中山秀征デビュー40周年、エンターテイメントを追求し続けるトップランナーの”今こそ”に迫る
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中山秀征
2025年にデビュー40周年を迎えた中山秀征、これまでの足跡を形とすべく5月に国民的愛されキャラの秘密と秘訣をまとめた書籍「気くばりのススメ」の出版、8月にはカンヌ国際映画祭でも披露された作品を中心とした自身の書道作品の個展を開催、そして来る11月には「ヒデライブ2025」を控えている。40周年を迎えてなお芸能界の最前線で走り続ける中山秀征の”今こそ”に迫る
――まずはデビュー40周年おめでとうございます!
ありがとうございます。
――何度も聞かれてると思いますが、芸能生活40周年を迎えて思うことはいかがですか?
今年は40周年ということで、今までやってきたことをひとつ形にしようという年で。5月に「気くばりのススメ」という本の出版がありまして、8月には鳩居堂さんで書道の個展を2週間ほどやりまして。11月に歌ということで、テレビ以外でやってきたことの集大成というわけではないんですけど。40周年を迎えて、これを今後の基準にしようというか。今後の基準を作るような1年にしたかったんです。
――他の記事で40周年を迎えてのコメントを聞かれて「俺って飽きないんだな」と答えてましたが。多方面で精力的に活躍する今年の活動を見ても、ヒデさんのモチベーションの源となってるのは、飽くなき好奇心だったり、探究心だったりというところにあるのかな? と思いました。
う~ん、満足しないというんですかね? 上には上があることは分かってますし、そういったものを見てきている。となると、自分に足りないものもおのずと見えてくる。僕の中心はテレビであり、タレントなので。まず、それが飽きないなというのがあるんですが。テレビも40年やってると当然、テクニックや技術もある程度、身についてくる。ただ、僕は“なりにこなす”というのが好きじゃないし、すごく苦手なんです。だから、上手くいかなかった時に「こんなもんだろう」とは思えないし、良かったとしても「もっと出来たはずだ」と反省する。そういう意味でも「俺って飽きないんだな」と思うんです。
――若い頃と変わらず反省もするから、次も新鮮な気持ちで臨めるし、飽きることがない。僕が今年50歳になったんですけど、この年になって薄ぼんやりと思ってたことが、幾つになっても変わらない気持ちで新しいことに挑戦したり、行動してみるって気持ちが、若くいられる秘訣なんじゃないか? ということで。僕が10歳の頃から、良い意味で変わらぬ印象でテレビで活躍されてるヒデさんの精力的な活動を見たり、著書を読んだりして、「あぁ、間違ってないんだな」と僕の中でも答え合わせが出来た気がしたんです。
ありがとうございます。そう見ていただけると嬉しいですけど、常に新しいことを探しているか?というと、そういうことでもなかったりはするんです。ただ、若い頃は「後でやろう」とか「いつかやろう」とか後回しにしていたことを、50歳くらいから「後回しにするのはやめよう」と思ったというのはありますね。「後でやろうって、いつやるんだ? そんなに時間がないじゃないか!?」と。
――若い頃は時間が無限にあると思ってたけど、有限であることに気がつくというか。
そうなんです。僕は50歳の頃に両親が亡くなって、僕が幾つまで生きられるか分からないけれど、無限ではないことは分かったと。ただやっぱり、根本には希望がなきゃ頑張れないし、希望がないと若さを保てない。そう考えた時、50歳くらいからやりたいことを詰め込んでる感じがあって。『ヒデライブ』を始めたのも50歳の時なんですが、それも「いつか音楽もやりたいな」と思ってて。それまでテレビを中心にやってきて、時折、歌もやったりして、若い頃はライブもやってましたけど。「ライブを積み重ねていこう」と思ったのが50歳の時で、恵比寿ガーデンルームから始めて、年イチのライブを始めるんです。その後、コロナで3年休んで、23年に有楽町ヒューリックホールで再スタートしたんですが。あの時はまだ、ライブをやるということがまだ危うい時期で、翌年から再開でも良かったんですけど。「やっぱりここでやらないと、もう二度とやれないかも知れない」と思って、やることを決断した。そしたらやっぱり、その1年やったのがすごく良かったんですね。そこでまた課題が生まれて、翌年のEXシアターに繋がってという流れが出来て。そのおかげで今も毎年、開催出来てると思っています。
――「後回しはやめよう」と覚悟を持って挑んだことで、推進力をもって進めることが出来たわけですね。そういった、“後回しにせず、やりたいことを今やる”というアグレッシブな気持ちで行動し続けた結果、40周年イヤーの今年はカンヌ国際映画祭で書道展を開催するという、想像もしなかったようなことが起きたりします。
そうなんです。去年、群馬県藤岡市という僕の出身地で、初めて書道の個展をやらせていただいたのですが。「藤岡市市政70周年というところで、書道の個展をやってくれないか?」ということで、個展はやったことがないけどやりたいと思ってましたし、やろうと思っていたことだったので、「ぜひ、やらせて下さい」となりまして。
中山秀征
――書道はいつから本格的にやられていたんですか?
小学校1年生の時から始めて、高校生くらいまでやっていて。その後は習うことなく、自己流でやっていたんですが。当然、プロから見たら「素人だな」っていうのがよく分かるレベルだったので、自分でも納得いかないんですよ。そこで10年くらい前から、青山浩之先生について本格的にやっていて。「いつかお披露目するには、どのタイミングが良いんだろう?」と思いながらやっていたら、「個展をやってくれないか」とか、「『家庭画報』で1年間連載(「文字に心を宿して」)をやってくれないか?」とお声がけいただいて、カンヌに繋がるんです。
――やり続けてたからこそ、そういうチャンスにも恵まれるわけですよね。
そうですね。カンヌは鳩居堂での個展を準備してたら、「カンヌ国際映画祭のマジェスティックホテルで書道の展示をしないか?」という話が来たんですが。カンヌに誘ってくれたのは旧友の赤松裕介という、いまはデジタルフィンガーアートで高い評価を受けてる人で。彼から40年ぶりくらいに連絡があって、「ぜひコラボやりましょう」と言うから、てっきり日本でやるのかと思ったら、「カンヌでやりませんか?」って。最初は絶対、詐欺だと思いましたよ、「カンヌでやるって、どう考えてもおかしいだろ!?」って(笑)。
――カンヌで書道展なんて、聞いたことないと。
聞いたことないですよね? それで詳しく話を聞いたら、「カンヌ国際映画祭って、映画以外にもアートもあればファッションもあるんです」と。「カンヌ映画祭の一連の中に映画があって、映画が終われば代理店が来て。コンベンションがあって、そこで仕事が決まっていくんだ」と。僕ら、映画俳優がレッドカーペットを歩いてるシーンくらいしか知らないから、そんなこと知らないじゃないですか? それが「レッドカーペット歩きましょうよ」とかいうから、「なんで、そんなのお前が決められるの!?」って(笑)。
――わはは。そもそも誘ってくれた赤松さんって、最初に知り合った頃はアーティストとかではなかったわけですよね?
そう、放送作家で1年くらいウチに下宿して、座付き作家してただけですから。それが20年くらい前かな? アジアの方から渡ってパリに行って、5年くらい前からアートを始めて高い評価を受けて、そういうことをやっていたんですが。ドッキリにしても程があるし、詐欺にしても誰も得しないじゃないですか?(笑)それがカンヌに行って、実際にレッドカーペットを歩かせていただいて、「すごいな、お前!」って。
中山秀征
――人生って面白いですね(笑)。それがまた40周年というタイミングでいろいろ重なって、形になってというのが素晴らしいですが。書籍『気くばりのススメ』も読ませていただいて。40年間ずっと頭の中では思っていたこと、自然と実践してきたことをちゃんと言葉にして形にして。一冊の本にまとめてというのは、今後の基準を作ろうと思ったこのタイミングだったからこそ出来たんじゃないか?と思いました。
10年前は書けなかったと思います。この前に『いばらない生き方』(24年)という本を新潮社から出していて、それは『週刊新潮』で1年間連載したものをまとめた本だったんですけど。その時に「やっぱり本をやってみたいな」とちょっと思ったんです。それまでは話があっても、“俺の生き様”とか“中山秀征流”みたいなことを本にするって口幅ったい感じがあって。50歳くらいの時も言われたんですけど、「いや~、俺がなにか成し遂げたわけでもないし、いいよ」と断ってたんですけど。今回は『人は話し方が9割』の永松茂久さんってベストセラー作家に「私がプロデュースをするのでやって欲しい」と言われて、『気くばりのススメ』というタイトルまで決められちゃって。「やると言ったのはいいけど、どうやって形にしたらいいんだろう?」と悩んでたら、「いつもやってることを言葉にして欲しい」と、100問くらいの質問を渡されて。それに回答していく形で書き進めていったんですけど、今度は回答しすぎて「これ、4冊くらいになっちゃいますよ!?」と言われて(笑)。その中から、一般的に使えるものをチョイスしてまとめた感じなんですけど、「これはいまだから書けることなのかな?」というのは僕も思いました。
――書き進めていく中で、ご自身でも気づきや発見があったんじゃないですか?
自分で回答して、読み返しては書き直してという作業をしている中で、「これ、本当に出来てるのだろうか?」というのは思いました。だからこれを書いたことによって、もう一度それをやってみようという気持ちにもなれたし。自分にとってもすごく良かったなって思いますね。姿勢を正すじゃないですけど、自分の中でももう一度噛み砕いてやってみようと思うキッカケにもなりました。
――そして、この本が重版もかかって、すごくたくさんの人の手に届いて。
はい、1ヶ月で3万部売れたと聞いて、本当にありがたいなと。
――やはり、仕事や学校で人間関係に悩む人が多くて、人との付き合い方やコミュニケーションの取り方ってところで、手引きや導いてくれる言葉が欲しい人も多いんでしょうね。
そうですね。だから逆にいうと、僕にとっては当たり前のことだと思っていることも、永松くんに言わせると「当たり前じゃないんですよ。それで悩んでる人が多いんです」と。「人の輪に入れないとか、上司とどう付き合っていいか分からないとか、好きな子にどう告白していいか分からないとか。自分たちは悩んで悩んで、自分で選んで解決していくんだけど。その答えが見つからず、閉じこもってしまったりという人もすごく多いんです」と言われて、「あ~、そうなんだ」と。自分の当たり前が当たり前じゃないことに気付いたし、トークライブなんかやって質問を受けると、「あぁ、そういうことで悩んでるんだ」とか、いっぱい分かりましたよね。
――「苦手な人とは距離を置く」とか、「初デートで話せないなら質問すればいい」とか、すごくシンプルな教えですけど、そんなこと言ってくれる人がいないですからね。
初めてのデート、何を話していいか分かんないというのは、みんなあると思うんですが。話せないなら、話させちゃえばいいんです。口火を切ろうとするから、「面白い話が出来ないんです」となるけど、だったら相手の話を聞けばいいんです。会話っていうのは、こっちが主導権を持つ必要もなくて。聞けば答えてくれるし、相手が話すのが得意だったら、相手に任せちゃえばいいんですよね。
――あと僕は“不敗”の話にすごく感心して。「勝とうと思うことで、敵を作らない」という教えに、「勝ち負けにこだわらないだけで、すごく気が楽になるな」と思いました。そしたら自分を利口に見せようとする必要もない、マウントを取る必要もないと考えたら、それってヒデさんが大事にしている“自分を大きく見せない、バカでいる”という教えにも繋がるんだなと気付きました。
「バカでいる」っていうのは、志村けんさんに教わった言葉なんですが。「いつまでもバカでいろ。バカでいるっていうのは、俺たちにとって褒め言葉なんだ」と言われて、バカでいるというのは、バカバカしさを持つことであったり、面白がるということであったり。いろんなことに興味を持って、出来ないこともやってみるということが、「バカだねぇ」っていうことだと思ってて。志村さんは極める方なので、ご自身のステージで三味線をやったりするんだけど、三味線を見事に決めて、お辞儀して帰る時にケツが出てるっていう(笑)。その「バカだなぁ!」が大事で、カッコいいだけで終わらないというのが志村さんの流儀なんです。テレビを長くやってるとね、やっぱり溺れるんですよ。切れ味がいいとか、仕切りが強いとか、自分の言葉で締められるとか、それがカッコいいのも分かるし、それに溺れるのも分かるんです。でも、上には上がいるっていう風に僕はいつも思ってて。スペシャリストがいるんだから、そこはスペシャリストに任せようとか。自分が司会をしながらでも出来ることはやりますけど、それ以上はやらない。
――そこは勝ち負けじゃないから、全部を自分でやる必要もない。
そう、勝ち負けじゃないんです。そこで自分が上手いことやって、勝ったらカッコいいかも知れないけど、相手が敵になるだけですから。“不敗”というのは、負けないように戦うということで、負けないということは全勝なんです。その考え方だと今日、明日に勝負がつくわけじゃない、長丁場にはなりますけど、負けない限りは全勝が続くわけで。大事なのは勝ち負けじゃなくて、それをやり続けていけるかどうか? になるんです。
中山秀征
――すごくためになるし心強いです! そして、11月29日(土)にEX THEATER ROPPONGIにて開催される『ヒデライブ 2025』についてもお聞きしたいのですが。今年も去年に負けず劣らずの豪華ゲストが発表されました。
昨年はスペシャルゲストに、五木ひろしさんをお招きして。「紅白歌合戦のトリを務める本物の歌手というのは、こういうことなんだな!」と圧倒されましたが。今年もタカアンドトシ、MAX、そして水谷千重子さんという豪華ゲストを迎えて、みなさんに楽しんでいただこうと思っています。これは後から分かったことだったんですが、タカトシとMAXが30周年、僕が40周年、そして水谷千重子さんが3回目の芸能生活50周年ということで(笑)。30周年、40周年、50周年が揃いまして。
――みんなの周年を祝うステージになるんですね、おめでたいです!
タカトシは東京に出てきたばかりの頃、『ラジかる!!』(日本テレビ・05年~)でブレイクして。それを恩義に思ってくれてて、いまでも付き合いがすごく深いんですが。歌も上手いんで、漫才と歌をお願いしようと思ってます。MAXは『夜もヒッパレ!!』(日本テレビ・95年~)でずっとご一緒していたので、“夜もヒッパレメドレー”的なことが出来ないか?と考えてます。そして去年、五木ひろしさんをお呼びしたので、もうそれ以上の方がいないというところで、3回目の50周年を迎える大御所・水谷千重子先生にご出演をご依頼したところ、ご快諾頂きまして。キャスティングが固まったところで、「これぞ、ジャパニーズ・エンターテイメント!」というものをお見せしようと意気込んでます。……まぁ、ここから内容を考えていかなきゃいけないんですけど(笑)。
――あはは。ヒデさんにとって、年に一度の『ヒデライブ』ってどんな場所であり、どんな存在なんですか?
僕らがやってるバラエティや情報番組で大事なのは、自分の持ってる個性とか流儀とか、これまでの蓄積や積み重ねであって、練習が必要なものではないんですけど。ライブっていうのは練習がなければ出来ない。2時間弱の中でどういう流れで何を歌って、どんなステージングをするのか?というところで、モノ作りをしたり、お稽古をしたり、リハーサルをしなければいけない。そういったものを怠ってはいけないというところで、自分にとってすごく大事な場所であるというのがひとつと。僕の中では「いつか『ヒデライブ』をテレビにしたい」という気持ちがあって。いまテレビを作ってる人たちに『ヒデライブ』を見てもらって、「やっぱりこういうのっていいよね」とか、「なにかやってみよう」と刺激になればいいなと思っています。それを形にするのはなかなか難しいけど、いつか「ヒデちゃん、まだやってるの!?」となって、「どっかで一回くらいやってみようか」という日が来るまで、諦めずにやり続けようと思ってます。『今夜は最高!』とかもそうですけど、歌があってコントがあって、トークがあるっていう、『ヒデライブ』の形が僕の中でのバラエティショーなので。「これをテレビで流せばいいだけだから、出来なくないでしょう?」っていうライブをやり続けたいんです。
――そんな想いや野望もあったんですね。僕が『ヒデライブ』を観てすごいなと思ったのが、スター・中山秀征を見せつけることが目的ではなく、「みんなで楽しむ」がライブのテーマになってるところで。お客さんたちに「みんなで歌いましょう」と呼びかけて一緒に歌って、豪華ゲストを引き立たせるためにホストに徹して。締めるところはご自身でしっかり締めてという、あの作り方ってヒデさんにしか出来ないなと思ったのですが。それがテレビを見越してだったという話を聞くと、すごく納得もします。
何年かやり続けて、「中山秀征ショーってこういうものです」という形になってきたんですけど。やるたびに「あぁ、なるほど」と気付くことがあって、自分の得意な形になっていった結果という気がしますね。これからもいろんな人が観て「いやぁ、面白かった」と帰ってもらえるライブにしたいし、それをステージでもテレビでもやっていきたいし、「これを生で観れるのは、ここしかない」というステージを作っていきたいし。お客さんも一緒に共感出来たり、歌えたり、笑えたり泣けたりというのは、生のステージでしか出来ないので。ここにしかない面白さや臨場感をお届けしていきたいと思っています。
中山秀征
――ライブをやって感じる、生のステージにしかないものってなんだと思いますか?
まずは逃げ場がないってことですね。やっぱり作り物なので、テレビの組み立て方と同じようにいかないし、本当にギリギリまで不安なんです。いざステージに立つと、生のバンドだったり、目の前のお客さんだったりに対しての焦りとか、その場で対応しなきゃいけないノリもありますし。その緊張感がいいんだっていうのもあるんですけどね。
――焦りや不安を超えるお客さんの反応だったり、そこに生まれる独特の空気感もありますよね。
そう。テレビタレントとしてステージに立つ以上、その両方を知ってて、両方に対応出来る方が絶対にいいですしね。あとはライブで目の前でたくさんのお客さんの反応を見たり、書道展で一緒に写真を撮ったりお話したりすると、「こういう人たちがテレビを観てくれてるんだな」とか、「こういう人たちが応援してくれてるんだ」というのがよく分かって、あれはすごく大事ですね。書道展なんて、ひっきりなしにお客さんが入ってくれて会話をすることで、応援してくれる人の顔が浮かぶようになるし、実感みたいなものも湧く。テレビでは普段から目の前の笑いより、カメラの向こうやテレビの先をイメージしているんですが。テレビの先の人たちの顔が実際に見えるのは、やっぱり嬉しいですね。
――テレビのお仕事をしていても、カメラの向こうにいる人の顔を具体的に想像出来るのは大きいでしょうね。
僕が昔からテレビの作り方として変わってないのは、カメラの向こうは茶の間なんです。いまもそうだけど、一人で見てる画はあまりなくて、僕が見えてるのはひとつのテレビを家族で見てる画なんです。やっぱり子供がいて、おじいちゃんおばあちゃんがいて、両親がいてという、自分が見ていた光景がいまでもあるんです。いまだに「テレビは一家に一台」だと思ってますから(笑)。
――あはは。でも、すごく納得ですし、正しいと思います。逆にいうと、僕は家族で観てたテレビの中に、ヒデさんが日常的にいた感覚がありますし。いまも週末、朝ごはん食べながら家族で「シューイチ」観てますから。
ありがとうございます。いろんなご意見ありますけど、「こういう週末の朝があってもいいんじゃないか?」っていうのが、自分の番組作りの基本で。「前例がない」とか言われましたけど、「だったら、そういう朝もあっていいんじゃない?」っていう提案ですよね。ニュース報道もやりつつ、なんとなく緩くなって、最後はバラエティで終わるっていう。「最初、なんだったんだろう?」っていう。だんだん柔らかくなっていく感じもいいなって。難しいことやっても、僕がやってる程度ですから大したことはないです(笑)。
――わはは。あと個人的にもお聞きしたいんですが、ヒデさんが衝撃を受けたステージや影響を受けたステージってありますか?
凄いステージはたくさん観ましたけど、やっぱり永ちゃん(矢沢永吉)ですね。分かりやすい、裏切らない、全部やる!(笑)「止まらないHa〜Ha」で終わりますけど、やっぱりあの曲をやらないとダメだし。永ちゃんのコンサートって長くないんですが、2時間を越えないところが、お客さんの気持ちいい限界を知ってるってことだと思うんです。サービス精神で長くなっちゃうのがありがた迷惑だったりするコンサートもあるけど、永ちゃんは観終わった時に「もう完璧!」って思いますから。永ちゃんのコンサートは本当にすごいなと思います。よく、アーティストからパワーをもらうっていいますけど、永ちゃんのライブを観ると本当に力をもらえる。いろいろ含めて、永ちゃんはすごいですね。
――では最後に『ヒデライブ』への意気込み、ライブでやりたいことを教えて下さい。
いま、ライブのサブタイトルを「今こそ中山秀征」に変えようと思ってて。「今こそ、やるべき時だぞ」って意味を込めて、自分に対しても鞭打つような気持ちで臨みたいなと思っています。難しい時代だけど、今こそやろうと思ってますので、期待して下さい。あと、年末にもう一発お楽しみということで、ディナーショーも予定しているので、そちらも期待していただいて。まずは、『HIDELIVE 2025 今こそ!中山秀征ショー!』を楽しみにして下さい!
取材・文=フジジュン 撮影=大塚秀美
中山秀征
ライブ情報
「HIDELIVE 2025 今こそ!中山秀征ショー!」
2025年11月29日(土)EXTHEATER ROPPONGI
開場:15:00 / 開演:16:00 ※18時終演
スペシャルゲスト:MAX、タカアンドトシ、水谷千重子