ベルリンではなくボストンで 「ベルリン・フィルと指揮者たち」 3

2015.8.18
コラム
クラシック

ボストン響にあらたな黄金時代を

シリーズ「ベルリン・フィルと指揮者たち」、第三回となる今回はもう一人の本命とされたアンドリス・ネルソンス(1978-)の話をしよう。

と書いてから、彼の名を最初に聞いたのはいつだったか、と少し考える。2010年に「翌年の東京・春・音楽祭に登場する」と知って調べたときが最初か(残念ながら2011年の春にはその機会は訪れなかったし、その後音楽祭に登場することもなかった。残念である)、それとも同年に小澤征爾の代役として登場したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演の情報で、だったか。どちらにしてももう5年くらいは前の事になる。あわててディスコグラフィーを確認してみれば協奏曲の伴奏など何枚かの録音があり、ああそういえば見たような、と思ったり思わなかったりしたものだ。

マリス・ヤンソンスやミッシャ・マイスキーと同じラトヴィア出身、ラトヴィア国立歌劇場のトランペット奏者から指揮者に転じた30代の若手指揮者は、その時点でバーミンガム市交響楽団の音楽監督を務めていて(今シーズンで退任)、ウィーン国立歌劇場やロイヤル・オペラ・ハウス、メトロポリタン歌劇場に登場済み、さらにはバイロイト音楽祭ではその夏の「ローエングリン」の指揮も予定されている、という。それを知って「いつ聴けるかはともかく、まず名前を覚えておかないと」と感じたものだ。これをマニアらしい先取り気取りと笑わないでいただきたい、「シンフォニーコンサートでもオペラでもいける」と世界有数の団体が評価する若手指揮者なんてそうはいない、早晩重要なポストを得て大指揮者の仲間入りする、と予想するのは容易だ。さすがに、その時点では私も「彼の活躍の舞台がベルリン・フィルの首席指揮者になるかもしれない」とまでは考えなかったけれど。

その後2012年にはベンジャミン・ブリテンの大作「戦争レクイエム」初演から50年の記念碑的演奏会が世界的に放送されたりと、その音楽で存在感を増していた彼を、明確に「大指揮者候補」として再認識したのは昨年のこと、クラウディオ・アバドを喪ったルツェルン音楽祭が彼を祝祭管弦楽団の指揮台に招いたことによって、だった。少し考えてみてほしい、アバドが作った腕利き奏者たちが集まる特別なアンサンブルの、彼亡きあと最初の舞台を任されうる指揮者がはたして何人いるだろう?2014年のアンドリス・ネルソンスはそんな舞台に招かれるほどの特別な存在になっていたのだ。

だから、個人的にはベルリン・フィルの首席指揮者をめぐる噂話の中で彼が主役のひとりに擬されていたことに大きな驚きはなかった。オペラでもシンフォニーでも評価されていて数多くの大舞台も経験済み、着任する2018年には40歳と年格好もちょうどいい。恵まれた体躯を駆使して師匠ヤンソンス譲りの多彩なジェスチュアを繰り出し、表情も豊かにオーケストラと密にコミュニケーションをとりつつ音楽を紡ぎだす。その若干饒舌にも感じられる指揮姿はこれまでのベルリン・フィルのシェフ像とはいささか違う気もするけれど、これはこれでアリ、なのではないか。


オランダ放送局AVROTROS Klassiek公式チャンネルの動画より「ペトルーシカ」
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しかし、である。これは彼に対する批判ではないのだが、と前置きした上で申し上げたい。私は「ベルリン・フィルが彼を選ばないでくれればいい」と思っていた。もう少し正確に言うなら「今回は」選ばないでほしいと願っていた。もちろんベルリンの席は空きが「いつ」できるか誰にもわからないのだから、「今回」の次があると保証されているわけではない、であれば彼が女神の前髪をつかむべき時は今だったのかもしれない。だが、それでも「今回」は選ばれないでほしかったのだ、ネルソンスを2014年に迎えたばかりのボストン交響楽団とそのファンたちのために。

小澤征爾が2002年に退任したあと、ボストン交響楽団はジェイムズ・レヴァインを迎えて「アメリカ最高のマエストロが率いる、アメリカを代表するアンサンブル」としてその名声をさらに高めるはずだったが、レヴァインの健康問題もあって期待したような成果は得られず、2011年にレヴァインが退任したあとオーケストラはシェフを欠いた状態での活動を強いられてきた。

そのオーケストラに若きネルソンスが就任したのは昨年9月27日のこと。オーケストラのサイトからの配信でいまも聴くことができる就任記念演奏会の聴衆の反応はまさに熱狂的で、長く続いてしまった苦難を耐えてきたボストンのファンの想いが弾けている。さらに今年四月にはドイツ・グラモフォンとの「三年間に5タイトルの、”スターリンの影の下のショスタコーヴィチ”と題された交響曲選集」を録音する契約も発表され(第一弾の交響曲第一〇番と歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」組曲はすでにリリースされた)、ネルソンス&ボストン響の前途は輝いていた。そんなボストンからシェフを奪う格好になるのはどうなのか、というかお願いだから、せめてある程度の期間ボストンで活躍した後に彼に声をかけてはくれまいか。私はかってにそう心配していたのだ。

そして、すでにご存じのとおり今回、彼はベルリン・フィルには選ばれなかった。そしてベルリンの発表から一月半が過ぎた8月3日、ボストン交響楽団はアンドリス・ネルソンスとの契約を2022年まで延長することを発表した。

タングルウッド音楽祭などの多彩な活躍の場が与えられることで、きっとボストンはアンドリス・ネルソンスをより大きい存在へと成長させることだろう。そしてその先に、ふたたびベルリンやウィーンの舞台が見えてくるのかもしれないし、METで活躍する奥方のクリスティーヌ・オポライスともどもアメリカの文化的スターとして君臨するのかもしれない。彼にならどこでもいい仕事ができるだろうし、現実にそう望まれる日が来ても別段意外ではない。これだけの仕事をなしていてもまだ30代と若い彼の前途はそれくらいには未知数だ、もちろんいい意味で。どんな道をも選べるだろう可能性に満ちた彼の前途に幸あれ、とお祈りさせていただこう。我々が彼の新しい名演に出逢うためにも。


WGBH News公式Youtubeチャンネルより
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さて、2018年にベルリン・フィルの首席指揮者に就任するキリル・ペトレンコ、そして退任するサー・サイモン・ラトル、加えて有力とされながら選ばれなかった二人について見てきた「ベルリン・フィルと指揮者たち」はあと二回、決定前に名の上がった指揮者たちについて概論的な話をして終わりとしたい。次回はヴェテラン勢の話をする。