範宙遊泳の初期衝動『われらの血がしょうたい』が10年の時を経て、AI時代の予言書として蘇る
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左から福原冠、端栞里(南極)、藤井ちより、埜本幸良、山本卓卓、植田崇幸、井神沙恵、額田大志(ヌトミック)、坂本もも 撮影=荒川潤
東京を拠点に、デジタルと身体の融合を追求してきた演劇集団・範宙遊泳。彼らが2026年2月、シアタートラムで上演するのは、劇団の初期に生み出された『われらの血がしょうたい』だ。かつて「インターネット」という言葉で描かれた世界は、10年という時間を経て「AI」へと姿を変えた。主宰・山本卓卓が作・映像に専念し、演出を額田大志(ヌトミック)に託すという新たな体制で、当時の「届かなかった叫び」を今、世に放つ。
「とびきり体験しないとわからない」10年前のリベンジ
本作の初演時について、俳優の福原冠は「ひくほど客が来なかった」と笑いながらも、その確信を語る。 「無茶苦茶面白いのに、来なかった。でも、絶対にまたやるべきだと思っていた。言葉で形容しきれない、こんな作品が世にあって欲しいと思える演劇の姿がここにある」
当時は「尖っていた、冷たさがあった」とも評される本作だが、今、新たなキャストと共に読み返すと「笑える」部分も多いという。時代が、ようやく山本卓卓の初期衝動に追いついてきたのだ。
山本卓卓が「演出」を委ねた理由
これまで劇団のすべてを演出してきた山本が、なぜ今、額田大志にタクトを渡したのか。 「いつか掘り返されたら、という作品は沢山持っている。それを上手く出力する方法を探していた。自分一人では手に負えない感覚があるからこそ、信頼する額田さんに任せたかった」
対する額田は、範宙遊泳を「血肉にしてきた」と語る。 「範宙遊泳の技を尊重しながら、自分の得意な聴覚へのアプローチを重ねていく。AIを扱っている今、現状を確認するだけでは意味がない。未来に対してどうあるべきかを考えて演出したい」
私たちはAIと「血の通った」会話ができるのか
本作の通底するテーマは、テクノロジーとの距離感だ。キャスト陣に「AIとどう向き合っているか」と問うと、現代らしい生々しい声が返ってきた。
「課金は自制しているけれど、自分がバカになりそうで怖い(端)」「AIは嘘をつくし謝らないのが厄介(井神)」「使うこともあるけれど、まだまだだな、と感じてしまう(藤井)」「AIと酒を飲みたい(植田)」「あくまで便利なツールで、AIに自分の時間を割くのは本末転倒な気がする(埜本)」「脳みそと手足と感情を動かして生きたい(福原)」。
山本卓卓は、AIをこう肯定的に捉える。 「AIは、自分が人間であることを確かめさせてくれる存在。人間がAI化していく現代で、演劇が果たす役割は大きい。AIが見ている夢に立ち会うことで、自分の立ち位置が明確になるはずだ」
左から福原冠、端栞里(南極)、藤井ちより、埜本幸良、山本卓卓、植田崇幸、井神沙恵、額田大志(ヌトミック)、坂本もも 撮影=荒川潤
「インターネットは血をみるか?」
10年前、舞台上から放たれた問いが、範宙遊泳が確立した映像手法と、成熟した劇団員の身体、そして瑞々しい新キャストらを巻き込んで、シアタートラムという濃密な空間で爆発する。
「アナログなやり取りこそが面白い」と語る彼らが、デジタルな存在であるAIを通じて、いかに「人間の血」をあぶり出していくのか。その目撃者になる時間は、もうすぐそこだ。
終始、メンバーの間に流れる「関わるひと、ひとりひとりを心から尊重する空気」が印象的な取材であった。どのようなためらいの言葉であっても、つぶやくことに躊躇(ちゅうちょ)のない空間。そこには、プロデューサーの坂本ももが語る「創作の手前にある、人とどう関わるか」という哲学が、確かな手触りを持って息づいている。
技術や効率が優先されがちな創作の現場において、彼女は「なるべくていねいに場を作る」ことに心血を注ぐ。その丁寧な地鳴らしがあるからこそ、俳優たちは自身の「正体」を安心して晒(さら)し、脳みそと肉体をフル回転させて芝居に没頭できるのだ。関わるひと、ひとりひとりを心から尊重し、場を慈しむ。その静謐(せいひつ)な営みの先に立ち上がる本作は、まぎれもなく、今この時代に目撃すべき「心の通った」表現である。