【対談】ワタナベシンゴ(THE BOYS&GIRLS)×増子直純(怒髪天) 「同じ病院に入院してて、俺が入院歴が長い先輩みたいなもんだな(笑)。」――札幌の先輩後輩による杮落し2マンライブを前に語り合う
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L⇒R:ワタナベシンゴ(THE BOYS&GIRLS/歌)、増子直純(怒髪天/Vo) 撮影=大橋祐希
2026年3月に迎える結成15周年、3月1日(日)に開催する初のZepp Sapporoでのワンマンライブに向かいながら「ROAD TO 15th ANNIVERSARY」というタイトルの活動を重ねているTHE BOYS&GIRLS。2マンライブのシリーズ『FROM SAPPORO 2MAN』は毎回ファンを沸かせている。7月31日(木)に開催される『札幌近松×THE BOYS&GIRLS 札幌近松開店初日 FROM SAPPORO 2MAN』は、札幌の大先輩・怒髪天との対バンが決定した。“札幌に縁の深い両バンドによる2マン”、“新しいライブハウスの杮落し”という熱い要素が揃ったこのライブは、後々まで語り継がれるだろう。ボイガルのワタナベシンゴ、怒髪天の増子直純が意気込みを語り合った今回の対談は、バンドを続けてきたふたりならではの説得力、深みのある言葉が満載となった。
――おふたりの最初の接点は?
ワタナベ:2001年の夏終わり、秋前くらいに姉がGOING STEADYのアルバムをダビングしたカセットを渡してくれて、“いいなあ!”と聴いてたんですけど、B面の残ってるところに怒髪天の曲が3曲入ってたんです。それは接点とは言わないですけど(笑)、個人的な接点はそこでしたね。その後、僕は2011年から始めたバンドで札幌のテレビに出たことがあって、番組のMCが増子さんでした。実際にお会いしたのは、その時が初です。
――シンゴさんに初めて会った時の印象はいかがでした?
増子:バンドマンらしいというか、俺らが思うバンドマンというか。それを悪いとは言わないし、良くも悪くもなんだけど、今の子らは音楽をやりたくてバンドを始めるじゃない? 衝動から始まらないんだよね。シンゴはちゃんと衝動から始まってるから、俺ら的には行動原理がわかりやすいというか、気持ちが伝わりやすいよね。
ワタナベ:嬉しいです。
増子:気持ちが伝わってくる。言いたいことがあってやってるから。俺らもそうだけど、最初からこれで食おうとして始めてないから。俺らもコロナ禍に入った時にメンバー、マネージャー、スタッフが集まって、「ここからどうする? しばらくっていうか、最悪もうできないかもよ?」っていう話になったけど、坂さん(坂詰克彦)が「上井草のパン工場で、夜中にシール貼るバイトが時給1,000円だっていうから、最悪それやろうかな」って言ってて、バンドをやめる選択肢が端っからなかった(笑)。ボイガルもそうでしょ? 結局メンバーがやめても、シンゴが“ボイガル”って人になったんでしょ?
ワタナベ:そうですね。
増子:そういうことがあってもバンドを続けるところに共感するというか、同じ種類なんだなっていうのはすごく思うね。
ワタナベ:おこがましいですけど、どの世代、どの時代にも同じような気持ちでバンドを始めて、同じような気持ちでバンドに向かってる人がいるというのに勇気を貰えるし、それが増子さんだというのは僕にとって宝物ですね。
――増子さんからお洋服のおさがりを頂くことがあるんですよね?
ワタナベ:はい。前に革ジャンを頂いた時に、うちのギターのカズマ(ヨシダカズマ)が「その服、見たことないけど。珍しいじゃん」って訊いてきたから、「増子さんがくれたんだよ」って言ったんです。「まじで? 着させて」って試しに着た彼は、「あれ? 結構俺にも合うよ」って(笑)。危なく奪われるところでした。
増子:あれ、90年代の古着の革ジャンをモチーフにしたデザインなんだよ。
ワタナベ:僕の今のアー写で着てるのが、増子さんから頂いた革ジャンです。
今みたいに情報をたくさん得られるのは正解にすぐに辿り着けるから幸せではあるけど、自分で想像して作る余地があんまりないのはもったいない。(増子)
――対バンは、今までに何回くらいしているんですか?
ワタナベ:ちゃんとライブハウスで対バンしたのは1回です。『夢チカLIVE』っていう札幌のテレビ局の音楽番組(『夢チカ18』)のイベントがあって。それに出ると、北海道中に映像が流れるんです。それの放送100回記念(2015年1月31日に開催された『夢チカLIVE VOL.100』)の時に怒髪天と対バンさせていただきました。
増子:ボイガルのライブ、元気よくて、観てて気持ちよかった。本気だったし。
ワタナベ:あの時は怒髪天がトリだったんです。松山千春さんの「大空と大地の中で」を怒髪天の演奏で、その日の出演者たちが歌ったんですよね。僕が歌った後に友康さん(上原子友康)のギターソロでした。これはチャンスだ!と思ったので、緊張して本番前に全然お話しできてないのに、「ギター!」って叫びました(笑)。それだけは、よく覚えてます。
増子:今回の対バン、うちのお客さんも「やっとボイガルと2マンやってくれるのが嬉しい」って言ってくれてる。札幌近松って、結構郊外なんだよな?
ワタナベ:そうですね。ライブハウスがないエリアなので。でも、中心エリアから10分、15分歩けば着く距離ですよ。
――怒髪天がハードコアパンクのバンドとして始動した80年代の札幌のライブハウスシーンは、どのような感じだったんですか?
増子:中学生の頃はブルースの街だった。高校生になってからハードロックがわりと強くなったりして、その後に俺ら世代のパンクが出てきたんだよね。で、いろんないざこざが起こったり。
ワタナベ:いざこざ?
増子:うん。まあ、パンクだからね(笑)。既成のものを全部否定するっていうさ。ほんと良くない。
ワタナベ:(笑)。
増子:若かったっていうもあったけど。やっぱり、良くなかったのは映画の『爆裂都市 BURST CITY』。あの映画はほんと良くない(笑)。あれ見てパンクを勘違いしたやつ、俺を含めて全国に山ほどいたと思うよ。
ワタナベ:何らかのシーンが変わっていく時って、どこかから入ってきた情報にみんなが影響を受ける感じだったんですか?
増子:そうだね。誰かが海外のバンドのレコードを持ってきてみんなで聴いて、「これ、かっこいいなあ! 俺もこういうのやりたい」ってなってたんだけど、今と違って情報が全然なかったから。100ある内の8くらいしか情報が入ってこない。あとの92くらいは想像なのよ。だから変なもんができちゃうの。
ワタナベ:でも、そういうのがいいっすよね。
増子:「こうなんじゃないかな?」ってやってる内に「こうだな」ってなっちゃうから、完全に勘違い(笑)。
ワタナベ:正解がわからないっていうのがいいですよね。
増子:今は正解がすぐにわかるからね。ドクターマーチンもそうだったよ。最初写真で見た時は「この靴、なに? 安全靴の長いやつ?」ってなったから(笑)。後にバンドで東京に出た時にオリジナリティについて言及されたりしたけど、それって言葉の訛りと一緒で自覚がなかった。
――昔のアメリカのハードコアパンクバンドとかが地域によって異なる独特な個性を発揮していたのも、得られる情報が限られていたからなんでしょうね。
増子:そう。今みたいに情報をたくさん得られるのは正解にすぐに辿り着けるから幸せではあるけど、自分で想像して作る余地があんまりないのはもったいない。
僕はライブハウスがないようなところで育ったので。YouTubeもまだ普及してなくて、雑誌の記事を読んで想像してました。(ワタナベ)
――シンゴさんがバンドの音楽を聴き始めた頃も、まだネットでどんどん情報が得られる感じにはなっていなかったですよね?
ワタナベ:そうでしたね。僕はライブハウスがないようなところで育ったので。一応山奥にライブができる場所はあったんですけど、全然やってなかったし。ちょっと広めの車庫があるやつの家にドラムを置いてやるような感じでした。YouTubeもまだ普及してなくて、ライブ映像を観る機会も全然なかったです。雑誌とかの記事を読んで想像してました。僕が札幌に出てきた2007年、2008年頃も、まだインターネットもそこまで浸透した感じじゃなかったので、想像でいろいろ作って進める感じでしたね。
――ハードコアパンクのバンドが、80年代の札幌でたくさん活動するようになったのはなぜだったんですか? あの頃、日本に入ってくるハードコアパンクの情報は、かなり限られていましたけど。
増子:ブッチャーズのようちゃん(bloodthirsty butchersの吉村秀樹)が、高校生くらいから海外のレコードを取り寄せたりして、情報がものすごく早かったの。アンテナの感度が高くて、東京のやつらよりも情報が早かったりしたから。それを当たり前のようにみんなで聴いたりしてたんだよ。東京でそういう影響を受けたバンドが出てきても「遅っせえよ!」って言ってた。
ワタナベ:すごい! どうやって情報を調べてたんですか?
増子:洋楽の本とかで調べてたね。ものすごい小っちゃい記事を見つけたりして。
――洋楽雑誌だった頃の『FOOL'S MATE』とか?
増子:うん。そうだったな。
――『DOLL』はもうありました?
増子:『DOLL』もあった。まだ最初の頃だったと思うけど。そういう雑誌とかの小さい記事。あと、昔の雑誌は文通相手を募集するコーナーがあって、そういう繋がりからも情報を得てたな。もともとパンクってコミュニティが小さかったからね。ようちゃんが住んでたのは留萌だったから、そういうことをしないと情報は得られなかったと思うよ。
――情報通が身近にいたことによって、当時の札幌でハードコアパンクのシーンが形成されたということですね。
増子:そう。ようちゃんとはお互い高校生のときに対バンして、「札幌に出る」って言ったから「来い! 来い!」って言って。俺は実家が札幌だったけど、吉野(eastern youthの吉野寿)にしてもみんな他の町から札幌に集まったんだよね。
ワタナベ:今はライブハウスがたくさんありますけど、その頃の札幌はどうだったんですか?
増子:昔は全然なかった。ペニーレーン(ペニーレーン24)は俺が高校生の頃からあったけど、いわゆるライブハウスじゃなくて、レンタルスペースみたいな感じだった。
“今っぽく”とか言うけど、“今”って“瞬間”だからすぐ古くなる。そこに労力を注ぐのはすごく無駄だと思う。(増子)
――怒髪天は1984年に結成されて今に至っているバンドですから、現在に至るまでの間に時々起こったバンドブーム的なムーブメントは全部近くにありましたよね?
増子:うん。そういうのを見てはきた。1個も乗っかってないけど(笑)。良くも悪くも独自性があったというか、どこにも属せなかったっていうね。東京に来てからライブハウスでジャンル分けがあったけど、その枠に収まらなくてすごく苦労した。
ワタナベ:そうだったんですね。
増子:札幌から一緒に出てきたブッチャーズやeastern youthと同じライブハウスに出られなかったんだもん。あいつらは楽しそうにやってたけど、俺らは「どうしようか?」って(笑)。当時出てたのは吉祥寺の曼荼羅と下北沢の屋根裏くらいだったけど、ど渋いブルースバンドとかと対バンだったから。
ワタナベ:僕も見事なまでに今までどこにも乗っかれてないですね。好きな音楽が多いからかもしれないですけど、「どこにいるんだろう?」っていうのがあって。「仲のいいバンドと好きな音楽が一緒なのに、なんで同じようにそこに行けないんだろう?」っていうのはありますね。
増子:ボイガルも怒髪天もそうだけど、今流行ってる音楽じゃないから。今どきの音楽をやりたくてやってるわけじゃないもんね?
ワタナベ:そうですね。
増子:自分の好きなものをやって、まあ最終的にこういう形になってるってだけで。そこを摺り寄せていくというのは、俺はいいとは思わない。そういうのを“間口を広げる”っていう認識でやってるバンドも多いけど。“今っぽく”とか言うけど、“今”って“瞬間”だからすぐ古くなる。そこに労力を注ぐのはすごく無駄だと思う。
ワタナベ:今っぽさみたいなのを追求しても、数年経ったらわけわからなくなりますよね。
――怒髪天は、去年が40周年。ボイガルは来年の3月に15周年を迎えます。バンドを続けられた理由について、おふたりはどのように思っているんでしょうか?
増子:やめる理由がないもんね?
ワタナベ:そうですね。
増子:怒髪天は、俺が30歳の時から3年くらい空いたけど。あの時はバンドをやめようと思ってた。「まあ、もういいかな」って思ってたから。でも、またやり始めると病気のように「やっぱりこれだ!」って(笑)。やっぱ。「1・2・3・4!」ってカウントが入ると、どんな状況だったとしても「わーっ!」って、なんか楽しくなっちゃう。
ワタナベ:なんか楽しくなっちゃうって、ほんとその通りですね。
増子:お互いに同じ病院に入院してて、俺が入院歴が長い先輩みたいなもんだな(笑)。
ワタナベ:病院のこと全部教えてくれる先輩みたい(笑)。
初めて言うんですけど、「やめたい」とマネージャーと社長に急に言ったことが1回あって。スタッフが凍りつきました(笑)。(ワタナベ)
――シンゴさんは、バンドをやめようと思ったことはあるんですか? 休止もないですよね?
ワタナベ:休止はないですね。でも、初めて言うんですけど、「やめたい」とマネージャーと社長に急に言ったことが1回あって。「秋からのツアー、どうしようか?」という話し合いの時に、「その話をする前に、やめようかなと思ってるんですけど」って言ったらふたりが凍りつきました(笑)。そこから話し合って、「一旦持ち帰らせて」ということになり、俺もいろいろ話す中でわかることがあって「改めて考えます」と伝えました。で、翌々日くらいに撤回(笑)。そういうめっちゃ短い“やめるかも”っていう時期がありました。
――いつ頃ですか?
ワタナベ:2019年です。3月にメンバーがやめてすぐに「サポートメンバーを入れて全国ツアーをやろう」ということになり、そこから秋のツアーに向かおうとした時期です。でも、やめたいっていう話をしてから家に帰って考えたんですけど、まだ気持ちが定まってないのに、なんかしんどいし、メンバーもやめたし無理だっていうだけで“やめたい”って言ってる俺ってなんなんだろう?って思って。それで持ちこたえました。その翌年からコロナ禍でしたけど、そういう中でも俺はバンドが楽しかったし、“今が一番いい時”って言ったら過去を否定するみたいになるので嫌なんですけど、今は今で良い状態でバンドをやれてるっていう感覚がありますね。
――増子さんは、なぜ3年間の休止期間を経てまたバンドをやろうと思えたんですか?
増子:前のベースが「もう1回やりたい」って言って、俺は「もうやんねえよ」って言ってたんだよ。でも、「みんなで集まって飲んでるから来て」って言われて行ったら、「遊びでいいからやろうよ」と。「遊びだったらいいよ。でも、ツアーはやんねえよ。ライブも年2回くらいかな。それでもいいんだったらいいよ」って俺が言ったら、「それでいい」ということになった。で、ころっと乗せられて、新曲を作ったら、「仕事をやめる」ってなったね。「これはいい曲だぞ! これはみんなに聴かせなきゃいかん!」ってなったから。遊びのつもりでまた始めたのに、結局スイッチが入っちゃうんだよなあ。
――再始動後はスイッチが入り続けていますよね?
増子:楽しいもんね。休止前は勘違いしてたっていうか。「なんでこんなにいい曲作ってんのに、ちゃんと評価されないのかな?」って思ってた部分が多かったんだよ。後になって考えてみると、何かしらの見返りを求めて芸事をやるって、犬と一緒。犬が餌を欲しがって芸を覚えるのと一緒で、「それはいかん! 人間のやることではないぞ」っていうのは、後になってわかるんだよね。勝手にやり始めて、勝手にやってるのに、評価してくれないって拗ねてるって、お門違いもいいとこでしょ?
ワタナベ:そうですね。
増子:だって勝手にやってんだから。頼まれて始めたんだったら、そりゃあ怒るよ。「お前がやってくれって言うからやったのに、なんでこんなことになってんだよ?」ってことだから。でも、俺は誰にも「やってくれ」って言われてないんだから。その辺の考え方は変わったのかな。
ワタナベ:俺も誰かに「バンドをやれよ」って言われてやり始めたわけじゃないし、メンバーがやめたタイミングでも「続けろよ」って言われて続けると決めたわけじゃないですからね。メンバーがやめたのが30歳の時だったんですけど、その頃からようやくそういうことを思えるようになったというか。「なんでわかってもらえないんだろう? なんでこんなに届かないんだろう?」っていうのがそれまではあったんですけど、今は違いますね。「なにくそ!」って思うことはもちろんあるし、バンドをやる上での原動力のひとつではあるんです。でも、それ以前に「そもそも自分がバンドをやってるのってなんでだろう?」っていうところを考えると、「自分がやりたくてやってる。後悔したくなくてやってる」っていうことなんです。それが最近すごく思ってることですね。
やっぱり一番やりたいのは音楽。軸足をずっとバンドにちゃんと置いておかないと。芝居をするために東京に来たんじゃないから。(増子)
増子:シンゴは自分で曲作って、ギター弾いて歌えるじゃない? だからひとりになったとしてもできる道は余裕であるからさ。
ワタナベ:でも、バンドがいいですね。
増子:俺は曲作れないし、楽器も弾けないから、そもそもソロ活動に向かない。俺は“バンドやりたい”っていうよりも“怒髪天をやりたい”と思ってもう1回やり始めた。だから特殊な例ではあるのかな?
ワタナベ:増子さんのソロってイメージできないです。お芝居するのは、音楽とはまた別なんですか?
増子:全然違う。
ワタナベ:音楽やるなら怒髪天?
増子:そうだね。で、やっぱり一番やりたいのは音楽。バンドやりに東京に出てきたからね。軸足をずっとバンドにちゃんと置いておかないと。芝居をするために東京に来たんじゃないから。
ワタナベ:それがめっちゃ見えるのがかっこいいんですよね。全部が怒髪天に繋がってて、全部怒髪天から出発してるっていうのが見えるから。俺もいろいろやりたいなと思うタイプだけど、あくまでもボイガルがあって、ちゃんとボイガルから出発して、ボイガルに帰ってくるっていうのが一番かっこいいと思ってます。
増子:軸足、自分の基盤となるところをちゃんと固めておかないと。ガキの頃に好きだったバンドの人が俳優になってしまうのが、俺はすごく寂しいというか。それが悪いとは言わないけど、自分はそうはなりたくなくて。例えば「ソロアルバム出しませんか? カバーアルバムはどうでしょう?」という話があって、「昭和歌謡とかのカバーは面白そうだな。誰に弾いてもらおう?」って思っても、俺が選ぶのは結局、今のメンバーになっちゃうし。
ワタナベ:結局、怒髪天のアルバムになっちゃうんですね?
増子:そう。「だったら怒髪天で出せよ!」ってことだよな。
ワタナベ:それは最高ですね。
増子:結局そうなんだよ。
――増子さんの声が怒髪天の声でもあるので、歌ったらそれはもう怒髪天の曲になるという印象もあります。
増子:友康が楽曲提供で仮歌入れてデモを送って、「もうちょっと怒髪天っぽい感じにしてください」って言われたことが何回かあったの。でも、その理由って、声とリズムだったんだよね。俺がそのデモで仮歌を歌い直したら全然オッケーだったから。
ワタナベ:面白えっ! そういうことですよね?
増子:うん。そういうこと。それがわかって以来、仮歌は俺が入れることにしてる。
ワタナベ:やっぱり“この人だな”っていう唯一無二のものであるべきですよね。
増子:そういうのはシンゴもあるよ。
ワタナベ:そうですかね?
増子:うん。聴いたらボイガルだってわかるから。
ワタナベ:嬉しいですね。
増子:90年代に、同じ事務所の人たちが同じボイトレの先生に習って、みんな同じような歌い方になってたことがあったけど、あれじゃ駄目なんだよな。それって“上手い”とかいうような問題じゃないから。
――増子さんは、ファルセットで歌えないと前におっしゃっていましたよね?
増子:うん。他のハスキーボイスの人たちもファルセットだと駄目みたい。要さん(STARDUST REVUEの根本要)は出るみたいだけど。要さんは地声が高いというのもあるのかな。
ワタナベ:僕も裏声は出ないんですよ。
増子:俺もそうなんだけど、高いところも地声で行っちゃうから、出し方がわからないんでしょ?
ワタナベ:そうなんです。僕もまったく一緒。そういえば……フラカン(フラワーカンパニーズ)の新譜で圭介さん(鈴木圭介)が裏声をめちゃくちゃ使ってて、「なんで裏声使ってるんですか?」って訊いたら、「出るようになったんだよ。俺ももともとは裏声が出なかったんだけど、喉を大事にしなきゃと思って」と。「トレーニングとか行ったんですか?」って訊いたら、「テレビショッピングでじいちゃんが“身体のためにストローをくわえて息を吐いてんだ”」って言ってるのを見たのがきっかけだったみたいです。それを真似したら裏声が出るようになったらしいですよ。
増子:ストローで? 暗示にかかってるじゃねえか!(笑)当時の俺はシティポップ全否定だったから、なんでこんなに裏声で歌ってんだ? バカじゃねえか?って思ってたんだよ。
ワタナベ:バカじゃないですよ(笑)。
増子:いや。今、当時のシティポップを聴くと非常に良いのよ。大好きでいろいろなアルバムを買ってる。でも、あれはあれ。自分たちではそういう曲作らない。ラップもそうだけど。怒髪天のアルバムで何回も「ここラップっぽく歌って」って言われてやってみても、全然できなくて諦められるっていうことの繰り返し。「どう?」って訊いたら「これだったら無しかな……」って(笑)。やっぱりバックビートは無理なんだよ。後ろでリズムとれないから、全部河内音頭みたいになっちゃう。ラップ無理でしょ。あのリズムは、俺の中にないから。
夢の一戦ではあるんですけど始まったら関係ないので、堂々とやるのみです。応援してきてよかったって思えるようなライブにもしたいです。(ワタナベ)
――では、7月31日の2マンの話に移りましょう。札幌近松の杮落しですよね?
ワタナベ:そうです。このライブは、札幌近松がオープンするっていうところから始まったんですよね。僕が所属してるレーベルがやってる下北沢の近松のスタッフは東京の人たちなんですけど、ボイガルと仕事をするようになってから札幌に行く回数が増えて、あの街が好きなってくれたんです。「札幌でライブハウスをやる」っていう話を聞いた時はさすがにびっくりしました。「杮落しはボイガルでやろう。怒髪天を誘おう」って言ってくれて、「まじっすか?」と。札幌で怒髪天と2マンをやるって夢だし、一生自慢できることだし、“今の時代にこれできんの俺しかいない”っていうのも自信があるんです。新しいライブハウスの一発目でそれができるのって、この上ないシチュエーションだと思ったので、“決まってくれ!”って願ってました。
増子:今までに何度も誘ってもらってたからね。前にシンゴの故郷の町の祭りに誘ってもらったこともあったんだけど。
ワタナベ:中標津町っていう田舎なんです。そこでイベントを1回やった時もお誘いしましたね。
増子:ついに一緒にやれるから、もう小細工無しだよね。お互いのお客さんも喜ぶと思う。怒髪天のお客さんがボイガルのライブをどう観るのかも楽しみ。もう孫もいるような年齢だからね。杮落しっていうのも嬉しい。そこの箱の歴史に残ることだから。
ワタナベ:ボイガルがライブハウスの杮落しでやるって、初めてです。
増子:怒髪天は梅田のクアトロの杮落しをやったことがあるんだよ。今後、札幌近松でブッキングとかやんないの?
ワタナベ:なんらかのことはしていきたいですね。レーベルがやる箱なんで、自分も頑張んないとなあと思ってます。
――今回のライブに関しては、何かイメージしていることはありますか?
ワタナベ:夢の一戦ではあるんですけど始まったら関係ないので、堂々とやるのみです。初めて観てくれる人に、「札幌にこういうバンドがいるんだ。いいなあ」って思ってもらえるライブにしたいし、ずっと観てくれてる人たちが「こんなボイガルがいるんだ?」って新鮮な気持ちになって、応援してきてよかったって思えるようなライブにもしたいです。どのライブに対してもいつも思ってることですけど、この日は相手も相手ですし、場所も場所なので、強い気持ちで行こうと思ってます。
増子:楽しみだよ。若いバンドと一緒にやることはあんまりないし。
ワタナベ:俺、全然若いバンドじゃないですよ。
増子:そういえば、そんなに若くなかった(笑)。
ワタナベ:俺が中1で怒髪天と出会った時、増子さんは35、36だから、今の俺と同じくらいなんですよね。
増子:ということは、もうおっさん(笑)。怒髪天、若いお客さんに受けるかなあ?
ワタナベ:刺さりまくりますよ。ペニーレーンで餃子配ってた一昨年のライブ(10月20日=ドハツの日特別公演。「みよしのぎょうざ」が観客に配られた)の時も怒髪天のライブがヤバすぎて、俺、ご挨拶できる状態じゃなくて帰っちゃいましたから。
増子:終わった後にシンゴと話そうと思ってたのに「帰ったよ」って聞いて、なんで帰ってんだよ!って(笑)。
ワタナベ:感情がものすごく動いて、会える状態じゃなかったんです。
増子:それはシンゴがおっさんだから。若者はまだ老眼でもないし、俺が思ってるようなことまだ思ってないからな。そういう若者も30を越えたくらいからわかるようになるんだよ。札幌在住のボイガルと札幌でできるって嬉しいな。昔は札幌は俺の街だと思ってたけど、今はシンゴの街。それでいい。そこに俺たちがお邪魔してかますという。そういう心構えで行こうと思ってる。
ワタナベ:「俺の街へようこそ!」って絶対に言います。
増子:お邪魔します! ……ってまだ実家あるけどな(笑)。
取材・文=田中大 撮影=大橋祐希
THE BOYS&GIRLS情報
2025.7.31(木)札幌近松
<出演>怒髪天 / THE BOYS&GIRLS
Spotify O-nest × THE BOYS&GIRLS《FROM SAPPORO 2MAN》
2025.8.12(火)渋谷Spotify O-nest
<出演>ペルシカリア/THE BOYS&GIRLS
THE BOYS&GIRLS presents 《FROM SAPPORO 2MAN》
2025.9.17(水)梅田 CLUB QUATTRO
<出演>GUEST / THE BOYS&GIRLS
THE BOYS&GIRLS presents 《FROM SAPPORO 2MAN》
2025.9.26(金)名古屋 RAD HALL
<出演>GUEST / THE BOYS&GIRLS
THE BOYS&GIRLS presents《FROM SAPPORO 2MAN》
2025.9.30(火)東京Spotify O-Creest
<出演>GUEST / THE BOYS&GIRLS
SMASH EAST & THE BOYS&GIRLS presents Local resident 2 〜FROM SAPPORO 2MAN〜
2025.9.1(月)札幌 近松
<出演>ザ50回転ズ / THE BOYS&GIRLS
THE BOYS&GIRLS 結成15周年ワンマンライブ 少年少女の札幌から
2026.3.1(日)Zepp Sapporo
他ライブ情報など詳細はバンドのオフィシャルサイトへ。
怒髪天情報
2025年10月20日(月)神戸 クラブ月世界
エリア1020 TOUR
2025年10月29日(水)千葉LOOK
2025年11月1日(土)高松DIME
2025年11月3日(月/祝)福岡LIVEHOUSE CB
2025年11月5日(水)四日市CLUB CHAOS
2025年11月8日(土)新潟GOLDEN PIGS BLACK
2025年11月9日(日)高崎Club JAMMER'S
2025年11月23日(日)仙台Rensa
2025年11月28日(金)札幌cube garden
2025年11月29日(土)札幌cube garden
2026年1月24日(土)名古屋CLUB QUATTRO
2026年1月25日(日)名古屋CLUB QUATTRO
2026年1月31日(土)梅田CLUB QUATTRO
2026年2月1日(日)梅田CLUB QUATTRO
2026年2月10日(火)渋谷Spotify O-EAST
2026年2月11日(水/祝)渋谷Spotify O-EAST
怒髪天 presents 響都ノ宴
"菊一輪 ~キングスネークの逆襲~"
2025年12月6日(土)京都 磔磔 ゲスト:柴山俊之
2025年12月7日(日)京都 磔磔
2025年12月21日(日)新宿LOFT
LIVE ACT:BONE DAWN / COCOBAT / THE DUST'N'BONEZ w/Special Guest MCU(KICK THE CAN CREW) / 怒髪天 w/Special Guest 内田勘太郎(憂歌団)
2026年1月10日(土)長野CLUB JUNK BOX
2026年1月11日(日)長野CLUB JUNK BOX
沖縄3DAYS
2026年2月20日(金)沖縄Output
2026年2月21日(土)沖縄Output
2026年2月22日(日)沖縄Output
他ライブ情報など詳細はバンドのオフィシャルサイトへ。
■怒髪天 オフィシャルサイト https://dohatsuten.jp/