横内謙介×みょんふぁ×糸あやつり人形一糸座 創作人形浄瑠璃『新羅生門』座談会 昔話から描く、鬼と鬼を生んでしまったもの
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(左から)結城一糸、みょんふぁ、江戸伝内、横内謙介
1988年に、当時26歳だった横内謙介が書き下ろした『新羅生門』。自ら主宰する劇団扉座の前身・劇団善人会議で初演され、再演を重ねてきた。サンリオピューロランドで、8年にわたりロングラン上演中の「KAWAII KABUKI ~ハローキティ一座の桃太郎~」の原案となった作品でもある。
その『新羅生門』が、今回横内の演出により、糸あやつり人形「一糸座」で上演される。人形と舞台をともにするのは、みょんふぁの他、不思議な登場人物たちと、思いがけず一夜を共にするふたりの若者役に、新原武(劇団扉座)、野田翔太(劇団扉座)。
SPICEでは、横内、みょんふぁ、江戸伝内、結城一糸に、新たな『新羅生門』の見どころ、人形と俳優が共演する意味、そして「鬼」という存在について聞いた。
江戸時代から続く結城座の十代目結城孫三郎三男、結城一糸(現・江戸伝内)が旗揚げした一糸座。古典演目を継承する一方、新作にも積極的に取り組んできた。これまでも芥正彦、天野天街、東憲司ら外部の演劇人を迎え、国内外で作品を上演。
■ 生身の俳優と糸あやつり人形の新たな共演へ
——横内さんとみょんふぁさんは、もともと一糸座さんとつながりが?
みょんふぁ: 私はコロナ禍に、ザ・スズナリのウォークスルー型の「観るお化け屋敷」で一糸座の皆さんとご一緒しました。それが本当に面白くて、アトリエにも一度お邪魔し、人形作りなどを勉強させてもらいました。「またいつか一緒に」とお話していたチャンスが、ようやくきたと感じています。
横内謙介:僕は扉座で『いとしの儚』(2015年)をやったときに、ある役を人形でやりたいと思い、一糸さんに、うちの役者に交じって出演いただき、伝内さんに監修をしていただきました。それよりもっと前から、伝内さんのことは存じていました。結城座にいた頃の伝内さんの、ハムレット(『ある人形芝居の一座によるハムレット』1986年、福田善之構成・演出 )も拝見しています。
江戸伝内:はじめてご挨拶をしたのは、結城座『オセロ』(1992年)の時でしたね。横内さんは当時30歳くらい。大変な二枚目で「役者かな」と思いました。
横内: 何をおっしゃいますか。ハムレットの伝内さんだって、すごいかっこよかったんだから!
一同 :(笑)
——公演への意気込みをお聞かせください。
横内:アジアを中心に各国で上演できる作品を作りたい。一糸座のレパートリーになる作品にしたい。そう伺って、引き受けました。僕は伝統芸能に関わる作品、海外上演を目指す作品は、無条件に引き受けるんです(笑)。伝統芸能は、体験することが何よりの勉強になると思っています。『新羅生門』に、初めて浄瑠璃仕立てのシーンが入ります。以前から『新羅生門』は、浄瑠璃があうだろうと思っていたんです。そこで人間と人形がどう共演するかも楽しみです。
みょんふぁ: 私は10年ほど前、岐阜県中津川市の演劇祭で、文楽人形や糸あやつり人形を体験しました。その時、俳優は人形の表情に敵わない、と感じたんです。人形芝居って、観客が勝手に、人形の表情にどんどん奥行きを与えていくんですね。そして、せりふや情景を語る義太夫の、声で死んだり、声で生きたりする。鳥肌が立つほど素敵で、俳優としても刺激を受けました。その後のスズナリでの一糸座さんとの経験もあり、この公演がすごくすごく、すごく楽しみなんです。
結城一糸:すごい面白い作品ですよね。初めて台本を読んだ時、30年以上前に書かれた話でありながら、今の世相を表しているように思いました。おとぎ話のヒーローが出てきますが、決して単純な正義と悪の物語でもありません。その中で僕は、渡辺綱(わたなべのつな)という大役をやらせていただきます。楽しみな気持ちはもちろんありますが、今はまだ緊張しております。
伝内:一糸座では、新作をつくる時に、人形だけでなく、生身の俳優を迎えたいと考えています。『新羅生門』は、非生命体である人形と、俳優が、上手く絡み合う芝居になると感じました。役者さんが違えば、我々も必ず新しい刺激を受けます。その変化によって、面白い作品にできたらと思っております。
——公演の準備は、いつ頃から始まったのでしょうか。
横内:(現在上演中、スーパー歌舞伎『もののけ姫』の)歌舞伎の稽古が始まる前に、台本をお渡ししました。浄瑠璃にも、人形制作にも時間がかかるだろうと思って。つい先日、竹本越孝先生と鶴澤三寿々先生が、いくつかの場面の浄瑠璃を語って聞かせてくださったのですが、すでに「とってもその通りです!」という仕上がりでした。人形も、工芸品かと思うくらいかっこいいんです。
伝内: ゴロウの頭をもってきました。
伝内:これがね(糸を引き)鬼に変わる。
みょんふぁ:わあ!
横内:人形の打ち合わせは、「どのくらいの大きさにしましょうか」から始まるんですよね。渡辺綱は、古典の演目につかう頭(かしら)でも面白いかもしれない、さまざまな古典でつかう顔をみて、オーディションみたいなことをして。結局「ちょっと違うんだよな。田村正和みたいに、ならないですかね」と相談し、作っていただけることになりました(笑)。
一糸:渡辺綱、製作中です!(笑)
■ 実は鬼が大好きなんだ
——この戯曲を書かれた当時の思いを、あらためてお聞かせください。
横内:辞書で「鬼」と調べたら、「鬼」を使う言葉が、ものすごくいっぱい出てきました。「鬼」が、日本人にいかに愛されているかが分かった。そして、これは誰かと話した中で出た結論なんだけれど、鬼退治って、思えば鬼をこらしめて、逃がして終わり。退治といっても、殺していないのではないか。日本人は、実は鬼が好きなんだ。ある意味で、鬼をとても大事にしてきたんだと。それが、台本を書いたときの発見でした。
——このたびの再演にあたり、台本や演出のアップデートも?
横内:実は台本は、そんなに変えていないんです。でも「鬼」という存在への差別感は、初演当時より今の方がセンシティブになっています。その意味で、初演は鬼をかわいく見せる芝居だったかもしれないけれど、今回は鬼の凄さ、怖さが出るものになると思います。時代の変化と言えば、劇中のダンスシーンで、初演当時はマイケル・ジャクソンが流行っていたから、ダンスをマイケルにしたんです。時代が巡って、今年マイケルの伝記映画がヒットし、マイケルの人気が帰ってきている。だから、ダンスも変えずにいきます。ただマイケルの見え方は、以前とは違ったものになっているのが面白いなと感じます。
——鬼のゴロウを、伝内さんが人形で。古典の世界では、鬼退治でお馴染みのキャラクターである、渡辺綱は、一糸さんが人形でつとめます。さらにおとぎ話のヒーローたちを、一糸座の皆さんと、鈴木めぐみ(劇団桟敷童子)さんが人形でつとめます。その中で、ゴロウの母・サエを、みょんふぁさんが演じます。
横内:この話は、人間の世界とファンタジーの世界が入り乱れます。人間の役は生身の俳優、ファンタジーの役は人形が演じるのがいいだろうと。その中で、みょんふぁさんがゴロウの母・サエをやってくれることが、大きな柱になると思っています。過去の上演でも歴代のサエ役は、新井純さんや金久美子さんなど、名女優がやってきた役。頼りにしています!
みょんふぁ:プレッシャー! でもすごい嬉しいです!
——ひとり芝居『母 My Mother』の中でも、おばあさんを演じられましたね。
みょんふぁ:おばちゃん役を演じるのは楽しいです。人生で積み重ね、乗り越えてきたものがある。乗り越えてはいても、しこりは残っている。それを演じるのは、簡単なことではありません。私の祖父母が生きていた頃に、昔の話をインタビューしたことがありました。悲しい経験もあったにちがいないのに、祖母は「ほとんど忘れた。楽しいことしか覚えてない」と言うんです。毎朝鏡を見て「今日も可愛いわ」と言って、一日を始めるんですって。悲しかったことを、悲しいとは語らない。生きてきた人の強さを感じます。
——伝内さんのゴロウには、どんな期待をされていますか?
横内:伝内さんってアングラの人なんです。ごめんね、勝手なことを(笑)。
伝内:いえいえ(笑)
横内:伝内さんの、歪んでいるわけではないのに、アウトローな雰囲気により、ゴロウという鬼が際立てばいいなと。『新羅生門』を書いた頃、社会では、まだ平等思想が新しい時代でした。今は、むしろその思想が行き過ぎている。鬼くらい変わった存在がいるくらいじゃないと、ダメじゃないか? という感じもある。もちろん「鬼を生んでしまった」という設定自体は飛躍があるのですが、でも、どこかあり得る話だとも思う。鬼を生んでしまい困ってる人だって、世の中にはいっぱいいると思っています。
横内:演劇界の鬼でいらっしゃるかどうかは分かりませんが、伝内さんは異端児です。ゴロウに、新しい影のようなものが生まれればと思っています。ちなみに僕は、アングラにものすごいコンプレックスがある。嫌いなくせに寄りたがるものだから、「本当は好きなんじゃん」とよく言われます。
一同:(笑)
■感情ではなく、アクトをみせる
——みょんふぁさんと横内さんは、『花の秘密』(2019年)と『ほおずきの家』(2023年)でご一緒されています。みょんふぁさんは、演出家としての横内さんをどう感じましたか?
みょんふぁ:言葉はふわっと言うけれど、やるべきことは明確な方だと思いました。当時、“役者あるある”ではありませんが、「自分の感情が動かなくて、演じられない」みたいな考え方に、ちょっと疑問を感じていた時期だったんです。
その前年、文化庁の助成金で、韓国の国立劇団で1年間、俳優修業をしました。朝から晩まで筋トレをするような、軍隊みたいな厳しさの中で、ルコックの演劇法で、無表情の仮面をつけた訓練があったんです。嵐の中を走って港へたどり着き、愛する人を乗せた船を見送る。この一連を、皆が観ている前で動きだけでやるのですが、私は最後に港に立ったところで、手を振ることができませんでした。マスクの中で涙は止まらず、悲しすぎて手を振れなかったんです。すると「みょんふぁって、本当に日本の俳優だね」、「日本の俳優はfeeler(フィーラー)が多い。でも私たちは、actorなんだよ。観客に見えるactをしなくてはいけない」と言われました。
みょんふぁ:帰国後、その海外研修の成果公演としてプロデュースしたのが、『花の秘密』だったんです。横内さんは、動くのは観客の心であり、俳優の気持ちがついていかないところは、俳優の方で勝手に埋めてくれ。そこを埋めるのは俳優の仕事だ、という姿勢の演出。韓国で学んだことが、すべて気持ちよく腑に落ちました。あのスタイルは昔からなんですか?
横内:昔は、演技指導も演出だと思ってたんです。今でも若い座組ならば指導をすることはあるけれど、うちの劇団員たちはもう経験を積んでいる。まして歌舞伎の現場は、演技指導なんてありえない。彼らは自分ですべて演技を組み立てるので、僕からは「ここから出て、あちらに引っ込んでください」と言うくらい。ただ、人形の演出は謎だらけですね(笑)。人間と人形が戦うといっても、サイズの違いがある。一体どう成立するのかとか。
一糸:『いとしの儚』の時、思えば横内さんから、お芝居について「こうして」といった演出を受けた記憶はありません。
横内:あの時は、見ていて、可愛ければいいと思った(笑)。人形遣いの皆さんは、せりふも自分で言うでしょう? 一糸さんの渡辺綱は、せりふも長いし大変だと思います。ただ一糸座の皆さんは、多くの現代演劇人と作品をつくってきた経験がある。今回、僕の方が教えてもらうつもりです。そこも新しい試みとして面白いなと思っています。
——みょんふぁさんから、感情が先に立ち、動けなかったご経験の話がありました。糸あやつり人形でも、似たことはあるのでしょうか。
伝内:糸あやつりは、人形と遣い手の間に距離がありますから、まずないです。文楽は人形に直に触れますが、糸あやつりは、揺らぐ糸を引いて初めて表現体になります。その時、遣い手の感情が先走ると人形は動かないので。ただ、先ほど話に出た『ハムレット』の時、僕は人形と生身の人間の両方でハムレットを勤めました。なんとなく感情が強くなってしまった、と感じたことを覚えています。感情が突出してはいけない。理性で抑えるけれど、理性が大きくなってもいけない。5歳の初舞台から人形を遣ってきて、40、50歳になる頃に、ようやくその辺りの意識のバランスが、自然にとれるようになっていった気がします。うちの親父(十代目結城孫三郎)の人形をみて「すごい」と思ったのも、やはり意識的ではなかったところ。意識がないわけではないけれど、意識で人形は遣えないんですよね。
——伝内さんは、人形と生身の俳優が、同じ舞台に立つことに、どんな意味を感じますか。
伝内:人形劇は、時代に揉まれながら、それを乗り越えてしぶとく生きてきました。遡れば糸あやつり人形の芝居は、娯楽になる以前、傀儡(くぐつ)として呪術的な役割ももっていた。一軒一軒の家をまわり、その家に災いが起こらないよう祈り、人間に代わって災いを引き受ける「身体」だったわけです。そういう身体的な問題が決定的にあると思います。だから、僕たちは人間の役者さんと一緒にやりたいと思うんです。
■鬼を生んだ者がいて、生まれた鬼がいる
——この作品で、鬼は重要な存在です。みょんふぁさんは、ご自身の経験と重なるところはありましたか。
みょんふぁ:私は在日韓国人三世なので、加害者/被害者の話になると、被害者側に振り分けられてきました。でもこういう問題に直面すると加害側の辛さを考えちゃうところがあるんです。なぜその考えになるかというと、悪いのは片側だけじゃないはずと、リベラルを保とうとしてしまうんですね。でも、加害者も被害者も、やっぱり理性では整理できない感情も絶対にあるんです。
『新羅生門』出演者一同
みょんふぁ:たとえば日本社会の差別の中で生きていた在日の一世二世も、北朝鮮と南の韓国はお互いに見下しているところがありました。誰かをみて、自分より上か下かを無意識に決めたりするような、理性では整理できない感情はあると思うんです。これは一例で、うまく言えないけれど。そういったものも引き受けて、生きていかなきゃいけない時に、ある種のパワーが出てくる気がします。鬼のゴロウと母親のサエだけではなく、この作品のすべての関係性の中にそれを感じます。
——最後に一言お願いします。
横内:糸あやつり人形は、江戸から続く芸能です。でも、新しいものが次々と出てきて、新しさを感じにくくなっている今の時代に、今回の『新羅生門』で、新しいものをお見せできるんじゃないかという気がします。新しさとは何かを、考えているところです。
みょんふぁ:人形と俳優が同じ舞台に立つ面白さを、たくさんの方に観ていただきたいです。
一糸:正義は、正義でいるためには悪が必要。悪と正義に相互依存するところがあり、単純な二元論では片付けられない世界です。そこをお伝えできれば幸いです。
伝内:横内さんが書かれた、非常に面白い作品です。鬼は人間の中にあるもの。戦争が始まれば、ほとんどの人が鬼になり得るでしょう。その意味でも、タイムリーにご覧いただける作品だと思います。人形同士、人間同士ではなく、人形と人間が同じ舞台で愛情の物語をみせる舞台は、決して多くありません。サエとゴロウの「生んでしまったもの/生まれてきてしまったもの」の物語を、みょんふぁさんの力に頼らせていただきながら、お見せできればと思います。
(左から)結城一糸、みょんふぁ、江戸伝内、横内謙介
糸あやつり人形一糸座の創作人形浄瑠璃『新羅生門』は、8月21日(金)から25日(火)まで、 座・高円寺1にて上演。
取材:安藤光夫、文・写真:塚田史香
公演情報
糸あやつり人形一糸座
創作人形浄瑠璃 新羅生門
結城一糸、結城民子、塩川京子、眞野トウヨウ、土屋渚紗、成田路実、大島千波、鈴木めぐみ(劇団桟敷童子)、金子展尚/江戸伝内
みょんふぁ、新原武(劇団扉座)、野田翔太(劇団扉座)
義太夫 三味線:鶴澤三寿々
鳴り物:望月太意三郎