Kαin・YUKIYAが語る、D≒SIRE、JILSを経て辿り着いたバンド・Kαinに臨むアティチュード

インタビュー
2016.4.27
Kαin L⇒R:SHIGE(G&Vo)、SANA(G)、YUKIYA(Vo)、TAIZAN(Cello.)、ATSUSHI(Dr)

Kαin L⇒R:SHIGE(G&Vo)、SANA(G)、YUKIYA(Vo)、TAIZAN(Cello.)、ATSUSHI(Dr)

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D≒SIRE、JILSと1990年代からヴィジュアルシーンで活躍し、プロデューサーとしても数々のアーティストを手がけてきたYUKIYA率いるKαinが5月2日に赤坂BLITZで『one another day/die another day』と銘打ったスペシャルライヴを開催する。結成半年で大手事務所と契約を果たし、シーンの一翼を担う存在になったD≒SIRE時代、本当の意味で自主独立したレーベルを立ち上げたJILS時代を振り返ってもらいつつ、キャリアの中で最後のバンドだという想いで“原点回帰”したバンド、Kαinに臨むアティチュード、今の音楽シーンについて自身の視点でたっぷり語ってもらった。


ずっと応援し続けてくれている人たちがガッカリしない音楽を作ること、その人たちの期待に応えて自分の活動をまっとうすることだけを考えています。

――D≒SIRE、JILSとシーンで活躍されてきたYUKIYAさんですが、キャリアを経て、活動中のKαinはそもそも、どのような想いで結成したバンドなんでしょうか?

僕が二十歳ぐらいの頃に始めたバンドがD≒SIREで、運がいいことに結成して半年も経たないうちに事務所から契約の話をいただいて、それがキッカケで上京したんです。つまり、最初のバンドは純粋なインディーズ経験がほぼない状態だったんですよ。良くも悪くもまわりの大人が何でもやってくれて、極端な話、メンバーは楽器の弦も自分で張り替えないみたいな。レコード会社や大手の芸能事務所と契約して、そういう状況が5年ぐらい続いて、D≒SIREが解散した後に、本来の言葉通りの自主独立したインディーズのバンドをやりたいと思って結成したのがJILSです。

――純粋なインディーズ時代がほぼないままD≒SIREが解散したこともあって?

そうですね。D≒SIREでは大人に言われるままというか、翻弄されていた部分もあったので、反骨心じゃないけど、自分でやってもメジャーに負けないことをやるんだって。僕もまだ20代でしたし、ほかのバンドからメンバーを引き抜いて結成したので、CDのセールス、動員的にも負けたくなくて、絶対に成功するんだっていう気持ちが強かったんですね。JILSに関しては“こういう音楽をやるんだ”とか“アート的にこんな方向性のものを作りたい”というよりも、ちゃんと活動していくことに必死だった。結局、JILSは7年半ぐらい活動して2007年に解散するんですが、解散する前の年に大きな転機があって。ポリープで喉を手術したんですよ。僕はそれまでバンド活動以外にプロデュースワークも行なっていたので、“歌えるうちは歌おう”ぐらいの軽い意識でいたんですけど、いざ手術することになったら、“もうライヴできないのかな”っていう想いが出てきて。

――もう歌えなくなってしまうのかもしれないと。

そうですね。自分が作った音楽を自分で表現することができなくなるかもしれないと思ったら、わりとショックでそんな自分に驚いたんです。“あれ? 俺、そういう気持ちだったんだ!?”って。自分がそんなに歌に執着しているとは思ってなかったんですよ。今、思うと若気の至りですけど“いつでもやめてやるぜ!”みたいな気持ちでいたんですね。それと同時に、2006年の年末に自主レーベルの10周年イベントをSHIBUYA-AXで開催して、一区切りついたなという想いもあったんです。JILSは軌道に乗っていたんですが、長くやっていると、いつしかリリースすることやライヴをやることがルーティンワークみたいになってきていて――。本来、アートという視点だけで見たら本当に自分が良いと思う曲ができなければ、何年もリリースしなくてもいいわけじゃないですか。だけど、商業的なことを考えたら、年に3枚ぐらいシングルをリリースしてアルバムも出さないと成り立っていかない。手術したことも相まって、ふと“自分はこれがやりたかったんだっけ?”って思ったんです。いつかは歌えなくなる日が来るんだなと切実に考えたし、30代半ばになっていたので、自分が健康でバリバリやれるうちに本当に自分がやりたいことをちゃんと見つめなおしたほうがいいんじゃないかと。

――ミュージシャン人生の大転機ですね。

大きな転機でしたね。自分がやっていることはメジャーの縮小版じゃないかと気づいて、原点に戻ろうと思った。“最初、自分はどんなバンドをやりたかったんだろう”、“自分の趣味が凝縮された音楽って何だろう?”と考えて、キャリアの最後は自分の趣味を色濃く出したものをやって終わろうかなと。そんな想いで組んだのがKαinです。

――では、最初から最後のバンドにしようと?

“最後のバンドだ!”と決意して始めたというよりは、そういう気持ちでしたね。これで終わってもいいと思えるものをやらないとダメだなっていう。JILSの時には勢いもあったし、自信もあったし“どんな音楽をやっても俺がやればJILSなんだ”と思っていたんですけど、振り返ると音楽的に幅を広げすぎていた感もあったんです。ある程度のセールスを指標にして曲を作るとどうしてもターゲットが幅広くなっていくし、“いろいろな人に愛される曲を作らなきゃいけない”っていう方向に行きがちなんですが、そうなると音楽が若干、薄まる気がするんですよ。Kαinではそれまでの自分の活動に区切りをつけて、賛否両論になっても、JILSを好きだと言ってくれた人たちの1/3しか良いって言ってくれなかったとしても、濃いものを提示したかったんです。

Kαin/YUKIYA(Vo)

Kαin/YUKIYA(Vo)

――そもそもYUKIYAさんがやりたかったこと、原点というのは10代の頃にさかのぼるんですか?

そうですね。すごくわかりやすい言い方をすると、バンドを始めた17~18歳の時に今ぐらいの知識と経験、お金があったら、こういうことがやりたかったというのを追いかけているのが今のKαinです。

――ということはイメージしている音楽を形にしてくれるメンバーが集まっているんですね。

意識したわけではないんですが、“こういうことやりたいんだよ”って話してメンバーを集めたら、結成時には全員、同じ地元の後輩になりましたね。原点に戻ってやる音楽に賛同してくれる人が10年、20年の長い付き合いのある人ばかりに結果、なったという。

――Kαinの楽曲はメロディが際立っていて切ない曲が多いですが、どんなふうにメンバーに伝えたんでしょうか?

僕自身、「何がカッコいいと思ってロックバンドを好きになったの?」って聞かれたら、日本だとBOOWY、海外だとU2なんですよ。だから、僕が今やろうとしていることは、ちょっとUKのニューウェーヴがかったアレンジと8ビートが得意な日本のロックバンドならではのメロディを融合できないかなって。簡単に言うと、そこを目指しているんです。

――なるほど。そして、あまり音源をリリースしていないのは先ほど話していたスタンスがあるからですか?

ですね。バンドを結成した2007年にメンバーと話して、最初にある程度、ボリュームのあるものを提示したほうがKαinの世界を伝えるにはいいだろうということになって、フルアルバムを1枚作ったんですよ。それ以降はほとんどリリースをしないでライヴを中心に活動しています。

――音源化されていない楽曲がたくさんあるということですか?

もう数十曲はあると思います。CDになっていない曲だけで十分、ワンマンが成立するぐらいありますね。CDを作らないことにこだわっているということでもないんですけど。僕が10代の時はちょうどアナログのレコードからCDに切り替わる時期で、インディーズのバンドはレコードなんか、なかなか出せなかった時代だったんですよ。僕自身、知られていないマイナーなバンドをレコードショップで探して、当時、西新宿にあったLOFTに足しげく通うような少年だったんですけど、ライヴに行っても音源を出していないバンドの方が圧倒的に多くて、それでもすごく盛り上がっていた。例えば当時、インディーズだったBUCK-TICKが初めてリリースした音源『HURRY UP MODE』なんか、その頃、ライヴを観に行っていたファンにとっては1枚目にしてベストアルバムなわけですよ。

――ライヴで何度も聴いている曲たちが、ついに音源で聴ける! って。

そう。“やっとCDになった!”みたいな。そう考えると今のインディーズバンドは楽曲に対する粘り強い愛情が薄れている気がするんですよ。多くのバンドが事務所に所属していたり、マネージャーがついていたりするし。早いペースで音源をリリースするから、どんどん曲数も増えて、ファンの人も1曲1曲への執着心が薄くなっていって、結果として音源の価値が下がっている。僕、それもCDが愛されなくなった要因の一つなんじゃないかと個人的に考えているんですね。だから、Kαinの音源は本当に望まれて、“音源出ないともう限界だわ”って思われるぐらいのタイミングで出したいんです。そうなったら、ライヴに来てくれている方にとってはベストアルバムになると思う。曲をライヴで練りたかったという気持ちもありつつ、こんなに時間がかかるとは思っていなかったですけど、それぐらい強いバンドになりたいんですね。

――それぐらい求められるバンドというか。

そうですね。今ってYou Tubeとかで気軽に映像や音楽に触れられるから、入り口が開いていますけど、僕は入る時のハードルが低いものは出る時のハードルも低い気がするんですよ。音楽に限らず、どんな娯楽もそうですよね。TVのチャンネルも昔と違って無限に選択肢があるけれど、いくらでも好きなものを選べる代わりに人が一つのものに執着しなくなっているんじゃないかと思うんです。

――おっしゃる通りだと思います。YUKIYAさんが10代の頃、人生を変えられたのが音楽だったからこそ、原点に戻って大事にしたい。それが今の活動に繋がっているんですね。

そうですね。絶対、チェキは売らないとか(笑)。ミュージシャンであるからには音楽を売ってないとミュージシャンではないという気持ちが僕の中にはあって。だからバンドを始めてから途中まで、ライヴでグッズも売っていなかったんですよね。

――そこが本筋じゃないだろうって?

そうです。以前、全国ワンマンツアーをした時に後輩のバンドに「グッズ、作らなきゃダメですよ」って怒られました(笑)。今ではCDのジャケットはもちろんバンド周りのアートワークは全部、自分でやっていて、途中からカメラに凝りだして、今ではカメラマンとしても活躍しているメンバーもいるので、自分たちで企画、デザインから全部手がけたものなら、作品として売るのはアリなんじゃないかという考えになっています。そうなってくると人間、げんきんなもので次のグッズを作るのが楽しみだったりもするんですけど(笑)、カッコつけた言い方をするならば、表現者でありたいので、自分から発信したものじゃないとお金をいただきたくないというのはあります。

――ちなみにずっと音楽シーンで活動してきたYUKIYAさんにとって、今のシーンはどう映っているんでしょうか?

どうなんでしょうね。僕自身は、最近は若いバンドのプロデュースの仕事はやっていないんですが、10年前だったら若いミュージシャンが悩んでいたら「頑張って。成功したらきっと良いことがあるから」って言えたんですけど、今は音楽業界の状況もあるし、夢を見にくいですよね。いい言い方をしたら、本当に音楽が好きな人しか残らないのかもしれないですけど。もっと言うと、もうロックが若者のものじゃないんですよね。

――成熟した音楽になっているかもしれないですね。

そう。日本の人口を考えても10代は減っているじゃないですか。人気のある10代のグループがいても、リスナーが10代、20代かというとそうじゃない気がするんですよ。だから、おそらくロックはもう10代のコが夢中になる音楽ではなくて、もしかしたら僕が若い頃に偏見を持っていた演歌みたいな。“演歌なんてオジさんが聴くものだよ”って思っていたのと似た感覚で言われているのかもしれないですよね。僕はそういうふうに今の音楽シーンのことを見ていて、その中で自分ができること、やるべきことは自分を支持してくれるファンの方に対して誠実であることだけだと思っているんです。僕のライヴに来てくれる人は20代後半から30代の男性が中心で、きっと10年ぐらい、ずっと応援し続けてくれている人たちだと思うので、そういう大人の年齢層が聴いてもガッカリしないクオリティの高い音楽を作ること、その人たちの期待に応えて自分の活動をまっとうすることだけを考えていますね。だから、時代性とか今の流行りを意識することもないし、今の若いバンドには何も思わないっていう言い方が近いかもしれないです。もちろん、プロデュースしたら、いろいろ心配になってきちゃうんでしょうけど、音楽よりほかの仕事のほうが幸せになるんじゃないかとか、親のような気持ちになってしまうと思うんですよね(笑)。安易にはケツを叩けない。

Kαin L⇒R:SHIGE(G&Vo)、SANA(G)、YUKIYA(Vo)、TAIZAN(Cello.)、ATSUSHI(Dr)

Kαin L⇒R:SHIGE(G&Vo)、SANA(G)、YUKIYA(Vo)、TAIZAN(Cello.)、ATSUSHI(Dr)

音楽をやるしかなかった若者がプロになれて、20数年も生きてこられたなんて、魔法がずっと続いているようなもの。その魔法はいつ解けてもおかしくないと思ってる。

――そうですよね。では最後に、5月2日に赤坂BLITZで開催されるKαinのスペシャルワンマンライヴ『one another day/die another day』についてタイトルに込めた想いを含め、どんなライヴになるか予告をお願いします。この日はYUKIYAさんの誕生日でもあるんですよね。

まず、完全な自主制作で1,000人規模の会場でライヴをやるのは、すごくリスクがあることなんですよ。会場の費用や舞台制作の費用など、もろもろ合わせると300万~400万円かかりますから、それを個人で担うのはけっこう大変で、毎月ライヴをやってその利益をプールしていくので、こういう規模のライヴをやるのは年に1~2回が限界なんですね。それだけに自分にとってはものすごく大事で、自分で手がける映像や演出、セットも含めて“これこそが自分が表現したいKαinの世界なんだ”って見てもらえる非常に貴重な機会だと捉えているんです。セットリストとしてはBLITZのライヴはCDになっていない曲がメインになると思うんですけれど。

――本編のメニューは音源化されていない曲が中心ですか?

はい。でも、ちゃんと盛り上がる自信はあるんです。この数年、お客さんと一緒に育ててきた楽曲ですからね。ライヴのタイトルの“one another day”には僕たちとお客さんはどちらが上でも下でもなく、“お互いに”という想いを込めていて。“die another day”というのはさっき話したような、リスクを背負ってライヴに臨むので“これが最後じゃなかったらいいね”という想いで付けました。誕生日だからって、いわゆるバースデイライヴ的な内容になるわけではないんですけど、「YUKIYAさんの誕生日だから」と思って来てくださる方もいらっしゃると思いますし、メンバーも頑張ってくれているし、自分が理想とする音楽の表現を形にするライヴを誕生日にできるなんて、そうそうないことだと思うんです。いつ何が起こるかわからない世の中で、こんなことが来年も再来年も続くと思っちゃダメだと思うし、元を正せば音楽をやるしかなかった若者がプロになれて人様からお金をいただいて20数年も生きてこられたなんて、それだけで魔法がずっと続いているようなものなんですよ。自虐的でも何でもなく、その魔法はいつ解けてもおかしくないと思っているので、こういうタイトルを付けたんです。

――そういう意味でもスペシャルなライヴですね。

当日はセットも含め空間全部がKαinだと思って楽しんでほしいですね。おそらく藤田幸也という人間が表現したいことの全てが詰まっていると思います。もし、このインタビューを読んで“曲を知らないからな”と思っている方がいたとしても、たぶん楽しんでもらえると思います。そういうライヴを目指して何年も積み上げてきたし、観に来ているのはCD持ってない人ばっかりだよって(笑)。本来の意味でインディーズであることをまっとうしているバンドだと自負しているので、そこもすごく観てほしいですね。

インタビュー・文=山本弘子

イベント情報
『one another day / die another day』
2016年5月2日(月)赤坂BLITZ
開場/開演 17:30/18:30
【チケットS席2次受付決定】
S席のみ、会員先行のキャンセル分および機材席確定につき、1F僅少と2F指定席を販売

<TMFR会員2次予約>
S席:¥8,000-(税込/全席指定)
※入場時ドリンク代別途必要
※TMFR会員限定販売(指定席/特典+先行物販購入権付)
※TMFR会員(無料)登録 http://tmfr.net/web/net-dm/top.html)

【一般チケット】
¥4,500­ (税込 / 自由席・入場整理番号付)
※入場時ドリンク代別途必要

<プレイガイド>
チケットぴあ/ローソンチケット/イープラス
※営利目的の転売不可/未就学児童入場不可
(問)ネクストロード 03­5114­7444(平日14時~18時)

 

 

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