ヴァイオリニスト岡本誠司「バッハに向き合うことは、自分と向き合うこと」 20代最後に取り組んだ”大きな山”~アルバム&リサイタルインタビュー
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岡本誠司(C)Yuji Ueno
ヴァイオリニストの岡本誠司が、ヴァイオリン音楽の金字塔であるJ.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲を録音し、そのアルバムが2026年7月5日(日)にリリースされる。そして、CD発売を記念して、奈良(7月5日)と東京(7月13日、14日)でバッハ無伴奏ソナタ&パルティータ全曲演奏のリサイタルがひらかれる。
バッハの無伴奏曲は、人生をかけて取り組むべき大きな山
アルバム『Sei Solo』ジャケット
――『岡本誠司リサイタル・シリーズ』の完結編(Vol.5)として、最後にバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲を演奏すると以前からおっしゃっていましたね。
2020年12月のVol.0(注:バッハの無伴奏ソナタ第1番や反田恭平とのブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番などを演奏)でスタートしましたから、5年以上かかりましたね。今回でようやく完結することができます。
――バッハといえば、2014年のバッハ国際コンクールで第1位を獲得されました。
ライプツィヒでのバッハ・コンクールで賞をいただいたのが20歳の頃でした。バッハの無伴奏ソナタとパルティータは登るべき大きな山です。すべてのヴァイオリニストにとって人生をかけて取り組む大きな作品を20代の終わるタイミングで全曲録音として残したい、そして、演奏会もしたいという構想を持っていました。
2014年7月バッハ国際コンクール ファイナル(C)BachArchievLeipzig
――バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータはどういう作品でしょうか?
バッハの中でも特殊な作品といえます。ヴァイオリン1本で演奏する曲自体は、バッハ以前の作曲家たちも書いていましたので、バッハが新しいことを始めたというわけではありません。しかし、ここまでのヴァイオリンの可能性と深い精神性を追求した作品を書いたのはバッハが初めてでした。踊る娯楽と神に捧げる音楽とのどちらでもあり、それらが高い次元で一つとなった芸術といえます。
この曲は、ヴァイオリンでぎりぎり弾ける限界に挑戦するように書かれています。バッハはヴァイオリンを立派に弾いたといわれていますが、この6曲にはヴァイオリンの可能性への意欲を感じます。左手の4本の指で、速いパッセージや旋律のみならず、ポリフォニックな音楽、フーガや対位法をここまでの完成度で書いたのはバッハが最初であり、その後、それに続くレーガー、イザイ、バルトークなどの無伴奏作品が出てくるまで150年以上もかかりました。
全部で6曲からなり、ソナタは3曲、舞曲であるパルティータも3曲。それぞれまったく違う顔や表情を持っています。それらを一つの流れで聴くと1曲ずつを聴くときとまた違って聴こえます。
バッハに向き合うことは、自分と向き合うこと
(C)Yuji Ueno
――バッハの作品で、ご自身の演奏や解釈の変化はありましたか?
自分自身のバッハ演奏は大いに変化したと思います。最初にバッハを弾いたのは、6、7歳の頃だと思いますが、11、12歳の頃に、恩師・中澤きみ子先生の長野でのフェスティバルで鈴木秀美先生に出会い、HIP(注: 歴史的な考察に基づいた奏法=ピリオド奏法)の世界への扉を開いていただきました。また、バスラインや和声の重要性についても秀美先生から叩きこまれました。
高校生の頃は、バッハはガット弦を張り、ピリオド楽器で演奏することこそが正しいと思っていた時期があり、藝大の副科でバロック・ヴァイオリンのレッスンを受け、プレーンガット弦を遊びで弾いたりもしました。でも2014年のバッハ・コンクールではモダン仕様のヴァイオリンを弾きました。
今回も、モダン弓で、モダン仕様の楽器で、スチールやナイロンの弦を張って演奏します。ただ演奏の中身でいうと、HIPから得た発想は様々な角度で活かしています。また、ドイツに活動拠点を移して、ドイツ語のリズム感やザラザラゴツゴツした音のイメージが、私の音作りやフレーズに変化を与えました。そしてベルリンで師事していたアンティエ・ヴァイトハース先生の影響もあります。
小学生の頃、中澤きみ子先生のレッスン
2012年、鈴木秀美先生の合宿にて
楽譜から読み解いて、それをプレゼンテーションするとき、ただ楽譜に正確に弾くだけでは研究発表でしかないわけですね。それをどう芸術表現へと昇華させるか。そのためには作品を一度消化して、それをためらいなく発信できるようにならなければなりません。再現芸術であっても、舞台の上で裸になって、ウソなく、ためらいなく、それらをさらけ出す勇気が必要です。特に、バッハのような本質を追求する音楽は、虚栄や邪念、見え透いたわざとらしさを許してくれません。
この10年、バッハ作品に向き合うということは、自分と向き合うことでもありました。そもそも自分はどういう人間か、自分はバッハのどういうところに共感するのか、それをどう消化していくのか、に取り組んできたという実感があります。20代で取り組んできたバッハを、現時点でのありのままの自分を通して表現するには、モダン楽器での演奏が良いと判断しました。
でも、「これが最終形」というわけではありませんし、「これが岡本誠司のバッハである」と言い切るつもりもありません。
表現を削ぎ落した先に、残るものは何か
レコーディング風景
――レコーディングや編集でのエピソードを教えてください。
2023年秋に大阪のワキタコルディアホール(旧・イシハラホール)を6日間借りて録音しました。レコーディングでは、最初3日間をソナタ3曲に使って、後半3日間でパルティータ3曲を録りました。個人的には、バッハが、神ではなく自分自身と向き合った作品であると感じるので、教会ではなく、コンサートホールで録音することにしました。
今回は、リアル感のある「生の声」を伝えるというコンセプトで、美化された響きがゆったりと聴こえるという感じではなく、ヴァイオリンが目の前でしゃべっているような、できる限り近い音で録りました。そして編集時に美しく整えすぎないことにもこだわりました。
編集作業では、「生の声」をコンセプトとしていたゆえ、より良く弾けているテイクを選ぶというだけではなく、どのニュアンスのテイクを選ぶかという観点も加わり、難産でした。それで時間がかかりました(笑)。
レコーディング風景
――音源を聴きましたが、シンプルな演奏に感じました。
表現を削ぎ落した結果、何が残るのかを見たかったんです。飾り気はないけれど、その先に見えるものを感じていただけたらうれしいです。
また、自由な発想で取り組むことも心掛けました。17、8世紀の演奏習慣である即興的な装飾も、バッハの生のメッセージを感じていただきたかったので基本的には楽譜に書いてある音のままに、しかしリピートのある楽章の2回目に関しては、自分のイマジネーションをできる限り広げて、大胆に入れました。バッハ自身がこの作品をチェンバロ、オルガン、リュートなどに編曲していて、大胆な変更をしているわけです。つまり、バッハがのこした楽譜はヴァイオリンのためのファイナル・バージョンではあったかもしれませんが、作品として唯一無二で変更の余地のない完成品ではなかったと私は思っています。ですから、勇気をもって、(楽譜に書いていない)音を足すことにしました。
奈良、東京、アルバム 異なる魅力
――アルバムリリースに合わせて、リサイタルも行います。
バッハの無伴奏曲6曲を一気に弾くのは初めての挑戦です。どういう演奏ができるのか楽しみです。緊張しますが。わくわくどきどきです。
特に7月5日(日)の奈良公演は、約3時間で一気に6曲を演奏します。作品の順番(BWV番号の順)を追いかけて、ソナタ第1番から始めます。ソナタ第1番の出だしこそ、全曲の幕開けを告げる感じがします。パルティータ第2番の「シャコンヌ」が全曲の山場ですから、それを最後に弾いてクライマックスにするという選択肢もありましたが、最後はパルティータ第3番で明るく終わります。これで終わり?というくらいさらっと終わる。それがバッハの美的感覚であり、最後は美しく優雅に終えるというのがバロック時代の美的感覚であったと考えることもできます。
東京公演は、平日の夜ということもあり、通常の2時間公演として、第1夜でソナタ3曲、第2夜でパルティータ3曲を弾きます。これはレコーディングした順番とほぼ同じです。
組み合わせが変わると聴こえ方が変わります。それが音楽の面白さです。できれば、奈良と東京の両方を聴いていただけると、また違った角度の作品の顔が見えると思います。いずれにしても大きな挑戦になるはずです。
また、今回のリサイタルは、レコーディング(2023年秋)から少し時間があいたので、アルバムとも違うものになるでしょう。その変化も興味深く聴いていただけると思います。
今の自分だからできる等身大のバッハを届けたい
ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(C)Julia Baier
――ご自身の近況を教えていただけますか?
ブレーメンのドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen/略称: DKam Bremen)のコンサートマスターのオーディションが昨年5月からあって、それに受かり、2026年1月から試用期間に入っています。芸術監督パーヴォ・ヤルヴィや首席客演指揮者タルモ・ペルトコスキの妥協なく音楽作りをする姿勢が素晴らしいですね。
DKam Bremenは、名前(カンマー)の通り室内楽的で、音楽が生に感じられるオーケストラ。彼らの演奏を聴いたとき、あれだけのグルーブ感、スピード感、ドライヴ感のある音楽がオーケストラで可能なのかと、初めて経験しました。
反田恭平らと共に活動しているジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)で、オーケストラが身近になり、ソナタや協奏曲などのヴァイオリン作品だけでなく、オーケストラやオペラまで、作曲家のいろいろな面も見てみたいと思うようになったのです。
ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団公演の様子。ピアニスト藤田真央と。(C)Igor Ripak
――最後にメッセージをよろしくお願いいたします。
今の自分だからできるバッハ、今の自分が表現したい等身大のバッハ、ありのままのバッハをお届けしたいと思います。
5年後、10年後にもまた同じようなことをしているかもしれませんが、このタイミングで一度聴いていただいて、音源とリサイタルの生の演奏では全然違うじゃないかとおっしゃっていただきたいと思っています。もちろん、あえて奇をてらって変えようとは思っていません。取り組み方は同じですが結果として違うものが見えてくる。それこそがバッハの音楽の懐の深さ、幅の広さです。
一人の作曲家、一つの作品、一人の演奏家と一人一人のお客さまのつながり方、タイミングで、音楽の印象が変わると思いますが、その瞬間をみなさまと共有することができればうれしいと思っております。是非お越しください。
取材・文=山田治生