MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間
不思議な作品である。マイルス・デイヴィスの伝記映画というにはあまりにも創作箇所が多いし、かといってデタラメに話をでっち上げているわけではない。製作、監督、共同脚本、主演を務めることで本作の全責任を負っているドン・チードルにとっては、どのエピソードもマイルスという人間の繊細さと複雑さを語るうえで必要なものだったのだろう。最も唐突に見えるであろう、活劇風に描かれたマスターテープを奪還するための一連のシーンも、「自分の手に音楽を取り戻す」という本作のテーマにしっかり重なっている。
特に印象に残るのは、70年代後半のマイルスが隠遁生活を送っていたマンハッタンの自宅でのシーンだ。マイルスの家族からの協力を含む豊富な資料に基づいて造形された「マイルスの部屋」と、そこで孤独な日常生活を送るマイルスの様子には、まるでドン・チードルがマイルスを演じることであの世のマイルスと対話をしているようで、ある種の神聖さが宿っている。
全編にちりばめられたキャリアを横断するマイルスの音楽と、フラッシュバックとして描かれる過去のキャリアのハイライト。もちろん101分間の作品でマイルスの音楽的変遷のすべてを描き切ることは不可能なわけだが、重要なキャリアのターニングポイントの一つとして、個人的に偏愛している『スケッチ・オブ・スペイン』でのギル・エヴァンスやオーケストラとのレコーディング・シーンが丹念に描かれていることには興奮した。本作の興味深いところは、こうした「はっきりとした史実」のシーンに関しては徹底的に資料に当たって再現している一方で、作中の重要キャラクターには何人も架空の人物がいるなど、リアリティを踏み外しているところはとことん踏み外しているところだ。監督のドン・チードルは「過去を再現しようと思えばできるけれど、それではマイルスとその音楽の躍動を映画作品に封じ込めることにはならない」という姿勢を貫いてみせる。マイルスの音楽が常に挑発的だったように、この映画もまた挑発的な作品なのだ。
架空の人物の一人として、隠遁中のマイルスの自宅を突然訪れ、はじめはマイルスから煙たがられるものの、結果的に前線復帰への手助けをすることになるユアン・マクレガー演じるローリングストーン誌のジャーナリストがいる。同じ職業の人間の一人としては、普段は悪く描かれがちな音楽ジャーナリストがクールな存在として描かれている作品としても大いに楽しませてもらった(ちなみにレコード会社の人間は徹底的にろくでもない存在として描かれている)。きっと、どの時期のマイルスの作品に最も思い入れがあるか、そもそもマイルスという人間そのものにどれだけの興味があるかによって、見方が変わってくる作品だと思うが、マイルスの音楽に少しでも触れたことがある人なら一見の価値があることは保証する。