トルコの若き才能、チャクムル 彩の国で初のピアノ・リサイタル
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ジャン・チャクムル
2026年9月5日(土)彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホールにて、『ジャン・チャクムル ピアノ・リサイタル』が開催される。開催を一か月後に控え、オフィシャルインタビューが到着した。
2018 年第10 回浜松国際ピアノ・コンクールで優勝し、一躍注目を集めたトルコ出身のピアニスト、ジャン・チャクムルがついに彩の国に初登場!ライフワークとして向き合ってきたシューベルトへの思いとともに、現代の音楽家として何を届けたいのか、その胸の内に迫った。
プログラムには、舞台で初披露する曲も
ジャン・チャクムル
どうして自分はここにいるのか?なぜ生きているのか?
いまもむかしも人は自問する。
19世紀の若者を惹きつけたセナンクールの書簡体小説『オーベルマン』も、それに啓発されたリストもそうだ。「私はどこにいてもよそ者だ」とシューベルトはリューベックの詩で歌いかける。それをモラトリウムと言って片づけるほど、人類はちゃんと成長したのだろうか?
ピアニストのジャン・チャクムルが、シューベルトとリストのさすらう魂とともに、彩の国のステージに初めて登場する。パンデミックによる2度の延期を経る間に、トルコ出身の俊英も28歳になった。無理に急くこともなく、よく考えながら歩んできたように思える。
「ようやく彩の国でのリサイタルが実現して、とてもしあわせです」とチャクムルはロンドンの屋外から喜びを送ってきた。「これは私の新しいプログラムで、リストの〈オーベルマンの谷〉をステージで弾くのは初めてですし、幕開けの《ウィーンの夜会》もそう。〈オーベルマンの谷〉はリストのなかでもこれより好きな作品はないくらいで、ずっと演奏したかった。曲の終わりは悲劇的で美しく、同時に高揚感のある驚くべき音楽です。歌曲《さすらい人》とは音楽的な関連があるし、感情的にも相通じています。この世界に迷い、自分の居場所を見つけ出そうとしている。また、ラッヘンマン初期の変奏曲は、シューベルトのドイツ舞曲を主題にした非常に聴きごたえのある作品です」
シューベルト曲の“驚くべき価値”
リストへの長年の敬愛のいっぽうで、シューベルト探求に関しては進行中のレコーディング・プロジェクト〝Schubert+"にも着々と結実させてきた。没後200年の2028年に向けた全12作もの壮大なこのシリーズで、チャクムルは瑞々しい知性と感性を揮ふるい、欧州各地の音楽、前後の鉱脈を結び合わせながら、シューベルトの多面的な魅力を探り出している。
「シューベルトの《4つの即興曲》作品90は長らく弾いていますが、日本ではまだ演奏していないので採り上げたかった。何を組み合わせるかはかなり悩みましたが、ショパンの《アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ》でハッピーにプログラムを結ぼうと思いました。ショパンにはサロン・ミュージックのような性格があり、だからその意味ではシューベルト的なのですが、パーソナルというよりはもう少しドラマティックな感情をもっている。かくして、プログラム前半は舞曲で始まり明るいところから、人生や自然の意味を問いかける暗いところへ。後半では逆に暗さから明るさへと到ります」
昨秋のリサイタルでの《さすらい人幻想曲》は、シューベルトのヴィルトゥオージティを純粋に抽き出した秀逸な演奏だったが、この新しいプログラムではかの作曲家のどのような本質や性格に焦点を当てていくのだろう。
「それはとてもいい視点で、実のところ《さすらい人幻想曲》と歌曲《さすらい人》とは文学的な意味での関連をもってはいないと思います。《さすらい人幻想曲》はコンサート・ピースの大作で喜びに満ち、人々が関心をもつように書かれた作品で、それもシューベルトの重要な部分です。彼には珍しいことですが、《4つの即興曲》でも第2曲は非常にヴィルトゥオーゾ的な作品ですね。いっぽう《さすらい人》の歌曲などは、音楽を通じた哲学思索とも言えます。両面が共存しているのが素晴らしい。
重たい音楽ばかりでは聴くのも疲れますが、シューベルトはそれを軽やかで、慈愛に満ちた、快活な感情と見事に結びつけます。ただ陽気で、ただ悲しく、ただヴィルトゥオーゾ的なのではなく、いつもより深く、混ざり合った感情がある。それこそは驚くべき価値だと思いますし、私がとても惹かれるところです」
ロマン派の音楽は19世紀に大きく花開いたが、現代の世界が恐るべき勢いで傾いていくなか、こうした芸術に理想を求める姿勢はやはりロマンティックにすぎるものだろうか?
「正直に言うと、私はほんとうに心が苦しいです。世界が正気を失いつつあるなか、自分は役立たずだと感じる。現代社会の深刻な問題に囲まれるなか、『私は音楽をして、人生に美をもたらすつもりだ』と言うことは、いたくロマンティックで高潔な態度だし、同時に良心の呵責を和らげてもくれるでしょう。でも、何も解決してはいない。私は現実に変化を起こすこともできず、せいぜい数人になんらかの希望を与えられるくらいでしょう。だから無力感に苛まれます。しかし同時に、10年後の未来がどうなるのだろうという恐れがある。そのとき、わずかに慰めとなるのは、クラシックの音楽家はそんなに悪いことはなし得ないということです……」
それでも、ジャン・チャクムルはできることをする。つまりはピアノを弾いて、音楽をする。人々に伝えていく。哲学や美や感情がいまなお主題とされる世界を創り、善く生きられる人生の可能性を示すために。
取材・文=青澤隆明(音楽評論家)