写真・映像・ゆかりの品々で生涯を振り返る……『長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号3』は3/18から日本橋高島屋で開催

00:19
ニュース
スポーツ

『長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号3』が3月18日(水)から日本橋高島屋で開催される

画像を全て表示(10件)

昨年逝去した長嶋茂雄氏の足跡を辿る展覧会『長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号3』が3月18日(水)~30日(月)、日本橋高島屋S.C. 本館8階ホール(東京都)で開催される。

野球を愛し、プロ野球界をけん引し続けた読売巨人軍長嶋茂雄終身名誉監督の生涯を振り返る展覧会で、その偉大な足跡を追う。写真や映像、ゆかりの品々を見ながら、不世出のヒーローの軌跡をたどる中で、数々の名言や各界との交流などを通じ、広く国民に愛された「ミスター」の人柄と魅力を紹介する。

昭和・平成の時代を通じて、日本のプロ野球界をけん引し続けた長嶋氏は、「我が巨人軍は永久に不滅です」「メークドラマ」「勝つ!勝つ!勝つ!」などの名言とともに、数々の名場面を私たちの記憶に刻んだ。野球を国民的スポーツとして根付かせたその功績は、スポーツの枠を超えて多くの人々に影響を与えた。

 
『長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号3』は、長嶋氏の生涯に沿って6章で構成されている。

第1章は「燃える男 スター誕生」(~1958年)。佐倉第一高校から立教大学に進んだ長嶋氏が、当時東京六大学リーグ新記録の8号本塁打を放つなどの活躍を経て、読売巨人軍に入団。一気にのし上がっていく背番号3の姿を追う。

第2章は「栄光の背番号3」(1959~74年)。天覧試合でのサヨナラ本塁打で国民的スターに、野球は国民的スポーツに押し上げられる。現役時代の17年間で、巨人軍は13回のリーグ優勝、11回の日本一に輝き、3番王貞治、4番長嶋のON砲が、野球人気をけん引した。しかし9年連続日本一が止まった74年、「我が巨人軍は永久に不滅です」の名言を残して引退した。

第3章は「屈辱を土台に」(1975~80年)。1975年、38歳の若さで就任した背番号90の監督初年度は、球団史上初の最下位に終わるも、翌年はリーグ優勝を果たす。そして79年には「地獄の伊東キャンプ」で当時若手だった江川卓、中畑清らを鍛え上げる。しかし3年連続で優勝を逃した責任を取り、80年に監督を辞任した。

第4章は「充電の旅」(1981~92年)。監督引退後の12年間、長嶋氏はエチオピアの難民キャンプ訪問や、五輪取材など、野球以外の活動に精力的に取り組んだ。本人は「野球界に復帰するための勉強と充電生活だった」と語っている。92年秋には監督復帰が決まり、ドラフトでは松井秀喜を獲得した。

第5章は「燦々と輝く」(1993~2001年)。1993年に背番号を33に変更。翌94年には、中日ドラゴンズとの「10.8決戦」で「勝つ!勝つ!勝つ!」とチームを鼓舞してリーグ優勝を決めると、日本一にも輝いた。96年には11.5ゲーム差を逆転する「メークドラマ」を実現。2000年には日本シリーズで盟友・王監督率いるダイエーホークスを下して、二度目の日本一となった。01年には二度目の退任となるも、燦々(33)と輝く監督として功績は、今も色あせることはない。

第6章は「”ミスター”を全うする」(~2025年)。2002年に野球日本代表監督に就任、03年にはアテネ五輪出場も決まるが、五輪直前の04年、脳梗塞で倒れ、五輪で指揮を執ることはかなわなかった。しかし、不屈の精神でリハビリに励み、13年には、愛弟子・松井秀喜とともに国民栄誉賞を受賞。21年には東京五輪聖火ランナーも務め、野球界初の文化勲章も受章した。その後も、病を押してグラウンドで後輩を励まし続ける「ミスター」は、いつまでも野球とジャイアンツを愛し続けていた。

2025年6月3日、89年の生涯を閉じた長嶋氏。このスーパースターとの時間を満喫できる展覧会の前売りは、一般1,000円(税込)、大学・高校生800円(同)で、イープラスで発売中だ。
※中学生以下無料(小学生以下は必ず保護者同伴)
※本展は全国を巡回する予定(会場は決まり次第発表)

展覧会オリジナルグッズも販売も予定されており、開会が待ちきれない。

イベント情報

『長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号3』

日程:3月18日(水)~30日(月)10:30~19:00(最終日の3月30日は17:30まで)
場所:日本橋高島屋S.C. 本館8階ホール(東京都)

  • イープラス
  • 読売巨人軍
  • 写真・映像・ゆかりの品々で生涯を振り返る……『長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号3』は3/18から日本橋高島屋で開催