新国立劇場「サロメ」、”決定版”登場

2016.3.10
レポート
クラシック

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

3月6日(日)、新国立劇場「サロメ」が開幕した。初日ながら圧巻の上演が繰り広げられ、新国立劇場の人気プロダクションに「決定版」が登場した。私がどうこう言うまでもなく、この日集まった聴衆の熱狂がそんな評価を今回の上演に与えることだろう。

…とは思うのだが、記録の意味もこめて初日の公演を詳しく振り返ってみよう。もし「先入観なしで次回以降の公演に行きたい」と思われる向きには、開幕前に私から”新国立劇場「サロメ」を聴くべき三つの理由”としてご案内した記事も参照していただければと思う。公演前の私の期待は裏切られることはまったくなかったし、むしろ期待以上の素晴らしい上演だった、とのみ申し上げておきたい。

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

リヒャルト・シュトラウスの傑作「サロメ」は、オスカー・ワイルドが新訳聖書のエピソードにより執筆した戯曲による全一幕、約100分ほどのオペラだ。その筋書きは多くの方が知るとおり、「預言者に魅了された少女が拒絶された恋情のあまり、父の頼みに乗じて、斬首した預言者に口づけして想いを叶える」というものだ。もっとも、思いを遂げたその直後に彼女はその歓喜するさまに恐怖を感じた父によって弑されてしまうのだが。

有名なビアズリーのイラストの印象が強いためか、サロメは自らの強い思い故に病んでしまう、あらかじめ狂気を含んだ毒婦として造形されてしまいがちであるように思う。当世であれば簡単に「ヤンデレ」と片付けてしまうところだろうか。しかしこの舞台では、サロメはひとりのまだ幼い少女、せいぜいが「ツンデレ」の気がある女性として舞台に登場する。義父のいやらしい視線を逃れた先で、神の言葉を叫び続ける神秘的な男性に出会って興味を持つも、無理に接した彼には酷く拒まれ厳しく改心を迫られてしまう、そんな「恋心が芽生えた直後に最悪の形で失われる乙女」として。ここからはご存知のとおり、義父からの望みに乗じてヨハナーンの首を所望するほどの「ヤンデレ」的な行動へと追いつめられてしまうわけだ。

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

冒頭の数分、そしてダンスのためのお召し替えの数分を除けば舞台に出ずっぱりの、素朴な恋情から狂気の中の法悦にまで至るサロメ役に、今回カミッラ・ニールントを得られたことは新国立劇場にとって、そしてもちろん私たち聴衆にとって幸いなことだった。彼女は見事に歌い、演じた。ナラボートを籠絡する妖艶でしかし可憐な歌と、大編成のオーケストラの咆哮にもかき消されない力強い叫びを併せ持つサロメに出会えることがそうあるだろうか?華麗な見せ場というよりはシャーマニックな土俗的雰囲気がただようダンスについてはもしかすると好悪が分かれるかもしれないが(紀元前後の中東を舞台とした作品であることを考えれば、少々の野卑はむしろ妥当な線かとも思う)、こと演技と歌唱についてこれほどのサロメにはそう出会えない。それだけでも、この舞台は決定版になりえただろう。

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

しかし今回の上演を素晴らしい物としたキャストは彼女一人ではないのだ。この日、地下から響く朗々たるヨハナーンの第一声に、サロメ同様に魅せられなかったが聴衆はいただろうか?グリア・グリムスレイの力強い歌唱はその恵まれた体躯そのままによく響き、地下から現れたその姿には預言者としての威厳が備わっていた。ヨハナーンがサロメを呪う場面が前半の音響的頂点となったことにより、「サロメ」が持つ宗教的寓話の側面が明確になったのは、彼の歌あってのことだ。

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

そしてこのドラマのそもそもの発端を作り出してしまうヘロデ王を、クリスティアン・フランツは見事に歌と演技で示した。宗教的禁忌を避けるだけの分別がありながら、その一方で兄の妻を娶り挙句その娘に色目を使ってしまう、王でありながら実に人間的なヘロデというキャラクターをこれだけ雄弁に表現されると、このドラマはまたさらに違う顔を見せてくる。ことの発端を作り、彼の登場からまた舞台が大きく動きだし、そして最後には自らの命令でドラマの幕を引くヘロデ王こそが、実はこの作品のもう一人の主役である、のかもしれない。ヨハナーンがふたたび地下に姿を消してから幕切れまでの舞台を牽引した、彼の変幻自在な歌唱には拍手を贈るしかない。

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

そして忘れてはならない、その妻ヘロディアスとして急遽登場したハンナ・シュヴァルツの存在感ときたら。たしかに、これは彼女が得意とする役であり、また前回2011年の上演でこのプロダクションを経験しているとはいえ、代役でしかも「イェヌーファ」上演の翌日に連続して登場したとはまったく思えない力強さ、そして歌に演技にと雄弁なヘロディアスがそこにいた。彼女の存在感あればこそ、ヘロデ王夫妻とその娘のねじれた関係がより強く意識されたのだと感じている。

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

他のキャストも舞台を大いに盛り上げたが、ドラマの導入をただの説明に収まらないものとしたナラボート役の望月哲也、終始舞台にいて幕切れには大きな役割を果たすヘロディアスの小姓役の加納悦子は特に賞賛させていただきたい。長く称賛を連ねたが、今回のキャストで「サロメ」を聴けることの快楽を知りたければご自身で体験していただくしかない。幸いまだ公演は始まったばかりである。

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

さらに、である。今回の上演を特別なものとしたのはキャスト勢に加えて、ダン・エッティンガーと東京交響楽団であることもまた、明らかだろう。冒頭のクラリネットソロから暴力的な終幕まで、雄弁なシュトラウスの音楽を見事に導いたダン・エッティンガーの指揮には圧倒された。つい舞台よりピットが気になってしまい、その指揮姿を確認したことも一度や二度ではないことをここに告白しよう。この日の彼らは精妙に絡みあうシュトラウスならではの美しい音楽を聴かせ、ときに「ピットのオーケストラだからと遠慮はしない」とばかりに豪快に鳴らしもした。サロメの見せ場、そしてオーケストラの聴かせどころである「七つのヴェールの踊り」で見せた緩急を使い分けた演奏は特にも圧巻、エッティンガーと東響が珍しい顔合わせであることを忘れてしまうほどの自在な雄弁さだった。

……しかし、である。これほどの演奏であっても、時おりマエストロは指揮をしながら首を横に振るような仕草も見せていたから、彼はこの日の演奏に満足などせず、さらにもっといい演奏を目指しているのだろうと推察する。それはすなわち、千秋楽までこの上演はまだまだよくなっていく可能性がある、ということだろう。

撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場

よく知られた作品に正面から取り組んで最高の舞台となった「サロメ」と、未だ知られざる傑作をよく考えられたプロダクションで見せる「イェヌーファ」、異なるアプローチで実現した二作品の見事な上演が続く現在の新国立劇場に足を運ばないのはあまりに惜しい。「イェヌーファ」「サロメ」の両作品を、併せてぜひに、とお薦めさせていただく次第である。

公演情報
新国立劇場2015/2016シーズン R.シュトラウス《サロメ》全1幕〈ドイツ語上演/字幕付〉

■日程:2016年3月6日(日)14:00、9日(水)19:00 、12日(土)14:00、15日(火)14:00
■新国立劇場オペラパレス
(予定上演時間:約1時間45分・休憩なし)
 
■指揮:ダン・エッティンガー
■演出:アウグスト・エファーディング
■美術・衣裳:ヨルク・ツィンマーマン
■振付:石井清子
■管弦楽:東京交響楽団
■キャスト:
サロメ:カミッラ・ニールント
ヘロデ:クリスティアン・フランツ
ヘロディアス:ハンナ・シュヴァルツ
ヨハナーン:グリア・グリムスレイ
ナラボート:望月哲也
ヘロディアスの小姓:加納悦子 ほか