こまつ座 井上麻矢代表にスペシャル・インタビュー(前編)
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井上麻矢・こまつ座代表取締役社長
故・井上ひさし氏の戯曲を上演する劇団、こまつ座は1984年4月「頭痛肩こり樋口一葉」で旗揚げ以来、今年で創立32年。2009年11月にひさし氏の三女・井上麻矢氏がこまつ座代表取締役社長に就任してからは、7年目を迎える。ここまで、こまつ座はいささかも歩みを止めることもなく、むしろますます旺盛活発に演劇道を突き進んできた。来たる7月には、「父と暮せば」に次ぐ“井上ひさしが描いたもう一つの「ヒロシマ」”と称せられる「紙屋町さくらホテル」を10年ぶりに再演する。続く8月には、樋口一葉没後120年記念として「頭痛肩こり樋口一葉」を、30年前に同作のロングランを行った地(旧・芸術座)に建つ日比谷シアタークリエで上演することも決定している。かくも精力的に劇団運営に敏腕を振るう井上麻矢代表とは一体どんな人物なのだろうか。SPICEは代表本人から、今日までの道程、そして、演劇にかける思いのたけを聞いた。 (インタビュアー:今村麻子)
七年目を迎えて
今村 井上麻矢さんがこまつ座代表取締役社長に就任してから今年で7年目を迎えられます。2010年に井上ひさし先生が他界されてからも、先生の不在を感じさせることなく、演劇界で確固たる存在感をもって躍進を続けています。その間、第47回紀伊國屋演劇賞団体賞を「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」で受賞、第23回読売演劇大賞優秀作品賞を「マンザナ、わが町」が受賞、さらに出演者も秋山菜津子さんが「きらめく星座」により読売演劇大賞最優秀女優賞、熊谷真実さんが「マンザナ、わが町」により紀伊國屋演劇賞を受賞するなど、受賞にかぎらず、こまつ座公演の出演により、それぞれの役者陣が代表作と呼べるにふさわしい舞台成果をあげ続けています。その原動力はどこにありますか。
井上 どうもありがとうございます。本当はボロボロです、いろんな意味で(笑)。こまつ座が立ち上がったとき、わたしはまだ子どもでしたが、そのころの演劇界には命懸けで作品を作っていたプロデューサーがいっぱいいました。五月舎を作った本田延三郎さんもしかり。そういう先人の思いを汲んで、たとえどんなにつらいときも「これぐらいで文句を言えない」と。わたしが弱音を吐くのはおかしいんです。
今村 子どものころから、そういう大人を見て育ってきているのは強いですね。
井上 はい。劇団の壮絶さは毛穴にしみ込んでいます。絶対に継ぎたくなかった家業をやっている感じで、とくに今年ほどそれを痛感した年はないです。父からたくさんの言葉を残してもらっているからなんとかがんばることができています。
今村 この6年はどのように進んできましたでしょうか。
井上 父が亡くなってから最初の時期は、(この世界を)わかっていなかったので、恐いものなしでした。家業であっても中に入っていたわけではないので、人一人もわからない。どの人が偉くてどの人がどうという演劇界の政治的なものにも疎かったので、好き勝手にやっていました。それがよかったんだと思う。三年が過ぎたあたりから、だんだんわかってくると臆病になって、義理を通すため保守的になるという経験もしました。でも、それではダメだなということもわかりました。自分が最終的に目標とするのは父が目指した「劇団をいかに存続させるか」ということなので、そこに戻ってくるまでにずいぶん時間がかりました。
今村 この7年のなかでも気持ちの揺れがおありだった。
井上 たくさんありました。心を病みかけたこともあります。でも丈夫にできていますので、なんとかなるという思いは強い。3年ぐらい前までは疲れ知らずで、寝られないとかうまくいかないということも楽しくて仕方がない時期もありました。ただ、演劇の世界は一つのものをつくるエネルギーがほかのものとだいぶ違いますので、あるときみんな、そこに疲れたりしますよね。いまは父が亡くなってから20年ぐらい経ったような気がします。
こまつ座の特徴
今村 そうですね。一年一年の中身が濃いですものね。わたしが井上先生と最後に話したのが、2009年の10月。翌年4月に亡くなってしまうので半年前。亡くなるとは思えないほどお元気に、こまつ座の展望を語ってくれました。「劇団全体のことは麻矢くんがいるから大丈夫。安心してこまつ座は任せられます。ぼくは文芸部を作って細々とやっていきます」と。
井上 もともと父はフランス座の文芸部出身なので、そこに戻っていくと思ったんです。自分の命というものをもう一回書きたいという気持ちで文芸部を作り、やっと戻ったら亡くなってしまった。ひとつのサークルは描けたと思いますが、次の一周として二巡目を書かせてあげたかったという気持ちがあります。
今村 麻矢さんがいらっしゃるこまつ座の体制で井上先生が書いていたら、また違っていたでしょうね。
井上 おっしゃるとおり、そこなんですよ。わたしと父は一年しか一緒に仕事をしていません。その後は父がいない状態で仕事をしておりましたので、トラブルが毎年ありました。年上の女性プロデューサーに聞くと「お芝居を作る上で、摩擦やトラブルがないと思う方がおかしい。これだけ生身のことをやっているのだから、当たり前」と。それにしてもいろんなことがあり過ぎました。起きたことを対処するという実地訓練は相当鍛えられています。もちろんたいへんですけど、あまり動じなくなりました。基本的には神様が―—神様というほどわたしは宗教を信じていませんが、神様がわたしにこの問題を与えて、どうやって解決するかを見たいのではないかと。トラブルを解消するにはどうするべきかをまず考える。
今村 それはこれまで培ってきたものがあるからこそ。
井上 危機管理と無関係にきたふつうのOLだったわけですから、会社で起こることは上の方で起こっていて、降りてこない下っ端でずっと生きてきましたから。それがこの7年間で否応なく対応力は高まったと思います。
今村 どんなことが起こっても。
井上 なにが起こっても。「そうかそうきたか、じゃあこうしよう」って。さらにそこからきれいな形で処理するにはどこにもっていったらいいのかを考えられるようになりました。ときにくじけそうなときも父が遺してくれた言葉を思い出し「あのときにどういうふうに言っていたのだろう」ということを考えます。
今村 井上先生が麻矢さんに遺した言葉が今回刊行された「夜中の電話」にあるのですね。
井上麻矢著「夜中の電話」が刊行される
今村 井上先生が亡くなって間もなく、井上先生の仕事を次代に伝え、さらに井上先生と縁のある方々の思いを託した追悼号(「悲劇喜劇」2010年7月号)を企画し作りました。麻矢さんからは「パパ、元気ですか?」という三千文字の原稿をいただきました。井上先生が亡くなるまで麻矢さんに毎日電話をして、これからこまつ座をやっていくための「虎の巻」ともいえる言葉をたくさん遺してくれたことが書かれています。しっかりバトンを受けてこまつ座をやっていくという強い意思表明にもなっている。あれから6年。麻矢さんが社長として船出したこまつ座は、その決意を証明するかのごとく、とどまるところなく進み続けます。麻矢さんの近著「夜中の電話」はその虎の巻がこうして1冊になったと思いました。ご自身だけのものだった言葉をこうして一冊にされたのはどのような経緯があったのでしょうか。
井上 父が亡くなってから三年ぐらい経ったころ、こまつ座のポスターを描いてくださっている安野光雅先生のラジオ番組に出演しました。そのときに「棺桶に父といっしょに入れたこまつ座のポスターの染料で、父の骨がパステル色になってかわいかったんですよ」と常識では言わないようなことや、父が遺してくれた言葉を話しました。安野先生が「君、おもしろいね。そういう話、本にしたらいいよ」と言ってくださった。ただそれはわたしに残してくれたバイブルなようなものだから、自分だけのものにしておきたいと思って。安野先生は「そりゃ君ね、傲慢だ。君はひさしさんの最後の弟子だから、井上さんが残したものを(世の中と)共有しなきゃダメだ」とおっしゃった。それで決心が着きました。父からわたしへの言葉は「作家井上ひさし」というよりも「父親井上ひさし」として自分への自戒もこめて書いています。だったらこれはわたしの目線で書いてもいいのかなと思い、一冊にまとめました。実は300ぐらい言葉があったのですが、この本に入っているのは77です。これは演劇界に特化していることなので、あまり一般の方に置き換えると難しいかなと思って絞りました。困ったときに父と対話しているような気持ちになり、どんなトラブルが起こっても、どんな幸せなことがあってもわたしたちの目指すものを再確認できるんです。
今村 目指すものとは。
井上 演劇という形を通して、時間でユートピアを出現させるということです。こんなに便利な時代になると、行ったことがない場所もパソコンで確認することができてしまう。未知の世界はないですよね。こまつ座の原点はお客様と作り手が一体になってその劇場空間のなかに拡がっていくユートピアを作るということ。演劇でしかできないそこに終始すれば何を言われてもいいやと。父がそれを望んでいたのだから。
今村 ユートピアは出現しましたか。
井上 なかなか出現しないんですよね。調和が生まれないと浮かび上がってこない。一方的にわたしたちが発信するだけでなく、それをお客様が受けて消化して、そこでユートピアが出現する。その魔力こそが父の演劇に対する大きな夢で、もはやそういうものは演劇でしか作り出すことができないと信じていました。いかにして出現させるか努力をするだけ。ほかのひとが何と言おうと、どう思われようと、どんな時代になっても、それだけをやり続けていればいい。いまみたいに大変不安定な方向に進みそうな時代でも、淡々とやり続けていきたい。そういう覚悟をこまつ座に関わる人みんなが持っていただけたらうれしい。それに尽きます。それぞれのカンパニーには特徴がありますが、こまつ座が特化しているのはそこです。いまはものを考えなくてもいい時代、楽しければそれでいいというお客様もいます。いろいろな演劇のジャンルがあると思いますが、こまつ座のお芝居は物語のなかに自分の姿を登場人物に見たり、人生について考えることができます。そこがこまつ座の魅力だと思うので、うちはうちで特化したやり方でユートピアを出現できればいいと思うようになりました。
井上ひさしとは
今村 家業とおっしゃいましたが、そのこまつ座を麻矢さんがおやりになって、いま思うことはどのようなことでしょうか。
井上 正直、父に対して天国に行ったら文句を言ってやりたいことはいっぱいあります(笑)。父はリアリストであった部分とロマンティストであった部分が混在していました。ひとつのことについて、ある側面と別の側面と、言うことがまったく違うことがある。そういうところは小さいころから慣れている。だけど、最後にわたしに見せていた部分はまったくぶれていなかった。それはすごいことで、そこだけを大事にしていきたい。そう思っています。
今村 麻矢さんがこまつ座に関わる以前の井上先生の姿と違うということでしょうか。
井上 基本的には同じです。ただ、わたしが成長期だったり、子どもが生まれて必死になって子育てをしている時期など、素直に父の話を聞けない状態でした。当時は父の言いたいことが偽善的で建前のように聞こえていて。父とようやく向き合えたのは、20年以上社会経験をしてからです。それはすごくよかったです。
今村 井上先生も「麻矢さんはありとあらゆる資格を持って、どんな仕事もこなせます。ホテルで働いていたときは寝るときも携帯電話を枕元に置き、急に仕事で呼び出されても対処できるようにしていたんです」とおっしゃっていました。
井上 職を転々としてきて、こまつ座でこんなに役立つとは思いませんでした。最初はスポーツ紙の広告局にいまして、世の中のお金のまわり方を教えてもらいました。次に務めたのはお国の放射線の研究所。放射線を医療で活かす研究をされている先生の秘書をしました。そこではひとつの答えを導きだすために、たくさんの人の意見が必要と教えてもらいました。いわゆるお役所仕事です。そのあとやったのがホテルの仕事で、究極のホスピタリティ産業である「おもてなし」の心、無償の気遣い、そういうものを徹底的に教えてもらいました。たとえば鏡があったら、いちばん女の人がきれいに写るところに花を生けなさいとか、花よりもその人が引き立つためにはどのようにすればいいかとか、そういうことを一生懸命教えてくれるところです。ホスピタリティだから押し付けてはいけない。献身的なおもてなしの究極の形です。
今村 そしてこまつ座へ就職されることになる。
井上 はい。父にも言われました。「君はぜんぜん違うところに再就職するのではないんだよ。演劇というのは究極のホスピタリティです」と、父は人をのせるのがすごくうまいんです(笑)。いまとなってはのせられたと思いますが、父がいう通りで、お客様と接しているときはそういう気持ちでいます。ただ、それだけではなく、作り手としては闘わなくてはいけない部分がたくさんあって、ホスピタリティだけでは、やられちゃう。演劇、とくに制作をするひとは、ハード面とソフト面をバランスよくもっていないといけない。不思議なことに、どちらかができるひとはどちらもできるんですよ。どちらかができないひとは両方できない。制作はルーチンの連絡事項やスケジュール管理を求められますが、演出家が何を作ろうとして、作家がなにを表現しようとして、役者がどこで悩んでいるのかを気づかなくてはいけない。両極端のものをなんなくこなせるひとがいい制作者なんでしょうね。事務能力が高い方はそういうことできるひとは多いです。
今村 事務処理能力の高いひとは、ホスピタリティもある。こまつ座のお芝居にいくと麻矢さんを初め制作陣が温かく出迎えてくださる。
井上 父の有名な話で、お客様がリュックに目覚まし時計を入れていて、それが上演中に鳴りだしてしまったことがありました。お芝居が台無しになったわけでも止まったわけでもないのですが、お芝居の世界に入り込んでいたお客様の意識を一瞬目覚まし時計にとられてしまった。それを父はすごく怒って「お金返すから帰ってください。あなたはね、一緒にお芝居を作る参加者です。その資格がない!」と言ったそうです。お客様もユートピアを出現させるための大事な要素ということを父もよくわかっていました。気持ちよく作品世界に入っていただかないと、ユートピアは出現しません。劇場に入って「いらっしゃいませ」も言われないまま客席に着いて、座ったら前の人が帽子を被ったままで「帽子とってください」とは言えない。隣の人の傘が人様の迷惑になってしまうとか、そういう些細なことで嫌な気持ちになってお芝居に入ったとしてもあまりいい結果は生まれない。一見お芝居に影響なさそうですが、共同体なので、ちょっとしたことがとても大事です。役者さんには「こまつ座はお客さんとの距離が近い。毛穴まで見られているようだ」という役者さんもいる。あまり遠く感じられてもいけないものですし、近過ぎてもいけない。参加してくれる人たちと一緒に作っているという感覚があるので、必然的にお客様は大事です。
今村 制作の人の印象は劇団やお芝居のよさに影響します。
井上 そうですよね。わたしがお客様に言う「ありがとうございます」は「
今村 劇場の前で待ち合わせしていると「そこ、ちがう」と吐き捨てられるように注意されたことがあり、お芝居を観始めても嫌な気持ちを引きずってしまいます。
井上 そうですよね。場が清潔で清い気が流れていないといい空間ではないんです。そのために劇場ではなるべく言い争いをしたくないですし、嫌な気持ちで行かないようにしています。ちょっと遅れても、深呼吸をして太陽の光を浴びてそういうものを払拭して「きょうも一緒に作らせていただこう」という気持ちで切り替える。やっぱり人間ですから伝わってしまいます。
今村 自分自身がいかにいい状態を保つということ。
井上 それもわたしの仕事だと思っています。
今村 その現場をまわすことだけではない。
井上 そうですね。制作でばりばり現場についているひとたちはたいへんだと思いますが、いい状態を自分で保ち、トラブルを稽古場や劇場に持ち込まないでほしい。「汚れた身体で来ないで!」とか言いますよ。身も心も清潔にして、ひとつひとつ気を引き締めていく。例えば、他の劇場に観に行っても「いらっしゃいませ」を言われないこともあります。お客様はいっしょに作っていただく方たちだから「いらっしゃいませ、きょうもよろしくお願いします」と頭を下げることは当たり前のことなのに、まったく言わない。最近気づいたことに、こまつ座は商業演劇でもなければ、新劇でもないということ、というのがあります。振り幅が広い作家、井上ひさしが残した作品を上演するこまつ座は、独自の中道路線を歩んでどこにも所属できない部分がある。主義主張だけではないし、お客様をお金だけでみているわけでもない。
スペシャル・インタビュー後編に続く
井上ひさし先生直筆の色紙。この言葉はSPICE舞台編集部のモットーでもある。
(インタビュー・文=今村麻子、写真=安藤光夫)
■会場:紀伊國屋サザンシアター
■作:井上ひさし
■演出:鵜山仁
■出演:七瀬なつみ/高橋和也/相島一之/石橋徹郎/伊勢佳世/松岡依都美/松角洋平/神崎亜子/立川三貴
■公式サイト:http://www.komatsuza.co.jp/
東宝・こまつ座提携特別公演「頭痛肩こり樋口一葉」
■日時・会場:
2016年8月5日(金)~25日(木)日比谷シアタークリエ(東京)
2016年9月3日(土)~4日(日)兵庫県立芸術劇場文化センター 阪急中ホール(兵庫)
2016年9月7日(水)新潟県民会館(新潟)
2016年9月15日(木)電力ホール(宮城・仙台)
2016年9月17日(土)南陽市文化会館(山形)
2016年9月22日(木)びわ湖ホール 中ホール(滋賀)
2016年9月25日(日)アルカスSASEBO 大ホール(長崎)
2016年9月28日(水)~30日(金)中日劇場(名古屋)
■作:井上ひさし
■演出:栗山民也
■出演:永作博美、三田和代、熊谷真実、愛華みれ、深谷美歩、若村麻由美