初めて『音泉魂』を体験して──東京在住フェス好き音楽ライターの『OTODAMA’16』雑感

2016.9.14
レポート
音楽

レキシ 撮影=西槇太一

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『OTODAMA’16 ~音泉魂~池田の変?』 2016.9.3 泉大津フェニックス

最初に。
これは、2016年9月3日土曜日、大阪・泉大津フェニックスで行われた『OTODAMA’16 ~音泉魂~池田の変?』の雑感ですが、お客さんもミュージシャンも関係者も含めて、以前からこのフェスに慣れ親しんでいる方からすると「知らなかったの?」「前からそうですけど」「今さらそんなこと言われても」な内容である可能性、とても高いと思います。普段東京で仕事をしている音楽ライターが、開催12回目にして初めて『音泉魂』に参加したらこんなことを思った、というものとしてお読みいただければ、幸いです。

 

さて。
自分と長い付き合いのフラワーカンパニーズと、非常に関係の深いフェスであるし(ミスター小西の打ち上げ司会ジャンピング乾杯骨折事件などなど)、フラカン以外にも日頃自分がインタビューしたり原稿を書いたりしているバンドが多数出ているし、『音泉魂』に一度は行ってみたいと、以前から思っていた。

で。昨年の春に会社をやめてフリーになり、身動きがとりやすくなったのに、なんかスケジュールがうまいこといかなくて、2015年は行くことができなかった。しかし今年は、ほかのスケジュールとも当たらなくできたし、例年にも増して好きなアーティストが揃っているので、行くことにした。

仕事の要素はゼロなんだけど、せっかく大阪に行くのでちょっとは仕事っぽくしたくて、「大阪に来ることがあったら番組に出てください」と誘ってくれていた地元の音楽ライターでABCラジオ『よなよな』火曜日のパーソナリティー・鈴木淳史氏に連絡をとり、『音泉魂』の翌日に収録を入れてもらったりもした。で、9月3日土曜日朝6時27分品川駅発ののぞみに乗り、大阪へ向かった。

撮影=河上良

結論から書くと、びっくりした。自分はそれなりにロック・フェスに行き慣れているつもりだし、日本でもっとも大きなロック・フェスを企画制作している会社で働いていたので、フェスがどういうふうに作られているかなどに関しても、ちょっとぐらいは知っているつもりだったが、そういう奴からしても、とても新鮮な体験だった、2016年の『音泉魂』は。

『音泉魂』は「ロック・フェス」ではない。「ロック・フェス」というのはもっと大きな規模のものを言うのであって、『音泉魂』は「イベント」であって「フェス」とは呼ばない──番台こと清水音泉の清水代表は日頃からそう発言しておられるが、僕にとっては間違いなく「ロック・フェス」だった、『音泉魂』は。しかもすばらしい類いの。

じゃあロック・フェスとは何か、という話になる。以下は、僕が勝手に思っているだけだし、「こうじゃないとロック・フェスではありません」なんて定義もないし、「こういうロック・フェスじゃないと決して行きません」ってことでもない(現に行ってるし)。ただ、自分はこういうロック・フェスが好きです、自分が行って楽しかったなあと思うのは、あとから考えたらこういうロック・フェスでした、という、基準のようなものです。

①フェスの作り手の顔が見える。誰が、どんな考えを持って、なんのためにフェスをやっているのか、ということが、ブッキングや運営等のフェス全体から伝わってくる。

②「参加者が主役」である。出演者よりも制作スタッフよりも、参加者のことを中心にフェスが作られている。

③「××が出るから来た」という人よりも「このフェスだから来た」というお客さんが多い。

どうでしょう。すべて当てはまっているでしょう、『音泉魂』は。特に③に関しては、会場のお客さんの、このフェスのオフィシャルTシャツの着用率の高さでよくわかった。今年のTシャツだけでなく、昨年のTシャツ、3年前のTシャツ、5年前のTシャツ、と、さまざまな年のTシャツを頻繁に目にした。いつも余裕で当日券出てるのに、今年は開催1週間前にがソールドアウトしてみんな驚いていたが、にもかかわらず、会場内に「普段来ない人が大挙して押し寄せた」みたいな、あるいは「『音泉魂』がなんなのか知らないけど来た」みたいな空気はゼロだった。2年にいっぺん来る人や3年にいっぺん来る人が「お、このメンツなら今年は行こうか」ってみんな集まった結果今年はソールドアウトした、そういう雰囲気だった。

レキシ 撮影=西槇太一

それに、冷静に考えると、今年の大トリであり、フェス全体に『池田の変?』とサブタイトルが付いている……なんていうんでしょう? 今年のコンセプトみたいなものなんでしょうか。という存在がレキシだったわけで、今レキシ大人気なので、その力でソールドアウトした、という側面もあるだろう。レキシのライブの必須アイテム「INAHO」持参のお客さん、すごく多かったし。ただ、レキシのファンは「ほかのバンドには興味ない」という人はほぼいない、『音泉魂』に出てくるようなバンドは一通り知っているし、知らなくても観て楽しむスキルを持っている、だからいろんなアクトを満喫しながらトリを待つ、という、いわば「こなれた」ロック・ファンである、というのも、会場の雰囲気のよさの大きな理由になっていたと思う。というか、清水音泉も、そういうアーティストじゃなかったら、大トリにしたり、「池田の変?」というコンセプトにしたりはしなかっただろうと思う。

あと、「フェスはこうでならねばならん」ではないけど、「こういうフェス少ないけど、こうだったら俺はうれしい」という重要な項目に「快適さ」というのがある。シャトルバスに乗るのに延々待つとか、トイレでなかなか順番回ってこないとか、食い物屋で大行列とか、動線が大混雑してステージからステージの移動が大変とか、そういうストレスは少ないほうがうれしいなあ、という話です。

これ、単純に、そのフェスのの売れ枚数で左右されることが大きい。毎年同じフェスに行っていると、「空いてる年はこれくらいだけど、混んでる年はこうなる」ということを、身をもって学ぶことになる。で、混んでいる年は、ストレスを避けるために、「食い物はこの時間にあそこのフードエリアを狙う」とか「あの奥地のトイレは不便な分空いてるから、そのあたりまで行ったらそんなに行きたくなくてもトイレに行っておく」という行動をとるようになる。

撮影=森好弘

という目で、初めて行く『音泉魂』を解析するとですね。

まず、が売り切れている。帰りは難波行きのシャトルバスのも売り切れで買えなかったので、最寄りの泉大津駅発着のシャトルバスに乗らなければいけない。 泉大津駅は複数路線が乗り入れておらず、南海電鉄の南海線1本だけ。そもそも最寄り駅からシャトルバス、という交通手段のフェスの場合、鬼のように待たないとバスには乗れないのが普通だ(大都市から会場までの直通バスだと、予約システムがちゃんとしているせいで、そんなことなかったりするんですが)。

最寄り駅からのシャトルバスにすんなり乗れるの、僕が知っている限りでは『ROCK IN JAPAN FESTTIVAL』ぐらいだ。あ、自分がロッキング・オンをやめて以降の2回はどうだったか知りませんが、少なくとも2014年まではそうでした。社員だったので知っているし、遊びに来た友達が「あんなでっかいフェスなのに、ほんとに朝バスで並ばないよねえ」と感嘆していたので。

というわけで『音泉魂』、そりゃあ当然混むだろうなあ、と、覚悟の上で向かったのだが。泉大津駅を下りてバス発着所まで10分弱歩いたら、並ばずにすんなり乗れてしまった。その上、会場に入る長い行列も、5分とかそれくらいで終わってしまった。帰りはそうはいかないよな、最後まで観ちゃったしな、みんな一斉に駅に向かうわけだし、と思ったが、並ぶことわずか18分であっさりバスに乗れ、泉大津駅に着き、さすがにここからは大混雑だろうな、と思ったがそのままホームまで上がれて、ちょうど到着した難波駅の急行に乗れてしまった。

なんなんだこのフェス、と思った。それはおまえがラッキーなだけだろ、自分はもっと並んだぞ、という人もいるだろうが、僕の実体験はそうだったので書いておきたい。いや、ソールドっていっても13,000人規模だからでしょ? もっと大きなフェスだったら、並ぶのもしかたないんじゃない? という声には、逆に「それ、もっと入れられるのに『音泉魂』は13,000人で止めているってことでしょ。なんで止めてるのかっていうと、それ以上大きくすると自分たちで管理しきれなくなくなって参加者にストレスがかかるから、ってことでしょ」と、申し上げたい。ほかのインフラも然り。トイレもほぼ並ばなかったし、食い物も時間帯を選べば並ばずに買えた。複数ステージのある、しかもソールドしているフェスで、これ、なかなか無いことなのでは?と思う。少なくとも自分の実体験に照らし合わせると、そうだ。

「カネなくて最小限のスタッフでやってる」とか「現場、清水音泉のスタッフよりも『RUSHBALL』からの助っ人スタッフの方が全然多い」などと、昨年の公式サイトのブログで清水番台が書いておられたのを読んで、覚悟して行ったのもんで、かなり拍子抜けしました。「ちゃんとしてるじゃねえか! 快適じゃねえか!」と。ただこれも、「こなれてるお客さんが多いこと」が、フェスのスムーズな運営に一役買っている、という理由もあると思う。

あと逆に「巨大フェスだったらできない、この規模だからできる」さまざまな演出が、『音泉魂』の祝祭感を形作っている、ということを知って、「なるほどなあ」と思った。たとえば、去年は「プロレス」であり今年は「レキシ/池田の変?」だった全体のコンセプトがそうだ。運営スタッフのTシャツや(レキシTシャツだった)、行きのシャトルバス内のBGMや(アニメ『一休さんのテーマ』や『まんが日本昔ばなし』のテーマや『必殺仕事人』のテーマなどがあきらかにでかすぎる音量でかかる)、場内の装飾(お城のバルーンとかこの夏のレキシのツアーで使われていた大仏像の展示とか終演後のゲートに「縄文土器 弥生土器 どっちが好き?」「どっちも土器」って書いてあるとか)などが、言わば「レキシカラー」で統一されていた。キョネンオオトリことキュウソネコカミとSCOOBIE DOがレキシの「きらきら武士」をカバーするなど、出演バンドもそのコンセプトに合わせたパフォーマンスをしたりしていた。

 

こういうような演出、巨大フェスでは不可能だ。たとえば20周年だった今年の『FUJI ROCK FESTIVAL』、大トリは1回目にも出たレッド・ホット・チリ・ペッパーズだったけど、「レッチリフェス」にすると、おかしなことになっただろうし。もうひとつたとえば、復活したTHE YELLOW MONKEYの1回目以来の出演が話題だった『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016』も、だからって「イエモンフェス」にはしていなかった。まあ、するわけないし、されても本人たちも参加者も困るだろうが。あ、でも、イエモンのカバーやってるアーティストはいたか。まあ、そのくらいだった、ということです。

四星球 撮影=日吉純平

あるいは、去年大トリだったキュウソネコカミが「キョネンオオトリ」という名前で湯沸かしアクト(オープニング・アクト)をやったり、演奏時間をもらえず入浴宣言(開会宣言)のためだけに登場した四星球が「来年大トリをやるためにサウンドチェックをします」と言って無理矢理演奏したり、そのあと出てきたガリガリガリクソンと中山女子短期大学の芸人コンビがt.A.T.u.に扮して『音泉魂』をおちょくりまくるネタをやったり、あるいは帰りのシャトルバスに当たり外れがあって、「当たり」のバスでは清水音泉の男湯(ナンバー2)・田口氏が出演アーティストの曲を歌うカラオケが流れ続けたりする──。

というような、山ほどある細かい演出、というかネタ、というか、そういうの全部言ってしまえば内輪ウケなんだけど、なんでそれをやっているかが、初めて参加した僕みたいな奴にもよくわかった。「内輪に笑ってもらいましょう」ではなく、「来た人みんなに内輪になってもらいましょう」という開かれたトーンなのだ、どれも。あの笑いのどれもがいちいちしょうもなくて、いちいち身近なのは、そういうことだと思う。

そもそもはラジオの公開収録のために作ったのではないかと思われる「宴会場テント」で、地元関西のライブハウスのスタッフたちによるクイズコーナーをやっていたり、ガリガリガリクソンの持ち時間があったり、四星球司会で怒髪天・坂詰&フラカン・小西のカラオケショーをやっていたりするゆるさも、同様の効果を生んでいた。

撮影=森好弘

撮影=日吉純平

って、そんな細部まで考えに考え抜いて清水音泉がそうしているのかどうかは、知らない。知らないがこれ、いずれも『音泉魂』くらいの規模だからできること」「清水音泉というイベンターだからできること」だから成立している、というのが、こうして書いてみるとよくわかる。

そしてこれは、そもそもなんでイベンターが「音泉」とか「番台」とか「入浴料」とか言って、銭湯を模して運営してるわけ? そんなことやってるイベンター、どこにもいないよ? それなんか意味あんの? という疑問への答えにもなっている。

そうだ。意味あるのだ。だからこういうフェスができるのだ。さらに言うなら、普段一緒に仕事をしているアーティストたちにはっきりしたカラーがある、というのも、大きなイベンターだったら不可能だろう。逆に言うと、普段からそのようにはっきりしたカラーを持って活動しているから、フェスにもはっきりしたカラーが出る、ということになる。

 

作り手の顔が見える。カラーがはっきりしている。誰がなんのために何を伝えたくてやっているのかがわかる。だから、お客さんの顔もはっきり見えることになる。

ってこれ、イベンターとかロック・フェスとかに限ったことじゃなくて、メディア全ての理想なんだけど。「ロック・フェスはメディアだ」と言ったのは渋谷陽一だが、雑誌やウェブサイトがそうであるようにイベンターもそうなんだなあ、これからのイベンターのありかた、フェスのありかたみたいなものを示しているのかもしれないなあ……とかいうようなことまで、帰りの電車の中で考えてしまった。

 

あと3つだけ。

ライブレポ的なことを一切書かずにここまで来てしまった。というか、好きなアーティストばかり出ているってことは、普段から自分がライブよく観ている人が多かった、ということなんだけど、そんなにしょっちゅうは観てない出演者で、すっさまじいアクトがひとつあったので書いておきます。

 

Cocco。圧倒された。歌にすべてを賭けている人、というか賭けようとか思わなくてもそうなってしまう人の表現ってこんなにすごいものなのか、と思った。Coccoって、身体を大きく動かしながら歌うけど、立っている位置は変わらない。たぶん畳一畳未満のスペースから動かない。それであのステージング。バンドの演奏もすばらしかったけど、もしこれがアカペラであっても、同じように聴き手に届き、そしてぶっ刺さるステージをやるだろうな、この人は、と思った。

Cocco 撮影=河上良

ふたつめ。フラワーカンパニーズ。圧倒的なホーム感にびっくりした。フラカンがロック・フェスに出て「途中からホームになっていく」みたいな瞬間は観たことがあるが、最初からホーム感全開で迎えられてライブをやっているところ、彼らと、えーと……23年くらいの付き合いだけど、初めて目の当たりにした気がします。終わったあとに鈴木圭介にそう言ったら、「ええっ? そうかなあ」と、あんまりピンときてないようだった。毎回そうなので麻痺しているのだと思います。改めて感謝するように。

フラワーカンパニーズ 撮影=河上良

それから3つめ。昨年の怒髪天からフラカンに続いて、今年はTHE COLLECTORSのステージ終了時に、怒髪天とフラカンが登場して「武道館のバトン受け渡しセレモニー」が行われた。日本武道館、東京のハコなのに、『音泉魂』とFM802、つまり大阪のイベンターとメディアがそれをやっている、ということに、複雑な思いを……というか、はっきり言って、当事者として情けなさを感じた。東京のメディアがやれよ! とは言えない。自分もフリーとはいえ、東京のメディアの人間なので。

THE COLLECTORS 撮影=渡邊一生

じゃあ、なんで東京のメディアとかイベンターとかがこれをやらないのかを考えると、理由をいくつも推測することができるけど、それ「理由とか損得とかどうでもいい、応援したいからやるんだよ!」という大阪には、圧倒的に負けているってことだし。あと、『SET YOU FREE』のステージがあって、そこにBAZRAや騒音寺やガガガSPやセックスマシーンやワタナベイビーが出ている、というのも、それに近い愛を感じた。


取材・文=兵庫慎司 撮影=河上良、西槇太一、日吉純平、森好弘

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