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追悼・扇田昭彦「非日常への情熱とジャーナリストの目と」/今村 修(元朝日新聞演劇担当記者)

2015.7.26
コラム
舞台

 訃報に絶句するような形で接するとは、まったく思ってもみなかった。返すがえすも残念でならない。

 思えば扇田昭彦さんとのつき合いは、四〇年を超える。この間、交際にほとんど濃淡がなかった。これほど変わらなかった交友関係は、扇田さん以外にない。かけがえのない友人を失ってしまった。

 年齢的には一つ下だが、演劇に関わる仕事を扇田さんはジャーナリストとして、わたしは編集者としてほぼ同時期にはじめたこともあって、最初の出会いから仲間のように感じていた。時代的にはアングラ演劇の勃興期に当たり、二人ともそれに強い関心を持っていたので、その伴走者のごとくお互いを意識していたと言ってもいい。

 そういう親しみは以後も消えることはなかったが、現代演劇に関するスタンスがやや違うと感じるようになったのは、わたしが明治時代から現在までの、総合的な演劇史に取り組み始めてからである。

 この仕事の中でわたしなりに「発見」したことが多々あったが、築地小劇場を創設させた流れを追ううち、「小劇場」なり「小劇場運動」なりといった用語を、新劇とは別の現代演劇という意味で今のごとく使うことに、抵抗を覚えるようになった。築地小劇場を生んだ動きこそまさに小劇場という概念に基づいており、築地小劇場はその運動の結晶として誕生していて、それが今につながる新劇の起点にほかならないからである。だから前記の把握は、歴史的には誤認だと私は考えている。

 もう一点は「新劇」という概念に関することで、これは総合的な演劇史を書く一方、岸田國士論に取り組むうちに、これまでとは違う認識が徐々に芽生えた。簡単に言うと、従来のリアリズムを中心概念とする新劇観に、違和感を強くするようになったのである。それを一冊にまとめたのが『最後の岸田國士論』(中公叢書)で、ここで展開した私見では、アングラ演劇も不条理劇も「静かな演劇」も、すべて新劇として一括できる。そういう拙著を高く評価してくれた一人が、扇田さんだった。「新しい視点をいくつも盛り込んだ、気迫のこもった論考だ」と評してくれたのである(『週刊朝日』2013年11月1日号)。

 もっとも、わたしの新劇観に直接的な言及はない。が、アングラ演劇も「静かな演劇」も新劇だとする新説を唱えているのはわたし以外にいないから、「新しい視点」という言い方には、この点も含まれるのだと希望的に考えている。

 このことにも関連して注目していた扇田さんの仕事に、こまつ座の機関誌『the座』に連載していた「演出家の時代」がある。扇田さんの急死で二六回で中断されたが、そのうちの二〇回を小山内薫にあてていた。しかも、それでもなお、築地小劇場が始動した時点での中断で、扇田さんが小山内薫の全体像や築地小劇場をどう把握していたかは、わからないままに終わった。もし、これが見通せる形になっていたら、扇田さんは果たして「小劇場」なり「小劇場運動」なりといった用語を、従来通りに使うことをつづけたろうか。この点が不明のままになったのが、残念でならない。

 それにしてもと思うのは、あの至福とも言うべき時を過ごしたアデレードでの日々である。二〇〇〇年の二月末から三月初旬にかけての二週間ほど、維新派の『水街』(松本雄吉構成・演出)の観劇を中心に、二人でアデレード・フェスティバルに出掛けた。オーストラリアは連日四〇度を超える酷暑だったが、毎日朝から晩まで、街を歩き回り、気の向くままにフェスティバルの出し物を覗き、食べかつ飲み、尽きないおしゃべりを楽しんだ。何の気遣いもいらなかった。もう二度とこういう時は持てないだろう。

 長い間のおつき合いに、あらためて心からのお礼をいいたい。安らかに、どうぞ……。

今村 修(元朝日新聞演劇担当記者)