SUPER BEAVERが体現する"カッコよさ"とは 充実の最新作『27』を通して迫る
SUPER BEAVER 撮影=西槇太一
前作『愛する』からの約1年、SUPER BEAVERは大きな飛躍を遂げた。多くのイベントやフェスへの出演でより多くの目に触れるようになり、ツアーファイナル公演では初めてZepp DiverCityでワンマンライヴを敢行、しかもSOLD OUT。そんな進境著しい彼らは、新作『27』で“責任”をキーワードとして掲げた。あくまでも一対一で力強いメッセージを投げかけて聴く者を鼓舞し続けるSUPER BEAVERは、これまでも己が投げかける言葉とその奥にある心に徹底して向き合い続け、強烈な説得力を獲得してきた。その姿勢はここへきて、より明確に研ぎ澄まされているように感じる。「自分で言ったことに責任を持つ」という、当たり前なようでいて実はできていない人が多いアティチュードを「それがカッコいい大人だ」「カッコよく生きたいじゃないか」とハッキリ歌いきる今作を通して、彼らの現在地と「カッコよさ」の根底に迫る。
自分たちが良いと思っている音楽を鳴らすけど、それは無責任に放出しているつもりはない
――前作から約1年、どのようにして『27』に至ったのか、お訊きしていきたいんですが、まずこの1年はすごく大きな1年だったんではないかと。
渋谷龍太(Vo):すごくたくさんの人にお世話になって、多くの人に関われる機会が増えたなと思って。フェス然り、呼んでもらえるイベント然り、たくさんの目に触れさせていただける機会がすごくあったので、作品も含めて一回り大きくなれた気がしてます。
藤原"28才"広明(Dr):うん。それに観てくれる人が増えたぶん期待値とかも上がってて。今までは(SUPER BEAVERを)知らない人に向けて「どう届けよう?」みたいなやり方だったと思うんですけど、今は待ってる人に対してどういう風にやったらいいんだろうとか、そこはすごく意識が変わったところかもしれないですね。
上杉研太(Ba):バンドとしても、たくさんの人に伝えていくにはっていうテーマを考えながらやるようになってきて。まぁ色々経てそうなってきたんで、自然と無理することなくできてますし、もっと多くの人に対してアウトプットしていくっていうタイミングで出来た作品な気がします。
柳沢亮太(Gt):作品の数やツアーの本数にしても、ここ数年ずっとハイペースなバンドなんですけど、モチベーションとしてはずっと変わらなくて。良いものを作っているっていう気持ちはずっとあったし、かっこいいライヴをしているという自負もあったんですけど、やっぱり蓋を開けてみた現実の結果が、自分たちの思うほど付いてきてないっていう悔しさも味わいながらやってきた数年間だったんです。ようやくそれが少しずつ「あ、届いてる」って感じられるようになって。ライヴの動員やCDの枚数もそうだし、ようやく周りから言われる以上に、自分たちが身を以てその実感を持てたのがこの1年だったような気がします。それに「初」っていう出来事も10周年にしてすごくたくさんあったので。学園祭とかも然り、夏のフェスもそうだし、冬のフェスも初登場っていう。
上杉:初めてのライヴハウスも。Zeppも初めてやったし。
――多くの目に触れるようになったという発言がそれぞれの口から出ましたけど、そうなってみて意識や認識に変化はありますか?
渋谷:それこそずっと……良い意味かもしれないですけど、アウェー感みたいなものがついて回ってたんです。2年~3年前まではライヴ始まってしばらくは「誰なんだこいつらは」「どんなことやるんだ」って腕組みしながら観ているような人も多かったですけど、それが今はわりと序盤から「ああ、あの曲がきたか」っていう、待ってました感を感じるようになったので、その点ではアウェーで出すパンチ力とは違った視点になりましたね。少し高いスタートラインから始められるようになったというか、そのぶんやれることも増えてきたのかなっていうことを感じてます。
柳沢:おそらく根本的にはやることは変わってないんですけど、4人だけで何かを鳴らしていたものが、渋谷の言葉を借りるならライヴを始めたスタートの時点で10人、100人、1000人が一緒になって一曲を歌ってくれるとか、大外を巻き込んでいくための力が増えたというか。ことライヴの会場においては一緒に渦を作ってくれる仲間が一緒に居るっていうことの心強さは実感できるようになってきました。これまでが孤独だと思ってたわけじゃないんですけど(笑)。
渋谷:母体が大きくなってきたような感じですね。知ってくれてる人、応援してくれる人も含めたチームとしての母体がずいぶん大きくなっている気がしているので。だから全く知らない人でもパッと入って来やすいような間口の広さっていうのを、みんなで作れてるんじゃないかなっていうことは思います。
SUPER BEAVER 撮影=西槇太一
――それによってみなさんも後押しされる部分はありますよね。
渋谷:随分助けられてます。
――ライヴで観ていても感じます。何より、みんなすごく歌うじゃないですか。
渋谷:僕はライヴハウスによく通っていた人間だから、何を求めて行ってたのかなって考えたら、やっぱりどこかしらで自分も発信者――言葉や気持ちを発する場を求めていたような気がしていて。その分かりやすい形ってなんだろう?って考えたら、踊ることも手を挙げることもそうだけど、もっともっと内々から発っせられるものは、歌なんじゃないかなって。シンガロングの爽快感であったりとか、何かを担ってるっていう充足感だったりは自分がすごく感じていたことだから、それを実際にみんなでできたらすごく楽しいだろうな、それぞれが各々の気持ちを発する場所を作れたら面白いだろうなっていう。だからシンガロングしてもらおうっていうのは、意識しているところではあります。
柳沢:楽曲レベルでもライヴでもそうですけど、投げつけるだけじゃ面白くないというか。ともに歌うとか、共有できることの楽しさを僕らはもともと知ってるつもりでいるんです。それこそ渋谷もよくMCで言いますけど、根本、音楽は一人でもできる、壁打ちみたいなことだってできるわけで、でもそれより楽しいのはなんだろうっていうことをどんどん突き詰めるようになってきたのが、僕らのここ数年の方向だなんです。もちろん一人でも楽しいけど、それが2人、3人……100人、1000人、1万人ってなっていったら、純粋に楽しいことだし、そこで僕らが取る手段としてみんなで一つの歌を歌うっていうことで、多幸感とか、せき止めていたものが解放される、楽になれるような感覚とか……投げかけた先に一緒に歌ってくれる人が増えてることで、僕らももっともっとやらなきゃっていう。倍々ゲームが少しずつかみ合ってきたのかなっていう気はしてます。
――バンドとして良い状態ですね、それは。
渋谷:そうですね。強要というのはあまり好きではなくて、好きに観たら良いんじゃないかなって思ってたんですけど、(お客さんが)やりたがっていることが見えるようになってきたので。歌いたがってるんだ、手拍子をしたがってるんだっていうのが何となく分かってくると、それを促すきっかけを作ることが自然にできるようになってきた。無理に、どうしても歌ってくれとか、その場をなんとなく楽しくするために声出してくれとか、なんとなくの空気ではないっていうのは、変わってきた部分ではあるのかなって。
――そういった現状も含めた、SUPER BEAVERの「今」っていう要素がこのアルバムに落とし込まれているのではないかと。『27』というタイトルも皆さんの年齢とも近くて、「今」を歌う意識が強い作品なのかなと思ったのですが。
柳沢:『27』っていうタイトルはある種のモチーフみたいなもので。前作が『愛する』だったり、遡ると、自主レーベルを立ち上げてもう一回這い上がって行こうっていうタイミングで出したのが『未来の始めかた』だったりとか、その都度その都度なんですけど、おっしゃっていただいたように「今」を、この瞬間のものを歌うっていう意識はあって。自分たちの葛藤を歌っていたものが、少しずつ外へ向いていって、『361°』っていう前々作で”あなた”という対象が見つかって、『愛する』でそれら全てを愛する……という後に『27』っていうタイトルがきたのは、子供から大人になっていく葛藤だとかを完全に超えたというか。もう28~9歳になる世代で、今さら子供だとは全く言えないし(笑)、言葉を大事にしながらも、どんどんその言葉に対しての責任をちゃんと持つようになってきて。さっき話したような周りを巻き込んでいくときの大前提として、放った言葉に責任を取れないと話にならないと思っているバンドなので、それを僕たちなりに言葉にしたものが『27』。多少前後はしてますけど、この世代が完全に大人になったっていう、イコール、好きなことは好きにやれるしすごく自由だと思うけど、その裏に必ずあるものとして責任があって。楽しいっていうことの根源をシンプルに形にできたのかなと思いますね。
――やっぱり27歳くらいが境目になるんですかねぇ。
柳沢:それは分からないんですけど(笑)、僕らはそうだったっていう。それは「うわぁ、もう大人だ……!」ていう感覚があったというよりも、SUPER BEAVERが鳴らすものに対する信念みたいなもののような気もするんです。世間的にどうだとかはとりあえず置いておいて、自分たちが良いと思っている音楽を鳴らすけど、それは無責任に放出しているつもりはないから。それがさっきの「共に歌いたい」っていうことにも繋がってくるのかなと思ってるんですけど。
SUPER BEAVER 撮影=西槇太一
「行かなきゃな」を「行く」って決めたのがこのアルバムだっていう気はすごくする
――その責任っていうワードはリードの2曲をはじめとして、作品の重要なテーマになっています。
柳沢:そうですね。超、表に出したいってわけではなかったんですけど、作品を制作する上で僕らが持っていたテーマとしては、大前提の土台にありました。それは一個人としてもバンドとしても、リスナーに対してもそうだと思うし。「責任」って言葉にすると堅苦しいかもしれないですけど、ずっと人との関わりとか人との向き合い方をすごく大事にしてきたバンドなので、そこを適当にはしたくないっていう気持ちとか……うん、それを言葉にするとそういうことなのかな、僕は。……(3人を見ながら)みなさんはいかがでしょうか?
上杉:なんでお前にインタビューされなきゃいけないんだよ。絶対答えねぇよ(一同笑)。
――じゃあ、大人とか責任っていうものに対して、上杉さんから一言。
上杉:あ、本当に答えるんですね(笑)。でも……実際いい大人ですからね。逆に責任取れない、大人じゃない、って言われても何言ってんだお前?っていう。やっぱりその気構えがないと人にはちゃんと届けられないし、言って逃げるんじゃなくてしっかりやる、そこで言ってることとやってることが違ったらカッコ悪いよね、っていうことはバンド内でよく話してて。言うからにはしっかり考えてるバンドでありたいし、ステージの上だけ、曲の中だけじゃなく、ちゃんと自分たち自身が成長したいと考えている。だから自分たちの曲とともに、自然とそういうモードになってて……言ったことはやる、カッコ悪いことはやらないみたいな、それが責任なのかもしれないですね。
――そうやって当たり前のようにサラッと言ってくれるんですけど、言ったことに責任を取れない大人もたくさんいるじゃないですか。
上杉:そうっすねぇ(笑)。
――そこを大前提のスタンスとしていられるのが素晴らしいと思うんです。
渋谷:それは僕らの周りの大人に、当たり前にそれをできる人たちがいてくれたからだと思うんですよね。メジャーから落っこってインディーズになったときに、誰かに頼りたい気持ちは当然あって、そんなときに助けてくれた人に大人としてカッコいい人、何かを体現して見せてくれる人がたくさんいたんです。「こういう風にならないといけないな」っていうのはすごく思ったんです。で、そういう人を好きでいると自然とそういう人が周りに来てくれるようにもなるし、そうでない人は僕らも選ばなくなるし。そういう憧れや、カッコよさっていうものを教えられてきて、それを今度は僕らがそっち側に行かなきゃいけない立場なんじゃないかなって思ってるんです。で、その「行かなきゃな」を「行く」って決めたのがこのアルバムだっていう気はすごくしていて。まぁ「僕らはそっちの方の人間になりました」って自分で言っちゃえば逃げ道も無くなるし、それこそ責任を取らなきゃいけないし……っていうスタンスに変わってきている気はします。
――そこの真っ向勝負は作品からも伝わります。サウンド面でも個々の楽曲で語るべきこと、進化や工夫などたくさんあると思いますけど、それ以上に全体の感触としてはこれまで続けてきたことがブラッシュアップされている印象で。
柳沢:仰る通りで、今回は特別奇を衒ったとかではなく。例えば初めて生ストリングスが入っていたりとか、一曲通してピアノが入っていたり、上杉がアップライトベースを初めて弾いてみたとか、そういうサウンド面での新たな試みはあるんですけど、やったことないからチャレンジしてみようっていうより、どれも楽曲や精神性を分かりやすく伝えるため、質感から届きやすくするためのアプローチなんです。確かにアルバム全体を見たときにはどんどん研ぎ澄ましていくような感覚はあって、濃密にする作業をずっとここ数作続けていると思います。あとは……年々シンガロングパートは増えていってますよね(笑)。
SUPER BEAVER 撮影=西槇太一
――それは歌そのものの力が増しているとも言えるかと思うんですけど、歌う立場としてはどうですか?
渋谷:この作品だからという特別な感覚はないですね。思い描くビジョンは少しずつ大きくなっているのかなっていうことは思いますけど。対象が「あなた」であるっていうことはずっと変わりなくて、一個人をないがしろにしちゃいけないっていうことも、一対一の対話だっていう意識もずっと持ってるんですけど、その規模がなんとなく、歌っていても大きくなっているのかなって感じるんです。思い描ける景色がライヴハウスだけじゃなくなったっていうのはあって、それに伴う……なんだろうな。それも責任かもしれないですけど、向き合う人数が多くなるんだろうなって意識したときに、大きなものを意識して歌えるようにはなりました。
――それは自然と?
渋谷:そうですね、意識したわけじゃないです。イマジネーションでどうこうなる問題ではない気はしているし、それよりも培ってきたものが見せてくれた景色ですよね。多くの人が聴きに来てくれる状況であったりを自分で体験できて実感できてから、ようやくっていう感じです。でもそこはもしかしたら前作以前とは大きく違っている点かもしれない。
――サウンド面に目を向けると、一際異彩を放っているのは「まっしろ」だったりします。
柳沢:ああ(笑)、そうですね。立ち位置、属性でいえばこれまでもこういうキャラクターの曲はあったとは思うんですけど、今作の中では異質ですね。レコーディングのときは他のガッといく曲よりもナイーブにレコーディングはしたんですけど、そういうこともナチュラルにやれるようになってきたのは、自分たちの懐を広げることができてきたんだろうなっていう気もします。
――それにしても明らかに他の曲と色が違うはずなのに、アルバムとして聴くと違和感なく聴けちゃう。
柳沢:ですよね、なんなんですかね。これ。なんでなんだろう?
渋谷:それは徹してないからだと思うんですよね。AORぶってる、みたいな(笑)。
柳沢:うん。寄せていってるわけじゃなくて……そういうフレーズを探してきたりコピーしたりするわけじゃなく、あくまで”なんちゃって”な感じに収まってる(笑)。悪い意味じゃなく、そういう(AORやソウル、R&Bなど)バンドになりたいわけでも憧れてるわけでもないから。ただただメロディと歌詞がそういう空気を放っていたときに、自分なりに音を当て嵌めていったらどうなるんだろうっていうことでしかなくて。
上杉:「よく分かんないけど、こういうフレーズよくあるよね?」「っぽいぽい!」みたいなやり取りをしながら(笑)。
柳沢:だからやってて気持ち良いし、無理がないから、出来上がった音がSUPER BEAVERでしかないのかもしれないですね。
SUPER BEAVER 撮影=西槇太一
こういう風になりたいとか、自分の思うようにカッコよくなるためなら、なりふり構ってられないって思えてる
――そして今回、リードトラックは2曲ということですよね。
柳沢:そうですね。「秘密」と「人として」と。
――2曲ともSUPER BEAVERというバンドのテーマや精神性をそのまま形にした曲だなと思いました。
柳沢:ざっくり言うと、「人として」はシングル曲たちと同じ頃、一番最初にできた曲なんです。シングル3曲を順番にリリースして行く間もずっと根底に「人として」という曲はあって。逆に「秘密」は、他の12曲を踏まえた上で一番最後にできた曲なんですよ。結局全ては「人として」で歌っているようなこと、カッコいいかカッコ悪いかだったらカッコよくありたいっていうことに、このバンドは、特にこのアルバムは集約されている気はしていて。だからSUPER BEAVERを象徴する極端な2曲になっていると思います。
――<人として かっこよく生きていたいじゃないか>って刺さりますよねぇ。
柳沢:ありがとうございます。責任の取れる大人っていう話もありましたけど、つまりは僕らの思う”カッコいい”ってそういうことなんです。他人のせいにするのと自分でなんとかするのだったら、自分でなんとかするほうがカッコいいとか、そういうすごくシンプルなこと……バンドとしてっていうより、それこそ人としての。このバンドはずっと続いてくる中で少しづつ色々なものを蓄積してきたと思っていて、メジャーで経験した自分たちの責任がどこにも伴わない、何がどこで起きているのかも分からない状況から、自分たちで小さいことから責任を取ろうって思えたときに、一緒に手伝ってくれる人がいたんですよ。だからこそ何かがあったときに、こんなに大好きな人のせいにしたくないし……っていうことがずっと繋がって初めてフェスに出れて、そこでまた一つ悔しい想いもあって、じゃあ誰が頑張るのかって言ったら、まずはバンドが頑張らなきゃいけないっていう話で。その積み重ねの最先端がこのアルバムですね。突然「責任」ということを言い出したわけじゃなくて、ずっと積み重ねてきたことのなかにあったものを「ああ、そうだよね」って再確認した。だからこの「人として」っていう曲も「カッコよくありたいよね」「カッコいいバンドでいたいよね」っていうシンプルな言葉になったのかなと思います。
――SUPER BEAVERは間違いなくカッコよくあろうとしてるバンドで、しっかりカッコつけてくれるバンドだと思うんですけど、でもそのためだったらカッコ悪いことも厭わない面も感じます。
渋谷:あぁ~、そうかもしれないですね。憧れや美徳の対象があったのが大きかったんじゃないですかね、生きてきた中で。こういう風になりたいとか、自分の思うようにカッコよくなるためなら、なりふり構ってられないって思えてるから……そうですね、カッコ悪いことも厭わないっていうのはあるかもしれない。
SUPER BEAVER 撮影=西槇太一
――その目指すべき「カッコいい姿」っていうのは言語化できるものですか?
渋谷:難しいっすねぇ(苦笑)。(思い浮かぶのが)特定の一人とかであればすぐに表現できるのかもしれないですけど、関わってくださる方それぞれにそれぞれのカッコいいと感じる部分があるから、漠然とデカい物ではあるんですけど。この人のこういうところが好きでカッコいい、こっちの人にもこういう側面があってそれもカッコいいっていう。だから具体的に一言では難しいのかもしれないです。全てを兼ね備えたら、それはもう人ではないのかもしれない(一同笑)。
柳沢:最近、渋谷がMCでよく言うことなんですけど、「肯定できる」バンドでありたいですよね、物事を。同じものを捉えたときに否定することもできるじゃないですか。「あれが嫌い」っていうことと「これが好き」っていうこと、何かを「好き」なことを表現するときに対称となるものを「嫌い」で表現することもできるし。だから僕らは否定で何かを表すのではなくて、肯定することで表現できるようになればカッコいいなぁとは思います。……僕も漠然としてますけど(笑)。
――でもわかります。このアルバムにしても、表面が逆説的であったりはしても、何かを否定する曲はないですもんね。
渋谷:そうですね。僕らはそれなりに多感だと思うので、ヘイトもすごくあるんですよ。これだけ好きな人がいると、全然好きじゃない人もいるんです。でもそこはエネルギーの変換の仕方で、「この人のこういうところが嫌い」って歌うくらいなら、その反対な人のカッコいいところを歌う方がエネルギーとしても強い気がしていて。アンチの気持ちで繋がれることって、そう多くはないと思うんですよ。肯定のエネルギーの方がより多くを巻き込めると思うし、良いものを生み出すことができると思うんです。
柳沢:それが、そんなに意識はしていなかったですけどSUPER BEAVERが少しずつSUPER BEAVERでしかなくなってきた理由かもしれないなって気がします。すごく偏った考えかもしれないですけど、ロックとかって反骨精神も伴う側面が多分にあると思ってるし、僕らも鬱憤を爆音とともに放出する時代もあったし……だから良いことばっかり言ってるつもりはないんです。ただお気楽で言ってるわけではなくて、その裏には責任があるけど、どうせ言葉にするなら前向きな言葉を言ってた方が良いし、楽しいでしょ?っていう。
――前しか向いてないから前向きなことを言う、ではなくて、いろいろ見た上で……ということですよね。
柳沢:経験してきたことがありますからね。それをお気楽にならない表現ができるっていうのは、このバンドならではのものだと思います。
SUPER BEAVER 撮影=西槇太一
――まさしくそのあたりが高純度で詰まったアルバムですが、今作のリリースツアーについてはどんな心境でいますか?
渋谷:じゃあ、(藤原に)最後にする?
藤原:全員言うの?(笑)
――じゃあ、全員にしましょう(笑)。
上杉:はい。まずは良いアルバムができたんで、それをライヴでもっとエモーショナルに伝えるというか、しっかり練習して臨みたいと思います!
柳沢:素直(笑)。
渋谷:でも本当そうだよね、それに尽きる。あとは、(今作は)すごくわかりやすいものになってて、難しいことは一つもないから、(リスナーが)やりたいことをやってくれるのが僕らとしても一番楽しいと思う。だから、見せて欲しいですよね、なんでライヴ来てるのかっていう部分を。……ただボーッとしに来てる人もいるかもしれないから(笑)、そういう人はボーッとしてもらって良いんですけど、そうじゃなくて何かしたいことがあるなら会場で見せてくれるとすごく嬉しいですね。できる空気にはしますので。頑張ります!
柳沢:今回ようやく、これまでより多くの人が観に来てくれるツアーになる気がしていて、初めてくる人も楽しそうだなっていう空気を会場に作りたいなと思っていて。もちろん、僕らもそういう光景を見るのは嬉しいから、互いの相乗効果みたいなものが働いて欲しいなと。これまで以上に楽しいツアーになりそうだなという予感はありますし、とにかく、「楽しいなぁ!」っていう瞬間を。僕らもそれが味わいたくてバンドやってるみたいなところもありますからね。
――……そして!
柳沢:そして。
藤原:……普通のことしか言えないんですけど(笑)、ワンマンも対バンもそうなんですけど、まず自分たちの音楽と、お客さんに対して、メンバーに対しても誠実に向き合って。それこそアルバムが表しているカッコいい部分っていうのをちゃんと見せられるライヴにしたいなと……思います(不安げ)。
――……。
藤原:……(不安げ)。
――ありがとうございます!
藤原:良かったぁ!(一同笑)
撮影=西槇太一 インタビュー・文=風間大洋
SUPER BEAVER 撮影=西槇太一
発売中
『27』
6月16日(木) 千葉LOOK 《ワンマン》