気鋭の若きテノール 城 宏憲が語る、プッチーニ《トスカ》カヴァラドッシ役への想い
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城 宏憲
プッチーニの歌劇 《トスカ》 は1800年のローマ(イタリア)が舞台。甘く切ない旋律に乗せて、歌姫トスカと画家カヴァラドッシの悲哀を描く物語である。「歌に生き、恋に生き」、「星は光りぬ」など美しい旋律のアリアでも有名だ。東京二期会とローマ歌劇場との提携公演 《トスカ》 が、2017年2月に東京文化会館で上演される。歌手には、新鋭の若手からベテランまで、多彩な顔ぶれが揃うなか、カヴァラドッシ役を演じる若手テノール 城宏憲(じょう ひろのり) には注目だ。
1984年生まれ。中学生の頃にCMで聞いた三大テノール(The Three Tenors:ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス)の明るく輝くような美声に魅かれて、テノール歌手を志した。東京藝術大学を卒業後、新国立劇場オペラ研修所を経て、文化庁新進芸術家海外研修派遣制度にてイタリアへ留学。その後、第84回日本音楽コンクール声楽部門で優勝し、昨年、急病の出演者の代役として出演した二期会のヴェルディ歌劇 《イル・トロヴァトーレ》 では、マンリーコ役で観衆を魅了した。スターダムを足早に駆け上がってきた期待の若手である。日本オペラ界の将来を担うであろう彼が、カヴァラドッシをどう読み解くのか、その想いに迫った。
■カヴァラドッシは、人間としての二面性を備えた魅力的な役
--カヴァラドッシ役、おめでとうございます。まずは、この役を歌うことの心境をお聞かせください。
日本人にとって、 《トスカ》 は、 《カルメン》 や 《アイーダ》 と同じように、聴き馴染んだ演目だと思います。実は、僕が 《トスカ》 というオペラを知ったのは、10代のときでした。そして、このオペラに、「星は光りぬ」というテノールのアリアがあるということも知りました。稽古も始まっていますが、ずっと憧れを抱き、遠くから見ていた 《トスカ》 に、今、自分が関われるということにまだまだ実感が沸いていないのが、正直なところです。
「星は光りぬ」は、初めてコンクールに出場した時に歌い、そしてこれまでで一番多く歌ってきた曲でもあります。最初は、単に、この曲には高い音がないという理由で歌っていましたが、今では、高い音がないとしても聴かせ方が違うと思っています。プッチーニが、なぜその音を高く書かなかったのか、その意味を感じるようになりました。高い音が出るようになって、一時期は、この曲から離れたこともありましたが、最近、コンクールを受けるときに改めてこの曲に取り組む機会がありました。本当に時間をかけて、 《トスカ》 とカヴァラドッシは、自分の体に馴染んできたという実感があります。
--カヴァラドッシのアリアが体に浸透してきたということですが、城さんにとって、カヴァラドッシの魅力とは何でしょうか?
カヴァラドッシが、ほかのオペラのテナー役と最も違う点は、二面性、いやもっと言えば、多面性があることだと思います。本人も画家であり、歌や芸術、儚いものを愛することが出来るリリカルで優しい部分を持っている反面、「命を懸けて君を守ろう」、「襲ってきたら戦うまでだ」といった熱血漢でもあり、ドラマティックで男性的な面も持ち合わせている。そこが、何よりも魅力です。
また、歌姫であるトスカを、悪い意味で言えば、手なずけるプレイボーイとしての面を持ちながらも、政治の世界で自分の居場所を確保していました。自分の友人として、ローマ共和国の元領事であったアンジェロッティと革命の同志として繋がりを持ちつつ、こうした点を信心深いトスカには決して明かしません。カヴァラドッシは色々な顔を見せることが出来る大人の男だと思います。例えば、永遠に勇気を与える勇者で、弱い面を見せることのない 《トゥーランドット》 のカラフ、また詩人として詩を愛していますが、それ以上その枠から出ることがない 《ラ・ボエーム》 のロドルフォとは違います。カヴァラドッシは、既に人間としての二面性を備えている魅力的な役です。
--カヴァラドッシを演じるときに、心掛けている点はありますか。
何よりもまず、トスカを引き立てることです。このオペラは、女性の名前がタイトルについています。自分も主役のひとりですが、タイトルロールをいかにサポートしていけるか、どこまでも気遣いができないといけません。トスカは、オペラの中で歌姫を演じなくてはならない、難しい役柄です。実際に、彼女が二幕で歌うまで、二人の生活は何ら脅かされていないし、彼女も無事にステージを終える。カヴァラドッシは、確かに革命派ですが、危ない部分には、決してトスカに触れさせないのです。そうしたことを、舞台上でも心掛けています。
--では、この役の見どころ、聴きどころは、どこでしょうか。
実は、このオペラは殆どバイオレンスです。しかし、カヴァラドッシが登場する場面では、非常に優美で甘い旋律が流れます。彼は二幕で拷問にかけられますが、彼が出てくると旋律は甘くなる。また、彼が最後に歌うアリアの「星は光りぬ」。そこで歌われる内容は、革命家として死んでいくというよりも、あくまでトスカありき。トスカとの時間を思い出し、銃殺刑が執行させる前に、「これ以上、人生を愛したことはない」と万感を込めて歌います。彼は、身体を通した男性と女性の人間的な営みをここで表現する。日本人だったら、何も言わず切腹すると思うんですが(笑)、こうした人間らしい、イタリア人らしい素直さ。これが彼の魅力であり、見どころ、聴きどころだと思います。
--なるほど。そうすると、イタリア留学で感じ取ったことが、カヴァラドッシ役を演じるうえで、生かされているということですね。
もちろん! 沢山の場面で生かされています。特に、留学経験が生きると思うのは、夜のシーンですね。イタリアの夜は長く、星を見上げることも多かったですね。そして、緯度と関係するのかもしれませんが、イタリアには夜を楽しむ文化があります。5月から10月までは、窓を開けっぱなしにして、15時頃からパンやチーズ、サラミを準備し、シャンパンで始めて、暗くなっても、音楽を掛けながら本を回し読みしたりして、夜の22時頃までのんびり過ごすんですよ。時間の使い方がスローなんです。夜しか開放的になれないものがあり、また夜の中でしか培われないものがある。そうしたものをイタリアで味わいました。
トスカが、「あの夜のことを」とか、「今晩、別荘に行きませんか」と言う時、それはそうした素敵な夜を過ごすということ。ゆったりと、食事をとりながら、愛を語る。カヴァラドッシも、アリア「星は光りぬ」で、その夜のことを回想しながら歌います。今でも、カーテンがひらひらとたなびく、イタリアの乾いた夜風が思い出されます。
--他にもイタリア留学が歌手としての人生に与えた影響はありますか?
確実に言えるのは、師匠からの影響です。イタリアでは、テノールのアルベルト・クピード氏のもとで研鑽を積みました。新国立劇場でもカヴァラドッシを歌ったことのある歌手で、彼の当たり役のひとつです。彼が僕に教えてくれたのは、まるで「居合」のような、いつでも高音を出せるようになるための身体作りでした。本当に侍のような人でした。常にスイッチを入れられるようにと教えられました。テノールに求められていること、つまり、常にアクート(高音)を決めることが仕事だということを教えてもらいました。そのエッセンスは強く求められましたし、自分の人生にも彼の考えを取り入れました。
--どんなときも、アクートを決めるというのは、正直、大変なことだと思います。歌手の方は、身体とメンタリティが直結していると思うのですが、普段、歌手として感じるストレスやプレッシャーはどのように克服していますか?
本番で成功することです。普通は本番で成功するために、と言いますが、僕は本番で成功することが次の成功に繋がると思っています。成功体験の積み重ねですね。そして、リハーサルが常に本番だと、心のどこかで思うようにしています。リハーサルを本番のような感覚でやることが大事で、 《トスカ》 のように長い期間を掛けてリハーサルする公演は、こうしたチャンスが多いですね。
--確かに、 《トスカ》 のような作品ではリハーサルが長期間にわたりますね。緊張感が強いられる中、どうやって息抜きをしているのですか?
正直に言うと、家族ですね。家の扉から一歩、外に出ると、オペラ歌手としての顔を求められるので、どうしたって、役柄のことや、歌う予定の曲のことを考えてしまいます。でも、家では舞台の上での顔とは違う素の顔でいられます。厳しい師匠に教えられているときも、家に帰るとリラックスできるんです。歌手は、喉以上に、体とメンタルを酷使している職業だと思います。だから、ずっと大洋で泳ぎ続けるのは不可能で、どこか離れ小島だったり、巣が必要なんだと思います。
■打たれるようなしびれる高音が欲しい。この思いは今も変わらない
--そもそも、声楽家を目指したきっかけは、どのようなことだったのでしょうか。
三大テノールがきっかけです。僕が中学生だった頃、テレビのCMから明るい響きをの美声が聞こえてきました。それがイタリアオペラのアクートだったわけです。何度も聞いているうちに、すごいなあと思ってCDを買いに行きました。まさに、「出会ってしまった」という感じですね。
母親が体育教師だったこともあり、頑張れば、頑張るほど良くなるんだと、自分をストイックに追い込むところがあったのですが、どんなに頑張っても、高い声を何回も出せなかったんですよ。出来なかったことが悔しくて、その経験が忘れられず、進路相談のときに歌をやってみたいと話しました。ロックを少しやっていたので楽譜は読めましたから、半年間、猛特訓して音楽高校に入りました。
--その後は、東京芸大、新国立劇場の研修所、そして音コンでの優勝と輝かしいキャリアをお持ちですね。振り返ってみて、ご自身としてはいかがですか。
はじめにパヴァロッティの声を好きになった理由は、打たれるようなしびれる高音が欲しいと思ったからでした。今もこの気持ちは変わりません。最初に憧れたのが、イタリアのテノール。この道をただ真っすぐ突き進んできました。こんなにうまく願いが叶ったのは、とても幸せなことです。そして、願いは叶えなければいけないとも思っています。最初に買ったパヴァロッティのCDには、 《トロヴァトーレ》 も 《カルメン》 の花の歌も、そして、 《トスカ》 も入っているんですよ。
--順風満帆に見えるキャリアですが、これまで挫折はなかったのですか?
ありますよ、勿論! 最初は高い声が出ませんでした。音楽高校でテノールということになったのですが、大学では「バリトンっぽい」と言われることが多かったですね。特に、高い音を習得するのに時間がかかりました。新国立劇場の研修所での3年間は色々な言語をやらせてもらい、良い経験だったと感じています。ただ、声という楽器を研磨するという観点では、やりきれなかったという想いもありました。高いシやドの音を、喉を詰めて歌っていたんです。結局、これだ! と思えるテクニックを手に入れたのはイタリアでした。かつてのように力を入れるわけではない、あたかも手の重さで薪を割るように、高音を出す技術を見つけたのです。その意味でも、イタリア留学は転機になったと思いますね。
--そうすると、昨年の日本音楽コンクールでの優勝は、イタリア留学あってのものですね。
そうですね。実は、イタリアから帰国してからすぐの時にも、コンクールは受けているんです。帰国して一年ぐらいの間は、イタリアで習ってきたことを出し惜しみしたくないので、当たってぶつかって砕けてという感じでしたね。その間、いろいろと出会いもありました。特に、指揮者の菊池彦典先生に拾っていただいて、 《ノルマ》 のポリオーネ役を歌い、音楽のやり取りをする中で、ずいぶんと引き上げていただいたと思います。ポリオーネを思い切って演じることができ、自信になりました。こうして、ベルカントを歌った経験が自分の身になり、自分自身の楽器の芯になりました。人と出会って、その上の階段にひとつひとつ昇ってきた感があります。階段の曲がり角には、いつだって人がいて手を差し伸べてくれているんですね。
--今後、挑戦してみたいレパートリーはありますか?
むちゃくちゃ狭いんですが(笑)、1830-60年にかけての、ロマン派の作曲家達の触れ合いが好きです。シューマンが音楽雑誌に批評を載せていた頃。ショパンがパリで活動したり、片やヴェルディがリソルジメント運動(イタリア統一運動)を盛り上げて、曲を書いていたりした頃です。まさに、ロマン派時代のど真ん中ですね。人々の思惑や欲望が渦巻いていたけれど、ロマンとは何かを皆が追い求めていたあの時代です。あの時代には、人間っぽさが流れていたと思うんです。書簡のやり取りなしには生まれなかったものがあるはずです。あの時代の精神、「ロマンとは何か」を模索し、今後フォーカスしたいと思っています。
--今回の二期会の公演では、1900年にローマで初演された当時の舞台美術が使われると聞いています。読者のみなさんに、公演に向けての一言頂けますか。
今回の二期会の挑戦は、ローマを日本に持ってこようとしているといっても過言ではない試みだと思います。理想のキャストが揃っていますし、日本において、 《トスカ》 という演目が挑戦でなくなる瞬間を、是非、観に来ていただきたいと思います。舞台は、プッチーニが見たものとほぼ同じです。絵画的な美しさも期待しています。舞台となった聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会やサンタンジェロ城を訪れたことがありますので、僕が実際に見たものの記憶と照らし合わせたいと思っています。ローマ旅行する気分で、是非、気軽にお越しいただければ嬉しいです。
城 宏憲
(取材・文=大野はな恵 撮影=安藤光夫)
(全3幕/日本語字幕付き/イタリア語上演)
■演出:アレッサンドロ:タレヴィ
■舞台美術:アドルフ・ホーエンシュタイン
■照明:ヴィニチオ・ケリ
【トスカ】 木下美穂子 | 大村博美
【カヴァラドッシ】 樋口達哉 | 城宏憲
【スカルピア】 今井俊輔 | 直野資
【アンジェロッティ】 長谷川寛 | 山口邦明
【堂守】 米谷毅彦 | 峰茂樹
【スポレッタ】 坂本貴輝 | 髙梨英次郎
【シャルローネ】 増原英也 | 高橋祐樹
【看守】 清水宏樹 | 大井哲也
■管弦楽:東京都交響楽団
2017年2月15日(水)18:30
2017年2月16日(木)14:00
2017年2月18日(土)14:00
2017年2月19日(日)14:00
■会場:東京文化会館 大ホール
■公式サイト:http://www.nikikai.net/lineup/tosca2017/