“ミスターIWGP”永田裕志が思い出の地・佐倉で開催のプロデュース興行を熱く語る!『ブルージャスティスXVII~青義変遷~』は1/18ゴング
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新日本プロレスの“ブルージャスティス”“ミスターIWGP”永田裕志が1月18日(日)千葉・佐倉市民体育館でプロデュース興行を開催する
新日本プロレスの“ブルージャスティス”“ミスターIWGP”永田裕志が1月18日(日)、千葉・佐倉市民体育館にて通算17度目のプロデュース興行『ブルージャスティスⅩⅦ~青義変遷~』を開催する。
大会ロゴ
1・4東京ドームで棚橋弘至が現役を引退し、柔道金メダリストのウルフアロンがプロレスデビューを果たし、新日本プロレスは時代の変わり目を迎えている。よって今回のプロデュース興行は事実上、新日本プロレス2026年シリーズのスタートと言っていいだろう。今回永田自身に2025年を振り返ってもらい、棚橋への思いやウルフのプロレス転向エピソード、そしてプロデュース興行について語ってもらった。なおインタビューは、2025年12月28日の対戦カード発表前に行われている。
(聞き手:新井宏)
永田裕志ここにありというのを見せてやろうとの思い
――永田選手にとって、2025年はどんな一年でしたか?
永田「キャリア33年。当初は25年の1月いっぱいで新日本プロレスの選手契約が満了だったんですけども、ありがたいことに永田裕志を年齢の枠だけで切ってしまうのは問題なんじゃないかということを会社が再契約してくれまして、感謝の気持ちを持ちながらやってきました。
それが決まった矢先にIWGP(世界ヘビー級王座)挑戦(3・15名古屋。vs後藤洋央紀)が決まり、それによっていろんな波紋も起きましたね。あと少しで57歳になるような人間、シリーズに出ていないような人間がIWGP、しかもニュージャパンカップ中に挑戦するのはいかがなものかと。当時は、そのほかにも体制に対しての不平不満も噴出してはいたのですが、ボクは人生をかけて挑戦して、ベルトを取るつもりでいました。残念ながら取れませんでしたが…」
――ミスターIWGPと呼ばれた永田選手ですが、(11年12・4名古屋、棚橋弘至とのIWGPヘビー級以来)実に13年ぶりの挑戦でした。試合後には、「なんとしてももう1回取らないと」とのコメントもありましたが。
永田「そうですね。それがボクのライフワークと言うか、現役でいるがためのモチベーションと言いますか。ここで取り逃してしまったのは悔しいですよ。まあ、悔しいと感じられるうちはまだ大丈夫かなと思っていますね」
――25年は2回、永田選手のプロデュース興行がありました。1月19日に千葉県佐倉市、9月7日に東金市。ふたつとも棚橋選手と絡みましたね。どちらも棚橋選手の引退を見据えて、という形になりますか?
永田「それもあります。1回目のときは、結果的に社長と組んだ最後になりましたね。あの大会は、棚橋社長がボクを新日本に残そうと動いてくれているときの開催だったんですよ。そういった意味での社長への感謝もあったので、9月の東金のときにはすでに棚橋選手とはやり切った感があったんです。そんななかで、周りのファンの人たちからは『東金は棚橋で決まりでしょう』という声が不思議とたくさんあって」
――ここは棚橋選手との試合だろうと。
永田「そうですね。たとえ新日本の契約が満了になったとしても、選手として、またプロモーターとしてもやっていけると思ったのは、やっぱりたくさんのファンの方々の応援なんですよね。そのファンの人たちが棚橋選手とのシングルマッチを望むのならぜひともやって、永田裕志ここにありというのを見せてやろうとの思いでシングルをやりましたね」
――棚橋選手とは8年ぶりのシングルでした。最後にもなった一騎打ちはどうでしたか?
永田「お客さんもコロナ禍あけて初めて1,500人以上入りましたし、棚橋ともお互いの身体ボロボロになっても、魂だけはしっかりとぶつけ合うことができました。あのとき、向こうはG1に出て調子あげてましたよね。ボクはG1期間中、(DDTの超日本プロレスで)バラモン兄弟と闘ってましたから(笑)」
――プロレスは幅広いですね。
永田「そうですね(笑)」
永田裕志
棚橋弘至が選手を引退。新日本、プロレス界が変革の時を迎える
――さて、棚橋選手が1・4東京ドームで選手を引退。社長専念で立場が変わります。これにより、新日本、プロレス界が変革の時を迎えると思いますが。
永田「(棚橋は)選手として新日本をV字回復に導いた男。素晴らしい闘いをずっととしてきましたよね。ただ、その代償が両ヒザにきてしまったりというのが目に見えてわかりますけど」
――IWGP王座を懸けて対戦してきました。
永田「ボクは、新日本の暗黒時代にすべての悪評の泥をかぶった男。棚橋選手はそこからの厳しい状況のなか、身体を張って新日本を支えてきてくれました」
――永田選手が築いてきたIWGPの歴史を棚橋選手が受け継ぎ、業績も回復させた。
永田「新日本ファンの方々の価値観を変えたのは棚橋選手だと思います。どうしても新日本というと、アントニオ猪木会長がいらっしゃった頃のストロングスタイルというか、そういった価値観をずっと追い続けるファンがたくさんいて、棚橋選手が出てきたころはその価値観のもとにかなりの向かい風を受けましたよね。その逆風を地道に、しかもしっかり吹き飛ばして変えたところに、彼のすごさがありますね」
――その棚橋選手が、今後は社長に専念する。
永田「イメージもいいと思いますよ」
永田裕志
柔道金メダリストのウルフアロンがプロレス転向デュー
――1・4東京ドームですが、棚橋選手の引退と並び、もうひとつの大きな話題がウルフアロン選手のデビュー。柔道の金メダリストがプロレスに転向します。メダリストといえば、永田選手の弟(克彦)さんがレスリングのメダリストです。そういった意味でも関係性がありますね。
永田「なにしろ、彼を新日本に導いたのはボクですから。2021年の東京オリンピック直後、たまたまアスリートが出てるバラエティー番組を録画していたんですよ。レスリングの選手とかけっこう出ていて、そこに柔道のウルフも出ていて、明石家さんまさんから『プロレスからの声とかどうなの?』みたいなことを聞かれてたんですよね。そしたら彼の口から『新日本』との言葉が出てきて、これは脈あるなと思って。そこでXにポストさせてもらったんですよ。ウルフ選手をぜひウチにとやったら、その日のうちに引用ポストで『もう少しお待ちください』と。もう、さんまさん様様ですね(笑)」
――ウルフ選手にはプロレスへの適性があると読んだのですね。
永田「そうなんですよ。そこでいろいろとつながろうと思ってやってみました。ただ彼自身もパリまではオリンピックをめざすだろうと思って、予選会とかそういうのが終わってからアポ取ろうと。そしてパリオリンピック出場が決まりまして、オリンピック前でしたけどコラボの依頼だけして、オリンピック後、すぐにコラボさせてもらい一席設けてもらったんですね。そのとき、ぜひ新日本に入団してほしい、プロレスラーになってほしいということを伝えました。
そこから『ぜひ新日本でやりたい』という返答をいただきまして、ブシロードの木谷高明さんたちにつなげて、その後はトントン拍子で決まりました。そして柔道引退会見ののち、すぐ新日本入団になりましたね」
――きっかけを作っただけに、ウルフ選手への思い入れも大きいのではないですか?
永田「そうですね。道場で毎日しっかり練習して、ほかの若い選手とちゃんこも食べて、ホントに一生懸命やってますよ」
永田裕志
1・18佐倉は、事実上、新日本の26年シリーズの開幕
――1・4で棚橋選手が現役を去り、ウルフ選手がプロレスラーに転身。直後の1・5大田区を挟み、1・18佐倉で永田選手のプロデュース興行。これが事実上、新日本の26年シリーズの開幕にあたると思います。ちょうど一年ぶりの佐倉大会で、通算17回目のプロデュース興行です。永田選手のプロデュース興行は07年に地元・東金市でスタートしました。新日本があるなかで、なぜ個人のプロデュース興行を始めたのでしょうか?
永田「たまたまうちの営業の方に『自主興行みたいに地元の東金でやってみない?』と勧められました。ちょうど06年にボクの個人会社ナガタロックを起ち上げまして、そこで興行もありかなと思って、最初は手探りではじめたんですね。両親とか中学時代の仲間とか、いろんな人脈を使ってやらせてもらいました。たくさんの方に協力していただいてホントに感謝でしたね」
――最初から恒例化を考えていたのですか?
永田「いや、考えていなかったです。恒例化したのは、やっぱりファンの反応からですね。『また見たい』との声がだんだん聞こえてきて。ただ、東金市自体の人口からしても毎年は難しいだろうと。それで、2年後の09年にやりました。その後、16年からは毎年やるようになったんですよ。17年がちょうどボクの25周年で、その後も続けています」
――東金だけではなく、佐倉も加わりました。佐倉市での開催は3回目になりますね。
永田「そうです。佐倉市民体育館は、41年前か、ボクが初めてレスリングの試合をした体育館なんですよ。佐倉市は千葉県のレスリングのメッカで、いまでも県大会とかここでやっているんですよね。その場所で、一度は(プロレスの)試合がしたかったのもありますね。それが、23年の6月18日でした」
――東金と佐倉での永田選手プロデュース興行、すっかり定着したと思いますが、マッチメークなどで常に心掛けていることはなんですか?
永田「カードに関しては、あまり自分からは注文しないんです。ただ、ボクのカードだけはお願いするんですね。必ずしもその通りにいくとは限らないですけど」
大会ポスター
永田「新日本に導いたウルフと組んでみたい」
――次回、1・18佐倉のカードは?
永田「希望としては、ドームでデビューし、自ら新日本に導いたウルフと組んでみたいなと思ってますね」
――1・4(&1・5)次第ということですか?
永田「そうです。いくら大暴れをしてもいいからケガだけはしないでねと(笑)。まあ、勝ち負けはいいので、とのにかく大暴れしてほしいですよ」
――1・4東京ドームは、すでに
永田「Uインターとのときのことは忘れられないですね。超満員のお客様の視線が一気にボクらに集まってね。最初はUインターの桜庭選手、金原選手が入場して、声援あり、ブーイングあり。そしてボクと石澤選手が入っていったときの地鳴りのような唸り声。それはもう忘れられないです。こんなに盛り上がるのかと、イケイケになりましたよ」
――再び超満員の東京ドームで、こんどはウルフ選手がリングに向かう。永田選手にとって感慨深いものがあるのではないですか?
永田「そうですね。歴史的なデビュー戦ですからね、ボクもできれば近くで目に焼き付けたいですね」
――なるほど。話を戻しますが、1・18佐倉をどういう大会にしたいですか?
永田「佐倉市民体育館は、26年4月から本格的な改修工事で2年間使えなくなるんですよ。なので、佐倉市民体育館での大会はしばらくないのですが、この大会には次世代の選手もたくさん出場します。もし1・4ドームで(IWGP GLOBAL王者の)辻陽太が(KONOSUKE TAKESHITAからIWGP世界ヘビー級の)ベルト取ってくれたら、辻を筆頭に同世代の選手たちの顔色がどんどん変わってくると思うんですよ。それによって新日本がもっと活性化してほしい。そういうのが出てきたときに、彼らにボクが挑戦するのもいいなと思いますしね。また、知名度のあるウルフが、すごく注目されているうちにどう育っていくかも楽しみです」
――佐倉大会がその第一歩になる?
永田「そうですね。あと、テンコジ(天山広吉&小島聡)がデビュー35周年になるので、天山さんには試合ができてもできなくても体調が戻れば佐倉大会には来てほしいなと」
――新日本所属でありながらプロデュース興行を開催する選手は異色でもありますよね。永田選手にとってプロデュース興行とは?
永田「とにかくボクは、たくさんの千葉県のお客様にプロレスを見ていただいて喜んでもらいたい。千葉県ってプロレスが盛んなようで、意外とまだまだなんですよ。幕張、船橋、千葉まではありますけど、その先はまだ少ない。ボクはその先のエリアをやって、千葉県全体をもっと盛り上げたい気持ちがあります。なので、今後はもう一か所、プロデュース興行を計画中なんですよ」
――なるほど。今後も精力的に動いていこうと。キャリア34年目になる永田選手ですが、ここまでコンディションをキープしている秘訣は?
永田「実際は年々きつくなってきますよ。ただ、最近は先人に言われたことがだんだんよくわかるようになってきたというか。たとえば、猪木会長がやっていた闘魂棒を持ってのトレーニング。当時はあまり感じなかったんですけど、いまになってみると、あの棒を持ってストレッチをしながら筋力を鍛えるのがいいのがよくわかります。
猪木会長が引退前、50歳代半ばくらいだったときに、闘魂棒で身体をほぐして汗をかいて、手首とか肩関節を柔らかくしながら筋力をつけていた。当時はあの負荷でいいのかわからなかったですけど、いまになってわかりますね。あとはカール・ゴッチさん(の教え)。キャリアがいったらマストでトレーニングしないといけない。やらないと固まってしまうし、機能も止まってしまう。それがよくわかるようになりました」
――改めて日々のトレーニングの大切さがわかったと。
永田「ハイ。続ければ、できます。ボクと同世代の選手でいまもがんばってる選手たちは、そうしているんだと思います」
大会ポスターをもつ永田裕志
――なるほど。では最後に、1・18佐倉に向けてメッセージを。
永田「1月18日(日)千葉・佐倉市民体育館にて『ブルージャスティスⅩⅦ~青義変遷~』を開催します。デビューしたてのウルフアロンも参戦予定ですし、棚橋弘至引退後の次世代の選手が多数参戦して素晴らしいファイトをしてくれます。また、天山選手、小島選手の35周年の記念すべき年、2人が試合組まれるかはわかりませんが、できたら来場してほしいと思っています。
そして佐倉市民体育館が26年4月から2年間の改修工事でしばらく試合ができないということで、ここで新日本の闘いぶりをしっかりと目に焼き付けてもらって、佐倉市民のみなさまに感動をたくさん与えられたらいいなと思います。工事が終わったら戻ってきますので、しばしのお別れになりますが、1月18日、新日本精鋭陣が全力で闘い佐倉市民のみなさんを熱狂させ、会場が興奮のるつぼと化しますので、ぜひ多数のご来場よろしくお願いいたします。ゼア!」
ゼア!
メインは永田&ウルフ&矢野&ボルチンvsEVIL&成田&裕二郎&東郷!
1月6日に発表された対戦カードは次の通り。
▼第1試合 20分1本勝負
ゼイン・ジェイ&タイガーマスク
vs
藤田晃生&ロビー・イーグルス
▼第2試合 20分1本勝負
村島克哉&マスター・ワト&YOH
vs
永井大貴&OSKAR&Yuto-Ice
▼第3試合 20分1本勝負
安田優虎&田口隆祐&エル・デスペラード
vs
金丸義信&SHO&DOUKI
▼第4試合 30分1本勝負
松本達哉&YOSHI-HASHI&後藤洋央紀
vs
ハートリー・ジャクソン&大岩陵平&ザック・セイバーJr.
▼第5試合 30分1本勝負
嘉藤匠馬&上村優也&海野翔太
vs
小島聡&タイチ&石井智宏
第6試合。左上が辻陽太
▼第6試合 30分1本勝負
外道&石森太二&高橋ヒロム&鷹木信悟&辻陽太
vs
ジェイコブ・オースティン・ヤング&フランシスコ・アキラ&グレート-O-カーン&カラム・ニューマン&ジェイク・リー
メインイベントの第7試合。左上が永田裕志
▼第7試合 30分1本勝負
ボルチン・オレッグ&矢野通&ウルフアロン&永田裕志
vs
ディック東郷&高橋裕二郎&成田蓮&“キング・オブ・ダークネス”EVIL
メインイベントでは、大会プロデューサーの永田裕志がウルフアロン&矢野通&ボルチン・オレッグとカルテット結成し、HOUSE OF TORTUREのEVIL&成田蓮&高橋裕二郎&ディック東郷と8人タッグマッチで激突する。
また、セミファイナルの10人タッグマッチには、87代IWGPヘビー級王座に就いたばかりの辻陽太が登場する。