三谷幸喜が悪役専門の“陀羅助”に当て書きした新作喜劇~PARCO PRODUCE 2025 三谷文楽『人形ぎらい』が開幕へ
-
ポスト -
シェア - 送る
いつもは主役をやらない首(かしら。人形の頭)の陀羅助(だらすけ)を主人公に、三谷が当て書きした。
2025年8月16日(土)よりPARCO劇場で上演される、PARCO PRODUCE 2025 三谷文楽『人形ぎらい』。15日に、ゲネプロ(本番通りの稽古)が公開された。本作は三谷幸喜がベテラン役者たちに当て書きした新作喜劇だ。その役者とは、文楽人形。主人公は、陀羅助(だらすけ)と呼ばれる首(かしら)の人形だ。通常の文楽では悪役・敵役を担う人形が、PARCO劇場で主演をつとめる。
「やっぱりめちゃくちゃ面白い」
まずは、三谷が「やっぱりめちゃくちゃ面白い」と繰り返した、開幕前会見のコメントを抜粋して紹介する。三谷、監修・出演の人形遣いの吉田一輔(いちすけ)が登壇。三谷の手に三谷くん人形、一輔の隣に出番前の陀羅助。
左から三谷幸喜(と三谷くん人形)、吉田一輔、陀羅助。
三谷:前作(三谷文楽の第一弾『其礼成心中』)から13年。ようやく文楽で新作を作ることができました。文楽は、やっぱりめちゃくちゃ面白いです。演劇の面白さを十分知ってるつもりでしたが、それとは次元が違う、こんなに素敵でドリーミーな世界があったのかと。見たことない方に、ぜひ見ていただきたいです。とにかく文楽の世界を知って欲しいと思いました。
一輔:三谷さんにそう言っていただけるのは、伝統芸能の力のおかげだと思います。しかし、これだけ褒めていただくとものすごいプレッシャーを感じます(笑)。
三谷:(かぶせ気味に)本当に面白いんです。びっくりするぐらい面白いですよね?(と同意を求める)
一輔:ありがとうございます(笑)。ご期待に応えられるよう、頑張って勤めたいです。
——今作にかける意気込みを。
三谷:本当に面白いんです。客席から観て感じた面白さの一つは、「人形」というものの小ささ。初めて観ると、人間の芝居を見慣れている分、なんて小さい人たちが出てきたんだろうと思いますし、後ろの黒い人たち(人形遣い)は何なんだろうと思うんです。でも違和感は最初の30秒で消えて、本当に引き込まれる。小さいながらに必死に生きている凝縮された世界に、僕らが普段感じる感情が全部織り込まれ、丁寧に表現されていく。これで人形が8mあったら面白くありません。文楽を知らずに生きている人は、生きる価値がないんじゃないかと(一同笑)。大勢の人に知っていただきたい位だと思っています。
一輔:300年以上続いてきたものを、私たちは受け継ぎ、これを先に伝えていく責任も持っています。三谷さんとは15年ほど前に出会わせていただきました。そして三谷文楽という新たなジャンルを作っていただき、非常に楽しい文楽を切りひらいたと思っています。
——稽古はいかがでしたか。
一輔:三谷さんの演出のもとでの稽古は、大変いい勉強になっています。我々は普段(古典の演目なので)1回しか皆で稽古をしません。作者と演出家がいる稽古も、まずありません。新しい演目も演出家はつかずに、三業(さんぎょう。文楽の3つの役割)といいまして、太夫(たゆう。物語を語り、人形たちのセリフも担当)、三味線弾き、人形遣い(にんぎょうつかい)が、それぞれに考えてきたものを、ぶつけあい一つの作品にします。普段はありえないことですが、三谷さんは僕ら人形遣いだけでなく、太夫さんに「もう少しこう語ってください」、三味線弾きさんに「こんな風に弾いてください」と演出をされます。それにより、より聞きやすくなったりするんです。
三谷:三味線の鶴澤清介さんが、すべての音楽を作ってくださいました。見た目がちょっと怖い方なんですよね(笑)。僕としては、すごい恐る恐るお願いしてみたところ、ものすごく感性が若い! 的確に把握される方で本当にやりやすくて。
一輔:三谷さんから「こんな感じ」と言われ、その場ですぐに作曲し直されるんですよね。僕らも「これはすごいな」と。
三谷:前回は、文楽について何も分からない状態で稽古に入りました。登場人物(人形)を一度に10人ぐらい出したりしたのですが、人形1人に対して、人形遣いさんが3人つくので、舞台上は30人ぐらいの満員電車のように……。今回は人数を減らし、その分人間模様や気持ちを的確に細かく作ることができたと思います。また日頃から、僕は俳優さんに当て書きをするのですが、それと同じように、今回は文楽人形に当て書きすることができました。
一輔:文楽を目にする機会がなかなかない方も多いと思いますが、三谷文楽をきっかけにご覧いただけると嬉しいです。精一杯頑張って、皆さんの目につくようなお芝居にしたいです。楽しんでいただけたらと思います。
三谷:口酸っぱくして言いますが、文楽って本当におもしろいですよ。知らないなんて損だと思うので、まだ経験のない方はぜひ見ていただきたいです。入門編としてはベストだと思います。文楽を知る方には、こういうやり方もあるんだ、とさらに好きになってもらえる気もします。
『人形ぎらい』ゲネプロレポート
人形劇に対して、子ども向けのお芝居を思い浮かべる人も多いだろう。しかし大人の娯楽として始まった芸能だから、内容も江戸時代から大人向け。中でもドロドロした色恋物語のヒットメーカーが、近松門左衛門だ。
三谷文楽『人形ぎらい』は、近松の名作『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』に出演中の、現代の人形たちの人間(人形?)模様を描くドラマとなる。
幕が開くと、まずは三谷くん人形によるご挨拶とイントロダクション。
文楽の人形は、俳優が衣裳をかえて様々な出し物に出演するように、同じ首が役や衣裳を変えて様々な作品に出る。首ごとに主役専門、脇役専門など役割があり、決まった名前もあることを解説。呼ばれて登場したのが、陀羅助だ。三谷くん人形からの前情報もあいまって、目つき、歩き方、名前の響きまで、捻くれた悪い感じに思われた。
そして劇中劇、近松門左衛門作『鑓の権三重帷子』が始まる。
舞台の右端の高い位置に、三味線と太夫が座る「床(ゆか)」がある。舞台の左端にも同じように「床」がつくられていた。劇中劇の主人公を演じているのは、白塗りの二枚目専門「源太(げんだ)」だ。その主人公との不義密通を疑われる相手役には、皆が姐さんと呼んで慕う、凛と美しい大人の女方の人形。
陀羅助は、ふたりの不義密通をでっちあげる伴之丞役で出演している。
障子の向こうに源太と姐さん。中央に陀羅助。右上に太夫と三味線弾き。劇中劇の上演中。
舞台が終わると、人形たちはバックステージへ。
陀羅助は、自らの役どころへの不満を明かす。脇役の首には、脇役しかまわってこない境遇にも不満があり、かつて上演されていた見せ場が現在では削られ、ないがしろにされていることにも腹を立てている。そして実は、姐さんへの恋心が絡んだやっかみも入り混じって……。
陀羅助は、作者の近松門左衛門に話を書き換えてもらおうと直談判。しかし色々怒られた挙句、ある真実を突き付けられるのだった。陀羅助にとって、ある意味で自由意志の幻想が崩れた瞬間だった。しかし人形だからか三谷の世界だからか、深刻になりすぎないし、「そこ触れて良かったんだ(笑)」という状況に、記者席でもクスクス笑いが絶えなかった。
役にあった顔がある
源太のかしらは、美しかった。人柄も良かった。しかしアクシデントと不幸が重なり、残念な顔に変わってしまう。
美しい顔の源太
源太は、二枚目とは言えない顔で、古典の二枚目を演じることに。
いざ舞台がはじまると、共演者たちの細やかなリアクションがいちいち可笑しくてたまらない。そしてお芝居において、演じ手の顔立ちは大事な要素なんだな、と痛感させる一幕となった。陀羅助が批判していたルッキズムとは別の、役割分担としての顔の必然性が、皮肉な形で証明される展開だった。
源太(事後)と姐さん
左からお福、源太、姐さん、人の不幸を笑う陀羅助。
現代の大阪の街中へ
芝居に自信をなくし、源太は劇場から姿を消してしまう。姐さんに頼まれて、陀羅助は源太を探しに大阪の街へ。それをお福が追いかけていくのだった。
陀羅助とお福。それぞれに味がある。
前回の三谷文楽の時、一輔が「人間にできて人形にできないことはない」と語っていたと、三谷はふり返っていた。それを示すかのように、陀羅助は通天閣にも登るし、スケートボードも鮮やかに乗る。人間離れした動きさえ、人間らしく生き生きと見せた。
ドキッとしたのは、人形たちが「初めて劇場の外に出た」という事実。人形遣いの手を離れたら「物」なのだ。改めて気がつき、不思議な気持ちになった。だからこそ幕切れに人形たちが見せる、役者としての矜持にグッとくるものがあった。
“人形遣いは見えていない”というお約束を盾にしたり、反故にしたり。主役になれない、と憤る陀羅助が今まさに主演だったり。何重にも面白いお芝居だった。三谷が繰り返した「本当にめちゃくちゃ面白い」は本当だった。8月28日(木)までPARCO劇場で上演。
取材・文・撮影=塚田史香