二代目松本白鸚が文化勲章を受賞 「お客様に喜んでいただけるようなお芝居を死ぬまで続けていきたい」と、感謝と“目標”を語る

レポート
舞台
2022.10.25
二代目松本白鸚

二代目松本白鸚

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歌舞伎俳優の松本白鸚が文化勲章を受賞することが、2022年10月25日(火)に発表された。これに先立ち都内で取材会が行われ、白鸚が思いを語った。

二代目松本白鸚

二代目松本白鸚

会見場に入るなり、深々とお辞儀をした松本白鸚。最初の挨拶でも多方面に向けた「感謝」を述べた。

「この度は身に余る栄誉を頂戴しまして、びっくりいたしましたが、大変嬉しく思っております。ありがとうございます。私は初舞台が満3歳でございました。もうかれこれ80年近く役者を続けております。そういうと格好がいいんですけども、それしかないんでございます。私ひとりではこのような栄誉をいただくことはできません、お礼を申し上げたいと思います。
 
松竹株式会社ならびに東宝株式会社、この両会社にはお礼の言葉もございません。ありがとうございました。それから、裏方さんですね。本当によくやってくれました。衣裳さん、大道具さん、小道具さん、照明さん……それから共演してくださった諸先輩。私が習った大先輩は、もうこの世にはいませんが、感謝したいと思います。宝物をくれました。

昭和21(1946)年5月東京劇場『助六』外郎売倅=二代目松本金太郎 初舞台

昭和21(1946)年5月東京劇場『助六』外郎売倅=二代目松本金太郎 初舞台

それから同輩には舞台の上で火花を散らしてもらいました。芸の切磋琢磨をいたしました。後輩たちもたくさん育ってまいりまして、将来の歌舞伎を託していきたいと思います。その他、友人や家族もいつも応援してくださいました。そして、何よりも劇場に足をお運びくださいましたお客様に本当にお礼を申し上げたいと思います。
 
私は役者の芸しかない男でございまして、それ以外のことは全部やってくれた家内がおります。子どもたちのことから、学校のことから、家庭のことから、全てやってくれました。今にして思うと、高麗屋の女房になってくれたこと、本当に感謝をしております。この場に立ちまして、お礼の言葉しかありません。本当にありがとうございました」

二代目松本白鸚

二代目松本白鸚

受賞の知らせに「びっくりした」と語る白鸚。支えてくれている家族に報告をすると……。

「幸四郎はね『それはめでたい。こうでなくちゃいけません』と。意味がわかりません(笑)。長女の松本紀保は『おお』とびっくりして『それはそれはおめでとうございます』と型通りの挨拶。それから次女の松たか子は『おお、それはそれはめでたい』。これだけでした。一番男らしかったですけど、今、野田(秀樹)さんの芝居をやっているので、それどころじゃないのでしょう(笑)」。

平成20(2008)年10月15日東大寺奉納大歌舞伎『勧進帳』武蔵坊弁慶=九代目松本幸四郎(現 白鸚)、富樫左衛門=七代目市川染五郎(現 幸四郎) /(C)松竹

平成20(2008)年10月15日東大寺奉納大歌舞伎『勧進帳』武蔵坊弁慶=九代目松本幸四郎(現 白鸚)、富樫左衛門=七代目市川染五郎(現 幸四郎) /(C)松竹

これまでさまざまの役を演じてきた白鸚。歌舞伎の舞台での思い出や、好きな役について尋ねられると。
 
「役者は一生が修行。一つひとつ1日1日が勝負でございますね。たとえ体の調子が悪かろうと、勝負でございますから、今日こそは、明日こそはもっといい舞台をという思いでやってきました。時代物・世話物、いろいろ思い出に残っていますが、全国47都道府県を回らせていただいた『勧進帳』……東大寺の大仏様の前で『勧進帳』を演じさせていただきました」

「大仏様の前で『勧進帳』を演じたとき、大仏様のお声で『人を喜ばせたり、涙を流させたりすることは容易ではない。まして感動を与えることは容易ではない。それをお前は仕事にしているんだ。心して励め』とお言葉をいただきました。きょうの日にふさわしいお言葉だと思います」

「(好きな役は)『勧進帳』の弁慶ですかねえ。をかついで引っ込んでいく。そういう男らしさ。それにつきます」


ちなみに、歌舞伎以外で思い出に残っている役を尋ねると、「『ラ・マンチャの男』と言いたいけれど、私が心に残っているのは、『心を繋ぐ6ペンス』。芸術座で上演した、踊りまくって歌いまくるミュージカルでした。これが一番好きですね」

平成24(2012)年8月帝国劇場『ラ・マンチャの男』1200回特別カーテンコール。トニー賞をデール・ワッサーマン夫人より受け取る  (写真提供:東宝演劇部)

平成24(2012)年8月帝国劇場『ラ・マンチャの男』1200回特別カーテンコール。トニー賞をデール・ワッサーマン夫人より受け取る  (写真提供:東宝演劇部)

歌舞伎と現代劇の二つの道を追求してきた白鸚。改めてその思いは。

「難しいご質問で、どうお答えしていいか。歌舞伎の『勧進帳』をやっても、何をやっても、やっぱり芝居は共通したものがあるなぁという実感があります。論として皆様方の前でお話しすることではないと思うんですけども」
 
「僕は断ることが嫌いなんですよ。『アマデウス』の話も、『ラ・マンチャの男』のブロードウェイ公演の話も断らなかったんですね。全部やっちゃったんです。それがいいか悪いかは別として、そこから新しいものが生まれてくるということだけは信じてましたね」
 
「お客様あっての仕事ですから。お客様が喜んでくださらなければ、いくら考えても自分だけの独りよがりになってしまいますから。そう思って、歌舞伎をやる時も、ミュージカルをやる時も、いつの時も考えています。それできょうまで来ました」。

二代目松本白鸚

二代目松本白鸚

父・初代松本白鸚(1910-1982)も文化勲章を受賞している。
 
「親父とお袋はちゃんと生きてくれました。役者の家に生まれた親父でしたけど、やっぱりちゃんと生きてくれました。その思いが自分に乗り移っているのだと思います。大きな、優しい父でございましたね。
 
今度の勲章は私ひとりでいただいたのではない。病魔と戦いながら亡くなってしまった俳優さんが何人もいらっしゃいますが、みなさんと一緒にいただいたと思っています。役者っていうのはひとりじゃできませんから。先輩、同輩、後輩の力を得て、それぞれの思いを理解をしてやらないといけない。そういうことを無言のうちに父から習ったと思います」

二代目松本白鸚

二代目松本白鸚

長い役者人生で、苦しいこと、つらいこともあったろう。そのエピソードを尋ねようとすると、白鸚はその質問に諭すように答える。

「いやぁ、(俳優というのは)人様に夢を売る商売ですから。自分の体のこととか、苦しいこととか、辛いことをあんまり言わない方がいいと思います。家内とは二人で長かったなぁといろいろな思いを話しますが、自分のポリシーとして、俳優は夢を売る商売だと思っていますから」

80歳になったが、まだまだ現役。これからの目標については。
 
「目標ですか。目標は、お客様に喜んでいただけるようなお芝居を死ぬまで続けていきたいです。目標になるかならないか分からないけども、自分では役者はそういうものだと思っております。あんまり世のため、人のために役立たない商売だとは思いますけども、たかが芝居されど芝居で。やっている方は死に物狂いでやっています。
 
そうでない人もいるかもしれないけど、僕が知っている限りは、みんな死に物狂いでやっています。でも死に物狂いを見せないで、お客様からは『ああ、あの役者は芝居をやっているときは楽しくてしょうがないんだな』と思っていただきたいですね」

取材・文・撮影=五月女菜穂

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