androp バンドの歴史とこれからの姿に迫るロングインタビュ―・第2回

2016.2.4
インタビュー
音楽

androp  Photo by Takahiro Kikuchi

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一つの区切りを迎えた2015年を経て現在のandropはどんなモードなのか、その姿にせまるため、SPICEでは3回に分けてのロングインタビューを企画した。本項はその第2回目である。第1回では結成当初~メジャーデビューまでを振り返った彼ら。今回は認知度が上がりフィールドが広がっていく過程で生じた苦悩を抱いたという『one and zero』期と、そこをいかにして乗り越えたのかが彼らそれぞれの口から明かされる。加えて、毎回趣向を凝らしているMVについても話は及び、それぞれのお気に入りMVや撮影時のエピソードも披露されているので、ファン必見の内容だ。

第1回はこちら>>

──(第一回では)結成から『relight』までのことをお聞きしましたが、ミュージックビデオについてのお話が出たので、そこをお聞きして行こうかなと。毎作かなりこだわっていて、インパクトのあるものばかりですが、印象に残っているものを挙げるとしたらどれですか?

内澤:『Bright Siren』は印象に残ってますね。初めて自分たちが出たことで、作る側の大変さを知れたというのもあるし。あれは真夏に撮ったんですけど、カメラのフラッシュを使う撮影だったので、バカでかい倉庫を閉め切って、暗幕を張って、そこにずっといるっていう状態で。

佐藤:空調もないところでね(笑)。

内澤:僕らは1日だけだったんですけど、スタッフさんは2日ぐらい寝ずにあそこでセットを組み立てたりしていて。

佐藤:僕らがいるシーンと、僕らなしでフラッシュだけのシーンも撮影していたので。

前田:俺らが撮影してるときも、ずーっとプログラムを組んでたもんね。

内澤:「エラーがでたー!」とか。

佐藤:「あそこだけ光ってない!」とか。

──カメラの数もとにかくすごかったですよね。

内澤:250台使いました。

前田:日本中の5D(カメラの機種)をかき集めるだけかき集めたっていう。

佐藤:あの日、日本から5Dが消えたっていう噂の(一同笑)。

内澤:監督の川村真司さんは、前田君からsourのミュージックビデオがすごくいいよって教えてもらって、いつかお仕事を一緒にしたいですっていうメールを送っていたんですよ。で、川村さんが今度会社を立ち上げるんだっていうことになったときに、じゃあこの曲をお願いしますっていう話をして。

佐藤:全部がちょうどいいタイミングだったよね。

内澤:うん。あれは思い入れが強いですね。

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──佐藤さんが印象に残っているミュージックビデオはどれですか?

佐藤:僕も「Bright Siren」は思い出深いですけど、「Voice」も印象に残ってますね。僕らはライヴを重ねていくことによってどんどん変化していったし、やっぱり観てくれた人、聴いてくれた人が、僕らを次のステージに繋げてくれているなっていう想いがあって。それを楽曲として表現したのが「Voice」なんです。で、その映像は、僕らが初めてワンマンをやった代官山UNITに、お客さんをエキストラとして呼んで、実際にみんなの手で運ばれて行って、フェスのステージまで行くっていうストーリーになっていて。

内澤:その当時最新のライヴだった『METROCK』(2013)で実際に撮影したんです。

佐藤:あれはめちゃくちゃ緊張した(笑)。

内澤:ライヴ本番での撮影の段取りも結構あったしね。カメラを背にしてから前に歩いて行って、そこから始めるからって。

前田:曲も初披露だったよね。それも緊張した。

伊藤:お客さん盛り上がんなかったらどうする?って。

佐藤:最後に連れて行ってくれたところが全然盛り上がらないっていう(一同爆笑)。

──はははは(笑)。伊藤さんの場合はどれでしょうか。

伊藤:本当にどれも印象に残っているんですけど、僕はゲームが好きなので「Bell」ですかね。自分事にできないぐらい、めっちゃいいなって思いましたね。「これめっちゃいいじゃないっすか!!」って叫ぶぐらい。

──すごかったですよね。ビデオはもとより、曲をモチーフにしたゲームを実際に作ってしまったっていう。

内澤:本当にゼロから作っていきましたからね。ミュージックビデオゲームだ!って。

──そもそもどういうところからゲームになっていったんですか?

内澤:「Bell」は、想いを届けることの大切さをテーマに作ったんです。そういうことを話していたら、今の時代はメールですぐやり取りが出来るけど、以前は言葉を伝えるためには手紙を書いて送らないといけなかったわけじゃないですか。そうやって、たった一言を届けることって結構大変なんだよっていうメッセージを、今の時代に合う形でやれたら面白いんじゃないかっていうところから始まっていて。

──それであの形になったんですね。パソコンに打った文字が動物に変わって、障害物を避けながらゴールまで進んで行くっていう。

前田:障害物に当たるとその文字が変わるんですよ。

──で、ゴールしたときに何が書いてあるのかわからなくなっちゃうっていう。

内澤:ゲームのプログラミングをしているところに行ったりしてたんですけど、かなり大変そうで。バイソンが出てくるところをちょうど作っていたんですけど、いろんなプログラムを組まなきゃいけないから、なんとかなんとかなんとかbaison、なんとかなんとかなんとかbaison、baison……baison……baisonってローマ字でバイソンってひたすら打ち込まれてて。

前田:寝ずにひたすらバイソン、バイソンって。

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──本当に毎回大変ですね(苦笑)。前田さんが印象に残っているビデオはどれですか?

前田:僕は「Missing」ですね。音楽の熱量のお話を(前回)ちょっとしましたけど、映像でも熱量は伝わると思っていて。ビデオを撮るときって、このカットを撮ったら次のカットを、っていう感じで一回一回カメラを止めて進めて行くんですけど、「Missing」は、1カメで、1カットで、しかも1テイクしかやらなかったんですよ。

内澤:しかもフィルムでね。

前田:だから、後から編集もできないんです。

佐藤:最初から1テイクしか撮りません!って決めてたんです。

前田:ミスがあっても何があってもやり直しはしませんっていう。

佐藤:「だから始まればすぐに終わります!」って(一同笑)。

前田:「Boohoo」は46時間ぐらい寝ずにやっていたんですけど、「Missing」に関しては5分で終わったっていう。

──でも、現場の緊張感とかめちゃくちゃすごそうですね。

前田:その分、俺らもそうだし、スタッフの想いもすごくあって。撮影した場所も、特に貸し切っていたわけじゃなかったんで、普通にバスとかが来ちゃうんですよ。で、スタッフがすごい怒鳴ってて。“バスが来るぞー!”“うるせえ! まだこっち準備出来てねえんだよ!”みたいな(笑)。そこで俺らは待機してたんですけど、“もう今始めないと絶対に今日撮れないからやろう!”っていうことになってカメラを回して。すごくヒリヒリした空気の中で撮ってたんですけど、その緊張感からか、撮り終わった後にカメラマンさんがぶっ倒れちゃって。

内澤:あのカメラもめちゃくちゃ重かったんだよね。

前田:80キロぐらいあってね。

佐藤:すごく特殊なカメラで、日本で回せるのも数人しかいないっていう。

前田:そうやってかなりの集中力と緊張感の中で撮ったのもあって、すごく熱量がある映像になったので、すごく嬉しかったですね。

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──今後も楽曲同様、映像作品も楽しみにしてます。では、作品のお話に戻って行こうと思うんですが、『relight』の次には『one and zero』(2012年12月)をリリースされていますけども、この作品は深く潜って行く感じというか。音楽性の幅も拡張しつつ、さらに曲の濃度もあがっていき、全体的に質量がすごく重たいイメージがあったんですが。

内澤:あの頃は……。

佐藤:多分、一番つらかった時期でしょ?

内澤:そうだね。今だから言えるんですけど、メジャーデビューをしてから、自分たちの音楽が商業的な見られ方をすることに、僕はなんとも言えないストレスがあって。自分は、売れたいとか、売りたいとか、有名になりたいとか、お金持ちになりたいという欲から音楽を始めたわけじゃなくて、純粋に音が好きで、音楽が好きで始めたので。それに対して数字で物事を言われたりすることに、すごくストレスを感じるようになっていて、自分は音楽を何のためにやっているのかわからなくなっちゃったんです。もう音楽をやめようかなと思ったこともあったし。それで「End roll」という曲を作ろうと思ったんです。もう終わりにしようという意味でも。だから……なんだったんだろうな、あの時期は。すごくふさぎ込んでしまっていて。

──それであの作品にはどことなく閉塞感もあるんですね。

佐藤:ツアーとしても、今までライヴハウスでしかやっていなかったところからホールに立つっていうところで、どうなるかわからないと思いながらやっていたし、楽曲作りの体制もちょっと違った形になっていて。たとえば“こういう曲をいつまでに”みたいなものが、今まではなかったんですよね。もうちょっと自由な感じでやっていて。

内澤:タイアップものと、提供曲と、自分たちのアルバム制作とツアーが重なっていて、さらに追い打ちをかけるように、自分が好きだった祖母が亡くなったりもしていて。それでもう精神的におかしい感じになっちゃって、突発性難聴になったんですよ。でも、ツアーのリハはやらなきゃならない、曲を作ることもやめることはできないっていう。

伊藤:なんか、バンド全体がマイナスのエネルギーに満ち溢れていたというか。僕も、なんで自分はこんなにヘタクソなんだろうなってよく考えていたし、良くなりたいってもがいていたんだけど、どうもうまくいかなくて。

前田:俺、あの頃“内澤君が信じられない”って言ってた気がする。内澤君は内澤君自身のことで手一杯なんだとは思ってたんだけど。

内澤:俺も誰にも言えなかったからね。突発性難聴になってしまったことも、もし言ってしまったらツアーがなくなるかもしれないし、心配かけられないから誰にも何も言わずにいて。でも、明日になって、耳が聴こえなくなっていたらどうしようって考えると寝られないとか。ただ妥協はしたくないから、寝ないぐらい余裕だと思ってやってたんですよ。精神よりも身体のほうがついてこないなって思いながら。

前田:一時期全然寝てなかったよね?

内澤:4日寝なくても全然いけるんだと思っていたけど、その後に身体がぶっ壊れちゃったりとかして。

佐藤:そうやってつらそうにしているのを近くで感じていたから、内澤君がもうちょっと楽曲に向かえる時間を作れるように、何か自分がやれることがあったらやらせてくださいって言ってましたね、あの時期は。

──バンドとしてかなり危機的状態に陥っていたわけですけど、どうやってそこから抜け出せたんですか?

内澤:結局はそれもライヴに繋がって行ったんですよ。自分たちの音楽を好きになってくれてライヴに来てくれる人がいるのに、まだその人たちに対して何も出来ていないって思ったし、あとは、ふと外に出て、散歩していたときに見た夕陽が綺麗で、なんか自分の人生ってそんなに悪いわけでもないんだなって思ったりとかして。それまでは、自分だけがつらいと思ってふさぎこんでいたんだけど、だんだん自分が抱えているストレスなんかどうでもいいじゃんって思えたんですよね。商業的だなんだとか言ってるけど、もっと良い音楽を作ればいいじゃんって。なんか……お先真っ暗でもいい、自分たちが進む先が真っ暗だと何があるのかわからなくて不安だけど、逆に何も見えないほうが、何が起こるかわからなくておもしろいじゃんって。「End roll」を作り始める頃と、作り終える頃ではそういう変化があって。あの曲が作れたおかげで前向きに良い音楽を作ろうって、よりそう思えましたね。


<<第1回はこちら ・ 第3回に続く>>


撮影=菊池貴裕 インタビュー・文=山口哲生

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ツアー情報

one-man live tour 2016 ”Image World”

2016.05.08(日) 愛知・Zepp Nagoya
2016.05.11(水) 福岡・DRUM LOGOS
2016.05.13(金) 大阪・なんばHatch
2016.05.15(日) 東京・Zepp Tokyo
2016.05.22(日) 宮城・仙台PIT
 
 

 

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