日本のエンタメを海外の一線へ送り込み続ける男『エンタメの今に切り込む新企画【ザ・プロデューサーズ】第十五回・原田悦志氏』

2016.11.30
インタビュー
音楽

――最初から海外で良いと?

ひと昔前は「日本人」の部分を残しつつ、英語で歌っていた人が多かったですが、今は別に日本でという意識はないと思います。先日もギタリストの渡辺香津美さんと話をしていたのですが、ジャズミュージシャンはずっと前から海外でやっていますよね。アニソンの何十年も前に、秋吉敏子さん、渡辺貞夫さん、日野皓正さんらは海外で活動していました。最近では、上原ひろみさんもそう。ジャズミュージシャンはとっくにやっていたことです。

――ジャズシーンでは、確かに当たり前のことですね。

1970年前後のアメリカって、ジャズスタンダードの時代が終わり、社会的には公民権運動がやっと収束しつつあり、ベトナムでは戦争していたという、なかなか厳しい時期だったと思います。だけど、そこに飛び込んでいった先例があるんです。しかもオリジナルで。確かにジャズの方がポップスやロックよりも市場は小さいけど、やった人はいるんです。だからONE OK ROCKなどを見ていると、当時挑んでいった渡辺貞夫さんたちを思い出します。

――彼らは海外、アジア圏では普通に1万人位動員できる人気がありますね。

でも彼らはやっぱりアメリカ進出を狙っていますよね。よく学生にも教えていることですが、グローバリゼーションってすごく簡単に言うじゃないですか。でも日本というのはコア(中心)かペリフェリー(周縁)かで言えばペリフェリーですよね。つまり、日本からグローバリゼーションを目指すなら、コアに対してローカライズする必要があるわけです。

――グローバリゼーションなのに、ローカライズですか?

グローバリゼーションとローカライゼーションは一見逆方向に見えますが、コアに対してローカライズすると、グローバリゼーションになるんです。BABYMETALは、アメリカというコアにローカライズをしたから全世界でメジャーになったんです。そこを勘違いしてはいけない。

――自分たちがペリフェリー(※編集注釈:ここでは中心、コアではない存在という意味)であることを理解する必要があると。

グローバル化については、日本から世界に向けて2つの事が考えられます。前提として、西洋音楽、つまりクラシック、ポップス、ロック、ジャズなどに関してはペリフェリーである事を、まず自覚しなくてはいけない。その上で、1つはまず、BABYMETALのように、コアに対してローカライズしようというもの。それは既にトライしていて、2014年、ほぼ1~2週間おきにニューヨークで日本人アーティストのコンサートが開かれていました。BABYMETALだけでなく、XJAPAN、モーニング娘。、初音ミク、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ等が、ニューヨークというコアに向かっていったんです。もう1つはローカル同士をつなぐ、インターローカルです。例えばインドネシアやフィリピンなど東南アジアの国々では、現地の人といかにコミュニケーションとって、地域性や独自性を大切にしながらやっていくかが大切です。その2つの事を峻別してきちんと考えていかないと、ただ海外に行ったらグローバル化というのは大間違いです。コアに対してやる時と同じ考え方、方法で他の国でやろうと思っても、うまくいくはずがありません。

――確かにグローバリゼーションって、何も考えず体のいい言葉として使われている事が多いです。

グローバル化とか世界進出とか言いますが、それはコアに向かってやるのか、それ以外に向かってやるのかをちゃんと考えなくてはいけないんです。例えばシンガポールならペリフェリー・トゥ・ペリフェリーですから、インターローカルですよね。中国系の方が多いけどインド系やマレー系の方がいるとか、英語が通じるとかも考えなければいけないです。

――ところ変われば手法も変わると。

その隣国のインドネシアは、シンガポールと全く違います。プレゼンテーションはインドネシア語でやるべきですし、地域性や宗教観も考えなければならない。そういう部分ではアメリカのアニメはものすごく長けています。一番わかりやすいのは、「J-MELO」で司会を務めているMay J.が歌った「Let It Go 〜ありのままで~」​で、あの歌はさまざまな言語で歌われましたよね。あれをアメリカにやられてしまったら勝てるわけがないんです。アメリカというコアから、世界中にローカライズしたということなんですから。

――先程、クラシック音楽は、日本はペリフェリーだとの発言がありましたが、クラシックといえば、原田さんは高校時代に、高校生だけのオーケストラを作ったことがあるでそうでうね。

父親が神奈川県のアマチュア・オーケストラで団長をやっていて、子供の頃は家の中にクラシックしか流れていなかったんです。クラシックが身近にある環境で育った影響もあって高校生だけでオーケストラを作りました。高校時代は成績がクラスで後ろから数えた方が早かったのですが、卒業したらおぼろげに音楽で食べていきたいと思って。それで、松任谷正隆さん主宰の「マイカ・ミュージック・ラボラトリー」に入りました。

――クラシックからポップスのフィールドへですか?

松任谷さんに「僕、クラシックをやっていました」と自作の曲のスコアを持っていったら、「同じフレーズが繰り返されるだけだね」と言われ、「作曲家としてプロになるんだったら、コードをちゃんと組み合わせて、たくさんの曲を作らなくちゃいけない」と言われたのを覚えています。それを一生やるのは厳しいなと、即座に甘い考えに気付き、音楽のプロになるのは辞めてしまいました。もう一切音楽をやるのはやめようと、かっこよく言えば筆を折ったんです。​

――大学でも軽音楽部とか音楽関係のサークルも入らず、ですか?

少しだけオーケストラに入りましたが、すぐに辞めて。もう曲も作らない、演奏もしない。自分が何をやるべきか、本当に悩んでいました。それで何をしたかというと、有り金をかき集めて、世界に触れたいと思い、さまざまな国々に一人で旅に出ることにしたんです。

――この時が世界に触れた瞬間ということですね。

それから、興味のあることについて、勉強をしました。高校時代全く勉強しなかったので、大学時代が一番勉強をしましたね。ところが、音楽が好きなことは変わらなかったんでしょうね。大学を卒業する時に、音楽を支える側になりたいと思い、NHKに入りました。

ザ・プロデューサーズ/第15回原田悦志氏

――最初はどこのセクションに配属されたのですか?

エンターテイメント番組部で、「エド・サリバン・ショー」を担当させてもらいました。アメリカのコンテンツなので、素材を編集するのが主な仕事でしたが、当時は司会が黒柳徹子さんとデーブ・スペクターさんで、デーブさんとはこれがきっかけで今も「J-MELO」で一緒に仕事をしています。入局してすぐに自分が一番やりたかった仕事ができたというか、スタンダードナンバーやビートルズを始め色々な音楽に触れることができて、視野が広がりました。

――入局当時から、海外に触れる機会があったわけですね。『J-MELO』も放送開始から10年を超える長寿番組になりましたが、番組の作り方、原田さんの番組への想いのようなものは、変わってきていますか?

とにかく新しいものをどんどん見せたいと思っています。

――新しいものですか?

長く続けていると、どうしても自分の中でマンネリズムが生じてしまう。もちろん変わらないことも大事だけど、変わることも大事です。でも、変わろう変わろうとして、既存のものを壊していくだけではダメなんです。そんな風にジタバタしていても、ぐるぐる回っているだけです。

――変わらないものもあると?

変わらないことは、ポリシーですね。世界中の視聴者の声を聞くということと、自分たちが伝えるべきことを伝えること。僕はいつもディレクターに、僕が知らないアーティストを連れてきて欲しい、教えて欲しいと言っています。音楽業界の業態がものすごく変わって、インディーズの方がすごく増えていますしね。

――インディーズの台頭は目を見張るものがありますよね。

最近、音楽の議論をすると、音楽周辺の状況の話ばかりです。テクノロジーと経済学の話しか出てきません。それももちろん大事です。音楽はビジネスですし。でも、そもそもアーティストやミュージシャンと、その音楽を聴くファンが音楽の主役だったはずなのに、その間にいる人達がそれを繋いで利益を上げて、産業を大きくして、今は彼ら送り手ばかりが大きくなってしまっている。音楽のカンファレンスをやっても、テクノロジーがどうとかビジネスがどうとかばかりで……大事ですよ、すごく大事だけど、そこだけじゃないだろうと。クールジャパンと一緒ですよね。

――本質が見えていないと。

手続法は作ったけど、実体法は作らないみたいな。もっとクリエイターなりアーティストなりが、こういう音楽を作りたいという、音楽そのものの話をしなくてはいけない。もう1つ大事なことは、ファンが市場を作るんです。ファンとは何かというと、お得意様だけのことではない。それ以外の人たちが、新しいものを見出していくんです。特に海外進出となると、実はインターネットを通してだけでは難しいところがあります。やはり海外に出かけていって体感するべきだと思います。

――それはなぜですか?

海外の日本のカルチャーのフェスティバルに行くと、そこには当然熱狂はある。じゃあその場所の外はどうなっているのかという事を空気として感じてきて、外の人達を振り向かせるにはどうしたらいいのかを考える必要があると思うからです。熱狂の外の人達が知っている日本って何なのか。日本の事は知らなくても知っている日本製のものは何なのかとか。あるいは日本語の響きはどう聞こえるのかとか、そういったところも考えていかないと、熱烈なファンに囲まれていくら語り合っても、会議室の中でいくら議論をしても、それだけではダメです。

――海外展開を考えているミュージックマンは増えていますか?

増えているとは思いますが、ただ具体的にどうというのは、さっきお話したように考えがこんがらがっていると思います。日本人は、ついつい地球儀の真ん中に日本があると考えてしまいます。学生に教える時も地球儀を使って、まずひっくり返してみよう、東を上にしてみよう、西を上にしてみよう、視点を変えてみようと言っています。例えば、ニューヨークを中心にすると全然見方が変わりますよね。ひっくり返してみたら南半球の見方も変わるし。

――音楽的に日本はペリフェリーだと。

メルカトル図法の日本中心の世界地図で考えている限りは、海外展開は難しいです。やはりコアから日本を見ないと。だからジャズミュージシャンはニューヨークから日本を見ています。ニューヨークのクラブから日本を見たら、いかに遠いかがわかります。そこにいるからこそ見えるものがある。ファッションだってパリやミラノから見るからこそ見えるものがあると思います。

――自分たちの置かれている状況をしっかり理解して、なによりもいい音楽をより追及していかなければいけないですね。

お話しした通り、日本の音楽はアニソンから接触する人が多いです。アニメも大事ですが、もう一度音楽に立ち戻って考える必要があります。

――音楽の本質的な話よりも、宣伝やプロモーション、手続きや方法の話が先になっている気がします。

そうですよね。もちろん宣伝、広告は重要です。ひとりでも多くの人に知ってもらうことは、言うまでもなく、とても大事なことです。でも、それ故に、音楽が均質化してしまっている気がします。つまり、誰にでも好かれるような平均点的な音楽が増えているような気がしているのです。

――突出したものがない。

突出したものはリスクを負います。だから角がどんどん丸くなってしまう。しかし、先程も話した通り、日本の女性アーティストの、中高域のビブラートがない歌い方がウケている。音楽性がきちんとしていれば、それがたぶん海外の人には耳心地がいいのだと思います。

――今、番組を作りながら、大学で講義をされたりとアウトプットの時間が多いと思いますが、多忙なスケジュールの中でどうやってインプットの時間を作っているのですか?

大学での講義は、僕にとってはインプットになっています。自分の経験したことや学んだことをまとめ直すことができるので。僕自身は全く優秀な学生ではありませんでしたが、学生時代に学んだ国際関係論や国際法などが今、活用できていますし、学生からも貴重な意見をもらえます。それと何より、日々視聴者からのメールを読むのが、最上のインプットです。そればかりに囚われてはいけないのですが、視聴者のリアクションを毎日見るのが、最高の時間です。

 

【編集後記】
アニソンが受けているのはポジティブなことではなく、たまたまアニメだけがビッグニッチとして現地の方に認知されてから、派生して聞かれているだけというくだりにドキッとしました。でも裏を返せば、ちゃんと考え方を変えて世界のシーンを見据えて届けるアクションを起こせば届くといういこと。日本の中での、このシーンに向かってではなく、全世界の自分たちが生かせるシーンに向けて「ローカライズ」しなければいけない、いやそれが可能な時代になっているのだと思いました。

そしてここでも語られた、音楽を売る手法や手段ではなく、音楽そのものと、それを作るアーティスト、そしてそれを聞くオーディエンスがあってこそということ。「音楽ファン」というものが昔よりも減りライトユーザーが増えた今において、昔と同じ方法で伝えるのはもはや不可能。ライトユーザーを振り向かせることをしなければならない。やはり全ての発信者が「音楽」というものの質と伝え方を本当に改めて考え直す時が来ているのだとおもう。

SPICE総合編集長:秤谷建一郎

 

企画・編集=秤谷建一郎  文=田中久勝  撮影=三輪斉史

 

プロフィール

原田悦志(はらだ・のぶゆき)

横浜生まれ。神奈川県立小田原高校在学中に「高校生だけのオーケストラ」を結成、大ホールでの公演を成功させる。学生時代は世界各国を単身で訪れ、旧ソ連で撮影した写真は書籍に掲載された。上智大学法学部国際関係法学科卒業後、NHK入局。番組制作局、札幌放送局、国際放送局を経て、㈱日本国際放送に出向。主に、NHKワールドが全世界に向けて発信している音楽番組「J-MELO」のチーフ・プロデューサーを務めている。著書に「アイドル♥ヒロインを探せ」(慶應義塾大学アートセンター・2015・共著)、「『J-MELO』が教えてくれた世界でウケる「日本音楽」」(ぴあ・2015・監修)。慶應義塾大学文学部非常勤講師(2016~)。
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