ、鮮やかで目を惹く色彩――。ジョルジョ・デ・キリコが描く、不思議で独特な世界。その一端に触れることのできる機会が、現在、東京都美術館にて開催されている。この記事では、2024年4月27日(土)に開幕した『デ・キリコ展』の様子をレポートしよう。
デ・キリコの10年ぶりとなる大回顧展
内覧会の冒頭では、本展の監修を務めたキェーティ・ペスカーラ大学教授(イタリア)のファビオ・ベンツィ氏が特別解説を行った。
内覧会の冒頭で特別解説を行うファビオ・ベンツィ氏
ベンツィ氏は本展について「これまで開催されてきたジョルジョ・デ・キリコの展覧会のなかでも、最も充実したもののひとつとなりました。まずは作品数の多さ。初期から晩年まで全ての制作時期を網羅しています」と自信を見せる。70年にわたる画業のなかで、デ・キリコの絵画様式は驚くほど変化に富んでおり、また、同時期に複数の様式で描くスタイルは同時代の巨匠・ピカソとも共通しているという。
「20世紀のどの芸術家にも、これほどまでに今世紀のイマジネーションに影響した人はいないと思います。形而上絵画のビジョンは今でも私たちに多くの示唆を与え、想像力をかき立て、言葉では言い尽くせない先祖たちの記憶や夢の世界を探求する力となっています」と、デ・キリコの魅力を述べたベンツィ氏。締めくくりに「ありがとう」と日本語で挨拶した笑顔からは、日本で展覧会を開催することへの喜びが感じられた。
日常から非日常へと誘う、不思議な世界
会場風景 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
ここからは担当学芸員・高城靖之氏のコメントを交えながら会場の様子をお伝えしよう。
本展のキービジュアル《形而上的なミューズたち》を彷彿とさせる光と影のコントラスト、彩度の高い青とオレンジ色が印象的なエントランス。音声ガイドから聴こえてくるナビゲーター・ムロツヨシの低くあやしげな語りも相まって、不思議な世界へと誘われていくかのようだ。これから広がる展示への期待感をより一層増幅させる。
優れた画力を目の当たりにする「自画像・肖像画」
左:《自画像》1922年頃 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024、 右:《自画像》1929年頃 ヨーゼフ・ダッレ・ノガーレ・コレクション (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展示室の冒頭を飾るのは、自身を描いた《自画像》である。驚くべきはその画力。ここに展示されている自画像は、写真で残されている彼の容貌とそっくりなのだ。対象物を鋭く捉え、明確に描き出す描写力の高さに早速圧倒されてしまう。
《弟の肖像》1910年 ベルリン国立美術館 (C) Photo Scala, Firenze / bpk, Bildagentur fuer Kunst, Kultur und Geschichte, Berlin (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
堂々とした立ち姿が印象に残るのは、彼の弟を描いた《弟の肖像》。作曲家である弟のアルベルト・サヴィーニオとはとても仲が良かったそうで、弟の肖像画を何度も描いたという。作品を通じて、彼の家族や人間関係について知れるのも面白い。
代名詞“形而上絵画”の発端となった「イタリア広場」
《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年頃 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与) (C) Archivio Fotografico e Mediateca Mart (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
彼はいかにして、形而上絵画に目覚めたのか。それは1910年のある日、デ・キリコがイタリア広場を訪れたときの不思議な体験に基づくそうだ。
「デ・キリコは対象を現実的に描いているようですが、どこか現実と違う。空間表現が歪んでいたり、脈絡のないモティーフが配置されていたりして、違和感を抱かせます。そうして日常の奥に潜む非日常、謎や神秘をほのめかすような絵こそが“形而上絵画”へと進化しました」と高城氏は解説する。たしかに、現実のようであってそうではない、アンバランスな謎に満ちた世界がそこに広がっている。
戦時下でイマジネーションを膨らませた「形而上的室内」
左:《孤独のハーモニー》1976年、右:《球体とビスケットのある形而上的室内》1971年 ともに ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展示風景 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
初期作品の展示エリアを進んだ先には、“デ・キリコらしさ”のある作品が連なる。第一次世界大戦のためにイタリアの都市フェッラーラに移り住んだデ・キリコが、街中にある店舗や家、その室内にインスピレーションを受けて描いたものだ。これらの室内画は「形而上的室内」と位置づけられている。
右:《不安を与えるミューズたち》1950年頃 マチェラータ県銀行財団 パラッツォ・リッチ美術館 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《ヘクトルとアンドロマケ》1924年 ローマ国立近現代美術館 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
「人間? 人形? それともほかの何かだろうか?」鑑賞する側のイマジネーション次第でさまざまな物語が生まれそうな「マヌカン(マネキン)」。デ・キリコの作品といえば、この特徴的なビジュアルを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。表情がなく感情の読み取れないマヌカンは匿名性を帯び、奇妙な印象を与える。
デ・キリコはマヌカンを描くことで人間を物やモティーフとして表現した。こうした前代未聞の表現は、後進の芸術家たちにも大きな影響をもたらしたそうだ。
《谷間の家具》1927年 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与) (C) Archivio Fotografico e Mediateca Mart (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
右(手前):《室内の家具》1927年 カルロ・ビロッティ美術館 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《谷間の家具》のように家具を描いたシリーズは、オブジェを非現実的な環境に配置することで、鑑賞者に違和感を抱かせる。現実的にはあり得ない場所に、あり得ない遠近法で置かれている家具。そこでふと、家具は家の中にあるから「家具」なのだと気づかせる。そんな常識を覆すデ・キリコの創造性に舌を巻く。
《剣闘士》1928年 ナマード・コレクション (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
マヌカンの戦闘を描く《剣闘士》は1920年代最後の主要テーマだ。生と死を争う戦いを繰り広げているシーンだが、マヌカンの不気味なまでの無表情によって、非情さが増すかのような、不思議な恐ろしさがある。
伝統的な絵画への回帰
続く展示室では、先ほどとは異なる手法で描かれた作品が並び、彼の形式スタイルの幅広さにまた驚かされる。
1919年以降のデ・キリコは、ティツィアーノらが描いたルネサンス期の古典絵画やバロック期の作品に影響を受けて、伝統的な様式へと回帰した。
《風景の中で水浴する女たちと赤い布》1945年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
「《風景の中で水浴する女たちと赤い布》は、手前に大きく描かれている女性と後ろの女性を比べると、遠近感はあるにせよ前の女性があまりにも大きすぎます。ルーベンスやベラスケスの技法を参考にした古典的な絵画ですが、少しおかしなところがあるのがデ・キリコらしさです」と高城氏は解説する。伝統的な様式へと回帰したデ・キリコが描く、ネオバロック形式の作品である。
左:《パリスと馬》1952年、右:《アキレウスの馬》1965年 ともにジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
晩年の集大成、新形而上絵画の追究
そうした古典回帰を経て、老年期のデ・キリコはさらなる新しい表現を追究した。太陽や月のモティーフやポップアートのような色彩の作品群は“新形而上絵画”と呼ばれるものだ。
左:《橋の上での戦闘》1969年、右:《オイディプスとスフィンクス》1968年 ともにジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《燃え尽きた太陽のある形而上的室内》1971年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
宗教のような、哲学のような、神話的にも思える壮大なエッセンスを感じる作品群。もっとも、デ・キリコは若い頃から哲学者・ニーチェを敬愛していたこともあって、人間の本質を内観するような抽象性の高いテーマは絵画にもよく現れている。展示室の白色のクリーンな壁紙も相まってか、このエリア一帯からは神聖さが溢れてくるかのよう。デ・キリコが生涯をかけて追い求めた芸術が頂点に達したことを示すようで、爽快感さえも漂わせていた。
絵画のみに留まらない、飽くなき創作活動
手前:《考古学者》1971年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
デ・キリコの活動は画業だけではない。マヌカンを立体造形で表した彫刻作品がその一例だ。絵画と変わらない表現力の高さから、彼がいかに天才的な芸術家だったのかが伝わってくる。
また、彼は舞台芸術にも積極的に携わった。1920年代から1960年代初頭にかけて、いくつもの重要な劇場でオペラや演劇の舞台美術や衣装を担当している。「非現実・非日常をリアル世界に出現させる彼の手法は、どこか演劇的だ」とかつての美術評論家たちも指摘していたそうだが、本人は否定しているのが何とも言えず不思議で、面白みがある。
デ・キリコ展 「舞台美術」展示風景 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
オリジナルグッズもお見逃しなく
展覧会特設ショップ
ミュージアムショップでは数々のグッズが並ぶ。作品にちなんだビスケット、小物を入れて出かけるのに便利なポーチなど「ありそうでない」アイテムや、「定番すぎず、ちょっと凝っていて欲しくなる」ようなこだわりの詰まったグッズが盛りだくさん。鑑賞の余韻をより深めてくれそうだ。
三角定規キーリング 1,600円(税込)
デ・キリコの70年にわたる画業をまとめた大回顧展だとは聞いていたが、その期待を遥かに超えていくような、圧倒的な質と量。世界に点在する彼の作品を日本でまとめて見られる、この貴重な機会はまたとないはずだ。
『デ・キリコ展』は8月29日(木)まで、東京都美術館にて開催中。デ・キリコ芸術の全体像に迫り、その唯一無二の表現力を堪能しよう。
文・写真=さつま瑠璃
イベント情報
◆会期:2024年4月27日[土]~8月29日[木]
◆休室日:月曜日、7月9日[火]~16日[火]
※ただし、7月8日[月]、8月12日[月・休]は開室
◆開室時間:9:30~17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
◆会場:東京都美術館
◆主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、朝日新聞社
◆後援:イタリア大使館、J-WAVE
◆特別協賛:大和証券グループ
◆協賛:ダイキン工業、大和ハウス工業、竹中工務店、NISSHA
◆協力:ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団、メタモルフォジ財団、イタリア文化会館、日本航空、日本貨物航空、ルフトハンザ カーゴ AG、ITA エアウェイズ
◆お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
◆会期:2024年9月14日[土]~12月8日[日]
◆会場:神戸市立博物館