務川慧悟、32歳。「不思議なくらい親密」なショパン32歳の作品を弾く~スタクラ発「1842年」テーマのオール・ショパン・プログラム、次なるステージへの想い
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2026年1月25日(日)、今年(2025)10月に開催された『イープラス presents スタクラ 2025 in 横浜 ーSTAND UP! CLASSICー』(以下、スタクラ)の公演に続いて、ピアニスト務川慧悟が「1842年のショパン」を中心にオール・ショパン・プログラムでのリサイタルを開催する。スタクラでは1842年の作品5曲・60分間の公演だったが、今回はそれに新たなプログラムを加えての演奏。山形テルサホール一回のみの貴重な公演だ。
12月初旬まで「革新のベートーヴェン」と題したオール・ベートーヴェン・プログラムのリサイタルツアーを行い、ベートーヴェンの後期ソナタにも取り組んでいた務川だが、来年早々に開催される ‟濃密な” ショパン・プログラムに対しての思いを語ってもらった。(※編集註:取材はツアー最終日となる富山公演直前に行われた)
ショパンは「不思議なくらい親密で、すべてを癒してくれる存在」
——数日後にはオール・ベートーヴェンのプログラム、ソナタ32番などの後期の大作品に挑戦するリサイタルに臨まれる訳ですが、同時に円熟期の難解なショパン作品にも向き合うのはかなりのエネルギーを要するのではないかと……。
基本的にベートーヴェンもショパンも高校生の頃から最も数多く演奏していた作曲家ですが、特にショパンに関しては苦労するという感覚はまったくないんです。もちろん演奏は簡単ではないですが、むしろ“共感”という感覚が一番しっくりくるというのが実直な想いです。今回のプログラムを演奏する今の僕が32歳で、1842年当時のショパンと同じ年齢だというのも偶然ではないかもしれません。
——以前のインタビューでは、一日の終わりにショパン作品を演奏すると「安らぐ」と仰ってましたね?
それこそ疲れた時や夜寝る前などに弾くとそういう感覚になります。「マズルカのような作品を自分のために弾けたら、それだけで嬉しい」みたいな感覚で、本当に不思議なくらい親密な存在なんです。僕にとって、⾳楽には、プラスのエネルギーを与えてくれるものと、マイナスのエネルギーを癒してくれるもの、⼤まかに2種類ある。ショパンの多くの作品は後者なんです。ショパンは僕の中にあるすべてを癒してくれる存在です。
——どの時代の作品についてもそのような感情を抱いているのですか?
特に晩年の作品こそ、そういう存在です。そのあたりの時代の作品は「練習して、一生懸命に努力して弾く」というよりも「ただ自分のために弾いていたい……」本当にそういう感じです。
——ベートーヴェンに対しても、似たような感情を抱いているのでしょうか?
いえ、ベートーヴェンは全く違って、偉大過ぎて弾けば弾くほど遠ざかっていく作曲家です。特に今、32番のソナタに向き合っているのですが、僕のような若造がベートーヴェンの32番の世界を完全に表現できているとは一度も思ったことはないです。だから演奏するのに勇気が必要で今まで遠ざけていたのですが、そろそろその勇気を出して弾いていかないと自分自身の音楽も深まっていかないと思いまして挑戦することにしました。
——バラードの4番なども癒される音楽なのでしょうか?
「幻想ポロネーズ」や「舟歌」もです(笑)。却って、そういう作品のほうが昔からたくさん聴いて身体に沁み込んでいるので、そう感じられるところがありますね。高校生の時に本当にハマっていたんです。
ショパンに抱く「変わらないイメージ」とは
——今、30代になってそれらの作品群を改めて演奏するにあたって、アプローチや感触やかなり違ってきていますか?
ショパン像に関してはほとんど変わっていないです。むしろ曲に対する感じ方も10代の時のものとあまり変わっていないです。もちろん、感じたものを再現したり、表現する技術や演奏方法に対する思考は少しは進化したかな……というところですが、頭の中にあるイメージはほとんど変わっていないです。
——「変わらないイメージ」とは具体的に言語化すると、どのような感じですか?
これは非常に難しいですが、やはりショパンの音楽の根本にあるものは、彼自身が病弱であったということです。身体が弱いというのは、例えば日々の生活においても夜に対する不安とか、将来に対する不安というものがずっと付き纏う訳ですよね。それこそ夜毎、病にうなされる恐怖に苛まれていたかのような感覚を40番台の作品からスゴく感じるんです。バラード4番にも同じものを感じています。
——バラード4番のお話が出たところで、作曲技法という点では最も円熟した作品と捉えられていますが、務川さんとしては、どのようなところでその点について感じられますか?
音数は驚異的に多いですが、無駄な音が一つもない作品だと思っています。もちろん作曲技法という点でも完全に成熟しきっていて、その土台の上に当時ショパンが持っていたありとあらゆる感情が載せられて、非の打ち所がない作品です。それがもっとファンタジー的な方向性に向かったところで生まれたのが「幻想ポロネーズ」であり、また、ソナタ3番はかなりソナタに忠実な形式を取っていながらも、やはり即興的な要素が加えられています。
——「英雄ポロネーズ」が1842年に作曲されたというのはとても不思議な感じがするのですが、これについてはどのように感じていますか?
その質問は答えるのが難しいのですが、以前は(ショパン自身が)バラード4番で苦しみや哀しみのすべてを吐き出したところで、「いや、それでも闘っていく……」みたいな位置付けとして書かれたものだと思っていたのですが、実際バラード4番と英雄は並行してスケッチが書かれていて、これは簡単に割り切れる問題ではないな……と思い始めているところです。
この1842年の作品のように50番台の作品から晩年の60番台の作品群にあるのは、哀しみや苦悩の発露と同時に一条の希望の光を抱く強さというような二つの相反する感情の共生みたいなところがあるように思えます。例えばソナタ3番も途中の過程は驚くほど複雑ですが、最後フォルティッシモのロ長調の和音で終わりますよね。「舟歌」も「幻想ポロネーズ」も途中はすごく暗いところもありますが、最後は絶対に光を求めるかのようなフォルティッシモの和音で終わっています。だから、ショパンという人は一見、繊細で性格的にも過敏なところがあったとは思いますが、精神的には本当に強い人だったと思います。
——スケルツォ4番に関しても、冒頭部は長調で始まり、ほのぼのとした牧歌的な曲想があったり、愛情にあふれた情景など、1842年の流れの中でこの作品が生まれたのは不思議です。
恐らく、苦悩の連続の中にもノアンの別荘で過ごした時間の濃密さがそうさせたのではと思います。1842年は画家のドラクロワもかなりノアンに滞在していましたし、気の置けない友人たちに囲まれて豊かな時間を過ごしていたんだろうな……と。そんな情景が思い浮かびます。興味深いことに、ショパンはこの最後のスケルツォで初めて、最もスケルツォというタイトルにふさわしい作品を生みだしました。
——ドラクロワの影響というのは具体的にどのようなことを想像しますか?
ショパン自身、絵も描き、もちろん文学にも詳しい訳ですけど、こと自分の作品に対しては、いわゆる純音楽を貫いていて、直截的には文学や絵画からの引用というものを用いていないですよね。実はこの部分が僕自身にとってショパンの一番恐ろしいところです。未だにショパンがどのように他のジャンルの芸術から影響を受けたのかという点については計り知れないところがあります。例えば、葬送ソナタ(ソナタ第2番)一つ取ってみても、何かしらのインスピレーションから生みだされたというのがあると思うのですが、ショパンは絶対に語らない……。
——ラヴェルにおける「夜のガスパール」のような詩の断章から生まれた想いがあったかもしれないと……。
そうです。ショパンの脳裏にはものスゴく深いものがあったと思うのですが、それが見えてこないんです。ショパンの音楽はもちろんロマンティックで、聴いていて心地よいという印象で捉えられる部分も多いですが、実はここまで深淵さに満ちているというのは、やはりそういう部分も大きいと思います。だからこそ、それを探し求めてゆくのが僕自身のこれからのショパン作品との関わりであると思っています。
2026年は一度きり? 山形でのプログラム構想は
——今回の山形の演奏会は、スタクラで演奏された1842年の作品5曲60分のプログラムに、新たにいくつかのショパン作品が加えられて一つのプログラムとされるわけですが、他はどのような作品を演奏する予定でしょうか?
実はまだ決めてないんです(笑)。というのも、これだけ完璧なプログラムにどうやって足そうか……というのが難しい問題でして(笑)。
ただ、今少し考えているのは、休憩後の後半プログラムとして1842年の作品群全曲を演奏して、前半にはワルシャワ時代の作品あたりを入れようかなと思っています。
——と言いますと?
うーん、そうですね、「アンダンテ・スピアナート」はちょっと違うか……、遺作のポロネーズやノクターンあたりもありますし、若書きの作品たちを通して“爽やかなショパン”というのが良いかなと。
——全般にわたってショパンの成熟の過程が楽しめるプログラムであることは間違いないということで(笑)。
本当はショパン作品なら駄作でも全部弾きたいと思っているんです。二つのブーレとかフーガとか。マニアックなものでは、アレグレットやマズールあたりも。とにかくソロ作品だけでも多分212曲あるのですが、ほとんど全曲把握しています(笑)。
——それこそ5時間くらいのマラソン演奏会になりそうですね。
いや、一日ではやりたくないんです。
——むしろ、時代を分けることに意義があると?
例えば、ワルシャワ時代の作品だとしたら、今度、他の演奏会でもやるんですけど、いわゆるウィーン式の古楽器で演奏したいですね。ワルシャワ時代のショパンは、ベートーヴェンら古典派ウィーンの作曲家の用いたウィーン式アクション系統の楽器を中心に用いていた。そういう意味でも、ワルシャワ時代の作品はプレイエルじゃなくて古典派の古楽器でやるといいんですよ。僕の中の認識としては、若い頃のショパンは自分自身で「古典派の作曲家の延長線上にいる」と思っていたんじゃないかと。
——パリに行ってすべてが変わったのでしょうか?
パリに行ってサロン的な雰囲気とフランス語に触れたことで変化みたいなものがあったんじゃないかなと思うんです。フレーズの頂点を歌い切らず、ちょっと抜くニュアンスというのがスケルツォの4番やソナタ3番の中でたくさん出てくるのですが、それもフランス語の影響が大きかったのではないかと思います。
もう一つは、パリで初めてプレイエルという楽器、いわゆるイギリスから来たフランス式楽器ですよね。その出合いのあたりから作風がさらに変化して発展していった、というような流れはあると思います。というところで、今一度ショパンを勉強し直したいと思っているところです。
——では最後にファンの皆さんにメッセージを。
機会があればいつでも弾きたいオールショパン・プログラムですが、今のところ、2026年に関してはこの一回だけの予感がしていますので(笑)、ぜひ県外からもお越しいただければ幸いです。もしかしたら雪深いかもしれませんが、日曜日の昼公演ですので、日帰りも可能です!
取材・文=朝岡久美子 撮影=奥野倫
公演情報
会場:山形テルサホール
ショパン:
3つのマズルカ Op.50
即興曲 第3番 変ト長調 Op.51
バラード 第4番 ヘ短調 Op.52
ポロネーズ 第6番 変イ長調「英雄」Op.53
スケルツォ 第4番 ホ長調 Op.54
ほか