写真家・オカダキサラにインタビュー "偶然は必然に満ちている"ことを伝える新時代のスナップ写真家は、なにを考えているのか?
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オカダキサラ
東京の街中や電車内を舞台に、ある種の"つっこみどころ"を含ませながら、巧みに日常を切り取った写真たち。スナップ写真の世界に新たな風を吹き込む写真家・オカダキサラは、一体なにを思いながらこれらの作品群を世に放つのだろうか? 作品制作の様子や東京へのこだわり、写真への思いを語ってくれたこのインタビューを通じて、不思議な視点で世界を見つめる彼女の魅力に迫る。
――まず、オカダさんが写真を始められたきっかけについて教えてください。
最初はアニメーションを作りたくて武蔵野美術大学に入学したんです。でもちょっと何かが起きて、いつのまにか写真専門になってましたね(笑)。
――「何か」というのは具体的には?
私、モノクロフィルムの授業が苦手で。写真なんか絶対にやるもんかと思っていたんですよ。でも、この写真(※1)を大学のある授業の課題で提出したときに、教授が「君はスナップをやるべきだよ!」ってすごい推しまくってくださって。若かったですし「あたし、スナップ向いてるんだー」ってすぐに乗せられて(笑)。そのまま気付いたら写真家を名乗っていました。
※1 オカダキサラ作品 ⓒTOKYO
――最初にこの写真(※1)を拝見した時に、キリストが磔刑から降ろされて、それを抱くマリアを周囲の人たちが見つめている「ピエタ」の図が思い浮かびました。そう思わせたのは、この写真の構図の取り方のうまさに理由があるんだと思うんですよね。撮影される際に構図はかなり意識されているんですか?
そうですね、構図を一番気にしているかもしれません。でも、撮影自体は結構無意識で撮ってる部分が大きいので、構図を意識するのはセレクトの段階ですね。一日に100~200枚くらい撮るんですけど、その後で構図がしっかりしているものを選んでいます。
――同じ場所に留まって何枚も撮影されるんですか?
いえ、一か所に留まることはあまりしません。私、待っていることが結構苦手なので。一か所にとどまっていてもせいぜい5分くらいですね。場所を転々としながら撮影しています。
オカダキサラ作品 ⓒTOKYO
――駅や電車内といった場所が多く登場しますが、思い入れがあるんでしょうか?
駅も電車も、人と人が交差する時に起こる偶然が生まれやすい場所なので、どうしても魅力的に映りますね。いま郊外の住宅地とかも撮影に行っているんですけど、セレクトする段階になると、結局人が集まる場所で撮影したものが厳選されて残っていきます。
――偶然そのものよりも、偶然が起きる場所に興味がある、と。
そうですね。東京っていろんなものがごちゃごちゃしている街で、変化も目まぐるしい場所じゃないですか。私はそんな東京そのものに興味があるんだと思います。私の写真に写っている情景を見て「この人こんなことやっていて面白いね」って言われることがあるんですけど、私自身はその人が面白いことをしているから撮ったという感覚はなくて、あまりそういう部分には注目していないんですよ。この街で起こっている全部、全体のシチュエーションが面白いなと思って撮っているんです。
――東京という街に強いこだわりがおありなんですね。
結構飽き性なんですけど、東京には飽きない。常に新しいお店ができて、常に新しい建物ができて、人の入れ替わりも激しい。人と会おうとなれば、この街にいればみんなと会うことができる。東京ってすごい場所だなって思います。
オカダキサラ作品 ⓒTOKYO
――作品につけられている「ⓒTOKYO」というクレジットにも、そういったこだわりが込められているんでしょうか。
大学の卒業制作でスナップを出品したんですけど、その時のタイトルが「ⓒTOKYO」で、その頃から続けているシリーズです。私、写真ってあくまで現実のオマージュだと思っていて。現実が一番素晴らしくて自分はそれを間借りしているだけでしかないと思うんです。なので"これは現実の二次創作なんだ"という意味を込めて「ⓒTOKYO」っていう風につけたんですよ。そのタイトルがわりかし自分で気に入っちゃって、使い続けています。
――東京が作り出したり、生み出したりしたものを私は撮っているだけ、ということですね。
本当にすごいのは現実の東京であって、そこから少しずつお借りしているだけって思ってます。私という人間だけで表現しようとすると、すごく視野が狭くって小さなものになるけど、東京を借りることで、スケールの大きさとか、人の営みのすごさとかを伝えられるんじゃないかなと。
――ちなみに、オカダさん的に「これは東京を表しているな」と思う一枚はありますか?
全部思いますね。ある人に、「あなたの写真はみんな視線が交わっていなくて、違う方向を見ている。それが東京らしい」と言われたことがあるんです。確かに私が選ぶ写真って他者とのコンタクトを一切断絶しているんですよね。でもそれを遠くから見てみると、写真的な構図になったりする。とにかく東京は面白い場所ですね。
――たとえばこれを「ⓒFUKUOKA」とか「ⓒSENDAI」とかにしたら、同じようにその街の特色を出せると思いますか?
実は一度、「ⓒOSAKA」っていうのを出版したことがあるんです。ちょうど大阪で個展をやっていたときに、その合間に「ⓒOSAKA」で写真を撮ってみようということになって。その時の作品は、街も人も違ったけど「やっぱりオカダさんにしかこうは撮れないよね」と言われました。どういうところが私らしいのか、私自身はあんまりわからないんですけどね……。
オカダキサラ作品 ⓒTOKYO
――スナップを撮られていて苦労されることはありますか?
まず、スナップ写真そのものが注目されにくいというのがあります。ポートレートや風景写真のようにどっしり構えて撮影するものではないので、どうしても価値が低く見られてしまう。あと、肖像権云々の問題で、今後スナップを撮っていくのがやりにくい時代になるだろうなとも思っています。プライバシーの侵害やネット規制も厳しくなっていく中で、表現の自由を主張しつつどうやって発表していくようになるのかなと。本当に今はスナップ写真家にとって難しい時代になってきています。
――それでもスナップを撮り続ける原動力はどこにあるんでしょうか。
例えば歯磨きってしなくても生きていけるけど、しないと気持ち悪いじゃないですか。私にとって街を歩いて写真を撮ることはそういう行為と同じなんです。なので、カメラを毎日背負っていても重いと感じないですし、カメラが常に手の届くとこに無いとすごい不安になっちゃうんですよ。
オカダキサラ作品 ⓒTOKYO
――これからもどんどん作品をお撮りになるかと思いますが、その先で目指しているものは?
あまり撮り溜めていってどうしようというのはなくて、シェアできたらうれしいなと思っています。「こういう瞬間撮れたから見て!」っていう。別にそれで褒められたいっていうんではなくて、共有したいという思いです。でも、自分が見たものや受けた感情すべてを共有したいわけでもなくて、見た人がどういう風に受け止めて、行動しようがどうでもいいんです。ただ同じ光景を見ていたいという思いですね。
――ドキュメンタリーを撮りたい人とはそこが完全に違いますね。
辛い光景はもうみなさんそれなりに見ているでしょうし、そういうのを撮られる写真家はほかにもいますしね。ちょっと危険な場所で撮られた写真は、センセーショナルで刺激的だけれど、私の被写体としてはちょっと違うかなあと思っています。
――確かに、そういった過激な写真は嘘に見えることもありますね。リアリズムが脚色されているなと感じたり。コントラスト強すぎ! みたいな。
私は写真を仕上げる時は、必ずフラットに仕上げることを心がけています。コントラストを強くせず、奇抜なカラーにしないというのはレタッチするときの私のルールですね。おかげですごく地味な写真になりますが(笑)。
――ですが、この写真(※2)はすごく派手ですよね(笑)。この人の哀愁がすごいですよね。
哀愁の割には着ているものが派手ですよね。「早く彼女に会いたいのかな?」とか、いろいろ想像できちゃいます。
※2 オカダキサラ作品 ⓒTOKYO
――オカダさんの作品は、このようにいろんな情景を想像させるものが多いですよね。
清澄白河で個展をやっていた時に、ご家族でご来廊くださった方が、私の作品を見ながらそれぞれ勝手な物語を作って楽しんでいらっしゃったんです。それを聞いていてすごく嬉しくて。「こんな写真でそんなことまで想像する!? 」と思いながら、人の想像力の広さは本当にすごいなと思っていました。 特にこういう風に見てほしいとかはないので、好きにみてほしいですし、想像してほしいですね。
――影響を受けた写真家などはいらっしゃいますか?
スナップを撮るべきだと言ってくださった小林のりお(※3)教授ですね。あと大西みつぐ(※4)先生。それと、柴田敏雄(※5)さんですね。小林先生も柴田先生も、人工物と自然物をあくまで構図的にとる写真技法を使われる方なんです。あと植田正治(※6)や、マーティン・パー(※7)も好きですね。
――挙げてくださった方をみても、構図へのこだわりがすごくおありなんだなと思います。
構図へのこだわりは会社に勤めだしてからより強くなったように思います。普段は不動産の写真を撮る仕事をしているので、ただの四角をもっとかっこよく撮ろうと考えていくなかで、構図への意識が生まれて行ったのかなと思います。
――一方で、光へのご興味はあまりないようにお見受けします。写真家って光にこだわる人が多いので珍しいなと思っていたのですが。
そうなんです。光への興味はあまりなくて。ギャラリーで展示をやった時も照明を適当にやってたらギャラリストの方にすごい怒られまして(笑)。撮影の時も光がきれいな場面はあまり撮らないですし、撮ってもセレクトの時に選ばないですね。この写真は自分じゃなくても誰かが撮ってくれているだろう、と思うので。
――私にしか見えていない風景を共有したい、という感じですか?
究極的にはそうなりますね。SNSとかでも、似ている写真がすごく多いじゃないですか。それって構図とかが似ちゃっているからだと思うんですけど、そういった写真はそのうち見飽きちゃいますよね。そんな状態が続いたら、みんな写真を見ること自体やめちゃうんじゃないかな、と思います。そんなことになるのはつらいなと……。なので「写真楽しいからみんな見ようよ!」っていうような思いでいますね。
――スナップ以外にやりたいことはありますか?
人が写っていない風景を最近は撮り始めています。より構図に注目して撮っているのでスナップよりも若干意識的に撮影しています。見てくださる方は、人がいないのに人がいるように感じると言ってもらえるので、人が居ようが居まいがスナップなのかもしれません。
写真集を紹介するオカダ
――これからのご予定を教えてください。
9月にアート系のオンラインショップ『ミッドナイトストアー』が発行するZINEに参加した作家6名によるグループ展があります。あと青山ブックセンターで置かせていただいている作品集のプロモーションも兼ねて個展をやりますので、ぜひ見に来ていただきたいなと思いますね。
【インタビュー後記】
オカダキサラの写真を初めて見た時、とんでもない才能だと思った。彼女はその少しイジワルな視線と感覚で、一見混沌として偶然の連続のように見える光景に、秩序を与えてしまう。脱構築されたように見える現代の街の日常が、実は美しい構図の中に整列し、配置されていることを示す。大げさな言い方かもしれないが、オカダの写真はポスト・モダンの陳腐さを表現している。
写真とは嘘つきなもので、作品として仕上げるのならば、写真家は大抵嘘を吐かなくてはならない宿命を負っている。しかし彼女の写真はあまりにも嘘がない。納得できる現実というストーリーを否定する、とてつもなく広い視野は、リアルすぎる点となって凝縮し、世界を停止させる。見えないものを見せようとする写真家は多いが、彼女は見せてはいけないものを無意識に見せつけている。脚色の無いリアルに不慣れな現代の鑑賞者達は、オカダの作品の前に佇み混乱し、現実を構築するための物語を求めるだろう。そしてその物語に納得して次の写真に目をやると、また同じ作業を求められる。しかもそうした物語達を、オカダの写真は決して受け取らない。圧倒的に残酷な改変と配置の作業が永遠に繰り返される。
写真は、求められる物語をずっと演じさせられてきた。だがこのオカダキサラという写真家は、偶然と必然を同期し、主人公たちを混沌の中に放り投げる。そしてストーリーの無い「リアル」という自由を写真に与えている。写真による写真の解放とは、すなわち新たな文脈の始まりを意味している。オカダ本人はそんなことお構いなしに、これからも街を徘徊し飄々とスナップを撮り続けるのだろうが、その写真の持つ可能性は計り知れない。
オカダキサラという写真家からこれからも目が離せない。
写真の新しい夜明けがやってきた時、一番初めにシャッターを切るのはきっと彼女だろう。
期間:2016年9月1日(木)~9月21日(水)
場所:青山ブックセンター本店
ミッドナイトストアー合同展
期間:2016年9月20日(火)~9月25日(日) ※11:00~23:00
場所:HMV&BOOKS TOKYO 6F イベントスペース
【注釈一覧】
※1 写真参照
※2 写真参照
※3 小林のりお
秋田県大館市出身。写真家。武蔵野美術大学映像学科教授。日本歯科大学歯学部中退、東京綜合写真専門学校・研究科卒。1987年 「LANDSCAPES」にて日本写真協会新人賞、1993年「FIRST LIGHT」にて木村伊兵衛写真賞を受賞している。
http://www.artbow.com
※4 大西みつぐ
東京都江東区深川出身。写真家。1985年「河口の町」で第22回太陽賞、1993年「遠い夏」「周縁の町から」他で第18回木村伊兵衛賞を受賞している。
http://newcoast16.jimdo.com
※5 柴田敏雄
東京出身。写真家。東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業、同大学院修了。1975年ベルギー文部省より奨学金を受け、ゲント市王立アカデミー写真学科入学。1992年第17回木村伊兵衛写真賞、2009年第25回東川写真賞国内作家賞、日本写真協会作家賞を受賞している。
http://www.artunlimited.co.jp/artists/toshio-shibata.html
※6 植田正治
鳥取県出身。写真家。人をオブジェのように配した自身の出身地でもある鳥取の砂丘で撮影されたシリーズは代表作として広く知られている。多くの広告写真、ファッション写真を手がけ、国内外で評価された。1975年 「音のない記憶」で第25回日本写真家協会賞年度賞、1988年第4回東川賞国内作家賞、1996年フランス共和国芸術文化勲章シュバリエ、など受賞多数。2000年没。
http://www.shojiueda.com/jp/
※7 マーティン・パー
1952年イギリス、サリー州エプソン生まれ。写真家。1988年よりマグナム会員。ニューカラーの旗手と評され、独特なセンスのユニークなカラー写真は、社会を見つめる独自の感性にあふれ、多くのファンを持つ。
http://www.martinparr.com