エレファントカシマシ 「俺たちはなんて幸せなバンドなんだろう」――“瞬間の音”を刻み付けた、現在の野音最後の夜を振り返る

レポート
音楽
01:02
エレファントカシマシ

エレファントカシマシ

画像を全て表示(3件)

エレファントカシマシ ~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音
2025年9月28日(日) 日比谷公園大音楽堂(日比谷野外大音楽堂)

「野音を特別に思ってくれたみんなのおかげで、誰かが『野音の最後はエレファントカシマシで』と言ってくれて、ここにいます。俺たちはなんて幸せなバンドなんだろう」

これはライブ終盤での宮本の言葉である。エレファントカシマシが初めて日比谷野外大音楽堂のステージに立ったのは1990年9月29日。それから35年間、彼らはこの場所で最多記録となる41公演を行い、“エレカシの野音”は年中行事のように多くのファンに親しまれてきた。その野音が建て替えで9月いっぱいでいったん閉館となるため、この日が“現在の野音”でのファイナルとなったのだ。会場内は立ち見も含めて超満員で、野音の外にも空気を共有しようと多くのファンが集まっていた。これもエレファントカシマシの野音ならではの景色だ。

「Everybody、ようこそ」と宮本が挨拶して始まったのは「「序曲」夢のちまた」だった。宮本浩次(Vo/Gt)、石森敏行(Gt)、高緑成治(Ba)、冨永義之(Dr)という4人のメンバーが、野音の感触を確かめるように丁寧に音を奏でていた。そして、唯一無二のバンドサウンドが、まるで湖面に雫の波紋が広がるように、会場の隅々にまで深く浸透していった。曲の終わりでは、宮本の激情がほとばしるような歌声が響き渡った。続いての「俺の道」でもバンドは集中力の高い演奏を展開。宮本の体の動きに合わせるように、石森、高緑、冨永が連動した演奏を展開した。互いの動きや気配を察知しあう阿吽の呼吸こそが、エレファントカシマシの自在なグルーヴを生む源泉だろう。客席からもすべての瞬間を目に焼き付けようという姿勢がうかがえた。演奏する側だけでなく、鑑賞する側にも“一心不乱”という言葉がふさわしい節目の野音だ。

2曲目の「俺の道」以降は、メンバーが深い信頼を寄せている細海魚(Key)も加わって、5人編成での演奏となった。「デーデ」「星の砂」といったお馴染みのナンバーでは観客も手を上げ、ハンドクラップして参加。レアな曲が数曲入ってくるのも、“エレカシの野音”ならではの楽しみだ。陰影のある歌声と変幻自在のリズムを備えた演奏に引き込まれたのは「太陽ギラギラ」。宮本のフェイクや口笛が秋風に乗って届いてきた。宮本の歪んだギターで始まったのは「お前の夢を見た(ふられた男)」。ブルージーな歌声と重心の低いヘヴィな演奏がズシッと響いてきた。宮本が振り向き、冨永に近寄ると、拳でシンバルに一発。

「古いけど新しい曲、みんなに捧げます」という言葉に続いては、「ひまつぶし人生」が演奏された。昭和から平成への転換期がモチーフとなった歌だが、《エセ平和が大好き》というフレーズが令和の今の時代にもリアルかつシニカルに響いてきた。グラムロックのテイストも備えたバンドの演奏も味わい深い。ロックバンドとしてのエレファントカシマシの魅力をたっぷり堪能できるセットリストだ。「珍奇男」でも、自由自在の歌声に対して、メンバーが瞬時に反応し、柔軟でありつつソリッドかつスリリングな演奏を展開。赤と青を効果的に使った照明と暮れてきた空の灰色のコントラストも絶妙。

コンサート会場としての野音の大きな魅力は、刻々と移り変わる空の表情や、ビルの窓の明かり、車の走行音、虫の音、そして木々の葉擦れの音などのすべてが、天然の照明や効果音や演出になっていることだ。その特徴を熟知している彼らは、自然の演出が最大限に活きる楽曲を適切な時間帯に配置していた。「昔の侍」では《秋風にさらしている》と宮本が歌っている時に、気持ちのいい風が吹き抜けていった。夕暮れから夕闇へと移り変わる中での「東京の空」も格別だった。冒頭の宮本のキレ味抜群のファンキーなギターのカッティングが独特の味わいをもたらしていく。無常観、緊張感、叙情、そして開放感が混じった世界が実に魅力的だった。さらに一部ラストの曲「月の夜」へ。サイドから月明かりのようなライトに照らされて、宮本が椅子に座り、アコースティックギターを弾きながら歌っていた。歌声につられて、上を見上げて月を探してしまったが、視界に入ったのは星が一つだけだった。

二部の始まりは「旅立ちの朝」。5人が一体となって生み出すグルーヴが気持ちいい。宮本のスケールが大きな歌声は、これから建て替えという新たな旅立ちを迎える野音への、はなむけのようにも響いてきた。「友達がいるのさ」では、宮本と石森、宮本と高緑が肩を組む瞬間があった。歌声もギターもベースもドラムもキーボードも温かい。客席に語りかけるような歌声が染みてきた「悲しみの果て」に続いて演奏された「なぜだか、俺は祈ってゐた。」もレアな曲のひとつだ。個人的でありながら、普遍性を備えていて、深く届いてくる。普段はあまり演奏されない曲の中にも名曲が数多く潜んでいるから、エレファントカシマシは油断がならない。

「星の降るような夜に」では、宮本とともに石森が《歩こうぜ》とコーラスする場面もあった。宮本がパイプ椅子の上で歌うパフォーマンスもあった。星にもっとも近いところで歌いたかったからかもしれない。さらに野音にぴったりな「今宵の月のように」へ。宮本が両手を広げ、客席に向かって「野音baby!」とシャウト。タイトに刻まれるリズムが気持ちいい「yes. I. do」、観客がハンドクラップで参加した「so many people」と、会場内には濃厚な一体感が漂っていた。「笑顔の未来へ」ではエフェクターの踏み間違いと歌詞の間違いで宮本が歌い直す場面もあった。MCは少なめだったが、曲間や静かな曲では、虫の音がいい味を出していて、「パーカッション、鈴虫!」と紹介したくなった。

二部の後半は、ロックバンドとしての“凄み”が全開となった。エモーショナルな歌声と骨太なバンドサウンドによって体の芯から揺さぶられたのは「ズレてる方がいい」だ。続く「RAINBOW」では、メンバー全員が限界を突破していくようなすさまじい演奏を繰り広げた。喜怒哀楽、希望と絶望、光と闇、それらすべてをシェイクしたような混沌とした世界が出現。激しさや荒々しさの極致の中から生まれる美しさがこの曲の最大の魅力だ。《それが俺さ 嘘じゃないさ》というシャウトでの終わり方の鮮やかさに、熱烈な歓声が起こった。

冨永のタイトなドラムで始まり、石森のギターが野音の空気を切り刻むように鳴り響いたのは「奴隷天国」だ。歌だけでなく、「フッ!」「スッ!」といったフェイクがバンドと客席にさらなる気合いを注入していた。宮本が椅子に座り、足を踏みならしながらギターを弾いて始まったのは、「男は行く」だ。足跡を刻むようなずっしりとした演奏が胸に響いた。

本編の最後は彼らのロックンロールの代表曲「ファイティングマン」だ。冒頭の《白い風流しこむ》のところでは、スモークで白くなった空気が秋風で流れていき、歌の世界と野音の景色がシンクロした。渾身の演奏に、観客が両手を挙げて応えている。宮本がジャンプして、フィニッシュ。一列になって肩を組んで挨拶する5人に、盛大な拍手と熱烈な歓声が起こった。

ロックンロールは瞬間芸術だ。過去でも未来でもなく、今の瞬間にのみ存在している。この日、彼らはその瞬間の音を刻みつけるような演奏を展開していた。最後だからといって、感傷的なところはまったくなかった。常によりよい音楽、よりよいライブを模索し、追求している。不器用なくらい真摯でストイックな姿勢があるからこそ、こんなにも多くの回数、彼らは野音のステージに立つことができたのだろう。アンコールでは、まず宮本がひとりで出てきて、冒頭で紹介した発言の続きをこう語った。

「40年近く前に初めて野音でやって、その時に気持ちよく歌えたことしか覚えていない。ずっとやってたから。当たり前みたいにやってた野音だけど、こんなにみんなが野音という場所を愛していて、その場所で、こんな素晴らしいステージで自分たちができるなんて本当に夢にも思ってなかったんで。本当にEverybodyありがとうございます」

そんな挨拶に続いて、宮本はアコースティックギターの弾き語りで「涙」を歌った。体のもっとも深い奥底まで響く歌声、そして、夜空に浮かぶ白い雲よりも高いところまで届く歌声だ。アンコールの最後には、エレファントカシマシの4人で「待つ男」が演奏された。4人の奏でる音がひとつの塊となって、ゴツゴツ届いてきた。初期の曲であっても、最新の衝動を詰め込んだ演奏をできるところが素晴らしい。エレファントカシマシらしい、そしてエレファントカシマシにしかできない野音のステージとなった。野音の建て替えが終わるのは、2029年頃とのこと。気が早いかもしれないが、新しくなった野音でもエレファントカシマシのステージが観たくなった。建物が変わったとしても、あの空や森がある限り、エレファントカシマシには野音がよく似合うはずだからだ。

取材・文=長谷川誠 撮影=岡田貴之

配信情報

[アーカイブ視聴可能期間]
2025年9月30日(火)23:59まで
[配信販売期間]
8月28日(木)18:00〜9月30日(火)18:00
申込の詳細は、エレファントカシマシオフィシャルサイトにてご確認ください。
https://www.elephantkashimashi.com/yaon2025/ticket_stream/
シェア / 保存先を選択