蓬莱竜太が、こまつ座『木の上の軍隊』に込めた思いを語る。
-
ポスト -
シェア - 送る
■僕なりに戦争に全力で向き合うことを、井上ひさしさんは喜ぶと思った。
第2次世界大戦後、沖縄県伊江島で、終戦を知らぬまま2年もガジュマルの木の上での生活を続けた二人の日本兵がいた。この実話をもとに、故・井上ひさしが手掛けようとしていた戯曲『木の上の軍隊』は、氏の急逝により、たった2行のメモと膨大な資料とともに蓬莱竜太に引き継がれた。初演は2013年4月、こまつ座とホリプロのタッグだった。「よく引き受けたね」、おそらく蓬莱にそんな言葉が多数かけられたことだろう。『木の上の軍隊』が、こまつ座の公演として生まれ変わると聞き、改めて同じ言葉を投げかけてみたくなった。日本の演劇界を背負って立つ劇作家へと歩む思いをそこから感じ取りたかったから。
「木の上の軍隊」稽古場の様子 写真提供:こまつ座
■たった2行のメモから生まれた三人芝居ににじむ現代の沖縄
-- 『木の上の軍隊』について、こまつ座から蓬莱さんへは、どんなお声がけがあったのでしょうか ?
蓬莱 もともとは演出の栗山民也さんに相談がされたそうです。こまつ座社長の井上麻矢さんから、ひさしさんが亡くなってそのままになっていたアイデアを、違う作家に委ねて劇化したいというということで、僕の名前を挙げていただいたようです。
-- いわば、日本の演劇界最高峰の劇作家最後の痕跡ですよね。プレッシャーはなかったんですか ?
蓬莱 プレッシャーというか、もっとずっと手前の疑問はありました。そもそも僕が描いていいの ? って。僕自身、戦争という題材を描くに値しないんじゃないかと思いましたね。やっぱりひさしさんが生涯かけて追い求めていたテーマですから、簡単に言えば恐れ多いじゃないですか。戦後、皮膚感覚で体験してきたひさしさんが描くのと僕が描くのとでは意味合いが違う。むしろ僕は戦争を描くことは避けてきましたから。その一方で、この仕事をほかの劇作家に渡したくないという気持ちもありました。麻矢さんは、僕が断ったとしても「ほかの作家さんに相談するようなことはしません」とずっとおっしゃってくれていました。僕のポリシーは大変なことをやるべきだ、なんですよ。
-- ひさしさんは「原案」とクレジットされているんですけど、具体的にはどういうアイデアが残されていたんですか ?
蓬莱 2行のメモ書きです。しかも、その2行もどういう理屈なのかわからないんですよ。沖縄とメディアに対するなんとかなんかというもので。あとはタイトルはひさしさんが決めていた。それだけです。セリフも、ひとプロットもなかったです。
-- それはヒントとは言えませんね(苦笑)。
蓬莱 僕も引き受けたものの、戦争そのものを描くことは無意識に避けようとしていて、別の切り口でプロットを作ってみたんです。7人くらいの登場人物がいて、戦争体験を語る人と、それを聴く若い人の差異みたいなものを描いたものです。でも山形県川西町の遅筆堂文庫にうかがって館内に入った瞬間に変わりました。こんな膨大な資料のなか、戦争を描き続けようとしていた人がいた、あえてその人のことを“継ぐ”という表現を使うなら、逃げちゃダメだと。その場で麻矢さんに電話して、今までのプロットを捨ててくださいと。それから3人の出演者でテーマに立ち向かう芝居を作りたいと話しました。本当の意味で腹を括ったのはその瞬間だったかもしれません。
-- 遅筆堂文庫の空間の何かに圧倒されたということですか ?
蓬莱 言ってみればひさしさんの体内に入っていくような感じなんですよ。そんな生半可なソウルのままでは歓迎されないというか、異物が混入したみたいな状態(苦笑)。真っ向から勝負しないといけないと、それこそ皮膚感覚で思ったんです。
-- それは劇的な展開ですね。若い世代で戦争を真っ向から描く劇作家さんが思い浮かびません。何を頼りに描こうと思ったんですか。
蓬莱 子供が見てもわかる芝居にしたいと思ったんです。戦争を描くとは言うけれど、誰に向かって描くのか、誰に見せようとしているかが僕にとって重要でした。戦争はよくないんだと言葉では伝えられるけれど、戦争ってなんなんだということを、物語を体感することで理屈ではなく感覚で残していくことが演劇の使命だと思ったんです。戦争を知らない世代、もちろん僕自身がそうですけど、そういう人間が見ても反戦ドラマではなく、人間ドラマとして戦争がいまだに沖縄では続いているということを感覚的に伝えたいと。子供にと思ったときに、すっとアイデアが湧き出てきたんです。もう一つ、僕は僕なりの考え方で戦争を描こうと思いました。政治的なこととか、ひさしさんの思いはもちろん感じつつも、取り入れることはしないということを心がけていましたね。井上ひさしさんの代わりに描くとなったときに、ひさしさんが一番喜ぶのは、一作家として全力で戦争と向き合うことだと思ったんです。
■上官と新兵の関係は、今の日本と沖縄の関係でもある
「木の上の軍隊」稽古場の様子 写真提供:こまつ座
-- 書き始めるのにどんな準備したのですか ?
蓬莱 沖縄に行って、二人の兵士が潜伏した木に登ってみました。ところが隠れるというよりはむしろ目立ってしまいそうな場所で、ここにいて、米兵が気づかないなんてことがあるんだろうかと思ったんです。二人は潜伏した場所からずっと米兵を睨んでいた、でも逆に観察されていたかもしれない。それが判明したときに、上官が本分をいつしか忘れてのうのうと2年間過ごしてしまった恥を背負ったままでは木から降りられない、だから新兵を殺そう、もしくは一緒に死のうと思う、それが最初に浮かんだストーリーでした。新兵は沖縄、上官は日本の象徴なんです。戦争教育をずっと受けてきた上官と、最近まで牛飼いだった新兵では、まったく噛み合わない。圧倒的に違う景色を見てきた二人が今、同じ景色を見ながら、噛み合わないながらも培っていくものは何だろう、アメリカに観察されてきた二人の姿は今の日本の姿かもしれないと思ったわけです。
「木の上の軍隊」稽古場の様子 写真提供:こまつ座
-- 今回はこまつ座単独主催の公演として上演されるので、3年半前の初演とはまた意味合いが違ってくる部分もあるのでは ?
蓬莱 そうですね。こまつ座のお客様が見てくださるわけですから。そしてキャストが変わりますからね。語る女という役は歌手の普天間かおりさん。栗山さんはより沖縄に近い方をキャスティングして、沖縄にずっと眠っている土地を体現したり、感覚的なものをそこに入れ込もうとしている。そのぶんセリフは必要最低限にして、語る女が自由に音を出したり琉歌を奏でる枠を作りました。そこが初演とはまったく違うところです。
当時よりも沖縄を取り巻く状況は混迷してきている、よくなったわけではない。さらにという思いが栗山さんにはあって、よりシビアな感じにしたいという狙いはあるみたいです。だから遊びの要素を減らして、よりシャープな、エッジの効いた作品になるんだと思いますね。栗山さんの上官や新兵に対する要求も高くなっているし、それに対する上官役の山西惇さん、新兵役の松下洸平さんのエネルギー、集中力はものすごい。松下さんの演技からは沖縄というものが感じられて、山西さんとの埋めようのない、圧倒的な差異がすごくいいんですよ。それを舞台美術である木の傾斜、肉体で見せる演出も含めて、僕が想像しているよりすごいパワーで作品が放射されているなと感じています。
(取材・文・撮影:いまいこういち)
「木の上の軍隊」稽古場の様子 写真提供:こまつ座
/夜
11月11・14・17・18・22・24・日曜14:00、